第48話 タナトス
神狼と行った情報収集だって素人同然だったし、まだゴースト抗争の鎮圧にも駆り出されたことすらも無い。現役の傭兵である奈落や、元警官の流星、凄腕のハッカーであるマリアなどと比べると、何のスキルも持ち合わせておらず、ただの一般人同然だと言っても過言ではない。
深雪以外にも優秀なゴーストは、探せばいくらでもいるだろう。
それなのに、何故、自分なのか。
(やっぱり俺が六道の手足を奪ったから……それを恨んでいるのか……?)
六道の足と手は、それぞれ片方が義手になっている。元あったはずの手足は、深雪の《ランドマイン》で失われているのだ。そう、二十年前――《ウロボロス》の内部分裂で起きた私闘の余波で。深雪と六道を繋ぐものは、どう考えても、その過去の因縁以外に考えられない。
(俺は憎まれているのか)
自分は、六道に恨まれているのか。いや、むしろそれは当然のことだろう。深雪は彼の半身を奪ったのだ。彼の眼前に広がっていたであろう輝かしい未来を、根こそぎ奪ったのだ。
それを考えると、どんなに謝っても謝りきれないし、どう償えばいいのかすらも分からない。深雪はその事を考えるといつも胃の辺りがぎゅっと掴まれたような鈍い痛みを覚えるのだった。
(……これは、六道の復讐なのか)
だが、少なくとも先ほどの一連のやり取りの中には、六道からそういったどす黒い感情は感じられなかった。どちらかと言うと、そういった個人的な怨恨ではなく、純粋に深雪へ《東京中華街》の事を考えさせるのが目的だったようにも感じられる。
(でも、もしそうだとしても……それじゃ何のために、ってのが分かんないんだよな……)
やはり、いくら思考を巡らせても、さっぱり分からない。ただ六道は、路頭に迷っているのが可愛そうだから、などという理由で所員を増員するような、お人好しの性格ではない、という事だけは確かだ。
深雪を拾った事、東雲探偵事務所で《死刑執行人》として働かせている事。必ず、何某かの理由と目的がある。
ただ、それが何であろうと――たとえ、再び激しく対立することになろうとも、深雪は深雪の道を進むつもりだった。六道の思い通りには決してならない。
確かに六道の敷こうとしている道は、安定した秩序があり、ある程度、危険から身を守ってくれるだろう。でも、その道を歩ける定員はひどく限られており、多くの者がそこから零れ落ちてしまう。それをただ黙って見ていることなど、深雪にはできなかった。
より良い選択の連続の上に、より良い未来が生まれる。その為には、やれることは全てやるべきだというのが深雪の考えだ。六道はあくまで最初に強固な道を敷き、人々にそこを歩かせようとしている。けれど、人に合わせて道を作ることも、時には必要なのではないか。
物思いに沈んでいると、ぷかぷかと宙に浮いたウサギのマスコットが、こちらに近づいてくるのが見えた。乙葉マリアだ。
深刻な表情で思考を巡らせていた深雪は、それに気づくと途端に、「ゲッ‼」と顔を崩した。
マリアはその反応を見て、満足そうにニタリと笑う。
「はあ~い、またしても自分勝手な行動でやらかしてくれた深雪っちってば、ほんとマジでウザたん、みたいな~?」
「……その話は昨日、じゅうぶん聞いたよ」
うんざりしつつ半眼で応じると、マリアは更に刺々しい視線を、しつこく投げて寄越す。
「あらら、そういう態度取っていいのかな~? 折角、助けに来てあげたのに。誰のおかげで《東京中華街》を脱出できると思ってるのかな~?」
「……!」
深雪はぐうの音も出ずに口をパクパクさせる。そりゃ、確かに助けてもらったのだという事は自覚しているし、もちろん感謝もしているが、それほどあからさまに恩を売るような言い方をしなくてもいいではないか。
すると、マリアはその反応に満足したのか、再びにんまりと笑った。そして、ケケケと、物の怪のような声を出して笑う。
「それにしても黒彩水と決闘なんて、ホント、よくもまあっていうか、身の程知らずもいいとこってカンジだけど、いつもの如く何も分かんないままケンカ売ったか巻き込まれたかしたんでしょ。命があって良かったわね~」
そして、ずんぐりしたウサギのマスコットは腰に手を当て、小気味良くスキップし始める。こうなっては、何を反論しても無駄だ。満足するまで言いたいように言えばいい――深雪は半ば自棄になって、一人はしゃいでいるウサギを見つめた。
すると、横から神狼が身を乗り出し、マリアに向かって口を開く。
「……こいつハ悪くなイ」
「神狼……!」
「勝手な行動ヲとったのは俺ダ。……こいつハ、それにくっついてきタだけダ」
まさか神狼が庇ってくれるとは思わなかったので、深雪はひどく驚いた。すると、続いて鈴華も声を上げる。
「そうなんです。雨宮くんはもともと無関係だったのに、あたしたちの為に戦ってくれて……全然、自分勝手なんかじゃないですよ!」
二人に弁護され、深雪の胸の内に温かいものが広がった。それだけで、《東京中華街》まで潜り込み、決闘に応じ戦って良かったと、その苦労が報われたような気がする。だが、マリアの調子はあくまで変わらない。
「ああん、二人はいいのよ! 鈴華は一般人だし、神狼はいい子だもの。悪いのは深雪っち。はい、これで全部解決~!」
「何でだよ、俺には反論の余地すら無しかよ?」
さすがに納得がいかず突っ込むと、今度は、流星がどこか遠い目をして口を開いた。
「まあ、俺もちっとばかし迂闊だったわ。まさか、お前ら二人だけで《東京中華街》にがっつり乗り込んでいくとは思わなかったからなー」
「……そこに関しては、心配かけてごめん」
「いやー、ちょっと分かって来たわ、お前の事。何かこう時々、突然エンジンかかるよな。いつもはぼんやりしてんのに、いきなり事務所を出て行ったりさ」
「う……あ、あん時は確かに、ただの勢い任せなとこあったけど、今回はそれなり色々考えて……!」
確かに最初の頃は、この《監獄都市》の事もよく知らず、事務所を飛び出したこともあったが、今回はそれとは状況が違う。どうしても行動を起こさなければならない理由があったからだ。心配をかけた点については申し訳ないと思っているが、結果的にはそれで正解だったと思っている。
ところが、マリアは素っ気なく肩を竦めるのだった。
「ま、結果はいずれにしろ同じなんだけどね~。あたしたちが付き合わされて、尻拭いさせられるっていうオチ」
「はいはい、俺が悪いんだろ、俺が!」
深雪は捨て鉢になって呻いた。
要するにマリアは色々と理由をこじつけて、深雪をいびりたいだけなのだろう。勝手な行動を起こした深雪にお灸を据えてやろうという魂胆なのだ。深雪には深雪の言い分があるし、自分の行動が決して間違いではなかったという自負もあるが、マリアと口論するのはあまりにも不毛なので辞めておく。
今は神狼と鈴華が分かってくれるだけで十分だ。
「……っていうか、みんな一緒だとは思わなかったよ」
気を取り直してそう切り出すと、奈落の隻眼が冷ややかにこちらを見下ろした。
「何のスキルもない癖に、自ら進んで敵地に潜り込んでいった愚か者の行く末を、最後にしっかりと見届けてやろうと思ってな」
「……それじゃまるで、俺が昇天するシナリオみたいじゃん!」
半眼で返すと、奈落はいつものように、鼻で笑って見せる。
「当然だ。あんな戦い方で、無事で済むとでも思ったか? 生き残ったのは単に相手が本気でなかったからというだけに過ぎん」
「あ、見てたんだ?」
「お前の事だから、どうせ『傷つけたくない』とか『殺したくない』とか、意味不明で且つ気色の悪いことを考えて動いていたんだろう」
お見通しだったのか。そう思ったが、何もそれが悪い事だというわけでもあるまい。
「だって、下手に反撃したら、さらなる攻撃の口実を与えちゃうじゃん」
反論すると、奈落は自身の左手で右手の掌を指し示す。
「そういう時の一撃必殺だろうが。人間に戻すとかいう、アレはどうした?」
「そんな余裕、全然無いよ! 《ランドマイン》の方が使い慣れてるし……あのレベルの相手を『一撃必殺』なんて考えられるのは奈落くらいだよ!」
それに黒彩水の場合、アニムスを無効化させたからと言って、楽に組み伏せられる相手ではない。《第二の能力》が使えたとしても、あまり役には立たなかっただろう。
奈落はいつも咥えている煙草をここでは控えている。客間の豪華さに遠慮したり気が引けたりする性格などではないから、おそらくいつでも銃を取り出せるよう、両手を開けているのだろう。若しくは、オリヴィエにあらかじめ釘を刺されているかのどちらかだ。
(絨毯に焦げ目でも付いたら、弁償とか大変そうだしな)
深雪は、足元のふさふさとした深紅の絨毯を見下ろしつつ、そう思った。
そのオリヴィエは、その真っ青な瞳に、いつもの如く慈愛と憐れみを浮かべている。
「……しかし、実際、危なかったのですよ、深雪。《東京中華街》に入り込んだ《中立地帯》のゴーストの中には、ただそれだけという理由で殺害され、命を落とした者も数多くいます。ですから、《中立地帯》のゴーストは《レッド=ドラゴン》を大変恐れているのですよ」
「そ……そうなんだ」
すると突然、入口の方から会話に横やりが入った。
「……当たり前だろう。この街は俺たちの街だ。それは即ち、ここでは俺達が法、俺達が正義って事なんだ。俺たちにはそこのガキのように、この街に侵入してきた奴らを裁く権利がある……てめえらにとやかく言われる筋合いは無え!」
視線を向けると、目の覚めるような金髪に、深紅のチャイナ服――黄雷龍の姿が見えた。部屋の扉に身を預け、腕組みをし、挑発的で剣呑な視線をこちらに向けている。腰には、小ぶりの青竜刀を佩いていた。
「あ、紹介するよ。あの人……」
深雪はそう言いかけるが、黄雷龍はそれをばっさりと遮った。
「おっと、外野は黙ってな。わざわざてめえに紹介されるまでもねえ。俺たちゃお互いよーく知ってる仲だ。……なあ、赤神?」
「……黄雷龍か」
流星は先ほどの気の抜けた様子から打って変わり、低い声で唸った。完全に仕事モードだ。名を呼ばれた雷龍はニヤリと口の端を歪めると、泰然とした足取りで部屋の中へと入ってくる。そして、六道へと皮肉を飛ばした。
「よう、《中立地帯の死神》さんよ。従業員の教育くらい、ちゃんとしておくんだな。でなきゃ、うっかり感電死して死体で見つかったとしても、文句は言えねえぜ?」
「ほざけ、こいつはうちの新人だ! 手を出すというなら、うちに対する宣戦布告とみなすぞ!」
「ククク……いいぜ、好きにしろよ。いや……むしろこちらにとっちゃ、好都合だ! そうなりゃてめえと、正々堂々やり合えるんだからな……‼」
六道の前に身を乗り出す流星と、悠々と歩み寄ってきた雷龍は、至近距離で睨み会った。雷龍の顔に目をやると、明らかな高揚感と戦意が浮かんでいるのが窺えた。その激しさは、深雪に対する時と同じかそれ以上だ。
対する流星も、一歩も引けを取らない。あくまで昂ることなく、冷静沈着に雷龍の闘気を跳ね返している。
緊張を孕んだ氷の塊が一気に落ちてきて、硬質な音を立てて割れ砕けるのが聞こえるかのようだった。六道や奈落も態度にこそ出さないが、警戒しているのは明らかだったし、オリヴィエや神狼、鈴華もそれぞれ顔を曇らせている。
(そんな分かりやすく敵対しなくてもいいのに……)
《中立地帯》と《東京中華街》が決して相容れぬ仲であり、時として対立関係に至ることもあると知ってはいたが、深雪にはどちらか一方のみに非があるとも思えない。
それに、確かに雷龍は《レッド=ドラゴン》の人間だが、彩水と戦っている時にはいろいろと親身になって援助してくれた。完全なる悪者だとも思えないのだ。
「ああやって悪ぶってるけどさ、結構良い人なんだよ、あの黄雷龍って人。本当は仲良くしたいのに、きっと無理してるんだよ」
何とか対立を緩和させようと思い、深雪が流星と雷龍の睨み会いに口を挟むと、雷龍は一昔前の不良漫画の主人公みたいな目つきで怒鳴り返してきた。
「うるっせーよ、おめーはよ! なんで俺がそんなツンデレみてえなキャラになってんだ!? 雰囲気ぶち壊してんじゃねえ‼」
深雪はフォローしたつもりだったが、雷龍はそれが気に食わなかったらしく、完全に火に油を注ぐ結果となってしまった。どうしたらいいのかとお手上げ状態でいると、再び客間の入口に人影が現れる。雷龍の従者である影剣だ。
すらりと背が高い意外、主だった特徴の見受けられない青年は、己の仕える主――黄雷龍の姿を見つけると、安堵と緊張を同時に浮かべた。肩が上下している事から察するに、おそらく雷龍を探し回っていたのだろう。慌ててこちらへ駆け寄ってくる。
「いけません、雷様! 彼らは曲がりなりにも、鋼炎様がお招きなさった客なのです! それに、相手はあの東雲探偵事務所……所長である東雲六道のアニムスをお忘れですか!?」
(六道のアニムス……?)
深雪は、思わず六道へと視線を向けた。そう言えば、深雪は六道のアニムスをまだ知らなかった。東雲探偵事務所は《死刑執行人》の事務所だ。《死刑執行人》は基本的にゴーストにしかなる資格がない。
そこから換算すると、六道も当然ゴーストとだということになる。だが、深雪はこれまで六道がアニムスを使うところを一度も見たことがなかった。一体、どのようなものなのだろう。
「東雲六道……保有アニムスは確か、《タナトス》だったな」
雷龍は先ほどよりかなり用心し、強張った表情で呟いた。その様子から察するに、六道のアニムスはかなり厄介な代物なのだろう。雷龍もまた、彩水と同じでアニムスを使い慣れているようだったし、闘う事に一切の迷いや抵抗がなく、むしろ自信に溢れているほどだった。その戦闘狂が厄介だと思うほどなのだから、よっぽどだ。
「《タナトス》……? 一体、どういうアニムスなんだ……?」
流星や奈落、オリヴィエは、緊迫した空気を纏っていて、会話をするどころではない。唯一、話しかけられそうなのは、緊張感の無い、でっぷりとしたウサギのマスコットだけだった。それで、仕方なく小声で尋ねると、マリアは存外にあっさりと教えてくれた。
「《タナトス》っていうのは、『死』って意味よ。所長の能力はフィールド状に展開するアニムスで、一定の範囲と時間内で、ありとあらゆるアニムスを無効化させてその力を殺す能力なの」
「それって……」
「そ。深雪っちの二番目のアニムスとよく似てるわよね~。ま、範囲や発動時間はかなり限定されるし、アニムスを根本から消す能力ではないから、一時的な措置でしかないんだけど……でも、その中ではどんなゴーストも異能力を発動させることができないんだから、ある意味、最強とも言えるわよね」
そして、それこそが六道が《中立地帯》で死神と呼ばれ、恐れられている所以でもあった。
ゴーストの優劣を決めるのは、アニムスが強大であるかどうかだ。深雪はそんな基準は間違っていると思うが、少なくともこの《監獄都市》内に於いては、アニムス値の高いゴーストの方が、低アニムス値のゴーストより、ずっと生存確率が高いというのが現状だ。
ゴーストにとって、それほどアニムスは重要なものだ。そのアニムスが無効化してしまったら。全てのゴーストは、ほぼもれなく、ただの人と化してしまう。
それは、高アニムス値のゴーストであるほど、恐ろしく耐え難い事態だろう。言うなれば、フル装備の兵隊が自動小銃や弾薬、手りゅう弾、機関銃、狙撃銃、迫撃砲などといった武器を全て奪われ、真っ裸で戦場に放り出されるようなものだ。
事実、新宿で毎日のように起こるゴーストの抗争とて、アニムスがなければ、ただの若者の小競り合いに過ぎないのだから。
条件付きでアニムスを無効化させる力だという《タナトス》は、何かを傷つけたり攻撃する力ではない。だが、その存在だけでゴーストにとっては脅威だろう。自らの存在価値をアニムスに依存しているゴーストであれば尚更だ。
《中立地帯の死神》という二つ名にも、これ以上ないくらいにふさわしいと言える。
(そういえば……)
深雪は、シロがいつぞや、深雪と六道がよく似ていると言っていたことを思い出す。あの時はあくまで性格的な部分に対する言及だったが、まさかアニムスまで似ていたとは。深雪の《第二の能力》は、アニムスを完全に無効化し、ゴーストを人間へと戻す力だ。六道とは多少、発動の仕方や効果の範囲が違うが、『無効化』という点では確かによく似ている。
(そんなとこまで似なくていいのに)
子供じみた考えだとは分かっていても、ついそう思わずにはいられない。別に、自分の能力と似たアニムスを持つ相手がいるという事自体には抵抗が無いが、その相手が六道だと思うと、何となく面白くないと思ってしまう。
だが、それを顔に出したら幼稚だと分かっているので、あくまで表面上は無表情を貫いた。
一方の雷龍は、影剣の諫言に対し、苛立ちを顕わにする。
「だったら何だ、影剣? 《タナトス》が何だって言うんだ! アニムスが使えようが使えまいが、こいつらが俺たちの『敵』であることに違いはねえんだ! この《東京中華街》を守れずして、何のための《レッド=ドラゴン》だ‼」




