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何を言っているのだろう、この男は。
「え?そうそう、振られた。もー、期待はずれにもほどがある。え?あー、うん、そうそう。イケると思ったからに決まってるだろ。え?ばーか、俺今まで振られたことないんだよ?はは、ほんと、まさかーってショック。大ショック。…え?断り文句?」
平良直人は携帯を耳にしたまま、いつの間にか頭を上げていた寛子をちらと見やった。
にやりと口角が上がる。
「平良くんは友達だから、だってさ」
その一言に寛子は全てを悟る。怒りでカッとした。
クスクスと笑いながら話し続ける平良の声を聞きながら、だんだんと自分が冷めていくのが感じられた。がらがらと壊れていく。友情を信じていた自分が可哀そうで、友情を取りたいと願った自分が滑稽で、悔しい。
「ごめんね、藤宮さん、そういうことだから」
通話を切り、申し訳なさそうに平良は言う。寛子はプツ、と何かが切れるのを感じた。黙りこむ寛子を見、平良は携帯をポケットにしまい込む。
「あれ、傷ついた?」
ごめんね、最初からそういう賭けだったんだ。
隣の席になった女の子を落とせるかどうかっていう賭け。
負けちゃったけどね。
残念そうにそう説明する平良の声をBGMに、寛子は心にぽっかりと穴が開いたことに気づく。平良が自分を好きで告白したかどうかなどどうでもよかった。ただ、彼が友達になってほしいと言った一言まで嘘だったのだと知ると、言い表しようのない怒りが彼女の心に満ちた。
(これで、先生の優しさも、平良くんの友情も、失った)
これから、どれだけのものを自分は失っていくのだろう。
辛いのは嫌だ。苦しむのが怖い。
それならばいっそ。
それならば、いっそ、と寛子は思う。
「おあいにく様、この程度のこと何でもないわ。傷つきやすい処女だとでも思った?」
寛子はにっこりと笑う。平良はそんな寛子に戸惑いを覚えた。
「何言って、そんな」
「信じてない? なんなら抱いてみる? あなたがどの程度出来るかしらないけど、何度私の上で啼くか試してみるといいわ」
ここに立っているのは夜の街で生まれた藤宮寛子だった。
どれくらいの男たちとこのような言葉を交わしただろう。
これよりももっと嘘に塗れ、毒々しい女の仮面を被り、男を惑わす視線を向け、唇を舐めながら、どれだけの演技をしてきたか。
「はったりだろ…」
今まで振られたことがないとその程度のことを自慢する高校生には、おそらくこの程度でいい、と寛子の中の誰かが囁く。
「―――なら、試してみる?」
つ、と僅かに舌で唇を湿らせ、ニィと笑む。
呆然としている平良の頭を両手で掴むと、そのままぐいと引きよせ、唇を重ね合わせた。舌で口内を舐め上げてみれば、平良の体がびくりと跳ねた。唾液が唇の端から垂れるころには、平良は恍惚とし、床に座り込んだ。濡れた唇を確かめるように怖々と撫でる。
「とんだはったりね」
平良は何も言わない。
そんな彼を、止まる術を知らない寛子は畳みかけるように攻撃する。
「見かけ倒しの男の自己満足に傷つけられた女の子たちがかわいそう。同情はしないけど」
衝動的な怒りが彼女を突き動かす。
「ああ、これだけはお礼言わないとね。私になんて、友達ってものは作れません、そう証明してくれたんだから。―――楽しかったわ、友達ごっこ」
愉快そうに笑う。しかし、彼女の心は空っぽだった。
(本当に、楽しかったわ、友達ごっこ)
呆然とする平良を見やり、小さく笑む。
何もかもが馬鹿馬鹿しい。寛子は自分の席にある鞄を取ると、平良に背を向け、そのまま教室を出る。後ろ手に扉を閉めると、平良が視界から消えたことで、緊張の糸が切れ、とたんに涙が頬を伝った。
「虚勢なんて…まだ、張れたんだ」
そう呟き、人気のない廊下を歩き始める。
(酷い男、なんて、そうそういないと思ってたけど)
平良は本当の意味で酷い男だ、と寛子は思う。
それでも、一時の喜びを、一時的に穏やかな友情を感じさせてくれたことを喜ぶべきなのだろう。
仕方がなかった。平良とはそういう運命だったのだ。
諦めよう。もう、失って傷つくのは嫌だ。
おそらく、この傷は時間ともに見えなくなる。消えないだろうけれど、なかったことのように振舞うことは出来る。それでいい。それでいいのだ。寛子はふっと自嘲気味に笑った。
そのとき。さっと目の前に影が差し。
(え)
丁度廊下が右に折れるところだった。
寛子は何者かに腕を引かれ、そちらに引き込まれた。




