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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第四章
21/64

以前と変わったところといえば多分、目の前の人物がこうして自分のレジにも並んでくれるようになったことだろう。それと、あぁ、彼のことをいつも気にしていた山内さんがあの夜以来姿を見せない事だ。


彼女、バイト辞めたんだよ、といつだったか店長が嫌にあっさりそんなことを言っていた気がする、と香奈枝は思い返す。煩い人だったけれど、バイトの先輩としては見た目を裏切る親切な人だった。そう考えると少し寂しい気もしたが、引きとめる前に辞めてしまったのだからどうしようもない。




香奈枝は目の前の人物が差し出した商品を手に取り、バーコードリーダーを当てて値段を読み込んでいく。ピッピッピッと合計三品。ガムとノートとクリームソーダ。突っ込みにくい組み合わせだった。


(クリームソーダっていうより、ブラックコーヒーって感じなのになあ)


ちらと目の前の人物を見やると、バチッと音を立てたかと思うくらい強く視線が合致した。それが偶然の産物ではないということくらい香奈枝にも良く分かった。香奈枝が下を向いて作業をしている間、彼はずっと香奈枝を見つめていたに違いない。


まだ数えるほどしか目の前の男――いつだったか山内が「超イケてる」と形容した男だ――に接客をしたことがなかったが、僅かな接客を通して、ストーカー男に襲われたあの夜の暗闇が普段の数倍自分というものを積極的にさせていたのだと香奈枝は思い知った。今思えば、どうしてこの目の前の男に対して、あんな風に口を利けたのだろう。だがこうして明るいコンビニの中で対すると、言いたいことが何一つ言えない。まともに言った言葉は何だっただろう。


(…ありがとうございました、だけじゃん)


あの夜助けてもらったことへのお礼も含め、香奈枝には彼に言いたいことがいくつかあった。例えば助けてくれた理由だ。あのあと冷静に考えると、どうしても理由が見つからなかったのだ。そしてもう一つ。あのとき、慰めてほしいかという彼の質問に、もしも自分が「慰めてほしい」と応えていたらどうなっていたのか。

そう考えるとゾクリとした。


「大丈夫か?」


ああ、あの夜もこんな風に声をかけてくれたなあと香奈枝はぼんやりと思った。が、次の瞬間、今の声は記憶ではなくリアルだと知って目を見開く。


「えっ、あっ、はい!」


慌てて姿勢を正し、はきはきと応える。そんな香奈枝の様子に、目の前の男はくすりと笑った。


「たぶん、じゃねぇんだ?」

「たぶん?」

「あのとき、そう言ったじゃねぇか」

「あのとき?」


そう繰り返してすぐに、あの夜のことだと察する。


「あっ、あのときは、ホントに、その、ありがとうございました!」


直角にガバっと勢いよく礼をした香奈枝に、男はブッと噴き出す。


「ま、なんともなくてよかったな」

「…ええと、その、どうして…」

「は?」

「いや、えっと、なんで助けてくれたのかな、と」


躊躇いがちにそう尋ねると、男は少し困った顔をした。


「さあ…なんでだろうな」


決して誤魔化している風ではなかった。純粋に、「わからない」のだろう。気まぐれってやつなのかな、と香奈枝は少し落胆した。


(っていうか、なんで落ち込んでるんだろ、私)


助けてくれたことに特に理由がない。理由があるに違いないと、どこかで浮かれていた自分がいる。そう分かった時、なんだか無性に恥かしくなった。


「…一つ言えるのは」

「え?」


俯いた顔を上げた香奈枝が見たのは、男のどこか戸惑った表情だった。それは憂いを帯びた寂しげなものだったが、香奈枝を見つめる視線はどこか温かい。


「助けたかったってこと。そんだけ」

「…私を?」

「言わせる?」


聞き返した香奈枝に、今度はからかうようにそう尋ねる。


「…言わせるなって、顔に書いてある。どうしてか、わかんないけど」


少し考えたあと、香奈枝はそう応えた。


「どうしてか、わかんないけど、ね」


男は満足げに頷いた。


「なるほどな」

「…あ、あの」

「ん?」

「お、お礼を、よかったら、その、したいんデス」


どもりつつそう言った香奈枝は心の中で、(ようやく言えたあああ!)と叫んでいた。

コンビニの店内は、もうすでに香奈枝と男の二人きり。男はカウンターに肘をつき、ぐいと身を乗り出して香奈枝の顔を覗き込んだ。その表情はなんだか楽しげだ。


「お礼?助けたお礼?俺に?なんで?」

「…一つ言えるのは」


後ずさりする香奈枝。


「言えるのは?」


更に乗り出す男。


「お、お礼をしたいってこと。そ、それだけ」


とたん、ふはっと噴き出す男。笑いすぎて目元を抑える始末だ。


「俺に?」

「だっ、だからそう言ってるじゃん!」

「くくっ、俺にもお礼がきたかー、とうとう来たか」

「俺にも?」

「言わせたい?」

「言わせたい」

「今度は言わせてぇんだ?」

「そういう感じがそこはかとなくしたっていうか」

「そこはかとなく」


意地悪く笑う男。そんな笑いが一番似合っているかもしれないと、香奈枝はちらと思った。


「くくっ、それで?俺にどんなお礼がしたいんだ?」

「ど、んなと言われても…何かリクエストとかある?」

「そーいうのってリクエストするもんなのか?」

「いや、あんまりお礼とかしたことないし、よく分かんない。そういうもの?」

「俺に聞くなよ。そんな風に見えるか?」

「そんな風って?」

「たくさんお礼しちゃってる風」

「…う」

「ぷっ、見えないってはっきり言っても俺は傷つかねえよ。…しっかし、お礼なあ。ああやっぱあれか。あれだ」

「あれ?」


何か良いアイデア? と少し男に近づく香奈枝。男の口角がゆっくりと上がった。


「お菓子、じゃねぇか?」

「おかし?」

「定番だろ?」

「なんの?」

「お礼の」

「そうなの?」

「だから聞くなって」

「お菓子がいいの?」

「ああ、手作りな」


そう言ってにやりと笑う男。


「てっ、手作り?」

「定番だろ?」

「それこそホントに定番なの?!」

「知らねえ。けど、あれだ、爆弾みたいなの。あれだ」

「は?」

「とにかく、お菓子だ。手作りお菓子。これっきゃねえ」


香奈枝がサッと青ざめる一方で、男はいかにも楽しげにそう言って、自らの提案を称えるべく小さく口笛を吹いた。

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