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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第五章
43/64

これまでに築いてきた人間関係がお粗末だったかといえば、そうではないと思いたい。

ただ、今になって何の心配も抱いていなかった人間関係で、これほど悩まされるとは露ほども思っていなかった。眉根を寄せ、カコカコとメールを打つ。



【無題

なあ、突然なんだけど、自分が最低な奴だって気づいたら、どうすればいいと思う?】


【Re:

どーした、急に。悔恨主義?(笑)気づいただけ偉いよ、おまえは】


【Re2:

……ごめん、真剣に応えて。マジで悩んでる。】


【Re3:

気づいただけ偉いってのは本音。最低な奴は自分が最低だって後悔しない、っていう俺理論。】


【Re4:

でも、最低なのは覆せないだろ。過去は取り消せない。】


【Re5:

じゃあ乗り越えれば?最低な奴で甘んじていられるほど、おまえって怠惰な奴じゃないだろ。最低な自分がどんなだかわかってよかったじゃん。今度はそんな風になるなよ。どうすればいいかなんて、おまえの中にしかないと思う。って、これじゃあアドバイスにならないか?(笑)】


携帯の画面を見、ふ、と小さく笑いが漏れた。懐かしい顔が目に浮かんだからだ。

確かに、これまでに築いてきた人間関係は決してお粗末ではなかった、と思う。いや、もしかすると、幸運なだけだったのかもしれない。携帯を操りながら、ふと思った。甘えていたのかもしれないな、自分は。


【Re6:

いや、助かった。サンキュ】


【Re7:

はは、今度こっち帰ってきたら連絡しろよ。】


懐かしい口調のままの相手を思い出す。うん、じゃあ、と打ち返し、携帯を閉じた。少し胸が軽くなったような気がした。そうだよな、と呟く。ちらと隣の空席を見やる。時計にすっと視線を走らせた。


――あと三十秒で、二時限目が始まる。


平良直人は深いため息をついた。










ここ三日くらい、どうも友人の様子が変だ、と吉村香奈枝は気づいていた。

どう、と問われれば、顔色が悪く、とても疲れている風に見えるのだ。遅刻も多い。現に今日も、二時間目が始まったと言うのに、まだ彼女の姿は教室に現われていない。妙だと思ったのは二日前、珍しく彼女が遅刻してきたからだ。真面目な彼女にそのような前例はほとんどない。理由を聞けば目覚まし時計が止まっていた、という少し胡散臭い理由を挙げてきた彼女の顔には笑みがあったので、たまにはそういうこともあるのだろうと納得した。しかし、それが昨日も今日も、と続けば、おかしいと思うのは当然だ。なんだか疲れているようにも見えるし、今日こそは登校して来次第、理由を探ってみようと思っていた。


(なにかあったのかなあ…)


お待ちかねの友人、藤宮寛子がやってきたのは、二時限目終了後だった。おそらく授業終了のチャイムが鳴るのを待っていたのだろう。教師が教室を出ていくと、入れ替わりに入室してきた。

香奈枝はホッとしつつも、まだ席まで辿りつかない友人の腕を掴み、鞄を置く暇も与えず、そのまま教室の外に連れていく。

一方の寛子は驚いていたが、いつになく強引な香奈枝の行動に身を任せていた。廊下の窓際に連れられて、向き合う様に立った香奈枝の顔は真剣そのものだ。寛子は微笑を浮かべる。


「おはよう、香奈枝」


その表情はどこか疲れていたが、憂いを帯び、同姓の香奈枝が思わずドキリとしてしまうような色香が感じられた。香奈枝はしばらく何も言えずに見入ってしまう。寛子はそんな香奈枝が我に帰り、口を開くのを黙って待っていた。

ようやく香奈枝がハッと我に帰り、手をつないだままの寛子の腕を放して、バツの悪そうな顔をする。


「…お、おはよ、寛子」


うん、と寛子は頷く。


なんだか幼稚園に戻ったみたいだ、と香奈枝は思った。結婚をしてから急に綺麗になった先生がいた。彼女に話しかけようと服の裾を掴んだけれど、なかなか言葉が出ずに面映ゆい思いをしたものだ。


「あ、あのさ。最近、その、どうしたのかと思って」


遅刻してきたのだから、もしも寛子が「あーあ、今日も遅刻しちゃったー」と照れたように笑ってくれれば、香奈枝はこれほど挙動不審にならなかっただろう。しかし、寛子の態度はどこか妙だった。こうなることは必然だったと、諦めているように見える。何か、致死の病の宣告を受けたあとの患者のような、これからの自分の運命を知っているような、縋りついてでも手放してはならない何かを、すでに打ち捨ててしまったような表情をしている…そんな風に感じられたのだ。


「最近?」


小首をかしげる寛子は、ここ数日で随分儚げな雰囲気を漂わせるようになった。以前、英語教師に恋をしていると気づき、そのときも彼女の変化を知ったが、香奈枝の心配するようなものではなく、うきうきと気持ちを高揚させる、前向きなものだった。

きっと、恋ではないのだろう。おそらく、寛子にとって辛いことが彼女を苦しめているに違いない、と香奈枝は分析した。


「そう、最近。なんだか疲れてるし、遅刻…とか。もう三日目だよ?さすがに目覚ましが三日続けて止まるなんて変だし…だから」


真剣な眼差しを寛子に向ける。対する寛子は薄らと浮かべた笑みを崩し、小さくため息をついて見せた。呆れた、というよりも、「バレちゃったか」と悪戯発覚の際に見せる、困ったような顔をする。


「家の事情、でね」


はは、と苦笑する寛子。


「家の事情?」


香奈枝は怪訝な顔をする。


「親がね、離婚するんだって。だから、色々と、ね」


さらりと暴露された事実に、香奈枝はしまったという顔をし、すぐさま「ごめん」と小さな声で謝った。寛子はクスクス笑う。


「香奈枝が謝ることじゃないわ。…誰が謝るものでもないの。そういう流れだったのよ」

「流れって」


悲しくないのだろうか、とか、そんなことを聞きそうになったが、寛子の家庭事情を知らないではない香奈枝は、ぐ、とその言葉を飲み込んだ。


「まあ、特にどうってことはないんだけどね。でも、一応他の人には言わないでくれる? 言うときは、自分で言いたいから」

「そ、それはそうだよ。もちろん誰にも言わない」


言えることではない、というのが本当のところだ。たいへんだよねーと言えるような、軽い事柄ではない。

香奈枝の言葉に安心したのか、寛子は「ありがとう」と言い、笑った。


親が離婚ともなれば、子どもにも色々影響が出てもおかしくない。疲労と遅刻のわけをそう納得して、香奈枝はとりあえずホッとした。事情を知っていれば、何か助けになることもできるだろう。


「――平良くんにも、ね」


寛子はやんわりとそう付け足す。平良、と聞いて、香奈枝は「そういえば」とふいに何となく感じていた疑問をぶつける。


「最近、平良くんとあんまり話さないね。喧嘩でもしたの?」

「え。…あぁ、それはちょっとね」

「ちょっと?」

「ほら、平良くんって女の子にモテるでしょ?だから」

「あー、もしかしてやっかみを気にしてるんだ?まあたしかにねえ。奴はイケメンだからねえ」

「そうなの。だからちょっと―――躊躇っちゃうわよね」

「そうだねえ」


はは、と香奈枝は笑う。寛子も合わせて、くすくすと笑いを漏らす。


「まあ、頃合いを見て、かなあ。私も気をつけよーっと。まあ、寛子と比べれば平良くんと話す機会ないから、そんなに心配することもないか。うーん、近すぎず、遠すぎずって難しいなあ」

「香奈枝は気にしなくても大丈夫だと思うわ」

「あれ?そうかな?」

「気にし過ぎるとぎこちなくなっちゃうタイプじゃない?」

「う。そうかも」


香奈枝はついと視線を右上にやり、過去の自分を振り返ってそう頷いた。


「だから、いいのよ、香奈枝は」


寛子はにっこりと笑みを作った。


「―――香奈枝は、そのままでいいのよ」




友人に対する二つの疑問が解決し、香奈枝はようやく肩の荷が下りたような気分になっていた。時計をついと見やる。もうじき六時間目が終わる。

寛子の席は空席だと知っていた。二時限目の終り、平良について話したあと、両親との話し合いがあるからと言って六時限目は出ない、そう寛子は少し申し訳なさそうな顔をした。すかさず「ノートはまかせて」と香奈枝が言うと、あからさまにホッとした顔で、ありがとうと返した。


(今頃、寛子は)


六時限目終了のチャイムが鳴る。トイレに行こうと立ち上がり、ふと平良のほうに視線が向き、その、寂しそうにも見えなくない横顔を視界にとらえ、イケメンもいろいろ大変だな、と同情の目を向けた。ふと、励ましてあげようという気が起こり、平良の元へ向かう。香奈枝が近づいてきたことに気がついた平良は、どうしたの、という視線を彼女に投げかける。


香奈枝は少し困ったような顔をしたあとで、くいと肩を上げる。


「最近寛子と一緒にいないと思ったらそういうことだったんだね。モテる男はたいへんだ」


そう、軽い調子で告げ、にっこりと笑いなおすと、香奈枝はくるりと踵を返し、平良の前から去った。残された平良の表情がどんなものであったかなど、彼女の知るところではない。


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