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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第五章
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見るからに気落ちしている友人に、ゼグヌングは珍しいものを見た、と内心で小さく笑う。彼の身に何が起こったのか詳しくは想像できないが、原因はおおよそ分かっていた。アドバイスしてやれないこともない。だが、今は少しそればかりに気を取られている時ではなかった。



そこは馴染みのバーではなく、ゼグヌングが根城としているマンションの一室だ。

ガラスのテーブルをはさみ、黒と白のソファが相対している。自分は黒に腰かけ、白いほうに座る友人に差しだしたコーヒーをついと見やった。せっかくの温かいコーヒーはすっかり冷めてしまっている。黒い液体の末路は排水溝に決定した。


(あーあ、どうするかなあ)


もしここで、黙りこんでいる友人がその胸の内を吐露し、どうすればいいのかと縋ってくればそれも一興だが、おそらく目の前の友人はそういうタイプではない。ぐるぐると一人考え込むのが常だった。

その落ち込みはこれまで味わったことのないもののようで、自分を呼び出したゼグヌングに呼び出しの理由さえ聞いてこない。

重症だな、さてどう切り出すか、とゼグヌングは思案する。


しかし彼の予想とは裏腹に、友人、クルツフォートードはふいにゼグヌングの後方にある棚に目をやると、唐突に口を開く。


「それ、お菓子?」


クルツが指さしたほうには、黒と白を基調としたこまごまとしたものの中に、一つだけポップな色に包装されたものがあった。その中に入っているものが透けて見えている。――クッキーだ。


ゼグは口にしていたコーヒーを思わず噴き出しそうになった。

慌ててカップを机に置き、友人を見やる。


「な、んだって?」

「あれだよ。どうみても手作りのお菓子だ」


そう言って浮かべた笑みは、先ほどまで手酷くやられたような重々しい空気を纏っていた人物とは思えない。ゼグヌングは振り向いて指し示された物を確かめることはしなかった。そんなことをしなくても分かっている。


「やらねぇぞ」

「いらないよ」

「ならいうな」


馬鹿馬鹿しい、とゼグは首を振る。


「ほとんど食べてない?」

「関係ないだろ」

「美味しくないんだ」

「そういうわけじゃねぇ」


思わずムッとして応えてしまう。美味しくないから残しているわけではないのだ。おそらく、不味くても残しておくが。ゼグは己の失態に舌打ちしたが、クルツは揶揄するどころか笑みさえ浮かべなかった。


「わかるよ」


そう言っただけだ。何がだ、とゼグも聞き返さない。


「同じじゃない」

「同じ、だと思う。今なら」


クルツはようやく小さな笑いを零す。ゼグはくいと片眉を上げた。


「残しておきたい。それが唯一、彼女を感じられるものだからね」

「……」


手酷くやられたようだ、とゼグは確信した。

しばらく二人の間に沈黙が落ちる。ゼグはコーヒーを飲みほしたのち、黙りこむクルツを見やる。


「あの女の臭いがする」


その言葉に、クルツは合点がいったようだった。なるほど、と頷く。


「それで僕を呼んだのか」

「野放しにすると危ない」


はあ、と溜息をつく。


「鎖でもつけとけばいいのに」

「できればそうしてるっつーの」


誰かさんにはできるだろうけどな、とゼグは苦笑する。クルツはそれを無視し、視線をコーヒーに向ける。


「すっかり冷めたね」

「おいおい」


更なるゼグの苦笑に、クルツはあと溜息を零す。


「――何をしろって?」

「この前、俺がグッドなアドバイスをしたことはもちろん覚えているな?」

「……」

「沈黙は肯定、だな」


クルツはくっと眉を寄せた。


「…で?」

「学校が終わってからなんてチンタラしてたら逃げられちまう。とりあえず三日、休暇を取れ」


その申し出には思うところがあるのか、クルツは相変わらずの怪訝そうな表情のまましばらく沈黙する。


「はぁん? 三日も会えないのは我慢が」

「――わかった」


不機嫌そうに承諾するクルツとは対照的に、ゼグはにやりと笑みを浮かべる。


「よし」








悪友からの申し出は面倒なものではあったが、今のクルツには案外悪くないものだった。

放課後に目撃した光景が瞼に焼き付いて離れない。何か別のことを考えなければおかしくなりそうだった。


一端自分の部屋に戻ってきた彼は、ついとテーブルに視線を向ける。

そこには、おそらく彼女が作ったものだろうと思われるマフィンがとって置いてあった。ずっと置いてはおけないが、三日間くらいなら大丈夫だろう。そう考えて包みを手に取る。戻ってきたのはこのためだ。他に必要なものはない。持ち上げるとふわりと甘い香りがし、クルツは思わず微笑んだ。

物の少ない殺風景な部屋だが、それがあるだけでパッと灯りがともったような温かさを感じることが出来る。


不思議な感覚だ、とクルツは思った。依然、誰かが「人は灯なくしては生きられないものだ」と言ったのを覚えている。自分はそんなものなくても道を開くことが出来るし、暖かさなど鬱陶しいものだと思っていた。だが今の自分は違う。


(菓子にまで、暖かさを求めているなんてね)


三日間、それを持つことで、それを口にすることで、会えない時を埋めようと考えた自分に気づき、クルツはその人間臭い思考に自嘲しつつ、一方ではそんな自分を好ましく思っていた。人間に、いや、彼女という存在に近づいていけるかもしれない、と一筋の希望が見える。思いだすのは、彼女を抱きしめていた人間の存在だ。同じように二本の腕を持っていても、彼と自分とはまるで違う。

彼は人間で、自分は死神だ。人になりたいと思ったのは初めてだった。

いや、違う。人になりたいのではなく、彼にとって代わりたかった。単純に人になればいいというものではないだろう。彼よりも自分を好きになってもらわなくてはならない。

いや、それより前に、自分を―――そこまで考えてふと気付く。


(僕は、彼女をどうしたい?)


どう、というのも曖昧な疑念だった。


彼女が好きだ。彼女に恋をしている。彼女が欲しい。彼女の周りに嫉妬している。


それらはきちんと自覚していた。ようするに側にいたいということだ。そしておそらく、彼女にも好きになってもらいたいということだ。しかし、自分はどうすればいいのか。彼女をどうしたいのか。彼女が自分にとって何という存在になってほしいのか――


(…欲情、もした)


クルツの「欲情」の定義は、カッと体の芯が熱くなることだ。しかしそれを感じたのは彼女に覚えたあの一度きり。普通の男なら、何をしたいのかはっきり分かるはずなのだが、クルツの場合、その行為と欲情は直結しないものだった。「恋」も「好き」も「嫉妬」も最近覚えたばかり。最終的な行為だけはとっくの昔に終えていた彼は、なんとも面白いことに、恋愛においての知識は小学生以下だ。その最終的な行為を、どうして自分に求めてくるのだろうと不思議に思っているくらいだった。人間とは本能的にあの行為を望んでいるものだと、そう理解していた。その欲求に応えるために、自分が熱くなる必要はない。いつだってそう冷静にことにあたってきたのだ。


少し混乱してきたので、クルツは小さく息を吐き、脳裏に彼女の姿を思い浮かべる。おそらく、周りの人間に彼女が触れられるのを見て嫉妬をするのは、逆に言えば自分だけが触れたいのだと思っている証拠だろう。


(そう…確かにそうだ)


だがそれは、「触れる」ということが発展すれば、おそらくあの行為に向かうのではないか。しかしあの時の自分の、すっかり冷めた気持ちを思いだすと、彼女に対しては絶対行ってはならない行為だと思う。それに彼女もそれを求めてはいないはずだ。もう夜の街には行かないと自分に約束したのだから。できれはあんなこと彼女にはしないでほしかったが、今さら言っても仕方がない。触った豚たちのことを思うと殺したいと思うし、嫉妬も感じる。

だが、それはクルツが感じる「好き」「恋」という暖かな気持ちとは直結しないただの行為だ。クルツには彼女がそんなことをしている姿を想像できなかったが、おそらく自分が感じている気持ちとそう変わらないだろうと妙な納得の仕方をする。おそらく、自分と同じであってほしいという無意識の表れだろう。


(あれは、…違う)


とすれば何か。さっぱりわからない。とりあえず触れてみたい、抱きしめてみたいとは思っている。それはあの行為とは違う。今はそういうことにしておこう。

クルツはまた、はぁと溜息を零す。


そろそろ行かなくてはならない。いつまで待たせるのかと悪友が飛び込んでくる可能性もある。

そう思ったクルツは、今は考えないでおこうと思い、包みを胸に抱いて部屋を出る。

誰もいなくなった部屋の中に、鍵を閉める音が響いた。


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