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馴染みとなったバー。ゼグヌングは隣に座る悪友をちらと見やる。
「いいな、その顔」
思わずそう呟いていた。隣に座る悪友、クツルフォートードは怪訝そうに顔を歪める。
「何?」
「その顔だ、苦しそうな顔しちまってよ。何かあったか?」
「まるで医者みたいなことを言うね」
「相談に乗るくらいなら、医者じゃなくてもできるさ」
ゼグのその言葉に、クルツは一瞬何か言いかけたが、その前にさっと目の前に置かれたグラスを取った。一口飲んだだけで、喉がカッと熱くなった。
「…最近、会ってるのか、その、お姫様と」
ゼグの問いにクルツは首を横に振った。
「なんで?」
「色々と、タイミングとか」
「タイミング?」
「…………」
クルツは黙りこむ。ゼグは深いため息をついた。
「――おまえ、抱いたろ?」
「分かるんだ?」
クルツは自嘲気味に笑った。くん、と臭いを嗅いでいる悪友は、この手の臭いにも敏感だとよく知っていた。
「嫌な臭いだ。染み付く前に始末しろよ」
ゼグは言葉とは裏腹に楽しげに笑った。クルツは溜息をつく。
「努力はしてる」
「あっそ。…それにしても、女か。そりゃおまえだったら放っておいても寄ってくるだろうけどな、それこそタイミングが悪くねぇか?お姫様に知られてみろ、ますます遠ざかっちまう。清廉潔白な教師様のイメージが台無しだ」
まるで上昇気味だった飛行機があっと言う間に下降し、続いて落下、炎上。そんな具合にジェスチャー付きでゼグは笑った。クルツは僅かに唇を歪めただけだ。まるで笑えないのだから。
「――胸に焦げ付いたものを、もしかするとこすり落とせるかと思ってね」
「はー」
「でも無理だった。なんの役にも立たなかった。もっと苛々しただけだよ」
「ハハ」
酷い言い草に、ゼグはとりあえず笑っておいた。お綺麗な顔の悪友は多分、酷いなんてことほんの少しも感じてはいないだろう。そう思うと更に笑えた。
「…原因が分からない。こんなこと初めてだ」
「そりゃ、羨ましいことで」
「羨ましい?」
「まーな」
「どういう原理か、分かるの?」
「ふは、原理か。まあ、原因は分からない事もない。おまえの陥っている状況になんて名前を付けていいかも知ってる。その解決法も」
「…一応聞くけど、それを教えてくれる気は」
「ない」
こんな面白いことを教えてたまるか、と言わんばかり、きっぱりとした返答だった。クルツは溜息をつく。イラついた様子を隠すそぶりもない。眉間にはくっきりと二本の深い皺が刻まれていた。
「嫌な医者だね」
「医者じゃねぇからなあ。まあとにかく、早く気付かねぇと面倒なことになるってことだけは教えといてやる」
持っていたグラスを煽ると、ゼグは濡れた唇を舌で舐める。滅多にない酒の当てのおかげで普段より美味しく感じられた。クルツの怒り、悲しみ、喜び、不安等など。それらはゼグにとってご馳走だ。
クルツはその美貌を歪ませ、冷やかな目で悪友を睨みつける。
「意地悪天使」
「おいおい拗ねたって無駄だぞ。おまえが拗ねたって可愛くねえ。大体、目が据わってるじゃねぇか」
「帰る」
クルツはそう言って残りの酒を飲み干すと、ダンッとバーテーブルの上に叩き置いた。
「おいおい待てよ。からかって悪かったって」
バーから出ていこうと立ちあがるクルツに、ゼグは慌ててそう声をかけた。たいへんだ、たいへんだ。酒の当てが逃げる。そんな風だった。
クルツは嫌そうに振り返る。視線でゼグの額を打ち抜きそうだ。
「何?」
「一つアドバイス」
ピンと人差指を立てる。
「下らないものだったら殺す」
いよいよクルツの機嫌は最低点に達したようだ。その表情に浮かべるのは絶対零度の頬笑み。流石のゼグも苦笑した。
「ハハ…まぁ聞け」
「…」
「最近おまえ、お姫様に会ってないって言ったろ?」
お姫様という言葉が悪友の口から零れるたびに、クルツは胸の奥にチリと熱いものが現われるのを感じていた。多分、目の前の天使にイラついているからだろう、と解釈する。
「何回言わせるつもり?」
「いや、だからな、俺が一つ言えることは、おまえの原因不明な症状は、とりあえずお姫様に会ったら何か打開策が掴める、ということだ」
「打開策?」
「そう。明日はちょうど休日だ。学校でなら会う機会がなくても、休みの日ならちょっと会って話すくらいできないことはない。だろ?」
その提案に、若干心が動いたのだろうか、黙って聞いていたクルツが口を開く。
「でも、休日に家に押し掛けるなんてことはできないよ。友達だったらまだしも、担任教師ですらない僕に訪問理由はない」
「そりゃ、家に行くのは俺も勧めたりしない。アララばったりこんにちは、ってな感じで、偶然を装って会えばいいんだ」
アララばったりこんにちは、の部分はご丁寧に愉快なジェスチャーと笑顔付きだった。クルツは爽やかなゼグの笑顔に若干引いていた。
「…まあ確かに、それなら不自然さはないだろうけれど、でも偶然を装うなんて。それこそタイミングの」
「まあまあ聞けよ。そこで俺のナイスアドバイスの出番ってわけだ」
「はぁ」
ナイスアドバイス、自分で言うか。
「前々からこういうこともあるかと思って、お姫様が休日どこにいるか調べておいた」
「は?」
聞き捨てならない言葉にクルツの目が光る。
「うわ、待て待て。別にストーキングしてたわけじゃねぇからそんな顔するな。調べようと思った矢先、偶然見つけただけだ。ついでに習慣的にそこに行くのかって、それだけを調べたんだ。怪しいことはしてねぇ」
「してたら殺す」
殺気の籠った視線には、今にもゼグを射殺しそうな鋭さがあった。
「それで、どこで彼女を見たの?」
「耳貸せ」
そう手招きされ、クルツは仕方なく耳を寄せる。ごにょごにょと耳打ちされ、「ふーん」と頷く。
「――明日そこに行け。で、偶然を装ってお姫様に近づく。あとは話をするなり、何をするなり…まあ色々と、お前次第だ。悪くないだろ?」
提案は悪くなかったが、どうにも釈然としなかった。多分グッドアドバイスとやらが目の前にいる悪友からいただいたものだと思うからだろう。何とも言えない胸のムカつきを吐きだそうと思ったが、クルツはあえて煩く言わなかった。
「悪くないね」
実行すれば、会えるのだから。




