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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第四章
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蓋をして、テープでぐるぐると巻いて固定して、その上から大きな岩を乗せる。

それでも物凄い力で中から這い出ようとするならば、何度でも同じように閉じ込めてしまえばいい。

いっそのこと鎖で縛ってしまおうか。

杭で仄暗い穴の奥に杭を打ち込んで縫い止めてしまおうか。



休日に愛しい先生と偶然の出会いを果たしてのち、藤宮寛子は自分の心の中に深い穴を掘り、そこに想いを閉じ込めようと決意した。

忘れることなどできないのだ。それならば誰にも知られないように仕舞っておけばいい。愛しい気持ちを抑え込み、一人の良い生徒としての完全な振舞いを手に入れなければならないのだ。美しい英語教師クルツフォートードの心に、麗しい国語教師への愛ゆえに起こった嫉妬があると知り、この恋は成就しないと確信した寛子は、せめて彼が求める良い生徒になろうと心に決めた。

もしかすると生徒としてなら愛される存在になりえるかもしれないと甘い期待を抱いたのもその理由の一つだが、自分に残された道はそれしかないのだと思い知ったからであった。


不思議なことに、覚悟を決めても涙はそれほど零れなかった。おかげで目が腫れずに済み、寛子はホッと溜息をつく。


休日も終わり、再びやってきた月曜日。寛子は一人、誰もいない教室にいた。まだ誰も登校してきていないため、ぽつんと一人、自分の席に座ってぼんやりしている。窓の外を見ると、彼女の視界に空を流れていく雲の姿が映った。とても穏やかな光景だったが、寛子には酷く切なく感じられた。何の制約もなく、ゆったりと流れていく雲は、鎖で雁字搦めとなった自分とはまるで違う。気を抜けば、どうして諦めなければならないのか、どうして封印しなければならないのかと問う自分が現われる。その理由を痛いほど分かっているのに、抵抗してくるのだ。


辛いけど、やらなきゃいけない。


そう改めて彼女が自身に言い聞かせた時、静かに教室の扉が開いた。入ってきたのは平良直人だった。寛子は自然とそちらを振り返り、彼の顔を見、一瞬の間のあと薄らと笑った。泣き顔を見られた気まずさ、といったものはあまりなかった。それ以上にショックなことが彼女を襲ったからだろう。

平良は寛子の表情に僅かに目を細めた。彼女の表情から何かを読みとろうとしたのか、或いはただ怪訝に思ったのか。しかし彼が何か言う前に、寛子は笑顔のままで「おはよう」と挨拶したので、彼は言うべき言葉を飲み込み、「おはよう、藤宮さん」と返した。


「早いね」


平良は寛子の隣の席に、トンと鞄を置いた。その様子を寛子は視線で追う。


「一番乗りよ」


僅かに微笑んで見せた寛子を見、平良は二度ほどホッとしたように頷く。


「――大丈夫、みたいだね」


何が、と問う者はこの場にいなかった。平良は席に座り、すっと笑みを消した寛子を見やる。彼女は少しむくれて見せた。


「私は大丈夫よ」

「それならいいけど」


平良はくすりと笑った。いつもの藤宮さんだ、と安心したように見える。

そんな平良に、寛子はホッと胸を撫で下ろす。

しばらくすると、教室はだんだん賑やかになってきた。馴染みの声が寛子の耳に響く。


「おはようー、寛子」


吉村香奈枝は自分の席に鞄を置いた後、ふらふらと寛子の席に近づいてきた。到着した途端、寛子の机にぐったりと身をもたげる。


「どうしたのよ、香奈枝」

「うぅ…今月早くもピンチです、隊長ぉ」

「は?」


寛子は怪訝な顔をする。香奈枝はぐいと顔を上げ、鬼気迫った顔で寛子に詰め寄った。


「ひろこぉ!」

「ひ…」


すでに涙目になっている友人に、寛子は思わず引いた。


「なんとかね、なんとか寛子に迷惑かけないように頑張ろうって色々思考錯誤を繰り返してみたんだけどどーにも駄目でさあ!爆弾みたいなのって言われたけどまさかオーブンの中でホントに爆発するような奴は期待してないと思うんだよねぇ!だからもうここは寛子にお願いするしかないんだよお!」

「ちょ、ちょ、香奈枝…話しが良く分かんないんだけど、ちゃんと説明してくれる?」


どうどう、というジェスチャーを香奈枝に向ける寛子。香奈枝はうぐ、と涙をこらえる表情だ。


「お、お菓子作りをおしえてくださぁい!」


拝み倒す勢いで、香奈枝は寛子にがばりと頭を下げたのだった。




香奈枝はとりあえず事情を説明した。寛子はなるほど、と呟く。


「…つまり、その助けてくれた人にお礼をしたいって言ったら、お菓子が食べたいって応えたのね、その人。えぇとなんだっけ、爆弾みたいな?」

「うん、そうなのデス」


爆弾みたいな、というところが良く分からなかったが、つまりお菓子を作りたいという香奈枝の気持ちだけは分かったようで、寛子はホッと胸を撫で下ろす。鬼気迫った顔で迫ってくるから何事かと思えば、なんだそんなことか。お菓子作りを教えてほしいとは、勢いの割に可愛らしいお願いだ。寛子はくすと笑う。


「そんなことだったらいつでも言ってくれたらよかったのに。遠慮なんてしないでいいわよ」

「うぇえん、寛子ぉ…ありがとぉお」

「泣かない泣かない。じゃあ早速今日にでも私の家に来る?」

「いくいく!」

「じゃあ決まり。帰りに材料買っていくわよ」

「はーい!」


よほど嬉しかったのだろう。もしくはすっかり安心したか。こんなに喜ぶなんて、自分一人でやったときはどんな悲惨なことになっていたのだろう、と寛子は思う。そしてふと気がついた。友人との会話で、自分の沈んだ心が少し浮上していることを。そして、その間だけ、あの人のことを考えずに済んだことを。

寛子は友人の顔を見、にっこりと笑う。香奈枝はにへら、と笑い返す。


「あのね、寛子。私クッキーが作りたいんだけどね、中に入れるの、例えば何がいいかなあ?」

香奈枝としては、もうマフィンはこりごりだった。そういうわけで、クッキーに変更したわけである。

「うーん、チョコチップとかだったら混ぜるだけだし簡単だと思うわ」

「チョコチップかー」

「その人、どんなイメージなの?」

「ブラックコーヒー」


香奈枝は小さく笑う。寛子はそのイメージを描こうとしたが、ダークなイメージしか浮かばなかった。そんな人がお菓子を欲しがるのはちょっと想像しにくい。もしや、お菓子作りを教えるだけじゃなくて、身を守る方法も教えたほうがいいのではないだろうか。一抹の不安を覚える。


「な…なるほど」


しかしそう応えるに留めた。お礼をするだけだ。特に深い関係でもないだろう。大体、お礼に手作りお菓子を所望するような人が、香奈枝に危険を及ぼすとは思えない。というか、思いたくない。


「じゃあ、ナッツとか入れて、甘さ控えめにしたらいいんじゃない?」


ブラックコーヒーのイメージは、とにかく甘みがないことだろう。


「触感がね、ザクザクして美味しいわよ」

「うわー、たべたい。それにしよう、それにしよう」


どうやら心は決まったようである。


「へぇいいなあ。余ったら俺にもちょうだい」


隣から声をかけてきたのは平良だ。ずっと二人の会話を聞いていたのだろう。


「えー、どうしようかなあ」


香奈枝は考えるふりをするが、すぐに二コリと笑った。


「まあ、余ったらね!」

「はは、じゃあたくさん作ってね」


楽しげな雰囲気の中、寛子はふと思う。ずっとこの空間に留まっていられればいいのに、と。香奈枝と、平良と、穏やかに笑っていられればどれだけ楽だろう。きっと自分は忘れられる。苦しい恋も、苦い過去も。そんな気がして、ひっそりと溜息をついた。







香奈枝とのお菓子作りは予想以上に楽しいもので、寛子の落ち込んだ気分は少しずつ浮上した。たくさん出来たクッキーに満足げな香奈枝を見、ふと恋しい人がまたお菓子を作ってほしいと言ったことを思いだした。

そうだ、作ろう。それを持って、会いに行こう。


香奈枝が帰った後、寛子は早速作り始めることにした。今度はクッキーではなく、マフィンだ。初めて彼に持っていった、大切なお菓子だ。作っている間中、あの頃の楽しい、浮かれたような気分に浸る。喜んでくれるだろうかとドキドキしながら作ったこと。そしてそれを手渡して、予想以上に喜んでくれたこと。もしかしたらあの蕩けるような笑顔を見て、すでに自分は恋に落ちていたのかもしれない。そう思うと、胸がじわりと熱くなり、とくんとくんと速く鼓動を打ち始める。


このマフィンに想いを込めよう。それだけなら許される。成就など期待していない。望んではいけない。しかしひっそりと込めるだけならいいのではないか。

だからここに、この甘いお菓子に気持ちを込めよう。


(…好きです、先生)


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