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君に捧ぐ花  作者: ancco
猜疑心
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裏切り

まず杏子の頭に浮かんだ可能性は、泥棒かもしれないという考えだったが、それはすぐに否定した。忍び足で石段を上がった杏子は、物音を立てないように静かに家の周りを確認し、窓にもドアにも異常が無いことを確認したからだ。しっかりと施錠されていて、こじ開けたような痕跡も無かった。

そこで、杏子は思い出した。いつか宮部は、この家に一人で住んでいるのかという杏子の問いに対し、実に曖昧な返答をしたのだ。一人暮らしには広すぎるこの家についても、一階しか使っていないと言っていた。それはつまり、二階は別の誰かが使っているということを、積極的に隠しはせずとも、否定もしないような口ぶりだったのではないか。

そういえば、と、杏子はさらに思考を巡らせた。先日発送した商品の送り状は、若い女性の手蹟だったではないか。昼間は、仕事か何かの事情によりここに来ることができず、宮部に代わって植物の世話をすることは出来ないが、空いた時間に宮部のためにラベル書きをしてやることは出来る若い女性。それが今、宮部の自宅の二階に居る人物なのではないか。杏子の思考は止まらなかった。

一緒に住んでいるのだろうか。いや、台所や洗面所、トイレといった共用部分には、若い女性が暮らしているような気配は見られなかった。調理道具も何も無い味気ない台所、化粧水の一つも無い洗面台、若い女性には欠かせないゴミ箱を置かないトイレ。確かに、この家に住んでいるのは、独身の男一人だけのはずだ。そうだとするならば、二階の人物は、この家に時折通ってきているとしか考えられない。遠距離恋愛か何かなのか、共用部分に女の生活感が出るほどは、入り浸っていないのだろう。しかし、この女は、杏子が躊躇って受け取らなかったこの家の鍵を所有し、家主の留守中にも気兼ねなく訪ねるほど、宮部と親密な関係であるのだ。泊まることもあるのかも知れない。宮部が使わないと言った二階には、その人物の着替えなどの私物があるのでは無いか。二人が共にするベッドもあるのかも知れない。

そこまで思考がたどり着き、杏子はいよいよ結論づけた。


(宮部さんには彼女が居る。私は今まで昼間の限られた時間しか来たことが無かったから、彼女と鉢合わせをしなかったんだ。あぁ…私はなんてバカなんだろう。なぜラベルを見てすぐに問い質さなかったんだろう…。)


今にして思えば、宮部の留守中のことも、鍵を預けようかというのではなく、家を閉めていても構わないかという聞き方だった。自分の留守中に、杏子が家に上がることを避けたいような口ぶりだ。なぜそのときに疑問に思わなかったのか、否、なぜ鍵を預けて欲しいと頼まなかったのかと、杏子はひどく後悔した。そうすれば、今、鍵を開けて二階に踏み込み、件の人物に宮部との関係を問い質すことも出来たのだ。


杏子は、何もかもが嫌になった。宮部は、別の女性が居ながら、自分にも愛想を振りまくような男だったのだ。別の女性と過ごすこの家で、杏子の手料理に舌鼓を打ち、杏子を抱きしめ、杏子の咥内の奥深くまで蹂躙したのだ。これほど屈辱的なことがあるだろうか。杏子は、もう一秒だってこの家を、二階の窓から漏れる明かりを、視界に入れておくことが嫌だった。

吐き気を催すほどの嫌悪感に押しつぶされそうになりながら、杏子は、電灯も点けずにハウスへ駆け込むと、台上のスマホを引ったくって愛車に飛び乗った。漕いで、漕いで、全力で漕いで、杏子は自宅へと帰り着くなり、布団に潜り込んだまま、翌朝を迎えたのだった。


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