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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第六章
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三日間の捜索を一時中断し、その翌日。待ちに待った朝が来た。

ようやく彼女に会える、そう思い、クルツフォートードはさっそく、彼女の教室に足を向けた。ただ、朝一番にやって来たので、彼女はまだ登校していないかもしれないな、と考える。しかしそう思っても、自然と気分は高揚してくる。もしかしたら会えるかもしれない、と楽しみにしている自分がいるからだ。


廊下を歩いて数分、すぐに目的地についた。そっと窺う様に扉を開け、中を覗き込む。辺りはしんと静まり返っていたので、やっぱり誰もいないか、と思ったのだが。


「え」


扉を開けた教室の中、誰もいないかと思われた教室に、生徒が一人いた。生徒の方もクルツに気がついたようで、目を丸くしている。


「あ、おはようございます」


そうだったこういう場合は挨拶をしておけばいい、そう言わんばかりに生徒は軽く会釈する。


「お、はよう」


クルツもそれに倣う。一瞬妙な雰囲気が漂ったが、その生徒の顔を見て、クルツはすっかり忘れていた重大な出来事を思い出した。


(…あのとき、一緒にいた)


そう、目の前の生徒の腕は、彼女を抱きしめていた。それをクルツは目撃した。ただ、三日間彼女の姿を見ていなかったせいで、彼女に会いたいと言う気持ちが先走り、細々としたことも含め、様々な問題が彼の中で無かったことにされていたのだ。ここへきて再び、クルツは嫌な出来事を記憶の引き出しから取り出してしまったわけである。高揚した気分が、一気にずん、と下降する。最悪だ。目の前の生徒が、「彼女が会いたかっただろう相手」だと認識し、ぎゅっと胸が締め付けられた。


もうこれ以上一秒たりとも相手の顔を見ていたら相手を殺してしまうかもしれないと思ったクルツは、サッと踵を返す。しかし、その背に追い縋るように、生徒は彼の名を呼んだ。


「あの、クルツ先生!」


ガタッと椅子から立ち上がる音がした。そう呼ばれてしまっては無視できないではないか、クルツはこっそり溜息をつき、後ろを振り返った。


「何か?」


とりあえず、にっこりと笑みを作ってみせる。

生徒は何やら必死の形相で、もしかして自分が殺したいほど嫉妬しているのが分かったのだろうかと冷やりとした。しかし、生徒の放った言葉はまるで予期しないものだった。


「…あの、俺に力を貸してもらえませんか?」







自分の放った言葉に、瞬間的に顔色を変えた目の前の美貌を見て、平良直人はハッと我に返った。

まるで予期しないことを言われた、そんな顔だ。


(いや、確かに吃驚するよな…)


つい先ほど放った言葉は。


『俺に力を貸してもらえませんか?』


―――いきなり言われたら驚くだろう。


平良はぎこちない笑みを英語教師に向けた。すとん、と力が抜けたように再び席に座る。


「あ、その、つまり、相談があるんです」


対する英語教師は、その言葉に得心した様子を見せる。若干の驚きに染まっていた顔には、普段通りの美しい笑みが浮かんでいた。


「相談って?」


にっこり、と微笑まれて、平良はなんとなく違和感を覚えた。おそらく、同性からこれほど綺麗な笑みを向けられたことがなかったからだろう。正直なところ、いっそ「男なんかに媚びを売っても仕方がない」とでも言わんばかりに、嫌な顔をしてくれれば気が楽だったと思う。いや、この完璧に見える教師のどこかに欠点を見出したかったのだ。どうにもやりにくいと感じつつ、これも彼女のためだと自分に言い聞かせる。今は自分と相手を比べている場合ではない。平良はぐっと膝の上にある拳を握った。


「――藤宮さんの、ことなんですけど」








力を貸してほしいなんて言うから何事かと思えば、目の前の生徒は「相談がある」と言い直した。

相談など、特にこの生徒からは受けたくもないし、すぐにここから立ち去りたかったが、今彼は教師であり、彼の性分として職務怠慢は避けたいところだったので、にっこりと笑い、クルツフォートードは生徒に向き直った。


「相談って?」


クルツにとって笑顔を浮かべることは、息をするようなものだ。それも、ぎこちないものではなく、一片の隙もない完璧なものを作ることが出来る。相手がどうでも良い相手になるほど、その精巧さは増していくのだ。その綺麗な笑みを向けられた生徒は、若干怯んだ様子を見せる。


(こういう顔が好みなんだろうか)


生徒は整った顔をしていた。クルツの天使のような甘いマスクでも、クルツの悪友のような危険を漂わせる美貌でもなかったが、ほぼ確実に「カッコいい」という類に振り分けられるはずだ。生徒の美醜や、それが自分の審美眼にどんな判定を下されるかなどどうでもよいことだったが、「彼女の好み」というものが絡んでくると話は違ってくる。

もしもこの生徒の顔が彼女の好みならば、確かに自分はこの顔ではないとクルツは思う。そういえば昔、「クルツは綺麗だけど、なんだか落ち着かないわ」と言われたことがあった。ジッと見つめられでもしたら心臓がおかしくなるとのこと。悪友に問えば、おまえは美貌も凶器になるのか、と笑われた嫌な思い出がある。


(美しいって顔ではないけど)


なんとなくだが、「落ち着く顔」というのは彼のような顔だろう、とクルツは思う。実際、冴えた美貌の日本人をクルツは見たことがなかった。研ぎ澄まされたような美しさがないだけ、おそらく見る者はホッとするだろう。


(もしも、それが彼女の好みだとすれば)


自分は完全にアウトだ。


ふと、目の前の「落ち着く顔」に緊張が走り、生徒はぐっと膝の上にある拳に力を入れた。どうやら何か決意したらしい。


「―――藤宮さんの、ことなんですけど」


振り絞るようにして言ったあと、生徒は真摯な眼差しをクルツに向ける。クルツは心臓を鷲掴みにされるような衝撃を感じた。


(藤宮さん、って)


そう、生徒の口から放たれただけで。


「先生?」


――思わず、綺麗な仮面が外れかけた。












どういうわけか分からないが、目の前の教師の纏う雰囲気ががらりと変わり、一瞬だがその笑顔が歪んだ様に見え、平良は教師の顔を覗き込む。


「先生?」


大丈夫ですか、とは聞けなかった。その前に美貌の教師が、変わらぬ綺麗な笑みを彼に向けたからである。さっきの変化は自分の気のせいだったのだろうと平良は思った。


「そう、それで藤宮さんのことって?」

「え、あ、その、最近藤宮さん、様子がおかしいような気がして」


そこまで言った後で、まるで英語と関係のない話をどうして僕に言うのと聞かれやしないかと心配が過った。この美貌の教師はただの英語教師であって、担任でもなければ心理カウンセラーでもない。だからと言って、その理由を「彼女はあなたに憧れているから、あなたに尋ねられたらうっかり悩みを打ち明けるかもしれないから」などとは言えなかった。生徒からの告白など、この教師は何度も受けていることだろう。その度に、「僕は先生で、君は生徒だからね」と優しく、常識的な返事で遮っているに違いない。彼女が憧れていることを言ってしまったら終わりだ、と平良はよく理解していた。いくら人の良い先生でも、リスクは冒したくないだろう。


「様子がおかしい?」


平良の心配をよそに、英語教師は真剣なまなざしでそう返した。本気で心配しているのだろう。平良は頷く。


「最近、凄く疲れてるみたいで。それに」

「それに?」

「遅刻してきたり、…昨日は六限に出なかったし」

「他には?」


他には、と聞かれて、平良は首を横に振るしかなかった。それくらいしか知らないのだ。言葉にしてしまえばこれだけのことで、自分はとてつもない不安に捕らわれている。だが、今の言葉で自分の心配で堪らない気持ちが伝わるものだろうか。


「それ、だけなんですけど…」


それだけしか知る権利が与えられなかった自分が酷く惨めに思えた。これだけじゃ駄目だ、と思う。こんな情報だけじゃ、もう少し様子を見てみたらどうかと言われてお終いだ、と頭を抱えたくなった。


(くそっ、こんなことなら、吉村さんに無理矢理でも他に何か聞いて)


おけばよかった。そう、悔んでいたとき。


「確かにおかしい。彼女が遅刻なんて妙だ」


そう零した英語教師は、その顔からすっかり笑みを消していた。


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