罵倒の応酬
「チャットだか何だか知らないが、要はあれだろ。文字だけで遣り取りしてたってことだろ。たかが文字だけの遣り取りで、好きだの大事だの、よくそこまで依存できるよな。だいたい、18の小娘が29の男の振りして、なんで気づかないんだよ。お前の思い込みの激しさ、ほんとに半端ないな。字面だけ見て、小娘の茶番にまんまと騙されて。そんなまやかしみたいなもんに振り回されて、会社は辞めるは、家は引っ越すわ。正気の沙汰とは思えないな。俺とのことだって同じだろ。勝手に思い込んで一人で思い詰めて。人間の外面ばかり見て、中身を全然見てないから信じられなかったんだろ。あっちでも、こっちでも、お前は同じことやってんだよ。仮に、お前が真奈美のことを誤解しなかったとしても、どうせ俺たちは上手くいかなかったに決まってる。このことを全部隠して俺に近づいて来て、お前は端から俺とまともな関係を築く気なんてなかったってことだろ!それで好きだの何だのって、馬鹿にしてんのか!」
冷淡に、軽蔑するように、静かに始まった宮部の非難は、次第に熱を帯び声の量を増して、最後にはすっかり罵声となって杏子に降りかかった。その言葉の一つ一つは正確に的を射ていて、杏子が心の奥底に必死に秘している弱くて脆い処を、鋭く尖った鏃となって深く深く射貫いた。
弱い人間ほど、図星を指されたときに逆上するのが世の常であるように、杏子もまた、自分の弱さを隠すように、声を張り上げ激高したのだった。
「貴方に何が解るのよ!私とナツキは、確かに通じ合ってた!たとえ文字だけでも、文字だからこそ、弱音を吐いたり、本音が出たりするもんでしょ!貴方は18の小娘って馬鹿にするけど、ナツキの言葉には重みがあった。人の痛みや苦しみを知っている人間の、心が籠もった言葉だったわ。だからこそ、私は救われたのよ。それを茶番だ何だって、馬鹿にする権利が貴方のどこにあるって言うの!だいたいね、貴方こそ、何で真奈美さんをそこまで放って置いたの!?鬱になるほど、あの子は孤独だったのに。あの子がチャットにのめり込んだのだって、寂しかったからでしょ。外でいっぱい辛いことがあったんだもん、それに堪えきれずに部屋に引きこもってしまったのは仕方ないわよ。だとしても、それで好きなように引きこもらせておいて本当に良かったと思ってるの!?貴方は理解のある兄のつもりなのか知らないけど、本当に真奈美さんのことを思うんなら、あの子が外でちゃんとやっていけるように手助けしてあげるのが家族の役目なんじゃ無いの!?それが、何よ。部屋を与えて食事を与えてお金を与えて、それで放って置いたんでしょ。近所の誰も、真奈美さんがこの家に住んでることなんて知りもしないのよ!?周りの誰にも真奈美さんのことを話さずに、それで守ってるつもり?貴方自分で言ってたじゃ無い。周りに助けてもらって仕事をここまでやってこれたんだって。真奈美さんのことだって、初めから周りに打ち明けていれば、手を差し伸べてくれる人が居たはずよ!本当は貴方が隠したかったんじゃ無いの?ちゃんとできない妹を恥じて、周りの目から隠してしまいたかったんじゃ無いの!?」
「解ってないのはお前だろ!自分のことも碌に解ってないようなやつに、他人のことをとやかく言う資格があんのかよ。だいたいな、部外者が家族のことに口を出すな!真奈美のことは、俺が一番よく分かってる。たかがチャットでやり合ってただけのやつに、知った風な口を利いて欲しくないな。それだって、嘘で塗り固めたまやかしだっただろ!」
「確かに真奈美さんは貴方の振りをしてたけど、なんでそんなことをしたかわからない?貴方が好きだからよ。尊敬してるからよ。同じ親を失っても、貴方はちゃんとここまでやってきた。両親を弔って、仕事を引き継いで、日本中どころか外国にも行って、今も情熱を持って植物と向き合ってる。本当は真奈美さんも貴方のようになりたいと思ってるのよ。ナツキは、都会の暮らしのことを根掘り葉掘り聞きたがってた。仕事のことや恋愛のことも、私は沢山話を聞いてもらえて救われたけど、真奈美さんにしてみたら、そういうものに憧れてたんだわ。本当は引きこもっていたくなんかなかったはず。外へ出て、貴方のように活躍したいのよ!貴方は、仕事に対してしてきたのと同じように、真奈美さんにも向き合うべきだった!解ってないのは貴方の方よ!」
かつては、この同じ家で、宮部の巧みな口付けに翻弄され、頬を上気させ息も絶え絶えだった杏子だが、今は、罵倒の応酬が杏子を同様に乱している。一度は艷めいた関係にあったとは思えないほどに、杏子と宮部は、お互いを気の済むまで罵り傷付けあって、そしてまた二人に沈黙が訪れた。
「こんなことは無意味だ。もう帰ってくれ。」
最後に宮部が呟くようにそう言って、杏子は黙って従ったのだった。




