第2話 確執②
「……!! それは……!」
確かに逢坂と接触は図った。
しかしそれは深雪が始めたことで、六道は何も悪くない。
責任があるのは深雪だし、責められるべきなのも深雪なのではないか。
しかし、身を乗り出した深雪の腕を流星が掴んだ。
「……深雪!」
流星の方を見ると、無言で首を小さく横に振る。口を出すなという合図だ。
流星の言いたいことは分かる。ここで深雪が口を挟んだって、誤解を解くどころかますますややこしくなるだけだ。
だが、それが分かっていてもなお、いてもたってもいられなかった。
発言の機会さえ与えられるなら、ぶちまけたい。
全ては自分のせいだ、自分のやった事なのだと。
一方、九曜計都は六道を睨む。それ見たことか、お前が自分で何とかしろと言わんばかりの冷たい視線だ。六道は小さく溜息をつき、氷河凍雲へ伝える。
「……私が二代目桜龍会の組長と接触を計ったのは事実だ。だが、内通というほどの緊密なものではない。《東京中華街》があのような状況である以上、あの時点で《アラハバキ》とのパイプを維持するのは必要なことだった。ただ、それだけのことだ」
だが、氷河凍雲にはそれで納得する様子はない。
「ふん、それで言い逃れができるとでも思ってんのか!? 聞くところによると、アンタ密かにあの《グラン・シャリオ》を逢坂忍と引き会わせようとしていたって話じゃねえか!」
《ヴァルキリー》と《アイアンガード》の所長はまたもや驚きの声を上げる。
「《グラン・シャリオ》って……最近壊滅した、あの!?」
「それに、《グラン・シャリオ》を皆殺しにした五人の《アラハバキ》構成員は、みな二代目桜龍会所属の者たちだったはず……! まさか……偶然ではありませんよね!?」
「……」
さらに騒然とする会議室。
《ヴァルキリー》や《アイアンガード》は言うまでもなく、今やあさぎり警備会社の所長までもが険しい表情をしていた。
せっかく合同事業の糸口が見えてきたのに、全てここで潰えてしまうのか。深雪は気が気ではないが、今は流星に忠告された通り黙っているしかない。
「……これは俺の推測だが、ひょっとして本当は、アンタが逢坂忍の部下に《グラン・シャリオ》を襲わせたんじゃねえか? 自らの権力を誇示するために」
「な……何ですって!?」
「それはどういう事だね!?」
市ヶ谷棗と草薙我聞は瞠目した。それにはさすがに決めつけすぎだと感じたのか、《あさぎり》の朝霧隼人も氷河凍雲を制す。
「凍雲」
「何だよ、あり得ない話ってワケでもないでしょ」
ふてぶてしくそれを一蹴してから、氷河凍雲は真顔になった。
その姿は、どんな手段を用いても悪を滅ぼさんとする、信念を抱いた正義の使者のようだった。自分の主張には一片の偽りも無いという確信に満ちた表情だ。
「……理不尽で陰惨な事件が起こるほど、人は『正義』を求めたがる。犯人たちに対する恐怖や怒りが強ければ強いほど、それを罰してくれる存在を求めるんだ。
そんな空気が醸成され浸透していけば、《中立地帯の死神》に対する正当性をより強固なものにすることができるだろう。普段は『《死神》なんて非人道的だ、あまりにも残酷すぎる』と嫌悪している人間も、それが機能している様を見せつけられればコロッと簡単に受け入れるって寸法さ。『この世には必要悪というものもある、抑止になるなら仕方がない』と言ってな。
……あんたはその『世論』を形成させるために、敢えて逢坂忍と接触し、わざと《グラン・シャリオ》のメンバーを虐殺させたんじゃないか? 《中立地帯の死神》という権力にしがみつき、それを守るためなら何だってやってのけるアンタなら、それくらい楽勝だろ?」
室内はしんと静まり返る。
俄かには信じられないという空気と、或いは《死神》ならば十分にあり得るのではないかという疑念が半々くらいか。
だが、本当に先だっての《リスト執行》が『自作自演』であるなら、さすがに《中立地帯の死神》といえど看過できない事態だった。当然、合同事業の是非にも大きく関わってくるだろう。
緊迫した重い沈黙が続く。
この事案をどう判断すべきか、みなが互いの出方を探っている。
そんな中、不意に六道が口を開いた。
「……三十点だな」
「何……!?」
氷河凍雲は薄い色付きサングラスの奥で目を剥き、身を乗り出した。今にも噛みつかんばかりの勢いだ。だが六道は、先ほどとは打って変わって、激しい口調で主張する。
「仮にも《死刑執行人》事務所の所長とあろう者が、推測のみで物事を判断するなど言語道断! 陰謀論としてもあまりにもお粗末! 《Zアノン》だ何だと騒いでいる連中よりは多少マシだが、その点くらいしか評価できる箇所が無い。だから三十点だと言ったんだ」
「アンタ……よくもそんなことが言えたもんだな!? 自分の立場ってものが分かってんのか!!」
「逢坂忍の部下である《彼岸桜》の《リスト執行》を行ったのは私の部下だ。彼らの行った《リスト執行》には《休戦協定》の協約に基づく正当な行為だ。それを侮辱するのは、すなわち私の部下に対する侮辱であるのと同義!
私自身に対する批判はいくらでも受け入れよう。だが、部下に対するいわれのない中傷は断固として認めるわけにはいかん!!」
そのあまりの剣幕に、氷河凍雲を始め、みなが息を呑んだ。
六道がそのような反応を示すことを一体誰が想像しただろう。
場の空気が凍りつく中、六道は何もなかったかのように元の冷静な態度に戻って付け加える。
「……もしあなたが私の立場でも、同じ判断をしたはずだ。そうだろう、氷河所長?」
六道の迫力は凄まじかった。口調の落差が却って余計に威圧感を抱かせる。
氷河凍雲は一瞬だが確実に気圧されていた。
深雪もまた同様だ。六道が公の場でこれほど憤るのを始めて見た。
それもこれも、全ては深雪を含めた東雲探偵事務所の《死刑執行人》を守るためだ。
とはいえ、これで氷河凍雲が考えを改めるとは思えない。案の定、氷河凍雲はすぐに怒りを浮かべると、バンと机を叩いて立ち上がる。
「ああ、そうかよ! そこまで言うなら好きにしな! ただし、うちの事務所は東雲探偵事務所主催の合同事業とやらの参加を見送らせてもらう!!」
「氷河所長!」
九曜計都は氷河凍雲の退室を阻止しようと声を荒げる。だが、彼は九曜の方を振り返りもしなかった。憎悪のこもったその瞳は、まっすぐ六道のみに向けられている。
「東雲六道、あんたは俺の言ったことを出来の悪い陰謀論扱いするが、こちとらちゃんと裏は取れてるんだ!! どちらが正しいか、いずれ証明される時が来る。……必ずな!!」
そして氷河武装警備事務所の所長・氷河凍雲は、荒々しい足取りで会議室を出て行ったのだった。
他の事務所の所長たちは呆気に取られた様子でそれを見つめていた。やがて少しずつ空気が弛緩してくると、《ヴァルキリー》の市ヶ谷棗は椅子の背に背中を預け、投げやり気味に言う。
「あらら、もはや関係修復は絶望的ねえ」
これまであまりはっきりとした主張をしてこなかった《あさぎり》の所長・朝霧隼人も、さすがにこれ以上は傍観していられなかったようだ。
「こうなってしまった以上、無理に凍雲を入れず、とりあえず我々だけでも合同事業を進めるべきではないか?」
だが、六道は小さく首を横に振った。
「……いや、この計画には必ず氷河の力が必要だ。性格はともかく、彼の持つあの類まれな戦闘能力を考えると、外すという選択肢はあり得ない」
「ふん……しかし奴の方には、その気は全く無さそうだぞ?」
《収管庁》長官である九曜計都もさすがにここまで話か拗れるとは思っていなかったのか、どこかうんざりした気配を漂わせている。六道は九曜に言った。
「……。もう少しだけ猶予をいただきたい、九曜長官。必ずや私が氷河所長を説き伏せます」
「好きなようにしろ……と言いたいところだが、時間はほとんど残されていないぞ。これから《中立地帯》の復興作業にも取りかからねばならん。またいずれ、必ずこのような大規模暴動が起こるだろう。それまでがタイムリミットだ」
「……承知しています」
九曜は一転して冷ややかな態度になり、六道へ忠告した。
「……私は貴様と心中するつもりは無い。生き残りたくば必ず結果を出すことだ、《死神》よ。後ろの後継者を守ってやりたいのだろう? 弱々しい経験不足の雛鳥は、すぐに獰猛な猛禽類の餌食になるからなあ?」
「……」
その日の会合はそこでほぼ終了となった。
五大《死刑執行人》の一角である氷河武装警備事務所の所長が抜けてしまった以上、進められる案件はほとんど残っていない。あとは山積みになっている《中立地帯》の復興作業について、いくつか打ち合わせをしただけだ。
それから九曜計都が退室したあと、他の《死刑執行人》事務所の所長たちも続々と会議室を後にする。
深雪ら東雲探偵事務所の面々も会議室の外へ移動した。そして、廊下の一角に設けられた休憩スペースへ向かう。
流星は赤く染めた髪をかき上げ、嘆息した。
「何というか……氷河の所長は《彼岸桜》の《リスト執行》について妙に詳しく知っているようでしたね。うちと逢坂忍が接触を図っていたなどという、部外者は絶対に知り得ない情報まで握っていましたし」
「よっぽど腕の立つ情報屋を雇っているらしいわね~。こちらの内情に詳しい者がバックにいるとしか思えないわ。ねえ、エニグマ?」
ウサギのマスコットは半眼でそう呼び掛けた。
確かに、あれほどこちらの内情を把握されていたら、マリアが身内に内通者がいるのではないかと疑うのもよく分かる。
深雪の影から姿を現したエニグマは、大袈裟な身振りで迷惑千万とばかりに抗議した。
「残念ながら、私ではありませんよ。私はもう雨宮さん一筋と決めているのですから!」
「……あっそ」
みな、氷河武装警備事務所の所長が非協力的な態度に出てくることは予想していたのか、あまり感情的にはなっていない。
深雪もまた、覚悟はしていた。そのつもりだった。しかしいざ、あのような手段をとられると、とても納得ができなかった。
湧き上がる怒りが抑えられない。
「俺は……氷河所長のやり方はあまりに卑怯だと思います!」
「深雪……」
流星は心配そうに深雪を見つめる。ここはまだ《収管庁》の中だ。どれだけ腹が立ったとしても、この場で怒りをぶちまけるべきではない。
もちろん深雪も、それは承知している。だがそれでも、一度、言葉が口を突いて出ると、それを止めることはできなかった。
「確かに氷河所長の口にした情報は決して間違っているわけではありませんでした。だから彼を責めるのはお門違いかもしれません。
けれど、そもそも彼はジャーナリストや新聞記者というわけじゃないし、真実を公にする義務を負っているわけでも無い! 情報の使い方など他にいくらでもあったはず……それこそ、事前に所長に確認し、個別に話し合うという方法だってあったはずです!!
でも氷河凍雲が選んだのは、手に入れた情報をみなの前でこれ見よがしに暴露することだった。所長を貶める、ただそれだけのために……!」
《死刑執行人》はきれいごとだけは務まらない仕事だ。存在しない方がいいに決まっているが、もし本当にいなければこの街はとっくの昔に崩壊していた。氷河凍雲も《死刑執行人》である以上、その事は分かっているはずだ。
《死刑執行人》である彼もまた、人には言えないことに手を染めてきたのだろうから。
深雪はそれを糾弾するつもりは無い。自分にはそんな資格もないと思っている。
だが、彼の卑劣で陰湿な個人攻撃だけはどうしても許せなかった。
「それだけじゃない! おまけに氷河凍雲は、徹底して所長の目的である合同事業の邪魔をして、失敗させようとまでしたんです!! 合同事業はうちが利益を啜るために行うわけじゃない! 《中立地帯》の結束を高めるため、今はみなで力を合わせることが必要なのだということは彼も分かっているはずなのに!!」
それにあれほど東雲探偵事務所と二代目桜龍会の内情を知っているなら、両者を引き会わせようと画策したのが六道ではなく深雪であることも、当然知っているはずだ。
しかし氷河凍雲はその事に関して一言も言及しなかった。
彼にとって、六道を貶めることができれば、真実などどうだっていいのだ。
「……」
六道は無言を貫いている。深雪はさらに捲し立てた。
「氷河所長の言動からは、東雲探偵事務所に対する陰湿な悪意しか感じません! 所長は先ほど彼が合同事業に必要だと仰っていましたが、俺にはむしろ危険人物としか思えない!! それより、氷河凍雲がいなくても成立する連携体制を構築する努力をした方が、よほど健全で建設的なのではないでしょうか!?」
「お……おい、深雪、落ち着けって……」
流星が止めに入るが、深雪はそれを遮ってきっぱりと断言した。
「俺は……もし仮に氷河武装警備事務所と合同事業を進めることができたとしても、あの所長を信頼する気にはなれません!! 《グラン・シャリオ》の件は全部、俺に責任がある……それなのに、その俺が東雲探偵事務所の《死刑執行人》であることを利用して、上司である所長を陥れるなんてあまりにも悪質すぎる……!! どんな事情があろうと許せませんよ!!」
自分が思っている以上に感情が高ぶっていたのか、最後の方は息が上がっていた。こんなに怒ったのは久しぶりだ。
だが、深雪はどうしても許せなかった。
京極によって辛辣なまでに叩きのめされ、敗北を喫しただけでも十分な痛手だったのに、それが原因で六道や東雲探偵事務所全体が窮地に立たされることになるなんて。
とてもではないが、耐えられなかった。
すると六道は、いつもと変わらず、毅然とした態度で言う。
「雨宮、氷河凍雲が憎んでいるのは私であって、お前ではない。だからお前が氷河凍雲に憤りを覚える必要もない」
「そ……それは分かっています。でも……!」
「……あいつは必ず分かってくれる。信じてやってくれ」
「……!」
六道にそこまで言われたら、さすがに嫌だとは言えない。
「所長……」
確かに冷静に考えると、氷河武装警備事務所の戦力は無視できないほど高い。
三日三晩続いた大抗争の混乱のさなか、深雪は幾度か氷河武装警備事務所の《死刑執行人》たちが活動しているのを目にした。
五大《死刑執行人》事務所の一角として遜色ない、見事な働きぶりだった。
その先陣に立つのは、所長の氷河凍雲だ。
彼の戦闘能力の高さは中でも特に目を見張るものがあり、遠目から見ても圧巻だった。
氷河凍雲のアニムスは《アブソリュート・ゼロ》。絶対零度の凍気をその身にまとい、広範囲を瞬時に凍らせる能力だ。
灼熱地獄と化した《中立地帯》に氷の結晶がきらきらと舞ったかと思うと、次の瞬間には無数の氷柱が天を突くようにして聳え立っている。六角柱状をした水晶のように。
そのさまはライバル事務所でありながらも頼もしく、そして何より美しかった。息を呑むほど幻想的な風景だった。
聞けば氷河武装警備事務所は氷や水のアニムスを持った《死刑執行人》が多いらしい。それもあり、消火活動にも積極的に参加しているのだとか。
(氷河凍雲が味方になってくれたら、心強いのは間違いない。どのみち東雲探偵事務所が単独で《監獄都市》の秩序維持に当たることのできる段階はとっくに終わってるんだ。腹は立つけど、氷河武装警備事務所に協力を仰ぐしかないのかもしれない)
実際、《新八洲特区》も《中立地帯》に負けず劣らず興奮した《Zアノン》信者で大混乱に陥っていた。だが、《アラハバキ》最強と謳われる轟組の部隊、《轟鬼衆》が出動するや否や、あっという間に混乱を沈めてしまったらしい。
(《轟鬼衆》……彼らとはきっと正面衝突することになる。何故だか分からないけど、そんな予感がする。数百人にも及ぶあの軍団に対抗するためにも、今は感情に流されず戦力拡大を図らなければ……! この街には最大の敵、京極もいるんだから……!!)
最近、京極は目立った動きを見せていない。
だが、あの悪魔のことだ。裏では必ず何かしら動いているだろう。深雪や東雲探偵事務所を打倒するために。
それを阻止するためには、苦手な相手や気に入らない相手とも手を結ぶべきなのかもしれない。
(もっとも、どうすれば氷河凍雲を納得させられるか、それはまだ分からないけど……)
溜息をついたその時、エニグマが素早く深雪の影に戻った。
何事かと周囲を見回すと、そこへPSC.ヴァルキリー所長の市ヶ谷棗とあさぎり警備会社所長の朝霧隼人がやって来る。
てっきり先に帰ったのだと思っていたが、そうではなかったようだ。
一体、何の用だろう。
まさか、先ほどの氷河凍雲の話を聞き、連携を解消したくなったのではないか。
俄かに緊張する深雪だったが、市ヶ谷棗はそんな深雪の懸念などお構いなしに一方的に会話を始めてしまう。




