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KURZVORTOD  作者: 貴遊あきら
第二章
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テーブルの上に置かれたマフィンの山を見、ゼグヌングはそのうちの一つをひょいと摘み上げた。

次の瞬間、彼の耳に恐ろしく低い声色が響く。


「ゼグ」


そう一言呼ばれただけだと言うのに、ゼグヌングはただならぬ気配を感じてその動きを止めた。


「な、なんだ?」


確かにその部屋には誰もいなかったはずなのに、今彼の後ろには何者かが立っていた。その気配は良く知っているものだ。ゼグはゆっくり振り返った。


「…クルツ」

「置いて」


普段と変わらないようで、実は比べ物にならないほど怒りを含んでいる声。原因はコレだ、と手の内にあるマフィンを一瞥し、ゼグはそれを元の位置に戻した。

どうやら満足したようで、後ろにいたクルツはにっこりと笑みを作った。それを見てひとまず危険は去ったと感じたのだろう、ゼグはテーブルの傍にある白いソファにどっかりと腰かけた。


「まさかマフィン型爆弾じゃねぇだろうなあ」


おどけたように言った。クルツは全く表情を変えなかった。ただ一言、違うよ、とだけ応える。それが余計に怖かった。


「君が手にしていいような代物じゃないってこと」

「はあ?」

「で、突然人の部屋に入ってきて何の用?」

「ひでーなその反応。友人が遊びに来たんだ、もう少し歓迎してくれてもいいってもんだろ?」

「ようこそ我が家へ。そしてさよなら」

「くくっ、ひでーな、ホント」

「…で、何の用?」


ため息交じりでクルツはそう尋ねた。彼の友人、もとい悪友は用もなく家を訪れることはない。こういうとき、何かあるのだ。ゼグはクルツをちらと一瞥し、盛大なため息をついた。


「見られちまったんだ」


と一言。それに対し、「何を?」とクルツは返さなかった。


「それで?」

「泣かれた」

「泣いた?子供?」

「女…。たぶん、おまえのお姫様と同じくらいだろ」

「嫌な予感がする、僕の生徒じゃないよね?」

「知るかよ。とりあえず」

「処置はした?」

「当たり前だろ」


というゼグの言葉を聞き、クルツはしばらく間を置いた。


「なんだよ?」


考え込むクルツを不審に思い、ゼグは尋ねる。


「結構つらいよ。一方的っていうのは」

「?」

「次に会ったとき、こっちは知っているのに、相手は自分を知らない。それが辛いと思ったのは、今回が初めてだったよ」

「それは…特別、だからだろ」

「君は?」

「俺は違う。「豚」じゃなけりゃ、誰だってああなる」

「どうなったの?」


クルツはククッと意地悪く笑った。彼は知っている。ゼグがどうなったのかを。


「まいった、ホント」


ゼグは頭を抱える。


「たまにやればいいのに。我慢するから一気に」

「我慢なんかしてねえよ。拒否してんだ」

「それを、我慢って言うんだよ」

「おまえだけだろ」

「まあ、そうかもね」


クルツはくいと眉を上げる。ゼグは細く息を吐いた。ソファにゆっくりと沈み込む。その様子を見たクルツは彼の隣に腰掛け、仕方がないなと言うふうにゼグを覗き込んだ。彼なりに励まそうとしたのだろう。しかし。


「なあ、あのマフィンってお姫様から?」


ゼグが顔を上げてにやりとそう言ったので、クルツのほんの僅かに顔を出した優しさはひっこみ、冷たい感情が一気に湧いた。


「なるほどなあ、だからあんなに嫌がったのか。へぇ、で、味は?美味かったか?」

「ゼグ」


冷たい声色で呼ばれ、ゼグは小さく舌打ちした。

彼の友人は、あまり怒らせるものではない。


「――さて」


とクルツはソファから立ち上がった。


「そろそろ行くよ。でないと遅刻するからね」

「先生はたいへんだな」

「悪くないよ」

「会えるから?」


その問いにクルツは応えなかった。ゼグに一瞥をくれた後、別室に姿を消した。


(魂がマフィン作るってもんじゃねえだろーが)


ゼグは心の中でそう言った。彼の友人は、まだまだたくさんのことに気が付いていない。その片鱗はたくさん見えるのに。敏感なようで、意外と鈍感らしい。


(さて、俺も行くか)


午前中は彼の活動時間ではなかった。「豚」を狩るのは主に夜だ。だが、別に昼間に外に出て体が融けるというわけではない。そういうわけで、クルツの部屋を出たゼグヌングは目的もなくぶらぶら歩いていた。ちらちらと視界に入るのは制服を着た学生たちの姿。高校生だとしたら、彼女も――


(って、何を俺は…)


考えを振り払おうと頭を振った。しかしその時、道路を挟んで向こう側から、聞き覚えのある声が聞こえ、ゼグはハッとしてそちらを見やった。そこにいたのは一人の女子高生。少し眠そうな顔をしていた。思わず目を奪われる。後ろから誰かが走ってきて、彼女の肩をポンと叩いた。


「おはよ、香奈枝」


(か、な、え)


はっきりとそう聞き取り、さらに読唇して、ゼグは無意識のうちにその名前を心に刻み込んでいた。

沸き起こったのはあの甘い憧れ。

憎悪も嫌悪も、それに勝ることはなかった。


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