開幕:都会ぐらしは懲りごりだ
冬の寒いある日の出来事。特に代わり映えのしない毎日が、真っ赤な鮮血と共に終わりを告げる。
「おぃ、子供が跳ね飛ばされたぞ! 救急車をすぐ呼ぶんだ!!」
「制服……はこの先の高校だ! 一応そっちにも連絡を入れた方がいいんじゃないか?」
「何か身元を確認できる物は無い? 学校側に説明するにも名前が分からなくちゃ話しが進みにくいぞ」
「荷物の中に生徒手帳がある。名前は猫宮純だ。親族の電話番号は……」
少年の周りには沢山の大人たちが集まっていた。集まる大人たちは焦った形相で何かを言い争っている。
そんな周囲で聞こえる雑音もどんどん遠くなり、気がつけば純は意識を失っていた。
意識を失う直前。見たことがない程真っ赤な血液が視界を埋めた事だけを覚えている。
致死量を軽く超える血液が自分の身体から飛び散っていた。
怪我をした時に感じる独特の熱感、痛み、恐怖。
それらの感覚を一切感じない自分の身体を見て、純は思った。
「死んだな、こりゃ。間違いなく死んでしまった」
多分、交通事故か何かだったのだろう。
車に轢き殺されたか、トラックに轢き殺されたか。
詳しい死因は分からないが、純はあっけなく死んでしまったらしい。
「はぁ、死んだよ。思ったより早く死んじゃったよ」
真っ暗な暗闇の中で誰に言うでもなく呟く。
死んだ事実を受け入れられていないのか、意外と心は落ち着いていた。
ただ、意識が朦朧としていて、現状が良く理解ができない。
死ねば天国や地獄に行くのかと思ったが、どこへ行くでもなく暗闇の中をフワフワと漂う様な不思議な感覚が宿っている。
そんな不思議な感覚も決して悪い物と言うわけではない。
むしろ、人生に疲れた純にとっては久々に感じる安息の時間にも思えていた。
『ジュンちゃんや、都会は怖いとこじゃけん。ずっとここに住めばよかと』
『そやそや、爺ちゃんと婆さんに遠慮せんで一緒に暮らしていけばいいじゃろ』
意識が朦朧としている中、聞こえてきたのは純の祖父母の声だった。
この会話には聞き覚えがある。確か純が高校進学を期に地元の田舎町を離れ、都会の学校を受けたいと言う話しをしている時だ。
コレが走馬灯と言う奴なのだろうか?
そんな事を考えながらも、純は聞こえてくる声に耳を傾けた。
『爺ちゃんも婆ちゃんも心配しすぎだよ。都会はここと違って人も多いんだって。学校にも在校生が1000人いるとこも珍しくないらしいし、町には1万を超える人がおるらしいよ? 友達も作り放題って訳さね』
『けどよ、熊とかイノシシが出たらどうするのさ。向こうでは銃とか持ち歩くと捕まるじゃろ?』
『警察が拳銃持ってるし、大丈夫でしょ』
『せやけど、料理はどうするん? 都会の食材は良くないってお隣の陣さんがいっとったね』
『都会にはコンビニとか、ファミレスとか便利な物が沢山あるし大丈夫やって。それに俺は料理好きやし、時間があれば自分でも作れるしね』
『そうかね~、心配や~』
心配そうに見つめる祖父母を他所に、純は憧れの都会暮らしを夢見て妄想に浸っていた。今となればニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべているあの顔面に拳骨を食らわしてやりたい気分になるがぐっと堪える。
「俺、爺ちゃんと婆ちゃんを見捨ててまで、何をやりたかったんだろう」
あの頃の純は田舎から出れば新しい何かが起きると思っていたのだ。子供だから、都会に行くだけで全てが変わると期待していたのかもしれない。
いや、変わらなくてはいけないと思っていた。こんな田舎で一生を終えると言うツマラナイ人生を送るわけには行かなかった。
田舎で一生を終えてはいけない。そんな脅迫観念にも似た何かが、純の中にある都会への憧れを増大させる。
新しい友だちが出来ると思った。好きな人が出来ると思った。
夢が見つかると思ったし、新しい娯楽も知れる。
テレビでしか見たことがない料理の数々を食べれば、自分の献立に煮物と魚料理以外の何かが加わると思った。
ようするに、興味心だけで田舎から都会への進学を願った訳だ。
今思えば、本当に馬鹿な選択をしたと思う。
都会に出て良い事など、何もなかったからだ。
学校では友達ができるどころか田舎者として除け者にされ、学業には付いて行けず部活動への入部も禁じられた。
祖父母に塾を進められてからは朝から夜まで勉強漬けの毎日。
好きだった料理をする時間も無くなり、3分で出来る冷凍食品やインスタントを食べるようになった。もちろん、味は婆ちゃんの作るご飯には遥かに劣る。
純が期待していた新しい料理の数々は確かに美味かったがレシピの検討がつかなかったので意味が無く。さらに不満を言うと馬鹿みたいに値段が高い。
何度も繰り返し食べられるものじゃない事だけは確かだった。
唯一良かった事と言えば手軽に食べられるお菓子が芋の煮っころがしからポテチと言う近代的なジャガイモのお菓子になった事ぐらい。
ポテチは美味いし簡単に作れる。この事実のみが都会暮らし唯一の成果なのだから泣けてくる。しかもポテチや冷食のせいで小太り体型になり悲しさも倍量だ。
飯は不味いし自分は太る。人は多い。学校にはスクールカーストと言う身分制度もある。
勉強は無駄に忙しく、遊ぶ暇無く学校と塾と家を往復する毎日。
そんな毎日を送った結果が学校の帰り道に交通事故で死亡。散々だった。
純の地元には美味い飯が沢山あった。
人は少なくても優しい人が多くて、皆が支えあって過ごしていた。
地元なら車より熊やイノシシとの遭遇率の方が高かったから、少なくとも交通事故で死ぬことはなかっただろう。
交通事故は事前に防げないが熊もイノシシも逃げる対策はしっかりあるので出会っても危険は無いし、上手い具合に爺ちゃんや猟師のオジサン達を呼べば猪鍋や燻製肉にありつける。
何もかも、田舎の方が良かった。
不便な事があっても、困難があっても、助けあって何とか生きていた。
純が人生で行った最大の誤ち。それは地元を捨てて都会へと出て行った事なのだろう。
その事に気がついた時は何もかもが手遅れだったが……。
「あの時、爺ちゃんと婆ちゃんの言うことを聞いておけばな……」
ずっと後悔していた。今までにも「田舎で暮らしていれば……」と思っては涙で枕を何度も濡らした。
「もし次に生まれ変わるなら田舎で生きたい。車に轢かれて死ぬような都会なんて懲りごりだっ!!」
地元の高校に行けていれば苦労する事もなかっただろう。
学校と塾が忙しくて出来なかった料理だって存分に出来た。
冷たい冷食やレトルト食品をローテーションする悲しい日々を送らずに済んだ筈だ。
太ったりもせず彼女も普通に出来たかもしれない。
思い返せば思い返す程に蘇る都会での辛かった日々。
改めて冷静に振り返ってみると、本当に碌な事が無かった。
その思い出が辛い分、田舎での暮らしが輝いて見えた。
満たされていた子供の頃を思い出し、思わず目から涙が溢れそうになる。
『次に生まれ変わるなら、貴方はどんな場所を望みたい?』
唐突に頭の中へと声が響いた。
見知らぬ女性の様な声だ。死んだ筈の自分に聞こえる声と言う事は神様の声だろうか。声の正体は分からないが、どんな場所を望むかと聞かれたのだ。
純は目から溢れる涙を拭い、決意を固める。
叶うならば叶えたい。次の人生は田舎で一生を終えると言うささやかな夢を。
だからこそ強く願う。
神様がいるかいないかなんて知らないが、強く願う。
「次に生まれ変わるなら……」
『次に生まれ変わるなら、田舎に行きたいのかな?』
「そうだ、田舎がいい。美味しい食べ物が豊かな場所!」
『美味しい食べ物が豊かな場所だね』
「心優しい住民が暮らせる、自然が豊かな町!」
『心優しい住民だね。わかった。じゃあ、作り始めるよ。君の願いと一緒に育つ、新しい迷宮。きっと周りには素敵な町が出来るよ』
女性の声は最後に「頑張ってね」と耳元で囁くと同時に聞こえなくなった。
その声を聞いた直後、純が感じたのは落下する様な感覚。
谷底の川に突き落とされた時の如く、身体はどこかへと落ちていく。
不思議と不安は無かった。
ただ、落ちた先が都会じゃなければ純にとってはそれで良かったと言う事なのだろう。
こうして、純の新しい生活が幕を開ける。