日食の光 二
ヒサエ
新潟についた。
最近忘れっぽいユウヤだがなんとか船に乗ることができた。
でもなにかユウヤの様子がおかしい。
何て言えばいいのだろう、まるで言葉のわからない幼児か、ボケた老人のようなかんじ。
「もうすぐだね、ユウヤ。」
「うん。」
相変わらず、無表情。
船に乗る前からそうだ。
いったいどうしたのだろう。
そして私の頭のなかにある病名がうかんだ。
今は夜。
私の知り合いが特別に佐渡島まで送ってくれるってことになった。
おそらく佐渡島につくのは明日になるだろう。
翌日、朝起きたらすでに佐渡島についていた。
「ユウヤ、ついたよ。」
「・・・。」
「ねえユウヤ。」
ユウヤは空を見上げたままボーッとしていた。
そして一言、
「ここはどこ?」
と、言った。
もしかしたら本当にあの病気にかかったのかもしれない。
そう思った私はすぐに病院に行き検査をしてもらった。
アルツハイマー病。
ユウヤはあのアルツハイマーにかかっていたという。
しかもかなり病状が進行し、医学的な治療は不可能だといわれた。
あとは私しだいだと言われた。
今後、ユウヤの世話をしなければならない。
もし暴れだしたら思い出の品を与えればいいといわれた。
でもそんなものはもってきてない。
最近のものではダメだ幼いときに遊んでたものや使ってたものなどを与えないといけないと言われた。
だから今手持ちにもっているユウヤの持ち物ではまったく効果がないらしい。
ユウヤの持ち物のなかには通帳と手紙があった。
手紙にはこう書いてあった。
『ヒサエへ。もし君がこれを読んでいるのなら、すでに僕は病状が悪化したということだろう。今ここに五億ある。僕を捨ててその五億で暮らしてくれ。ユウヤより。』
その手紙を読んだとき私は自然に涙が出た。
「ユウヤのバカ、そんなの、捨てるなんてできないじゃん。私の肺ガンをなおしてくれるんじゃないの?思い出の品さえもっていればいいのに。」
病院の廊下のいすに座っている私とユウヤ。
「あれ?ユウヤはどこ?」
いつのまにかユウヤは姿を消していた。
アルツハイマーにかかっている人によく見られるじっとしていることができなくなる。
早く見つけないと。
そう思った私は急いでユウヤを探した。
病室、ナースステーション、ロビー、病院のあらゆるところを探したがどこにもいなかった。
屋上、ここが最後だ。
そこには白いシーツがたくさん干してあった。
風が吹きシーツがなびく。
日の光で白いシーツが眩しい。
すると屋上の奥の方にあるベンチに一人の女の人が誰かを膝枕している。
その女の人の後ろ姿に見覚えがあった私は真っすぐ近づく。
見ると膝枕してもらっているのはユウヤだった。
「こんなとこにいたんだユウヤ。どうもすいません、私のつれなんです。」
と、その女の人を見ると。
「あら久しぶりねヒサエちゃん。」
そこには亡くなったはずのユウヤの姉、カズミさんがいた。
「カズミさん、生きてたんですか?」
「人を勝手に人を死人扱いしないでよ。このとうり元気に生きてるよ。目も見えるようになったし。」
「そうなんですか。」
横になっているユウヤの顔には笑顔が浮かんでいた。
その笑顔を見ると私は泣きそうになった。
「この子、ユウヤはあと五日の寿命だってことは知ってる?」
「えっ?」
「さっき、お医者さまがきてユウヤが肺炎にかかり病院に入院するとあなたにそう伝えてくださいと言ってたの。」
「そうですか。」
カズミさんはいつも猫をなでていた左手でユウヤの頭をなでていた。
ユウヤがあの時の猫みたいだった。
その後、私は佐渡島の小さなアパートを借りてそこで私とカズミさんの二人で住むことになった。
ユウヤは病院暮し、いろんな世話は病院の人がしてくれる。
私はユウヤが貯めててくれた五億の一部を使いちゃぶだい一つ、ざぶとん二つ、布団二セット、その他食器など生活必需品を買いそろえた。
カズミさんは家にあったあのロッキングチェアをもってきた。なぜあるのかは知らないが、それだけ大切なものだということはわかった。
あと猫も飼い始めた。
このアパートの大家さんはやさしい人で猫を飼いたいって言ったらあっさりいいよと言ってくれた。
そんなわけで私とカズミさんのふたり暮しが始まった。
朝起きてまず窓をあけ空を見る。
一日目の朝は快晴。
冬の風が冷たい。
そしてカズミさんを起こす。
相当大切なものなんだろう、カズミさんはロッキングチェアに座ったまま布団をかけ寝ていた。
「カズミさん、朝よ。起きて。」
「んん、あと五時間・・・。」
小学生の台詞かってつっこんでやりたかったがまさか五時間とくるとは思わなかった。
「ほら起きて、ユウヤのとこに行きますよ。」
「う・・・ん、わかったよう。」
まだ名残惜しそうだが、無理にでもつれてこう。
私とカズミさんは身仕度をし、朝食をとり、そして病院に向かった。
ユウヤの入院している病院は私たちが入院しているアパートから歩いて五分くらいのとこにありすぐに見舞いに行ける。
「見舞いにきたよ、ユウヤ。」
「・・・うるさい。」
そういいユウヤは窓から空を見た。いや、どこかと奥を見ているようだった。たとえばアメリカとか。
私は問う。
「どこを見ているの?」
「アメリカ。」
さらに私は問う。
「どうして?」
あの時問えなかったことを今問う。
「お父さんかアメリカにいるから。」
「そうなんだ。」
そして来客用のいすを出し私とカズミさんは座った。
「お母さんは?」
さらに私は問い続ける。
「ひどいよ、あの人は。」
そしてユウヤは自分の手元に目線をずらし、さらに答え続ける。
「姉さんにひどいことをするんだ。目が見えないのに料理をさせようとしたり、生け花をさせようとする。そして失敗すると殴ったり、家を追い出したり。個室に閉じ込めたりした。」
「カズミさん、そんなことがあったんだ。」
カズミさんは黙々とりんごの皮をむいていた。
「だからお父さんに早く帰ってきてほしいんだ。」
私は変な質問をしてみた。
「君は今何才?」
「七歳。」
七歳、カズミさんの目が見えなくなってから少したった頃だ。
そして話しているうちにそっぽを向いたまま話していたユウヤだがだんだん心を打ち明けて笑ってくれるようになった。
そして二日、三日とたちユウヤも体調がよくなってきた。
三日目には医者から外出許可もとれるようになったのでカメラをもって三人で海に行くことにした。
「ヒサエ、早く早く。」
無邪気に走り回るユウヤ。
見かけが二十五にもなるユウヤが子供みたいに無邪気に走り回る姿を何も知らない人が見ると変体みたいに思えるが、私はそうは見えかった。
病気のことを知ってるからではなく、ただ単純にユウヤの笑顔を見たかっただけだった。
今までは一緒にいても笑ったりしていたが、その笑顔には表情が無かった、感情が無かった、生きてはいなかった。
輝いていなかった。
でも今は自然で、感情があり、表情があり、生きていて。
キラキラ輝いていた。
そんな笑顔と呼べる笑顔を見れて私は嬉しかった。
そして今、今だけでもユウヤが生きていることに私は感謝した。
そして命の大切さを知った。
「元気になってきたね、ヒサエちゃん。」
「ええ、ユウヤは。」
「違うわ。あなたがよ。最近元気よね。」
「わかります?最近、調子がいいんです。」
そう最近調子がいい。
明日にでも検査してみようかな。
その後、写真を一枚とった。
私とカズミさんとユウヤの三人で。
たった一枚だけの思い出。
そんな一枚、おそらくユウヤが死んだあとに見ると涙が止まらなくなるであろうが、ただユウヤの存在を私のなかに刻んでおけるものがほしかった。
四日目、とうとう死への最終警告がきた。
ユウヤは言葉がしゃべれなくなり手足が不自由になった。
話しかけても答えてくれない。
何を聞いても答えてくれない。
話し掛けても私を一目見てからまたどこかを見る。
いわゆる植物人間と言うところだ。
昼がすぎる頃になると呼吸が自分ではできなくなり、人工呼吸器を使うことになった。
当然、自分で食事ができないので点滴による栄養補給が必要になる。
九時をすぎると、心電図を使いユウヤの最後を待った。
とうとう五日目、病室には私とカズミさんとベッドに横になっているユウヤの三人だけ。
医者がきを使ってくれたのだ。
沈黙する病室、私の心のなかも沈黙する。
何も交渉の手段もない。
まるで死んだようなユウヤを前に私は何もできなかった。
するとその時、ユウヤの手が動いたような気がした。
そしてユウヤを見ると口がわずかに動いてる。
私は耳を近付けてみる。
するとわずかながら声が聞こえた。
「ヒサエ、今までありがと、悪いな約束守れなくて。灰をあの岬にうめてくれ。そして永遠に愛している。」
と・・・、
そしてその言葉を最後に心搏が停止した。
私は泣いた。
最後の一瞬だけ記憶が戻ったのだろう。
もう二度と話せない。
あるのは屍という名の脱け殻のみ。
さらになくなる交渉。
もうユウヤは目をあけない。
でも、かつてユウヤだったその脱け殻の顔にはべつに苦もなく、不満もなく、ただこの世に悔いもないという満足感にあふれる顔をしていた。
その顔に私は怒りを感じていた。
まだ、約束を果たしてないじゃん。
私の肺ガンはまだ治ってないじゃん。
怒りと涙が一緒に出てくるという意味不明な状況において私は何もできなかった。
するとカズミさんが震える私の肩に手を乗せた。
でも、カズミさんは何もしゃべらない。
肩に乗せた手の温もりは暖かくそして懐かしさを感じた。
そして一言、
「ごめんね。」
と言い残し病室を去っていった。
一人取り残された私。
二時間程たった頃、医者がきてユウヤの屍をベッドごともっていった。
医者は、
「お気の毒ですがこれを書かないといけないので、質問にお答えください。」
と言い、出してきたのはユウヤの死亡記録だった。
死亡時間やその時の様子を詳しく聞いてきた。
私はその質問に泣きながら答えた。
いや、もう流す涙は枯れはてて涙なんて出てなかったのかもしれない。
そしてその医者は一枚のレントゲンを見せて、
「昨日の検査結果ですけどガンと見られるものは見当たらなかったのですが。」
「え?」
私は目を丸くした。
あんなに肺が汚染されていたのに。
レントゲンはきれいに肺のなかを透明に映し出していた。
ちゃんとユウヤは約束を守っていたのだ。
普通ではありえないことをユウヤはしたのだ。
そして数日後、ユウヤの遺灰が私のアパートに届いた。
その遺灰をもち私は鳥取に戻ろうと、そう決めた。
佐渡島から本島に、新潟から新幹線で鳥取にもどった。
久しぶりに戻ってきた鳥取、いつもとかわらない日常を送る人たちが行きかうなか私は新幹線をおりた。
そしておりると同時に一匹の猫がおりた。
ユウヤの家にいた猫。
いつもカズミさんの膝の上で寝ていた猫だ。
その猫は私を見ると人込みのなかに走っていった。