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君に捧ぐ花  作者: ancco
猜疑心
42/111

昼餐

「さ、どうぞ上がって。廊下の奥、台所の隣が洗面所で、さらにその隣がトイレ。着替え取ってくるから、待ってて。」

宮部はそう言って、居間を通って仏間の方へ入っていった。杏子がトイレを借りて洗面所で手を洗っていると、黒いTシャツを手にした宮部が戻ってきた。礼を言って受けとると、杏子は洗面所の扉を閉めて着替え、脱いだTシャツの背を見て驚いた。白い布地にくっきりと、黒い色が擦り付けられていた。宮部もこうしてよく服を汚すのか、洗面所にはシミ落としで有名な緑色の石鹸が備えてあったので、杏子はそれを拝借してTシャツを手洗いした。


濡れたTシャツを片手に、ビニール袋でも借りようと杏子が宮部を探すと、居間のちゃぶ台でお茶を淹れている姿が見えた。

「お茶、淹れるようになったの?」

杏子を見上げ、宮部は少し照れ臭そうに笑んだが、お茶を淹れる手は止めていない。

「杏子さんがこうして来てくれるようになると思って、買っといたんだ。ティーバッグだけどね。さぁ、座ってお昼にしよう。何か持ってきた?俺のと同じインスタントラーメンでよかったらあるけど。」

「大丈夫。お弁当作って持ってきたから。自転車から取ってくるね。ところで濡れたTシャツを入れるのに、袋か何かもらえない?」

湯飲みに注いだ残りのお湯で、手元のインスタントラーメンにもお湯を注いでいた宮部は、蓋を閉めてその上に箸を置き、徐に立ち上がった。

「そこに干したらいいよ。貸して。やっとくから、お昼取っといで。」


こうしたさりげない一言一言に、柔らかい笑みを添えることを忘れない宮部に、自分はやはり惚れているのだと、杏子は諦めた。もしかしたら、自分よりも近しい存在の女が居るのかもしれないが、だからといって、宮部から離れたいとは思えない。宮部がその女の事を自分に打ち明けてこない限りは、気付かぬ振りをして、宮部の隣に居続けよう。杏子はそう決意して、弁当と水筒を携えて部屋に戻った。


「いつもそんな感じで作ってんの?すごい旨そう。」

ちゃぶ台に広げた杏子の弁当箱を覗きこむようにして、宮部がそう言った。その中身は、おにぎり二つに卵焼き、焼鮭にウインナー、ほうれん草のゴマ和えとプチトマトだった。食べることが好きで自炊も厭わない杏子にしてみれば、焼鮭とほうれん草は前夜の晩御飯の取り置きであるし、トマトは洗うだけ。ウインナーをレンジで温める間に、さっと卵を焼いて米を握るだけの簡単弁当のつもりだった。


「こんなので良かったら、明日は一緒に作ってこようか?一人分も二人分も変わらないし。」

宮部から高評価を受け気を良くした杏子は、思わずそう言ってから、慌てて付け加えた。

「味の保証はしないけど!口に合うかどうかわからないし…。」

宮部の顔は見るからに綻んで、嬉しそうに杏子を見ていた。

「じゃあ一口味見させて?好みの味かどうか試してみたい。」

そう言って、堂々とあーんと口を開ける宮部に、驚いた杏子もぽかんと口を開けて呆けた。間抜けとも言い表せる杏子の表情に、宮部はいつもの忍び笑いをしてから、杏子を促してまた口を開けた。


口に入れてやるまで、あーんと開け続けそうな宮部を前に、杏子はどうしたものかと思案した。宮部はもう食べ終わっていて、自分の箸も丼も片付けてしまっており、あるのは手元の杏子の箸だけである。仕方なくその箸で卵焼きを一つつまむと、杏子は、それをおずおずと宮部の口許まで運んでやった。ぱくりと一口でそれを食んだ宮部は、旨い、と満面の笑みだ。


「ほうれん草も。」

また口を開けた宮部に、杏子はほうれん草のゴマ和えも食べさせてやった。これも旨い、と宮部はご満悦である。弁当を作ろうかと言い出した杏子も、これにはほっと安堵した。


「プチトマトも。」

「トマトは関係ないじゃない!」

調子に乗った宮部に、思わず笑って言い返した杏子だが、口を開けて引こうとしない宮部に、もう、とため息をついて、トマトを手に取った。小さなヘタを取ってやり、それを宮部の口許へ持っていくと、宮部は、また、ぱくりと一口である。

刹那、杏子の心臓が、どくりと跳ねた。

トマトと一緒に、宮部は杏子の指先も食んだのだ。柔らかい唇に挟まれて、その奥に潜む熱く湿った宮部の舌先が、ちろりと杏子の爪先を掠めた。


(この男、絶対わざとやってる…!)


杏子は赤面して涙目になりながらも、漸く宮部という男が解ってきた気がした。真面目で優しそうな、硬派な見た目に騙されてはいけないのだ。その実、この男は、甘い笑顔を振り撒いて情熱的に想いを伝え、事あるごとにスキンシップを好み、どうすれば女が動揺し欲に濡れるかを知り尽くしている。今もこうして杏子を翻弄し、慌てふためく様を見て楽しんでいるのだろう。


人の良い隣人も、女の事になるとわからない。誰かがそう言っていたなと思案して、あぁ、宮部自身じゃないかと杏子は思い直した。

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