第25話 進退両難②
流星は溜息をつく。
「まあ、そうしたくなるのも分からなくはない。上松組の跡目争いに端を発した抗争は日々、激化し、死傷者も増える一方だ。今日の大規模抗争ではとうとう二百人以上の死者が出た。《収管庁》も何とかそれを抑制したいと考えているんだろう。
彼らは単純に《リスト入り》する基準が下がれば、それが抑止となって街中の暴動や抗争も減少させることができると考えているんだ」
「それは……平時ならともかく、今は完全に逆効果だと思います! ただでさえ《死刑執行人》は信用を失っている。今、不用意に《リスト執行》を増やしてしまったら、《中立地帯》のゴーストたちからさらなる不興や反感を買うのは目に見えています!」
深雪は声を荒げて反対した。
おまけに、昨日までは《リスト執行》の対象にならなかった者が、明日からはその対象になるのだ。安易かつ一方的にルール変更を行うと、ただでさえ陰謀論をばらまき街の人々を扇動している者たちは、『それ見たことか、《収管庁》や《死刑執行人》がいよいよ独裁者の邪悪な本性を現した』とばかりに騒ぎ立てるに違いない。
そうなれば、事態は収まるどころか、今の混乱に拍車をかけるだけだ。
「そもそも、最も活動が過激な《Zアノン》信者は、死を全く恐れていません。むしろ、自分たちの掲げた革命を成し遂げることができるなら喜んで自らの命を捧げる……そういう風に死を名誉とすら考えている連中です。
そんな考えを持つ相手に、《リスト執行》が有効であるとはとても思えない……! どう考えても《収管庁》のやろうとしていることは間違っています!!」
するとマリアも今回ばかりは深雪に賛成する。
「あーあ、思ってた通り嫌な方向に転がり始めたわねー。だから言ったのよ。あいつら、いくら頭のいいエリートでも、現場のことは素人も同然なんだから、余計なことはしないで欲しいって」
彼女が辛辣な言葉を口にするのはいつものことだが、今日はそれに輪をかけてとげとげしかった。流星は困ったような顔をする。
「マリアの言うことは確かに一理あるが……《収管庁》では、この件は、ほぼ決定事項のようだ。俺たちの方から干渉してその決定を覆させるのは不可能に近い。
それに、何も手を打たなければ、それはそれで《収管庁》の責任を問う声が出てくるだろう。何せ《収管庁》はこの《監獄都市》唯一にして最大の統治機構なんだからな」
つまり、深雪たち《死刑執行人》側がこの流れを止めることはできないということだ。
《収管庁》はもともと、《リスト執行》には消極的だった。その方針を百八十度転換させたということは、それだけ現状に危機感を抱いていることの表れでもあるのだろう。
また、それは裏を返すと、抗争を鎮圧しきれない《死刑執行人》に対して《収管庁》が業を煮やしたということでもある。
みなが我慢の限界なのだ。
そして現状を危惧し、強い焦燥に駆られている。
深雪はふと不安を覚え、六道に尋ねた。
「あの……所長。五大《死刑執行人》事務所の合同事業の件ですが、《収管庁》の動きを察するに、彼らから見切りをつけられたということなのでしょうか?」
「そう判断するのは尚早だ。ただし、あまり時間が残されていないのは事実だがな。他の大手《死刑執行人》事務所にも働きかけを続けているが、反応は芳しくない」
「……やはり、東雲探偵事務所の悪評が出回っていることが原因でしょうか?」
そうだとしたら――今は何をしても無駄なのではないか。考えれば考えるほど閉塞感に包まれ、深雪はうな垂れる。
だが、六道は冷静にそれを否定するのだった。
「たかが噂を信じ込むほど、彼らも短絡的ではない。ただ、時期が悪いという点は否めないだろう。みな街の混乱を受け、警戒心が高まっている。この不安定な時期に新規の事業は避けたいと考えるのは自然なことだ」
「とはいえ、氷河武装警備事務所の所長なんかは割とマジメに噂を信じ込んじゃってるみたいだけどね。彼、もともとうちにはいい感情を抱いてなかったから、《収管庁》でのミーティングでも、それ見たことかと鬼の首を獲ったかのように振舞っていたし。
……まったく、例の《スケアクロウ》とかいう情報屋のヤツ、腹が立つったらないわ! 事実ならともかく、うちに関するあること無いこと、調子に乗って見境なく吹聴しているみたいだし! ボッコボコにとっちめてやりたいけど、こっちも抗争の対策と情報収集にかかりきりになっちゃってるから、とても手が足らないのよねー」
マリアはよほど悔しいのだろう。短い脚でだしだしと地団太を踏む。
(確かに……俺たちもマリアも、《スケアクロウ》の存在は把握してるけど、抗争鎮圧に手間取られているせいで奴を追いきれていない。もし《スケアクロウ》が意図してこの状況を作り出したのだとしたら……かなり手強い相手だな)
エニグマによると、そもそも《スケアクロウ》は《東京中華街事変》以前、既に《中立地帯》で活動していた痕跡があるらしい。
けれど有名になったのは上松組の兄弟争いが激化したあとだ。
彼は長い間、息を潜めていたのに、急に《監獄都市》の表舞台に現れ、東雲探偵事務所の悪評をばらまき始めた。《スケアクロウ》は間違いなくこのタイミングを待っていたのだ。
そして実際、それはかなりの効果を上げている。
現に東雲探偵事務所は身動きが取れず、合同事業の件も遅々として進まない。まさに窮地に陥っていると言っていい。
しかもこれだけ派手に活動しているにもかかわらず、《スケアクロウ》自身の正体は謎のままだ。それを考えると、かなり情報戦に秀でていると見える。決して侮れない相手だ。
六道は再び口を開いた。
「……近々、《リスト登録》者は増加することが見込まれる。だが、雨宮の言う通り、安易に《リスト執行》が増えれば街中のゴーストの怒りに火を注ぐことになりかねん。よって、我が東雲探偵事務所は当面、《リスト執行》を極力抑え、今まで通り抗争を鎮圧する方針で進める」
その言葉に、流星も頷く。
「その方がいいかもしれませんね。同業の《死刑執行人》はともかく、街中のゴーストはウチに関する悪評を鵜呑みにしている者も少なくないようですし、彼らを無意味に刺激しないためにも《リスト執行》は最小限に留めておくべきだと思います」
「……赤神、そして雨宮。現場対応はより一層、困難を極めるだろう。細心の注意を払って事に当たってくれ」
「分かりました」
「了解です」
「既に何日も緊迫した状況が続いている。休むときはしっかり休めよ」
「……はい!」
それから深雪と流星は所長室を後にした。
《リスト登録》の基準が緩和されたあとの《監獄都市》がどうなってしまうのか。不安は尽きないが、最善を尽くすしかない。
何はともあれ、今は体力を回復させるのが先決だ。
(ああ……疲れたな。眠いし腹も減った……)
フラフラと歩いていると、台所の方からいい匂いがしてくる。
誰が料理をしているのだろうと深雪は不思議に思った。
朝比奈は寧々のためこまめに料理を作っており、深雪たちのぶんも一緒に用意してくれる。だが、最近は深雪たちの事務所に戻る時間が遅いため、二人には先に夕食を取ってもらっていた。寧々と朝比奈は既に就寝しているのではないか。
「お、なんか美味そうな匂いがするなー」
流星も食べ物の匂いの誘惑には抗えなかったらしい。深雪と同じで、忙しさのあまりほとんど何も食べていないのだろう。
二人でキッチンに向かうと、シロと琴原海が夕食を作って待ってくれていた。
「シロね、海ちゃんと一緒にごはん作ったの! ユキと流星も一緒に食べよ!」
テーブルには焼き立てのお好み焼きが六枚、用意してあった。青のりや鰹節といったトッピングもついている。深雪たちにとっては、かなり豪華な夕飯だ。
「ありがとう。ちょうどお腹がペコペコだったんだ」
深雪は微笑んだ。誰かが自分のためにごはんを用意してくれている。それだけで疲れが和らぐ気がする。流星も頬を緩めた。
「お好み焼きか。うまそうだな。何だか無性に酒が飲みたくなってこねえ?」
「そう? 俺は別に……」
「何言ってんだよ! 人間、一日終わりのこの一杯のために仕事してるようなもんだろ!!」
「そ……そう。ビールならこの間、冷蔵庫にあるのを見たよ」
「マジで? おー、あったわ! ラッキー!!」
ほくほくした顔でビールを取り出す流星。
一方、深雪は用意されたお好み焼きとこの場にいる人数が合わないことに気づく。
余った二枚のうち一枚は六道、もう一枚はマリアのぶんだろう。六道は体調を崩しがちで、食事は自室で摂ることが多い。マリアは極度の出不精という理由で食事が別だが、最近は誘うと一緒に食べることが増えた。
「せっかくだからマリアも誘おっか」
すると、シロは小さく首を振る。
「マリアは今、お仕事が忙しいんだって。ユキやシロたちをばっくあっぷ? しやすくするためのぷろぐらむ? を作ってて手が離せないから、ご飯はあとにするって」
「そうか……それじゃ後で一緒に持って行こっか」
「うん!」
マリアも昼夜問わず情報収集をしてくれている。彼女の助力がなければ、各所に連絡を取れず、抗争鎮圧はもっと難航していただろう。
シロが六道の部屋にお好み焼きを運ぶのを待ってから、海と流星、シロ、深雪の四人で食卓を囲んだ。
手を合わせ、さっそく箸でお好み焼きを口に運ぶと、その瞬間、粉者特有のうまみが口の中に広がった。深雪は目を見開く。
「……あ、すごいフワフワだな」
東京で生まれ育った深雪は、あまりお好み焼きを食べたことが無い。もんじゃ焼きの方がよほど馴染みがある。小麦粉とキャベツでここまで柔らかい食感になるのか。驚くと、海がはにかみつつも教えてくれた。
「生地に山芋をすりおろして入れたんです。いわゆる、『我が家流』なんですけど」
「キャベツとかもやしとか、お野菜いっぱいでヘルシーだよ!」
シロもニコニコしてお好み焼きを頬張っている。
「うん、すごくおいしいよ」
手作りのお好み焼きは、誇張でも何でもなく、とても美味しかった。久しぶりのちゃんとした夕食だ。
抗争が激化するのに伴い、《中立地帯》の食糧不足も深刻化する一方だった。カップ麺などですら、最近は入手し辛くなっている。
聞くところによると、買い溜めや店頭での争奪、高額転売まで起こっているらしい。こちらも喫緊に解決しなければならないが、《監獄都市》内で流通させることのできる物資の量は事前に決められており、《収管庁》ですらそれを簡単に変更することはできないのだという。
解決の道は果てしなく遠そうだ。
テーブルのそばでは、赤い首輪をした黒猫が餌皿に盛られた餌を食べている。以前エニグマが憑依していたこの黒猫も、今ではかなり大きくなった。シロはこの黒猫のことを「くろまる」と呼んで可愛がっている。
深雪はくろまるの頭を撫でてから、琴原海に声をかけた。
「琴原さん、最近、仕事の方はどう? 俺たちあまり事務所にいないから気になってたんだ」
「それが……事務仕事はあまり問題が無いのですが、食料や生活用品の買い出しのため事務所の外に出なくてはならなくて……」
海は眉を八の字に下げる。その様子を見て流星も心配したのか、飲みかけのビールの缶をテーブルに置いて言った。
「大丈夫か? 街中はいつもに増して物騒だし、誰かうちの奴らの中から、護衛につくようにした方が……」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。私も最低限の外出はできるようにならないと、いざという時に困るのは私自身ですし、それに手伝ってくれる人もいるので」
「手伝ってくれる人……?」
「はい。久藤さんとおっしゃる方です」
「え、衛士が? 事務所に来てるのか!?」
深雪が驚いて声を上げたのに対し、流星は訝しげな表情をする。
「衛士……? 誰だ?」
その時、初めて深雪は、シロ以外の事務所のみなは衛士のことを知らないのだと気づいた。特に意識をしたことはなかったが、考えてみると、これまでは衛士のことを紹介したり説明したりする機会がなかった。
シロが流星にさっそく説明をする。
「えーじはね、元もとユキのお友達で、ついこの間まで《ニーズヘッグ》のメンバーだったの。でもトラブルがあったみたいで、《ニーズヘッグ》にはいられなくなっちゃったんだって」
「おいおい、そんな奴と懇意にして大丈夫か?」
流星はますます眉間にしわを寄せ、疑問の声を上げる。そういった反応は完全に想定外だったらしく、海はびっくりした様子で肩を縮めてしまった。
「あ……すみません。話しやすくていい人そうだったので、つい……」
「あ、いや、責めてるわけじゃねえんだけどよ……」
流星も海のことを咎めるつもりは無かったのだろう。ただ、最近はストリートのゴーストにも非常に危険で乱暴な者たちがいる。たとえば《Zアノン》信者のように。
《中立地帯》がいかに物騒な地域と化しているか、また東雲探偵事務所の悪評の件などを考えても、流星が心配するのも無理からぬことだった。
「衛士とはそんなに仲が良いの?」
深雪が声を和らげて尋ねると、海はこくりと頷く。
「あ……はい。以前から久藤さんがよく事務所の周りを歩いていたのを見かけていて、少しずつ挨拶をするようになって……それで自然と親しくなりました。私が外出する時は一緒について来て荷物を持ってくれたりして……『男性が隣にいると、それだけで狙われる確率が減るよ』って教えてもらったので……」
それでも流星は半信半疑だ。流星は衛士の人となりを全く知らないので、怪しむのも仕方がないことかもしれない。
「衛士は大人しいし、実際いい奴だよ。でも、ちょっと巻き込まれ体質っていうか……損な性分をしているんだ」
深雪は衛士のことを庇ってから、心の中で付け加える。
(それに衛士は、本当は俺たちを待っていたんじゃないかな……?)
力になると約束したのに、抗争鎮圧が忙しすぎてついつい衛士との約束を後回しにしてしまっていた。それを考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
海によると、衛士と話すのはあくまで事務所の外でのみらしい。一度、お礼をしたくて茶に誘ってみたが、「そういうつもりじゃないから気にしないで欲しい」とやんわり辞退されたいう。そのあたりは、とても衛士らしいエピソードだと深雪は思った。
「まあ……確かに悪い奴ではなさそうだが……」
流星はそう言って、前髪をかき上げる。事務所の中に乗り込んでこないなら――と、一応は納得してくれたようだ。深雪は海に頼みごとをする。
「琴原さん、もしまた衛士に会ったら、俺かシロに教えて欲しいんだ。衛士はきっと俺たちに用があるんだろうけど、いろいろ気を使ってそれを言い出せないだろうから」
「分かりました。久藤さんにもそうお伝えしておきますね」
それから話題は寧々と朝比奈のことに移った。海は、深雪たちが事務所にいない間の彼女たちのことをいろいろと話してくれる。
朝比奈はああ見えて家事万能であるため、料理や掃除などを手伝ってくれているそうだ。
言われてみると、確かに最近みな忙しく、事務所の手入れはほとんどしていないのに、建物内はいつもよりきれいなくらいだった。朝比奈が頑張ってくれているのだろう。
もっとも彼女のことだから、深雪たちを思ってのことではなく、ひとえに寧々の住環境を整えたい一心なのかもしれないが。
その寧々は書類の整理など、海の仕事を手伝ってくれようとしているらしい。だが、あまりそういった作業に慣れていないらしく失敗が多いのだという。もっとも、海はそんな寧々に対し好感を抱いているようだった。
「だって寧々さん、一生懸命ですから。それに私も、最初はよく失敗してマリアさんにフォローしてもらってましたし」
海はそう言って笑う。
全体的に、話題は《死刑執行人》の仕事と関係がなく、平和的で他愛のないものが多かった。海は気を遣い、敢えてそういった話を選んでくれたのだろう。
おかげで久しぶりに楽しいひと時を過ごせた。
これほどリラックスできたのはいつぶりだろう。
みなで食事を終え、食器を洗い、マリアのところへお好み焼きを運ぶ。マリアは何やら集中しているようで、話しかけても生返事をしてばかりだ。深雪たちは彼女の邪魔をせずそっとしておくことにした。
その後、深雪はシロと別れると、ようやくシャワーを浴びて自室へ向かう。
すると赤い首輪をつけた黒猫がベッドのど真ん中を占拠していた。
「こら、くろまる。そこは俺の寝床だぞ」
しかし、くろまるは寝転がったまま立ち上がる素振りさえ見せない。それどころか、くあ、と大あくびをすると、喉をゴロゴロさせながら眠ってしまった。そのあまりに清々しい尊大な態度に、深雪は呆れを通り越して思わず笑顔になる。
「まったく……仕方が無いな」
深雪は苦笑すると、くろまると一緒に布団に潜り込んだ。
時間は既に午前二時を回っている。
だが、体はぐったりと疲れているはずなのに、なかなか寝付けない。疲れすぎているあまり、却って興奮状態に陥ってしまっているのだ。
そのせいか、つい六道から告げられたことについて考えてしまう。




