第30話 火矛威の娘①
深雪はシロと流星、オリヴィエの四人で、一階の階段の下に集まった。
現時点で、火矛威に関する情報はいくつかある。誰がどれを調査するか、役割を決めなければならない。早速、流星が口火を切った。
「……さてと。肝心の《イフリート》こと帯刀火矛威の行方だが、《カオナシ》を殺害した時に俺たちの前に現れて以降、目立った目撃情報はないようだ」
「マリアが新宿周辺の監視カメラを重点的に当たっているようですが、やはり今のところ有力な情報は得られていないようです」と、オリヴィエ。
「どこかで寝食をする必要がある。そういった拠点がある筈なんだがな……」
全身が燃えているゴーストでも、食べたり寝たりする必要はある。だが、その拠点が案外、見つけられないのだろう。難しい顔をする流星に、深雪は口を開いた。
「それなんだけど……一つ気になっていることがあるんだ。火矛威のアニムスは《イグニス》……火を操る能力だったんだけど、あんなに全身を燃やすような強い能力じゃなかった。火矛威のアニムスは間違いなく強大化している」
「《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》に指定されるゴーストには多いパターンです」
オリヴィエは悲しげに表情を曇らせる。且つて孤児院で育ったという花凛という少女が、正にそのケースだった。深雪の《レナトゥス》で辛うじて人間に戻り、アニムスから解放されたが、そうでなければ命を落としていたかもしれない。その出来事を思い出したのだろう。
深雪は身を乗り出した。
「そこなんだ。火矛威が《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》に指定されたのが二年前……その時は既にアニムスが不安定になっていたと考えられる。《アラハバキ》を除名されたほどなんだ。それなのに、それから二年間も、何も対処せずにいたっていうのは考えにくいんじゃないかなって」
「つまり……帯刀火矛威に手を貸している者がどこかにいる……?」
「少なくとも、何か延命治療を受けているんじゃないかと思うんだ。例えば……《石蕗診療所》みたいなとこで」
むしろ、そうでなければ、《臨界危険領域者(レッドゾーン=ディザスター)》となって二年間も無事だったとは考えにくい。間違いなく、火矛威に延命措置を施している者がいる。
「なるほど……新宿界隈の闇医者や診療所を、手あたり次第、当たってみるか」
「私も手伝います」
たがいに目配せし合う流星とオリヴィエに、深雪は尚も説明を続ける。
「あともう一つ……火矛威には娘がいる」
すると、二人もそれは全くの初耳だったようで、大きく目を見開いた。
「娘……?」
「子持ちだったのか」
「《アラハバキ》を抜け、《中立地帯》に活動拠点を移した際に、住んでいた場所の住所が分かってる。俺とシロは、そっちに行ってみようかと思う」
そちらの住所は、はっきりと特定されている。だから、深雪やシロでも十分辿り着ける。片や診療所や闇医者は、《監獄都市》での生活が長い流星やオリヴィエではないと分からない事だ。だから、適材適所だろう。
「それはいいが……よくそんな事知ってるな?」
「確かに。いくら友人だったとはいえ、二年前のことでしょう。あなたはその時、まだ《監獄都市》にいなかった筈ですが」
オリヴィエに、冷静にそう指摘され、深雪はしまった、と思った。火矛威を探し出さなければという使命感ばかりに駆られ、情報源についてどう説明するか全く考えていなかった。
どうするべきか。真実を話したいが、情報屋のエニグマは名を持ち出されるのを望まないだろう。いけ好かない奴だが、情報をもらったのは事実だ。裏切るのも気が引ける。
結局、深雪は情報源を明かさない方向で、無理矢理に押し通すことにした。
「ええと……それはある筋からの情報としか言えないんだけど……」
「ある筋……?」
「あ、でも情報の精度は確かだよ。多分……あ、いや、間違いなく」
急に歯切れの悪くなる深雪に、流星とオリヴィエは案の定、怪訝そうな表情をする。
「情報の出どころは言えない……そういうことか?」
「それが条件で教えてもらったから……ごめん」
すると、流星は現場をまとめるリーダーとして、さすがに聞き捨てならないと思ったのか、気遣わしそうな視線を深雪へと向ける。
「お前なあ、ヤバい話に関わってないよな? 大丈夫か?」
「う……多分」
エニグマがそれほど危険な存在であるとは思えないが、安全だと断言もできない。だから奈落は関りを持つなと忠告したのだろう。
だが、火矛威の情報を得るのに、他に手段は無かったのだ。
「流星、どうしますか?」
オリヴィエに尋ねられ、流星も困惑したように首の後ろを掻く。
「まあ……そうだな。その話は今度だ。今は一刻も早く帯刀火矛威の居所を突き止めねえと……手当たり次第に当たっていくしかないか」
「そうですね。帯刀火矛威の時間はあまり残されていないでしょう。急がなければ」
二人とも、今は火矛威を探す方が先だと判断したのだろう。或いはもしかしたら、深雪の心情を慮ってくれたのかもしれない。
エニグマも、怪しさの塊のようなキャラだが、その情報には誤りがあった事は一度も無い。だから、そこは信用して問題ないだろう。
よって、打ち合わせ通りに流星とオリヴィエが闇医者や診療所を回り、深雪とシロは火矛威がかつて住んでいたという住所へと向かう事となった。
深雪とシロが向かったのは、四谷にある古いアパートの前だった。築四、五十年は経っているであろうと思われる、三階建てのアパートだ。
外壁は灰色で、黒いドアがどの階にも四つずつ等間隔に付いている。建物自体は頑丈そうだったが、錆びついた金属製の外付け階段が、今にも落ちてきそうだった。
火矛威はその三階――一番上の階に住んでいる筈だったが、郵便受けを調べてみると、『帯刀』の名前は無かった。どうやら火矛威は既にそこを引き払っていて、今は別人が済んでいるようだ。
深雪が落胆していると、アパートの向かいにある古い民家から、一人の老齢女性が外に出てきた。エプロンをしていて、家事の合間に用があって外に出てきたといった様子だ。
年齢といい、雰囲気といい、地元民に違いない――そう判断した深雪は、その老齢女性に声をかけ、火矛威のことを聞いてみることにした。
「帯刀……?」
「ええ。父親と娘の二人連れだったと思うんだけど、覚えていませんか? 二年くらい前にそこのアパートに住んでたはずなんですけど」
深雪が火矛威の事を尋ねると、老齢女性はいかにも胡散臭いといわんばかりに、深雪とシロをじろじろ眺めた。深雪たちが何者なのかと、警戒しているのだろう。
それでも頭を下げて粘り強く尋ねると、ようやく話に応じてくれた。
「ああ……ああ、あの親子ね。覚えてるよ。娘は普通だったけど、父親は随分顔色が悪いっていうか……どこか具合が悪そうだったね。半年ほどで出て行ったんじゃなかったっけ?」
「その後、どこに行ったか……知りませんか?」
「知らないねえ。あんまり挨拶とかもしないしね。この辺に住んでる人はみんなそうだよ? 互いに余計な事、話さないの。ゴーストも多いから、他人に干渉しないんだね」
「そう……ですか……」
確かに周囲には建物がかなり残っており、どうにか街の形を維持している。でもそれは、あくまで見かけだけだ。路地には人通りが全くなく、不気味なまでに静まり返っている。まるで、ゴーストタウンのようだ。住民の間に交流があるとは、とても思えない。この老婦人が語った、ここの住人が他人に干渉しない、というのは本当なのだろう。
だからこそ、ゴーストである火矛威も居を構えたのだ。
「ユキ……どうする?」
「他の人にも聞いてみよう。ここに住んでいたのは間違いないみたいだし」
シロと深雪はそう会話を交わし合った。この様子だと、情報はあまり得られないかもしれないが、手当たり次第に搔き集めるしかない。
すると、先ほどの老齢女性がふと、思い出したように呟いた。
「そう言えば……ちょっと変わった親子だったね」
「おばあちゃん、それどういう意味?」
シロが首を傾げると、老齢女性は腕組みをし、額にしわを寄せる。
「いや、娘の方は割と普通の子だったんだけど、父親がね。何ていうか……過保護っていうのかな。いつもピリピリしていて、娘を他人と関わらせないようにしていたね。部屋のカーテンも昼間まで閉め切っていたし、宅配なんかが来ても、絶対に娘を出すことは無かった。何ていうか……守ってるって言えば聞こえはいいけど、娘は窮屈そうっていうか、ちょっと可哀想だったね」
「そうなんですか……」
深雪はそれを少し意外に思った。深雪の知る火矛威は大らかで明るく、そういった神経質なところは全くなかったからだ。
(よっぽど、そのカスミっていう娘のことが大事だったんだな。それとも、《アラハバキ》から抜けたばかりで、神経質になっていた……とか? そもそもカスミって子の母親は、誰なんだろう……?)
目の前にある古いアパートに越して来た時、火矛威は娘と二人きりだったという。母親はどうしたのか。何故、一緒ではないのだろうか。
ともかく、もっと詳しい情報を集めなければ。深雪とシロは、アパートを一室ずつ訪ねて住人に話を聞き、それが終わると、近隣の建物の住民を訪ねたり、アパートの前を通った通行人を片端から捕まえて聞き込みを行う。
だが、住民同士の関係が希薄だという老齢女性の話は事実らしく、みなあまり帯刀親子の事を知らなかった。そもそもそんな親子が住んでいたという事を覚えていないという住民も多く、なかなか目ぼしい情報は得られない。
どこか刺々しく、あまり口を開こうとしない住民たちに拒絶され続けると、さすがに精神的にも疲れてくる。シロもしょんぼりして肩を落とした。
「あんまり、情報が集まらないね」
「……うん」
「カムイって人、どこへ行っちゃったのかな……?」
「分からないな……この《監獄都市》のどこかにいることは間違いないのに、こんなにも会えないなんて……。流星やオリヴィエの方も、すぐには結果が出ないだろうし、ひょっとしたら、娘の方から探っていった方が早いかも……」
すでに日は暮れかかっている。シロと深雪は、今日のところは事務所に戻ることにした。ところがその道中、エニグマと遭遇する。
「これはこれは、雨宮さん! 一日ぶりの再会ですねえ‼」
エニグマはいつもの如く、唐突に闇の中から現れて、芝居がかった仕草で深雪とシロを出迎えた。
「お前は……」
「クマさん!」
シロが声を上げると、エニグマは若干、困ったような笑みを口元に浮かべた。
「私の顔と名前を覚えて下さって光栄ですよ、お嬢さん。ただ、エニグマ……と、正しく覚えて下さると、尚のこと嬉しいのですがねえ」
「エニ、グマさん!」
シロが明らかに間違ったイントネーションでエニグマの名を呼ぶと、当のエニグマは外国人コメディアンのようにおどけて見せる。
「はっはっは……いやあ、まさかそこで区切られるとは! これは一本取られてしまいましたねえ!」
「よく分かんないけど……ほっほっほ。うむ、苦しゅうないぞ!」
一体何の話をしているんだ。深雪はすっかり呆れ、半眼になって二人のやり取りを聞いていたが、エニグマがくるりとこちらを向いたので、すぐに真面目な顔に戻る。
「……それにしても、雨宮さん、あなたが帯刀火矛威の捜索に加わることができて、本当に良かった! でなければ、私の提供して差し上げた情報が無駄になってしまいますからねえ……!」
「ああ、おかげさまで、十分に活用しているよ」
深雪は何食わぬ顔でそう答えたが、内心ではやはり動揺を隠せなかった。
(こいつ……本当に、一体どこまで知ってるんだ?)
エニグマは、深雪が一度、火矛威の捜索から外されたことを知っている。だからこその、この台詞なのだろう。まるで、東雲探偵事務所で起きたいざこざ――六道が血を吐いたことから流星が激昂したことまで、全てを知っているのではないかと勘繰りたくなってくる。
もっとも、それをエニグマに問い質したところで素直に白状するとも思えない。だから深雪も、敢えて尋ねるようなことはしない。
エニグマはそれを全て見透かしたかのように、にい、と唇の端を吊り上げる。
「しかし、『彼』の捜索には、ずいぶん手こずっているようですねえ?」
「そちらこそ、俺に会いに来るってことは、何か新しい情報でも入ったのか?」
どうせ、深雪たちが火矛威の情報を得られなかったことも知っているのだろう。すかさず切り返すと、エニグマは何故だかやたら嬉しそうに、細い体をくねらせる。
「ああっ! さすがです、雨宮さん! 相変わらず鋭い勘をお持ちで!」
「そういう過剰なヨイショはかえってムカつくんだけど。……それで? 新しい情報は火矛威に関する事なのか? それとも……」
「娘の方の情報ですよ、雨宮さん」
「……!」
深雪はごくりと唾を飲み込んだ。火矛威の十四歳になるという娘がどのような子どもなのか、今の段階では想像もできない。だが、現段階では最も火矛威に近い人物だ。上手く接触できれば、火矛威の情報を引き出すこともできるだろう。
アパートで殆ど情報が得られなかったことを考えると、それに一縷の望みを懸けざるを得ない。
「調べたところ、帯刀カスミ……彼女もどうやら父親と同じ、ゴーストであるようなのです。ゴーストは決して遺伝性ではないのですが、親子でゴーストだというパターンも決して珍しくない。ただ、帯刀カスミは現在、父親と離れて暮らし、ストリート=ダストとなっているようですね」
エニグマのがそう言い終わったところで、深雪は質問を発した。
「ストリート=ダスト……? もしかして、どこかのチームに所属しているのか?」
《中立地帯》のストリート=ダストは、その殆どが身を守るため、何らかのチームの所属している。だからそう思ったのだが、どうやら当たりのようだ。エニグマは両手を博夫げ、大仰な仕草で答える。
「さすが、話がお早い。新宿の東側に《ディナ・シー》というチームが存在するのですが、今はそこに属しているようですね」
「《ディナ・シー》……?」
深雪は顎に手を当てた。どこかで聞いたことのあるチームだ。しかもそれほど前ではない、つい最近に。それを敏感に察知したのか、シロは深雪の顔を覗き込む。
「ユキ、知ってるの?」
「うん。神狼と《Ciel》の出どころを探っていた時に、そういうチームと接触したんだ。メンバーの殆どが女の子で……十代が多い印象だった」
あの時、確か深雪は彼女たちに忠告したのだ。《Ciel》にはあまり手を出さない方がいい、と。そして、余計な事をするなと腹を立てた神狼と喧嘩になってしまった。だから、よく覚えている。エニグマはニヤリと笑いつつ、頷いた。
「よくご存じで。帯刀カスミは現在、《ディナ・シー》の友人宅を転々としているようですね」
「今はどこにいるとか、それは分からないのか?」
「それが、そこまではちょっと……かなり周囲を警戒していて、ごく限られた仲間にしか居所を明かしていないようなので」
「……。そうなのか……」
深雪は再び、考え込んだ。火矛威が住んでいたというアパートの、向かいの家に住んでいた老女が言っていたことを思い出す。彼女は、火矛威も周囲を非常に警戒していたと言っていた。親子で揃って、それほど警戒心が強いなんて、どう考えても不自然だ。
「あのさ、火矛威の住んでたアパートの場所、教えてくれただろ」
「ええ」エニグマは、笑みを浮かべたまま答える。
「そこで聞いたんだけど、火矛威もかなり自分の身辺を警戒していたようなんだ。特に娘は、他人と接触させないようにしていたって……」
「もしかすると、彼ら親子は何者かに狙われていたのかもしれませんね」
エニグマの答えは何故か曖昧で、わざと明言を避けているようでもあった。情報屋らしくない表現だ。深雪はそれが引っかかったが、正面切って質問しても、どうせエニグマは答えない。だから、別方向から探ってみることにする。
「……確か火矛威は、《アラハバキ》の殺し屋をしていたんだよな?」
「そうです。いわゆる汚れ仕事をさせられていたのでしょう」
「そのせいなのかな……? その時に誰かから恨みを買って、それで復讐されている……だから、周囲を警戒している、とか」
どんな反応をするのか。深雪はエニグマの表情を注意深く観察した。だが、手練れの情報屋は、張り付いたような笑みを、少しも崩さない。
「十分にあり得る話でしょう。ただ、そう判断するだけの情報はないわけですが、ね。どうします? 引き続き、調査しますか?」
「ああ、頼む。……何か悪いな」
それは本音だった。調査の手間が増えれば増えるほど、エニグマにとっては収益が減ることになるだろう。深雪としても、最初は関わるつもりは無かったのに、今や頼りきりになっている。
だがエニグマは、気分を害した様子もなく、軽々と肩を竦めた。
「……いえいえ。かく言う私も、中途半端は嫌いな性質でして。それでは何か分かり次第、またご連絡差し上げますよ」
そしていつものように、闇の中にへと溶けるようにして消えていく。
一方の深雪は、エニグマが姿を消しても尚、その場に佇み、一人、思惑に耽っていた。




