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東亰PRISON  作者: 天野地人
《新八洲特区》胎動編
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第91話 前へ

 それからシロは流星を見上げて両手を広げ、声を弾ませる。


「ねえ、流星。海ちゃんと寧々ちゃん、朝比奈も呼んでいい? 特に寧々ちゃんと朝比奈はすごく落ち込んでるから、シロ、二人を励ましたいんだ!」


「そうだな。せっかくだし、人数は多い方が盛り上がるだろ」


「それから、ニコちゃんと玲緒(れお)ちゃんも呼ぼうよ!」


「あー、あの女子二人組か。よく事務所の留守を預かってもらってるし、こっちも礼をしなきゃな」


「あと、マコっちゃんと碓氷も!!」


 それを聞いた流星は、さすがにその場にひっくり返りそうになった。


「マコっちゃん……? それと碓氷って、まさか陸軍特殊武装戦術群の奴らのことか!?」


「うん。マコっちゃんも碓氷も、シロとユキを助けてくれたんだよ!」


 シロはにこにことして答える。仲良しの友人に向けるような、屈託のない笑顔だ。


「そりゃまあ、話しには聞いてたが……いつの間にかえらく親密になってんな。ってゆーか、あいつら誘って本当に来るのか……!?」


 流星がぼやくと、マリアは心底、嫌そうな顔をしつつも言った。


「さー? 声をかけるだけかけてみれば? かつて事務所の屋上でバーベキューをした時は、《レッド=ドラゴン》の(ホアン)雷龍(レイロン)(ホアン)影剣(インチェン)も飛び入り参加してたし、よく考えてみれば(とどろき)組のお嬢さまがいる時点で今の時点でも十分あれだし。もはや恒例でしょ、うちの事務所に珍客が乱入するのは」


「いやまあ、そう言われるとそうなんだけどよ……」


 頭を掻く流星。


 陸軍特殊武装戦術群の二人が深雪とシロを援護した事は知っている。特に深雪は最近、彼らと懇意にしているらしいということも。


 しかし陸軍特殊武装戦術群の面々と東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》は、かつて旧・国立競技場跡地にて死闘を繰り広げた仲だ。残念ながらその過去を全て無かったことにし、彼らとすぐに打ち解けてしまえるほど流星は子どもではなかった。


(ひょっとして、これが若さによる柔軟性の違いって奴か……? なんか、だんだんヘコんでくるな、いろいろと……)


 一方、深雪はやはりどことなく他人事のように、みなの打ち合わせを聞いていた。


 どれだけみながアイディアを出し合い盛り上がっていても、心のどこかで感情をシャットアウトし、現実から切り離してしまう。周りが楽しそうな空気になればなるほど、自分はここにいるべきではないと思ってしまう。


 ましてや一緒に楽しむなんてあり得ない、以ての外だと。


 確かにここにいるのに、どこにもいないかのような感覚。深雪の心はどんどん水の中に沈んでいく。真っ暗な海の底へと引きずり込まれるようにして。


 これ以上は居たたまれなかった。会話が途切れた頃合いを見計らい、深雪は流星に伝えた。


「流星、今回は俺、参加を見合わせようと思うんだけど」


「深雪……」


 再び皆の視線が深雪に集中した。中でもシロは何か言いたげな表情をする。けれど、やはり彼女は深雪の気持ちを(おもんばか)って、自らの考えを言葉にすることはなかった。ただ、深雪の服の裾を指先で握り、遠慮がちに引っ張った。


「シロ、ユキも一緒がいい!」


「ごめん、シロ。でも……今の俺にはそんな資格ないから」


 いつもの深雪であれば、何のわだかまりも無く、喜んで集まりに参加した事だろう。しかし今は、とても騒ぐ気持ちにはなれなかった。


 皆が深雪を励まそうとしてくれていることは分かっている。だが、聖夜や逢坂は、大切な仲間をそれこそ何人も失っているのだ。そして二人とも、これまでの人生をかなぐり捨て、復讐に突き進むという修羅の道を選んだ。


 自らの築いてきた地位や人脈も全て放棄し、生き方を根本から変えざるを得ないほどの、生々しく、そして深すぎる傷を心に負ったからだ。そう――全ては深雪が始めたことのせいで。


 だからこそ、自分は東雲探偵事務所の仲間の力を借りてはいけないと深雪は思った。


 仲間に励まされ、同情を寄せられ、かつ叱咤激励される。全ての元凶である深雪が、そういう風に周りのみなが用意してくれる温かい環境に甘えるのは絶対に許されないと思った。


 深雪もまた、本来は聖夜や逢坂と同じだけの傷を負うべきなのではないか。自分だけが恵まれた場所に身を置くのはどう考えても間違っているのでは。


 うじうじと考え込んでいると、奈落がべしっと深雪の背中を叩く。


「……阿呆。ぐちゃぐちゃ言ってないで、しっかり食ってしっかり寝ろ。たとえ何があったとしてもだ。体調管理も仕事の一環だろうが」


 決して痛くはないが、あらゆる雑念を一掃してしまうほどの力強い一発だった。流星もその言葉に頷く。


「そうだな。まずは自分自身の身を守ることができなきゃ、他人を守ることはできない。そのための休息は決して悪い事じゃないさ。……つっても、俺もあんま他人(ひと)のことは言えねえけどな」


「ってゆーか、みんな深雪っちのこと気遣ってるんだからさ。空気読みなさいよ。バカなの? そもそも、このあたしが参加するんだから、深雪っちがブッチするとか許されるわけないの、ちょっと考えたら分かるよね?」


 ウサギのマスコットキャラクターの姿をしたマリアは、両手を腰に当てて半眼で突っ込んだ。深雪の事を気遣っているというより、単に脅しているようにしか見えないが、マリアなりの照れ隠しなのだろう、きっと。


「で、でも……!」


 なおも吹っ切れずにいる深雪に、今度はオリヴィエが柔らかく微笑んだ。


「無理に騒がなくてもいいのですよ。ただ、料理がたくさんあれば、中には今の深雪の口にあうものもあるのではないかと思ったのです」


「《龍々亭》(うち)のメニューの中には、水餃子や粥もあるゾ。食欲不振の時でも美味しく食べられル。きっと元気が出るゾ!」


 神狼もニカッと笑う。暗殺者として育てられたせいか、神狼はあまり相手に本心を見せない。けれど今は混じりけの無い笑みを浮かべている。それは心を許した者のみに見せる、本心からの笑顔だ。


「……!」


 みなの優しさが身に染みた。いつもは割とドライであまり干渉しあわない関係であるせいか、余計にその温かさが嬉しかった。


 ここ数日、飯が全く喉を通らない状態が続いているが、どんなご馳走よりもみなの心遣いが有難かった。自分のことをこんなにも心配してくれる人たちがいる。そしてみな、それぞれの方法で深雪を支えようとしてくれている。それだけで随分と心が救われた。


 誇張でも何でもなく、喜びのあまり胸が詰まって、涙が出そうだった。


「みんな……本当にありがとう……!」


 だからこそ、忘れてはならないと思う。この街にはかけがえのない大切な存在を失い、孤独に彷徨っている者がいることを。


 深雪にはこうして支えてくれる仲間がいる。


 しかし、聖夜や逢坂――彼らは暗い復讐心を胸に抱え、たった一人で無謀とも言える危険な戦いへ身を投じようとしている。そして京極がいる限り、そういう痛ましい犠牲者はどんどん増えていくのだ。


 それを止めなければならない。自ら地獄へ身を投じようとしている者たちを何とかして引き留めなければならない。


(……いつまでも落ち込んでいちゃ駄目だ。今は前へ進まないと。俺は……俺たちは二十年前とは違う。今はこうしてみんながいて、所長もいて……俺は一人じゃない。それを信じて前に進むよりほかに道はないんだ……!!)


 《中立地帯の死神》という名の持つ意味、そして今回失われた多くの命。


 自分が背負っていかなければならないもののことを思うと、そのあまりの重さに身が竦みそうになる。途方に暮れて思わず立ち止まりそうになる。


 だが、今は這ってでも前へ、前へ。脅威はこちらの都合など待ってはくれないのだから。


 深雪がこうして重圧(プレッシャー)に苦しみ、動きを鈍化させることで得をするのは誰か。京極以外にあり得ない。深雪が不調(スランプ)に陥れば陥るほど、京極が得をするのだ。


 そう考えると、心の中に立ち込めていた(もや)が少しずつ晴れてきた。


 やらなければならない事は山積している。聖夜と逢坂の捜索はもちろんのこと、寧々(ねね)と朝比奈(あさひな)の処遇も大きな問題だ。本来であれば、彼女たちは今ごろ《新八洲特区》に戻っていたはずだった。しかし、《グラン・シャリオ》大量虐殺事件が起こったためにその予定は大きく狂ってしまった。


 《アラハバキ》(とどろき)組の精鋭部隊である《轟鬼(ごうき)(しゅう)》は以前にも増して血眼になり、寧々の行方を捜している事だろう。これからは彼らとの衝突も視野に入れて動かねばならないかもしれない。


 それに、《ニーズヘッグ》内の不協和音も気になる。(ヘッド)亜希(あき)は、深雪やシロのみならず銀賀(ぎんが)静紅(しずく)すらも遠ざけているらしい。これは明らかに異常事態だ。亜希の身に何が起きているのか、詳しく調べる必要がある。


 何より、京極が《エスペランサ》を介し、《中立地帯》で影響力を増していることは絶対に放っておけない。


 ストリートでは《Zアノン》を支持するという怪しげな集団も現れ始めている。《Zアノン》とは、動画配信者のぺこたんが《突撃☆ぺこチャンネル》で広めた陰謀論の一種、つまり完全に虚構の存在だ。しかし今や《中立地帯》全体にその名が広まっており、《Zアノン》を称賛したり英雄視したりする言葉を耳にすることも珍しくはない。


 おまけにその動きは《エスペランサ》への出入りが全く無い層にも広がっており、一大勢力と化しそうな勢いだという。


 どれもこれ以上、看過できない問題ばかりだ。


(所長も言っていた。《中立地帯の死神》はこの《監獄都市》の最後の砦であり、《死神》が倒れる時はこの街が終わる時だと……!)


 そう考えると、改めて緊張感で身が引き締まってくる。失敗や過ちを恐れ、立ち止まっている場合ではない。いつまでも過去に囚われ、後悔の念に苛まれているわけにもいかない。


 今は前へ、少しでも前へ。今よりほんのちょっとでも良い未来を手に入れるために。


 頭が少しずつ冴えてくると、不思議と腹が、ぐう、と鳴る。途端に、強い空腹感に見舞われた。


(……人間って現金な生き物だな)


 だがそれは、深雪自身がまだ何も諦めていないということの証左でもあるのではないか。


 こんな形で負けたくない。ギブアップなどしたくない。自分の意思で決め選び取ったからには、最後まで《中立地帯の死神》の役割を全うしたい。たとえ六道のようにはいかなくとも――せめて京極の陰謀だけはこの手で阻止したい。


 そう強く願っているからこそ、体が前に進むエネルギーを欲しているのだ。


 流星たちは夕方の予定の打ち合わせをしている。参加人数がかなりの数に上りそうなので、食料や飲み物などをどう調達するかを話し合っているのだ。


 この街の食料不足は加速する一方で、収まる気配もない。いまや《監獄都市》の深刻な問題の一つとなりつつあり、それもまた放置しておけない問題の一つだった。


 深雪の心境の変化を敏感に察知したのだろうか。シロが深雪の顔を下から覗き込む。


「……ユキ、お腹空いた?」


「ああ、少しね」


 深雪は小さく笑った。先ほどまでのような、虚無めいた笑みではない。少し弱っているものの、強い意志を宿した瞳で。


 シロは頬を紅潮させ、笑顔を弾けさせる。


「えへへ、シロもお腹空いた! オルが以前、持ってきてくれたパンがキッチンに残ってるよ。夕方までにはまだたくさん時間があるし、シロ、それでサンドイッチつくる!」


「ありがとう。俺も行くよ、一緒に作ろう」


 シロは頷くと、深雪の手を握る。そして二人は手を繋ぎ、一緒にキッチンへと向かった。


 そう、ここで立ち止まるわけにはいかない。戦いはまだこれからなのだから。


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