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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第三章
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隣に座る男が珍しく何かを思い悩んでいると知っただけで、ゼグヌングは愉快で堪らなかった。なんでも知っているという顔でいつも余裕に浸っていた隣の男は、平然とした顔を取り繕ってはいるが、ゼグヌングが小さく笑みをこぼすと、不機嫌そうに顔を歪ませた。


「ゼグ」


と短く言うと、手に持っていたグラスをバーテーブルの上に置いた。

カチャ、と硬質な音が響いた。


「なんだ?」

「何がおかしいの?」

「おまえ」

「僕?」

「クルツフォートード、おまえは何を悩んでいる?」


ゼグはくすりと笑った。グラスを傾けると、中の氷がカラリと音を立てた。


「なーんてな」

「別に」


とクルツは視線をそらす。


「いいさ、知ってるんだぜ。マフィンのお姫様だろ」


何もかもを見通せるだろうクルツが悩むと言ったら、あの危うげな女子高校生だけだ、とゼグは知っていた。しかし、その少女の名を彼が呼ぶことはない。きっと、自分の口から彼女の名前が飛び出せば、それだけで隣に座る悪友は、その胸に静かな怒りを募らせるだろうから。それが愉快で堪らなかった。


(怒り?怒りだって?)


ゼグは心の中で笑っていた。

なんだっていい。感情と名のつく物が、クルツフォートードの中に生まれるのならば。

それほど面白いことなど、この世にありはしない。


「…苛々するんだ」


酒が陳列された棚に視線をやりながら、クルツはそう呟いた。


「へえ、何が」

「何が、か。なんだろうね」

「何だろうなあ」

「何だと思う?」


とクルツはようやくゼグに視線を戻した。


「言ったって、おまえは人の話を聞きゃしねえよ」


クッとゼグはからかう様に言った。


「嫌な言い方だね」


クルツは苦笑した。


(分かってるだろ、ホントは)


俺に聞いたって仕方がないことくらい。ゼグはそう思った。

彼女を見るたび苛々して、彼女を知るたび苦しくなって、彼女に触れるたびに、酷く痛みを覚える理由を。


(ただ、おまえはそんな感情が自分の中にあるなんてことを、知りたくないんだ。ただそれだけ。怖いだけだろう?)


「思い出すたび、苛々するよ」


クルツは苦々しい表情でそう言った。その手にあるグラスの中には、もう何も入ってはいない。


「なあ、クルツ」

「思い出す、たびに」

「なあ」

「…うん、何?」

「魂だけが大事なんだろう?」

「魂は、大事だよ」

「魂だけ、そうだろ?おまえにとって、大事なものは」

「そう、言ってほしい?」

「俺じゃない」


と言って、ゼグはグラスに入っていた残りをグイッと仰いだ。


「君じゃない?」

「クルツフォートード、おまえだ」


一言言って、トンと空になったグラスをバーテーブルの上に置いた。


「おまえ自身が、そう望んでいる」


そう言うと、ゼグは悪友の不機嫌そうに歪んだ顔に、にやりと不敵な笑みを向けた。


「だから、苛々して仕方がねえんだよ」


一言言って、ゼグは悪友の顔を見もしないで、さっさとその店を出た。

愉快でたまらない。だが、その顔が愉悦に緩むことは決してなかった。店を出たとたん、彼の顔に浮かんでいた笑みは消え去り、すっかり暗くなった道をゆっくりと歩き始めた。


(俺も、もしかすると)


ゼグは苦笑する。その先は考えたくなかった。悪友の思い悩む姿を見たからこそ、その姿を滑稽だが真摯だと感じたからこそ、そこから先を考えてはいけないと感じていた。


彼が進む道の先に、一軒のコンビニエンスストアが建っていた。ゼグヌングはまっすぐそちらに向かっている。煌々とした光を放つその店に引き寄せられるように、一度も立ち止まらず、時折苦笑を洩らしながらも、彼はその店に向かっていた。


(こんなこと、意味のないことだってわかってんだけどなあ…)


頭の中で、誰かが警鐘を鳴らしている。だが一方で、また別の誰かが圧倒的な力で、ゼグの足を動かしていた。

ガラスの扉の前に立つと、チャイムのような音とともに扉がサッと開き、中から明るい声が聞こえた。明るく、耳触りのよい、そして何より、誰のものより甘く聞こえる少女の声だった。


「いらっしゃいませー」


ただその一言だけなのに。

ゼグはその声を、なにより甘美で、待ち望んでいたものだと思い知った。


“吉村“


そう書かれたネームプレートを胸につけ、レジの前に立っている一人の少女。


(か な え)


心の中で何度呼んだか、その名前を。

しかし今日も、彼は少女の顔を、面と向かって見ることはできなかった。


そんな自分に苦笑が漏れた。


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