第19話 氷河武装警備事務所①
厳しい北風の中にも徐々に温かさが感じられ始めた頃。
深雪は相変わらず《中立地帯》の復興作業や巡回などで、慌ただしい日々を送っていた。
災害級大規模抗争が起きてからおよそ二十日。
街の復興は少しずつ進んでいるが、課題や問題は山積しており、毎日、目が回るほど忙しい。
その合間を縫って、他の事務所の《死刑執行人》と連携や親睦を深めたり、カジノ店《エスペランサ》に単身潜入している九鬼聖夜と連絡を取り合ったり。
また、時間があれば今井涼太郎や逢坂忍、須賀黒鉄にも会いに行ったりした。
もちろん、雨宮との訓練など日々の習慣も欠かさずに続けている。それが功を奏してか、多忙な日々ながらも、意外と体力を維持することができている。
だが、いつ無理がたたるか分からないので、自分なりに体調には気を付けるようにしていた。
その一方で、久藤衛士が頻繁に東雲探偵事務所を訪ねてくるようになった。
あまり時間が取れず、なかなかゆっくり話せないが、どうやら衛士は琴原海と親しくなっているようだ。しかも、あの男嫌いの朝比奈まで、すっかり衛士と打ち解けている。衛士は人当たりが良く、手先も器用で何でも卒なくこなすから、彼女たちの仕事の手伝いをして信頼を得ているらしい。
ただ、仕事の手伝いと言っても内容は家事や雑用がほとんどらしく、危険の多い《死刑執行人》の仕事には関わっていないという。
衛士がそれでいいならと、深雪も口うるさく言わないようにしている。
衛士は《ニーズヘッグ》を離れ、今はどこのチームにも属していない。それに彼もまた他のゴーストと同じで、《中立地帯》を襲った災害級大抗争の影響を受け生活が安定しておらず、強い不安と孤独に晒されている。
衛士が東雲探偵事務所に来ることでその不安や孤独を紛らわすことができるなら、それでいいのではないかと考えたのだ。
しかし、事務所の仲間には深雪と同じように考えない者もいる。それは奈落と神狼だ。彼らは衛士のことをひどく警戒しているようだった。
もともと警戒心の強い面々だから、簡単には部外者を受け入れられないのかもしれない――深雪はそう受け流していたが、何と陸軍特殊武装戦術群の雨宮や碓氷までもが、衛士の出入りには反対する。「むやみに事務所外の一般人を近づけるな。何かあったら責任が取れるのか」というのが彼らの主張だ。
それも、もっともだということは深雪も理解している。衛士の身に何かあってから対処したのでは遅すぎるからだ。
衛士のこれからをどうするか。新しく所属するチームや新しい職場を探した方がいいか、それとも《ニーズヘッグ》のことについてもう一度話し合うべきか。
いずれにしろ、まずは大規模抗争からの復興をすませ、《中立地帯》の安定を取り戻さなければ、衛士も落ち着き先がないだろう。
衛士には大変申し訳ないと思いつつも、問題は取り敢えず保留となる。
あと一つ、気になっていることがある。寧々の様子が最近、少しおかしい。《関東大外殻》を見つめ、いつも一人で何事か考え込んでいる。何かひどく悩んでいる様子だ。
しかしその様子は以前と違ってひどく切羽詰まっており、深雪にはどちらかというと、彼女が思い詰めているように見えて仕方なかった。寧々とももう一度、しっかり話をした方がいいかもしれない。
そんなある日のことだった。
深雪は外出するため自室を後にし、東雲探偵事務所の玄関に向かった。
つい先ほどまで復興作業で泥まみれだったが、いちど事務所に戻ってシャワーを浴び、今は別の服に着替えている。デニムパンツにパーカーといういつものラフな格好ではなく、きっちりした印象を与えるジャケットとスラックス、そしてローファーだ。
「……さてと。エニグマ、そろそろ出発しよう」
深雪が声をかけると、足元の影からにゅう、とエニグマが姿を現した。シロや他の東雲探偵事務所の仲間はいない。今日は深雪とエニグマの二人きりだ。
「承知いたしました。行先は氷河武装警備事務所ですね。でも、おひとりでよろしいのですか?」
「いいんだ。前から氷河所長とは一度、二人きりで会って話をしてみたいと思っていた。所長や流星からの許可は取ってるよ」
「さようですか。それでは参りましょう」
そう言うと、エニグマはその影のような体を風呂敷のようにぶわっと広げた。そして深雪をすっぽり包むと再びその身を地中に沈める。
それから地中に潜んだエニグマは、深雪を飲み込んだまま影の状態でするすると街中を移動し始めた。いまだ瓦礫の残る裏路地を進み、被災者の集まる避難所の脇を通り抜け、やがて目的地に到達すると再び地上へと浮上する。
エニグマの影から解放され、地上に姿を現した深雪の目の前に聳え立っているのは氷河武装警備事務所の建物だった。
氷河武装警備事務所に辿り着く前に同事務所の《死刑執行人》たちに出会ってしまったら、氷河凍雲との面会を阻害されてしまうかもしれない。それを避けるため、エニグマに影での移動を頼んだのだ。
その氷河武装警備事務所は、あさぎり警備会社ほど立派ではないが、けっこう新しい五階建ての綺麗なビルだった。
エントランスは広々としており、一階はほぼ全てが車庫となっている。どことなく、消防署に構造が似ている。
東雲探偵事務所と同じく、氷河武装警備事務所も災害級大抗争の被災を免れたようだ。ビルに目立った外傷は見られなかった。
巡回中で出払っているのか、事務所のエントランス付近に《死刑執行人》の姿はない。つまり、近づくなら今が絶好のチャンスということだ。深雪は正面から堂々とビルの中に入り、受付カウンターへと向かう。
防犯上の理由からか、受付カウンターは強化ガラスで囲まれておりエントランスと完全に仕切られていた。外付けのマイクに顔を近づけて挨拶をし、名前と所属事務所を告げ、氷河武装警備事務所の所長である氷河凍雲と面会したい旨を伝える。
受付の男性スタッフは深雪のことを知っていたらしく、深雪が名乗った途端に椅子から転げ落ち、血相を変えてどこかと連絡を取り始めた。このまま追い返されてしまうかもしれない。彼の慌てぶりから深雪はそう覚悟したが、想像に反してその後、すぐに奥の応接室に通される。
応接室も新しく、簡素ながらも洒落た作りをしていた。センターテーブルの周りをソファと二脚のアームチェアが囲んでいる。部屋の隅には観葉植物。窓から日が差し込んでいて明るいが、その窓は鉄格子で囲まれており、いかにも《監獄都市》らしい。
受付の男性は深雪にソファへ据わるよう促した。大人しくそれに従うと、今度はお茶を出してくれた。湯呑は茶托の上に乗せられており、ご丁寧に茶菓子までついている。受付の男性の表情は常に強張っており、そこからは「何か失礼があってはいけない」という強い緊張感が感じられた。
――そんなつもりではないのだが。
戸惑いつつも、深雪はされるがままになるしかない。
受付の男性は一通り仕事を終えると、やがて応接室から出て行った。深雪も彼に礼を言いつつ、内心では正直ほっとしてしまった。
(でもこれって、裏を返すと、氷河武装警備事務所にとって俺はそれくらい招かれざる客ということなんだよな……)
応接室にこそ通してもらえたものの、本当に氷河凍雲と話をすることができるのか。深雪は早くも不安になってくる。
そうして三十分ほど待っていると、応接室のドアの向こうからドカドカと荒い足音が聞こえてきた。そしてバアンと勢いよく扉が開かれ、部屋に大勢が雪崩れ込んでくる。
応接室に乗り込んできたのは、氷河武装警備事務所の若い《死刑執行人》たちだった。その中には一緒に逢坂忍や須賀黒鉄を石蕗診療所に運んだ近衛直純や西山響もいる。
近衛直純は深雪の姿を目にし、驚きと呆れの入り混じった声で言った。
「東雲探偵事務所の雨宮深雪……! 本当にたった一人でうちの事務所に乗り込んでくるとは……!!」
「お久しぶりです、近衛さん、西山さん」
深雪が立ち上がってそう返すと、西山響は露骨にムッとした顔をし、すたすたとこちらに歩み寄ってくる。
「はっ、大した余裕っぷりですねえ、《中立地帯の死神》さんは。一体何をしに来たんスか? 茶が飲みたいなら、そこらのカフェでも十分じゃないですかね!?」
西山は吐き捨てながら中腰になり、バンと力いっぱいセンターテーブルをたたいた。受付の男性が出してくれた茶が、その衝撃でぐらぐらと揺れる。
「……」
案の定と言うべきか、近衛や西山のみならず氷河武装警備事務所の《死刑執行人》は誰も深雪の来訪を歓迎していない。嫌悪の眼差しを向ける者、困惑や迷惑の表情を浮かべる者。
しかしだからと言って、深雪もここまで来てすごすごと逃げ帰るわけにはいかなかった。五大《死刑執行人》事務所による合同事業を成功させるためにも、何としてでも氷河凍雲と話をつけなければ。
氷河武装警備事務所の若い《死刑執行人》たちと睨み合っていると、廊下の方からパンパンと手を叩く音が聞こえてくる。
「はいはーい、睨めっこはおしまーい」
姿を現したのは氷河凍雲その人だった。うすい色付きサングラスにシルバーのネックレスチェーン、そしてファー付きのアウター。《収管庁》で見た時と同じ格好だ。
「い……凍雲さん!」
氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちは驚いてさっと道を開ける。氷河凍雲は部下を窘めつつも、その真ん中を歩いて部屋に入って来る。
「お前ら熱くなりすぎ、気ぃ短すぎ。いつも他社の《死刑執行人》とは、むやみやたらと揉めるなって言ってるでしょ。忘れちゃった?」
「けど、こいつはただの同業者じゃ……!」
「そうですよ、東雲探偵事務所は疫病神だ! こいつらに関わることが、うちの事務所のためになるとは思えません!」
「……いいんだよ。俺もちょうど《死神》くんと話をしてみたいと思っていたところだったから」
氷河凍雲の発した言葉が完全に想定外だったのか、近衛や西山たちは息を呑んだ。
「え……」
「……!」
改めて深雪は気づく。他の氷河武装警備事務所の《死刑執行人》がみな深雪の来訪に驚き騒ぎ立てている中、ただひとり氷河凍雲だけは全く動揺が見られない。まるで最初から深雪がここに来ることを知っていたかのように。
《氷河》の《死刑執行人》、近衛直純もそれを察したようだ。深雪に対する不満をぐっと飲み込み、努めて冷静な口調になると仲間たちに呼びかける。
「……みんな、自分らはいったん部屋を出よう」
「……! 近衛さん……」
「で……でも!」
「氷河さん、気を付けてください。次期・《中立地帯の死神》にはアニムスを無力化する能力を持つそうです。自分らは隣の部屋にいるんで」
すると、氷河凍雲はポーズを取ってウインクをした。
「はは、大丈夫だいじょーぶ。ほら、俺って強いじゃん? 任せてちょんまげ☆」
完全に悪ノリしている。おまけにギャグも化石レベルに古い。近衛直純も半眼になってそれに突っ込んだ。
「……。そういうとこですよ」
それから氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちは渋々、応接室を後にする。
部屋の中には深雪と氷河凍雲の二人だけが残された。騒がしい面々が去り静寂に包まれると、にわかに緊張感がプレッシャーとなってののしかかってくる。
六道とあれほどの確執を見せたのだ。氷河凍雲が六道の部下である深雪を快く思っていないのは間違いない。そう思って内心では身構えていたのだが、彼は意外にも気安い態度で深雪に声をかけてくる。
「悪いね、血の気の多い奴らで」
彼に促され、深雪は再びソファに座った。
「いえ、連絡もなしに押しかけたのはこちらですから。氷河武装警備事務所のみなさんが警戒するのも当然のことです。むしろこちらこそ、お騒がせしてすみません」
「……っていうか、マジで一人でウチに乗り込んできたんだ? 勇気あるね」
「大人数で尋ねても、ご迷惑をおかけするだけだと思ったので。それに俺が氷河武装警備事務所に来たのは戦うためじゃない、話し合うためです」
「……。話し合い……ね」
氷河凍雲はテーブルを挟み、深雪の真向かいにあるアームチェアにドカッと腰かけた。そして両足を組むと、改めてソファに座った深雪と対峙する。
「……それで? その話ってのは何だ?」
「御社が五大《死刑執行人》事務所による合同事業への参加を拒否されている件について、どうか再考をお願いできませんか?」
今さら雑談など不要だろう。深雪が遠慮なく本題に入ると、氷河凍雲はやはりその話かと溜め息をつく。
「こちらの答えは《収管庁》で言った通りだ。合同事業に参加するつもりはない。どうしてもと言うなら、東雲六道を外せ。それが最低条件だ」
「氷河所長が東雲探偵事務所に対して不信感を持たれていることは承知しています。実際、うちの事務所はいろいろと非常に特殊ですし、所長もその……あまり愛想、とか……? ないですし……」
自分でもよく分からない擁護を繰り出してしまった。氷河凍雲もさすがに聞き流せなかったのかジト目になる。
「いや、愛想とか以前の問題だろ! 人としていろいろ終わっとるっつーの!」
「は……はは……氷河所長は、はっきりものを仰るんですね。……でも、東雲所長の経験と知見は五大《死刑執行人》事務所の合同事業に欠かせないものだと俺は思っています」
「……。えらく信頼しているんだな、東雲六道のことを」
氷河凍雲は色付きサングラスの奥から射るような目を深雪に向ける。深雪は真正面からそれを受け止めた。
「信頼……かどうかは分かりませんが……所長が言っていたんです。五大《死刑執行人》事務所の全てが力を合わせること、そしてそれを《監獄都市》に示すことが何より重要だと。そしてそのためには、一社たりとも欠けてはならないのだと。俺もまさにその通りだと思います。氷河所長も今の《中立地帯》の惨状をご存じでしょう? もう、仲の良い者どうしだけが手を組んで、好きなようにやればいい段階はとうの昔に過ぎ去っている。この困難を乗り越えるには、全員の力を合わせる他にはないのではないでしょうか?」
「ふん……いかにもな模範解答だな。東雲六道にそう言えと命令されたのか? 俺と直に会って説得して来いと」
「いえ、俺は自分の意志でここに来ました。所長に許可はもらっていますが、氷河所長と何を話すかまでは伝えていません」
「……」
「詳しくは聞いていませんが……氷河所長とうちの所長の間には浅からぬ因縁があるそうですね。当事者ではない俺が口を出すべきではないのは重々承知しています。それでも……敢えてお願いします。一度でいい、チャンスをください。合同事業に参加した上でそれでもどうしても納得がいかなければ、撤退の判断をされても構いません。それは全ての事務所に権利があります。無理強いはしません。……もちろん、協力体制が続けられるよう俺たちは最大の努力をします。ですから、どうか氷河武装警備事務所の力を貸してもらえませんか?」
深雪は身を乗り出した。まるで相手に挑むかのように。氷河凍雲は腕組みをし、すっと目を細める。
「……なるほどね。取り敢えずは参加しろってことか。その上で、気に入らないのであればあとは好きにしろと?」
「不安を抱えているのはみな同じです。氷河武装警備事務所だけではありません。あさぎり警備会社にしろPSC.ヴァルキリーにしろ東京アイアンガード・セキュリティーオフィスにしろ、連携はまだ手探り状態で、見解の不一致はしょっちゅうだし、問題や課題も山積みで……。まとまるのは簡単ではないことを痛感しています。
でも、意見がぶつかり合うのはみな、それぞれの仕事にプライドを持っているからです。互いに譲れないものがあるからです。けれどそれは、決して埋められないものではないのではないでしょうか? 何故なら、どの事務所もこの街のため、この街に生きる人々のために命を削って戦っているのは変わらないのですから。目指す場所が同じなら、必ず打開策はあるはずです。そして、それは氷河武装警備事務所も同じだと俺は思う。
……氷河所長。俺は、あなたは過去のことにこだわるあまり、判断を誤るような人ではないと思っています。過去の確執を全て水に流せとは言いません。ただ《中立地帯》のため、《監獄都市》のために協力してください。俺たちには……この街には、氷河武装警備事務所の力が必要なんです! お願いします……!!」
深雪は氷河凍雲に思いのたけをぶつけた。
深雪は氷河凍雲についてあまり詳しくは知らない。そして氷河凍雲もまた同様に深雪のことは知らないだろう。ひょっとしたら頼りないただの子どもだと思われているかもしれない。事実、実力・経験ともにまだまだ十分ではないという点は否めない。
だからこそ、彼に自分の考えを知って欲しかった。
決してただのノリや勢いで《中立地帯の死神》になると言っているわけではない。今の深雪を信じてもらうのはまだ難しいかもしれないが、せめてどれだけ本気であるか、それだけでも伝えたい。
言葉に熱がこもるあまり、最後には立ち上がって勢いよく頭を下げる。
「……」
だが、氷河凍雲は無言だった。
不安になるほど反応がない。




