僕と私の紫の上計画
貴方は、源氏物語という話をご存じだろうか。
これは、平安中期に書かれた日本の長編小説である。
主人公は、光源氏という顔が最高に顔のいい男である。
この男は、女たらしで沢山の女の人を泣かた挙句、終いにはハーレムを作ることになる。
その中で最愛といわれたのが、紫の上である。
まだ子供だった彼女をさらった誘拐犯の光源氏は自分好みに育つよう洗脳教育を施した。
そんなかわいそうな紫の上は、しかし流石に女たらしが育てただけあって最高の女性だったそうだ。
さて、本題に入る。
私は、リアル紫の上である。
当人が言うのだから間違いはない。
私の両親は、幼い頃そろって事故死している。
そこを拾ってくれたのが、慶さんだ。
彼の職業は学者である。
彼は周囲の人たちに揃って、よくニートにならなかったなと言われるほどのダメ人間である。
基本的に研究テーマに熱中するとご飯を取ることを忘れ、お風呂にも入らない。
その姿は、ゲームにやりこむ中年引きこもりである。
更に性格が偏屈で根暗といった、実にコミュ障な彼が私を引き取ると言った時には
彼の親戚中が総出で止めたものだ。
けれど、彼は折れなかった。
私の両親はかけ落ちで親戚とは縁を切っており、彼が引き取らなければ私は施設行き決定だったからだ。
気難しい彼のたった一人の親友の娘である私を放っておけなかったのである。
そう、彼は優しい。
なかなか、人には気づかれにくいだけで。
それは、10年近く一緒にいた私が太鼓判を押して保障しよう。
そんな私も最初はこの男ロリコンなんじゃないのかと思ったものだが、
彼に性的なまなざしで見られたことは一切なかった。
初めは、ぎくしゃくしていた慶さんとの暮らしにも慣れ、遠慮のない口を叩けるようになった頃だった。
「よし、杏子。君は現代の紫の上を目指すんだ!」
気が違ったのかこの人、率直に言ってそう思った。
しかし、違った。彼は親友の忘れ形見である私を立派な女性に育てることに強い責任を感じていたのだ。
その意気込みはは並々ならぬものであり、しぶしぶと私も付き合うことにした。
ちなみに彼の専門分野は、平安文学である。
そんな感じで、私のリアル紫の上化計画は始まった。
まず、教養を身につけようとのことで、私の習い事通いが始まった。
習字に始まり、音楽はピアノ、バイオリン、バレエ、花道に茶道、日舞等々。
私は、文字どうりお稽古事浸けになったのだ。
それらには、洒落にならない程のお金がかかったのだが浮世離れした慶さんは全く気にしなかった。
しかし、慶さんの安月給では苦しく、私たちはご飯にふりかけをかけてよく食べることになった。
次に性格である。
おしとやかで、男性には口応えのしない、また夫はよく立てること、
優しくて、まじめで、芯が強く、賢くて、きちんとは恥じらいがあってectect・・・・。
私はそれらをBGMとして適当に聞き流し、内心うるせえなこの馬鹿男がと思っていた。
次に美容は慶さんの手に負えなかったので、彼のお姉さんに頼まれた。
私は、しちめんどくさい肌の手入れの仕方やどのシャンプーが髪にいいかなどを話し合った。
ややこしい化粧の方法やどの服が流行かなどを教えてもらった。
彼女は、今でも時々会うし、そのたびに慶さんをお願いと言われた。
お姉さんは聡明で品のある人で、外見浮浪者の慶さんとは似ても似つかない。
おそらく遺伝子の神様が意地悪をしたのだろう。
2人合わせてちょうど良くなる感じである。
そうして、とうとう今日私も二十歳となった。
「杏子もすっかり一人前の女性になった、あいつも天国で喜んでるよ。」
そう嬉し泣きくれる慶さんを私は仕方のないものとして見守った。
なんで普通親(私の場合は育ての親だったが)の言うことに、反発する難しい年頃だった私が
諾々と彼の言うことを聞いてきたかお分かりになるだろうか。
そう、私はこのどうしようもない慶さんのことが好きだったのだ。
冷たい雨の降る葬式の中、集まった親戚たちに駆け落ちをした父や母を散々に罵倒され、
あんなお荷物ひき受ける気はない、施設行きだと誰ともなく言われたあの時、手を取ってくれた慶さん。
他人の子供を育てるために見返りもなしに、自分の人生で一番良い時間を犠牲にして、結局結婚することすらも諦めてしまった馬鹿みたい優しい慶さん。
彼はどれだけ冴えなくても私にとって、世界で一番特別な男の人だったのだ。
そうしていよいよ成人した今日、本人によって大人だと認定された私はこの優しい子ヒツジを
どう食べようかと獰猛な狼の気持ちで算段し始めたのだった。