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彼が放った一言に、藤宮寛子は信じられない気持ちでいっぱいだった。
(好き、って、私を?平良くんが?)
驚いて目を見張り、寛子はゆっくりと平良の胸を押す。平良は彼女に真剣なまなざしを向けたが、寛子が驚いているのを見てとると小さく笑う。
「それで、よかったら、俺と付き合ってくれないかな?」
にこり、と笑う平良。
好きだと言われて、付き合う。その一般的な男女の付き合いの始まりに、寛子は眩暈を覚えずにはいられなかった。自分にこんな展開が待ち受けているなんて、かけらも想像していなかったし、できなかった。自分はもっと暗いところを歩いてきたのだ。好きだの嫌いだの、そういう愛の形などほとんど触れたことがない。欲望に塗れた愛の形を、ずっと経験してきたのだ。
それに、と寛子は思う。平良を見た。
(彼は、友人)
そう、平良は友人だ。
おそらく、寛子にとって第二の香奈枝となるはずだった。彼の側が心地よかったのは、彼女と似ていたからだ、と寛子は思う。二人の性格が似ていたというわけではなく、友達になろうとしたところが同じだった。寛子にとってそのような存在は希有である。
彼は友人で、それ以外になり得ない、と寛子はどこかで分かっていた。彼と自分の関係に、男女の隔たりは要らない。同じ人間として楽しみを分かち合い、穏やかに過ごせればそれ以外になにが必要か。香奈枝と平良と寛子と三人。この三角形が崩れることなく、三つの点がずれることなく、近すぎもせず、遠すぎもせず、綺麗な正三角形を描くことを願っていた。
「…平良くんとは、付き合えない」
だからそう応える。正直、悪いとは思わなかった。むしろ、友情を結ぼうと考えていたところに、そのような言葉を乱入させた平良を少し憎く思う。
平良はしばらく黙りこみ、どうしてと問うた。
どうしてなんて愚問だ。私が求めるものを分かっていない。寛子は彼の思慮の浅さを悔しく思う。
「どうしてって…」
「少しでもいいから、考えてもらえない?」
その一言にカッと顔が熱くなったが、寛子はぐっと堪えた。
どうして友情でとどまることはできないのだろう。男女のそれよりも、友情のほうがずっと確かで、穏やかで、人を癒してくれるだろうに。目下苦しい恋愛をしている寛子は平良の心がよく分からなかった。正直にいえば、恋愛云々に関してはクルツのことで頭がいっぱいで、それ以外のことを考える余裕などない。
一方を思いながら、もう一方と付き合えるほど寛子は器用でもない。
「返事はいつでもいいからさ」
「いつでもいいなら、今でもいいでしょ?」
「それはそうだけど」
「なら言うわ。付き合えない」
きっぱり言われ、平良は黙りこむ。しばらく逡巡して後、こう言う。
「…クルツ先生のこと、ホントに好きなんだ?」
「それは関係ないわ」
「…じゃあ、どうして?俺は駄目?」
俺は駄目。
そうだ、君は駄目だ、と寛子は思う。
「何が駄目とか、あったら」
おそらく、平良直人という男に付き合ってほしいと言われて断る女は少ないだろう。彼の容姿は整っている。爽やかな笑顔と、人懐っこい性格。――私にはもったいないくらいだ、と寛子は内心苦笑し、首を横に振った。
「じゃあ、どうして?」
「平良くんは、私の友達だから」
その言葉に、平良はなぜかバツが悪そうに顔を俯かせた。
その断り文句が気に入らなかったのだろうか。
「だから、ごめんなさい」
寛子は腰を折る。平良は無言だった。
彼が何か言葉をかけてくれるまでこのままでいよう、と寛子は思う。
すると、何かごそごそとズボンのポケットを探る音がして、平良が何かを取り出した。ピ、と鳴る。携帯だ。こんなときにどこにかけるのだろうと不思議に思った。
しかしすぐに、そんなこと気にならなくなるほど、衝撃の一言を平良は吐く。
「あ、俺。賭けはおまえの勝ち」
さいあくだよ、と彼は嗤った。




