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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第四章
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お菓子は作るものじゃない、食べるものだというのが吉村香奈枝の持論である。


お菓子作りという可愛らしいスキルに自信もあり、それなりに周りからの定評もある人なら作って友人なり家族なりに振舞ってもそれは決して罪ではない。美味しいお菓子にありつけた周りの奴らは何の心配もなくそれを口に運び、予想通り美味しいそれに満足することができるからだ。


だがしかし。だが、しかし、である。


お菓子作りどころか、色んな意味で多方面に不器用で、それなりどころか破滅的にまずいお菓子を作る定評のある人物は、もはやバレンタインデーにかこつけて手作りお菓子を作っちゃおうと目論むことすら罪である。重罪である。本人が思っている以上に、出来上がったものは破滅的で、救いようがない。


…とまあ、それは言い過ぎだが、香奈枝は案の定後者の部類に入る。


(どうするよ私、手作りお菓子ってどうすんのホント)


ただいま朝のホームルームの時間。

香奈枝は机に肘をつき、真っ青な顔で考え込んでいた。


(だいたい爆弾みたいなお菓子って何?そういえば一度マフィンをつくろうとしたらオーブン爆発したっけ。あ、もしかしてそういうこと?)


たぶんそういうことではないし、自分の不器用な経験を一般に当てはめるなと突っ込む者は残念ながらいなかった。


「えー、というわけで、来週から朝の読書週間に入るからな。各自読みたい本を持ってくるように」


黒板の前では、担任教師が淡々と連絡事項を告げている。「漫画でもいいんですかー」という問いが生徒から上がると、「別にいいぞー、その代わり効果音も含めて全部のセリフを前に出て朗読だ」と言う。とたんに上がるブーイング。酷いよ先生、横暴だ、卑怯だ、とかなんとか。


「いいさ、どうせ教師は嫌われ者だ」


言って、担任教師はガハハと豪快に笑う。


「まあ、連絡事項はざっとこんなもんだな。おおそうだおまえら、最近巷を騒がせていたひったくり犯、ようやく逮捕されたそうだぞ」


思い出したように逮捕情報を放す担任に、生徒の反応は今一つだった。せいぜい、「へぇ、そうなんだ」くらいのものだ。それよりも読書週間に何を読むか、それが今の彼らの中心的な話題だった。


「おいおいおまえら、反応が寂しいな。犯罪が一つ食い止められたんだぞ。喜ばしいとは思わないのか」


呆れたような担任に、生徒は口々に言う。


「別に俺、なんも被害受けてねぇからさ」

「そうそー、大体ひったくりとか小さいよね。強盗殺人とかさー、そういう大きいのだったらもうちょっとアレだけど」

「あたしそのニュースお母さんから聞いたよー。どっかのフリーターでしょ?不景気のせいであれだ、お金がないからやっちゃった?」


キャハハハ、と教室に響く笑い声。その声に担任はげんなりした。


「おいおいおまえら、他人事もいいところだなあ。もっとこう現実的な物言いはできないのか?もしかしたらおまえらの誰かが被害にあってたかもしれないんだぞ?」

「えー、でもでも、実際誰も被害にあってないし?」

「終わりよければすべて良しってコト? あ、俺今いいこと言った?」

「言ってねー!」


キャハハ、ギャハハ。朝のホームルームはとても賑やかだ。



(あー、ホントどうしよう。今月お小遣いあんまりないし、失敗してもそう何度も作りなおせるほど材料費に回せないじゃん)


教室の喧騒など我関せず。吉村香奈枝はぐったりとしながら、自らに課された難題について頭を悩ませていた。


(お菓子作り…って言ったら、やっぱり寛子に聞いたらすぐに解決するんだろうなあ)


そう思ってちらと藤宮寛子を見やる。寛子もやはり教室の喧騒には興味なさそうな風で、窓の外をぼんやりと眺めている。やっぱりまだ、あの噂を気にしているのだろう、と香奈枝は思った。


香奈枝は寛子の横顔が好きだった。

どこか遠くを見つめる目と、意外と高い鼻と、僅かに開いた唇と。彼女の顔を構成する全てが揃って、あのどこか儚げな、浮世離れした雰囲気ができるのだろうと思っていた。自分にはあんな表情はとても真似できない。前から日本美人の部類に入るのだろうなとは思っていたが、最近は美しい英語教師に恋をしているせいだろうか、どこか気だるげな雰囲気も相まって、女の色気がふわりと香る。

取り立てて美人でなくても、全身から色気の香り立つ儚げな、秘密めいた存在感があれば、可愛いだけの女よりもよほど男を誘うのだと、前に雑誌か何かで読んだことがあった。多分ああいう感じをいうのだ、と香奈枝は思う。去年よりもずっと綺麗になった、そう言ったら、「どうしたの突然。歌いたくなった?」と言って小さく笑う親友の顔が浮かび、香奈枝は人知れず笑みを漏らす。


恋をしているのだ、彼女は。


その横顔を見て強くそう思った。恋という甘酸っぱい雰囲気は寛子とミスマッチな気がした。たぶん、彼女の場合は、恋というよりも、甘い感情の芽吹きといったほうがしっくりくる。好きだからどうこう、というわけではないのだ。言葉よりもまず感情。甘さが迸る。寛子の瞳に映るのは、その甘さゆえの苦しみだった。


きっと、寛子は先生の美人なところに惹かれたわけではないと香奈枝は思っていた。一要素としては数えられるかもしれないけれど、それが甘い感情の芽吹きの主要素ではないだろう。寛子には、顔に一目ぼれしたというような低俗さとは無縁な気がした。


(超イケてる、とか言わなさそう)


そんなことを思いながら、ふと彼女の知っている「超イケてる男」を脳裏に浮かべた。まあ確かにあの人もかなりカッコいいけれど。思い出すだけで胸が高鳴った自分の存在はとりあえず無視しておいた。


(もしあの人とクルツ先生が並んでたら…うん、寛子は絶対クルツ先生にしか興味ないだろうなあ)


自分の考えに妙な自信を持って、香奈枝はうんうんと頷いていた。


(っていうか、そんなこと考えてる場合じゃなかった。お菓子だ、お菓子。どうしようホント)


ハッと我に帰る。

母親に指示を仰いだら、きっと誰にあげるの、とかどういうわけで作ろうなんて思ったのあんたみたいな不器用な子が、とか言われるに決まっている。うんざりだ。寛子だったら、特に何も聞かないで、何が作りたいのと聞いて、なんの煩わしさもなく教えてくれるだろう。


(でもなあ)


ちらとまた寛子を見やる。


(…今、そんなことで頼ってたら、迷惑以外の何物でもないよね)


仕方がない、と思う。


(人間、やるときゃやるのだ、うん)


香奈枝はとうとう、親友を思うあまり、してはいけない決心をしてしまったのだった。


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