9.クリンという人物
ココの端正なうりざね顔は、すでに真っ蒼になっていた。ひねり出すようなか細い声で、彼女はいった。
「へええ。あなたのおとうさんが警部補ですって。それで、あなたにこの事件を調べる権限があるとでも主張するの。でも、それはちょっとおかしくないかしら?」
ポチこと、如月恭助は、冷静に対処した。「もちろん、俺に捜査を行う権限などないよ。ただ俺が考えている推理を、これからみんなに聞いてもらうだけだ。そのあとは、ここにいる全員で、その真偽を判断すればいい」
「わかったわ。それじゃあ、坊やの考えを伺おうじゃないの」
「じゃあ、遠慮なく」と、恭助は無邪気に白い歯を見せた。
「俺がまず気になったのは、ユーノの存在だ。果たして、彼女は今どこにいるのだろう。そして、彼女は何のためにこのオフ会を催したのか。ココ姉、あんたはどう思う?」
「まさか、ユーノさんが犯人だとでもいいたいの」
「だとしたら、どうするね」と、恭助は挑戦するようにココの顔をのぞき込んだ。
「今回の事件がユーノさんによる犯行だとすれば、当然、ユーノさんは最初から犯行を行う目的で、このオフ会を開いたことになるわね。でも、それなら、ドクさんをどうやって殺したのよ?」
「さすがはココ姉、鋭いね。でも、ここはあわてないで、ゆっくりといこう。今回の事件の状況を考えると、まさにココ姉が指摘したようなシナリオが浮かんでくる。ユーノは、ドクかまたはクリンを亡きものとする目的で、俺たちをわざわざこのさびしい島に呼び集めた。しかし、それが真実だとすると、ひとつの疑問が生じる。ユーノはなぜ、こんな大舞台を設定して、大々的に犯行を行わなければならなかったんだ?」
「それは、密室をつくるのに、どうしてもここじゃなきゃならなかったとか……」と、ココが答えた。
「それでも、俺たち部外者をわざわざ寄せ集める必要があるだろうか」
「証人が必要だった? やっぱり、無理があるわね。大勢の人を集めれば、犯行が発覚しやすくなってしまうだけだものね」
「そうだよね。殺人がお目当てで、このオフ会が開かれたとする解釈は、かなり厳しい。だとすると、導かれる結論は、オフ会を開催した目的と今回の事件とは、直接の関連はなかった、ということだ」
「だから、どうだっていうのだ。結局の所、何も進展してはいないじゃないか。肝心のユーノさんの行方は、依然として不明なのだし」と、シドが嫌味を入れた。
「そうかい? 少なくとも俺にとっては、暗黒星雲の重力圏から解放されたような、大きな前進だったけどね。もっともそれは、さっきあんたがしてくれたとんちんかんな推理のおかげだけどな。
たしかに、ドクが殺害されたのなら、綿密に計画的された犯行であるように思われる。当然、オフ会を企画したユーノによる犯行説が有力だ。ところが、さっきの議論のとおり、ユーノが犯人ならば、なぜこんな大がかりな舞台をわざわざ設定したのか。ここにいる全員を殺したいとでも思わなければ、オフ会を催すことに、利益があるとは思えない。
このことが、俺をずっと悩ませてきた要因だった。でも、ドクの死が、少なくともオフ会の企画者にとって想定外の出来事であったと仮定すれば、この事件は、全く別な角度からの解釈が可能となる」
シドが大声で怒鳴った。「ちょっと待てよ。ドクの死は、クリン以外の人物による殺人だとでも主張したいのか。だとしたら、書斎が密室だったことは、どう説明するんだ?」
「ふふふっ……。俺は別にドクが密室で殺害されたとまでは、断言していないけどね。まあ、いいや。ところで、シド。あんた、二体のこびと像を壊した人物は、誰だと思うね? これは、確実にこの島にいる誰かによって、人為的になされた事実だよね」と、恭助は意地悪そうにシドを見つめた。
「クリンが、自殺する直前に破壊したとか」
「何のために?」
「そ、それは……」シドは口ごもった。「すると、いったい誰が破壊したんだ?」
「簡単じゃないか。物音を立てずに像を破壊することが無理なら、みんなが建物からいなくなってから、ゆっくりと像を破壊すればいいのさ」と、恭助がにやりと笑った。「そんな、チャンスがあった人物は、ここにいる人物の中で、たったのひとりしかいない」
広間にいる人物のひとりひとりを、恭助は舐めるようにじっくりと見まわしていった。やがて、ある人物の前で、彼はピタリと視線を止めた。相手が、はっと息をのむ音がした。恭助は高らかに宣言した。
「ココ姉。あんたが、二体のこびと像を壊した張本人だよ!」
ココは、下を向いたまま大きくため息を吐くと、今度は、くすくすと笑いだした。「面白い意見ね。名探偵の坊や。あたしがどうやって像を壊したというの?」
「俺とシドがクリンの遺体を確認しに行く時、あんたは二階堂のじいさんとモネちゃんを呼びに行った。しかし、わざとふたりを先に行かせると、みずからは非常口という近道に気がつかなかったふりを装って、遺体現場にすこし遅れてやってきた。その途中で像を破壊したのさ。ほかのみんなは外にいるから、多少の音がしても気づかれる心配はないからね」
「たしかに、ここにいる五人の中では、あたしだけが像を壊すチャンスがあったことになるわね。でも、この屋敷に、ここにいる以外の人間がいないという保証はあるの? ほら、あの『あかずの間』。ひょっとしたらユーノさんがそこに隠れているかもしれないわよ」
「なんなら、白雪の間を今から調査してみるかい」恭助も負けてなかった。
「ふん。とにかく、あたしに像を壊す理由なんかないじゃない?」
「理由はこれさ」というと、恭助は得意げにポケットから何かを取り出した。「クリンの荷物をちょいと調べさせてもらったら、やつの免許証が出てきたよ」
「あんた、それって許されることなの?」
非難を無視して恭助は続けた。「やつの本名は須藤武。住所は三重県津市となっている。三重県の津市とね……。そういえば、ココ姉も三重県津市の私立高畠高校で教員をしていたよな。これは単なる偶然かもしれないけど、もし、あんたたちがリアルで何らかの関係があるのなら、調べあげれば簡単に判明するだろうね」
「仮に、あたしとクリンさんが知り合いだとして、それであたしが像を壊す理由になるとでもいうの?」
シドもいっしょになって反論した。「そうだよ。ココさんが像を壊して、何の得が?」
「もしも、像が壊されなければ、シド、あんたのご推測どおり、クリンが自殺して事件は一件落着したと、誰もが思ってしまうだろう。でも、像が破壊されてしまうと、途端に連続殺人の可能性が疑われる。ココ姉が像を破壊した理由は、ありもしない連続殺人鬼をでっち上げて、ドクとクリンの別々の死を、関連付けたかったからさ」
「わからないな……。そんなことをするココさんの理由が?」
「それじゃあ、ココ姉自身から弁明を願おうか」
ココは、悔しそうに恭助をキッと睨んだ。「まず、確認しておきたいことがあるわ。坊やは、どうして、あたしと彼がつるんでいることに気づいたのかしら」
「クリンの話し言葉には、所々に関西なまりがあった。最初は、大阪弁だと思っていたけど、よく聞いてみると、完全な大阪弁のようには思えない。もちろん、京都なまりの言葉でもない。それから、俺の住んでいる名古屋弁も、わずかではあるがクリンの話す言葉に紛れ込んでいた。だから俺は、クリンが三重県か滋賀県の出身者だと、ほぼ確信した。三重県は、形の上では東海地方に属しているが、文化的には関西地方の影響を大きく受けているんだ。そして、ココ姉は三重県津市の高畠高校に勤務している。だから、俺はふたりのあいだに関係があるかもしれないと疑ってみたんだよ」
ココは観念したようであった。「わかったわ。たしかに、須藤とあたしは以前からの知り合いよ。もっと詳しくいえば、いっしょに暮らしていたわ。この旅行も彼から提案してきたの。あたしは反対したけど、どうしてもユーノさんに会ってみたいというから、仕方なく承諾したわ。でも、こんなことになるなんて……。
須藤がドクさんを殺して、それを悔やんで自殺したなんて、そんなことはありえないわ。万が一、過失でドクさんをあやめてしまったとしても、須藤は絶対に自殺などしません。彼には、そんな責任感はないし、度胸もないわ。いつでも死ぬのは怖いといっていました。須藤って男は、そういう人間です。だから、間違いなく殺されたんです! ドクさんを殺した犯人に、彼はでっち上げられてしまったのです」そういうと、ココは両手で顔をおおった。
「それで像を壊して、クリンが自殺ではないことを、みんなにほのめかそうとしたわけか……」と、シドがうなった。
「そういうことだね――。それじゃあ、ココ姉の信じるとおり、クリンは自殺してはいなかったのだろうか。おい、シド。あんたの意見は?」
「それは……。仮にクリンが自殺していないとなると、クリンを突き落した人物がこの中にいなければならなくなる。うーん。そいつは、ちょっと賛成できないな」
「そうだね。俺たちにとって、クリンの自殺は、とても都合のいい出来事なのだからね」と、恭助も同意した。
「絶対に、彼が自殺するなんてあり得ないわ。絶対に」ココがヒステリックに泣き叫んだ。
恭助がココの肩に手をかけていった。「それを証明したければ、ココ姉にはもうすこしオープンになってもらわなければならないのだけどね。つまり、クリンがこのオフ会に参加した真の理由さ」
ココは一瞬、ビクッと肩をふるわせた。「さあ? 坊やが何をいいたいのか、よくわからないわ」
「ふん、まだとぼけるか。いいだろう。みんなにもう一度思い出してもらいたい。ドクの遺体から出てきたメモリースティックを」
「スカルの秘密、ってファイルがはいっていたやつか」シドがうなずいた。
「そう。そのファイルには、診療所のカルテに掲載されているような、患者の個人情報が書き込まれていた。ドクはなぜそんなファイルを所持していたのだろう」
「それは、こんな遊びの旅行の最中でも、急患が出るかもしれないから、カルテのファイルを携帯していたんじゃないか」
「はっ、こんな離れ小島までやってきて、患者の心配か。さぞかし、立派な先生だね。ドク先生は。
やつの住所は神奈川だったよな。本当に患者のことを思うなら、こんなオフ会にのこのこ参加するはずはないよ。それに、あのファイルの中には、過去数年にもわたる患者の名前と症状が書かれていた。個人情報の漏えいが問題視されるこのご時世に、患者の個人情報のファイルを持ち歩くなんて、パソコンゲームがご趣味の青年医師さんらしからぬ、愚劣極まる行為だね」
「そのファイルが外部に漏れたら、大変なことになってしまうのか」と、シドが訊ねた。
「そりゃあ、診療所の死活問題となるだろうね。たしか、ドクは婿さんだったよな」
「わからないな。そんな危険なファイルだとしたら、なぜドクはこの旅行に持ってきたりしたんだ?」
シドの質問を聞いていた、恭助の眼がきらりと輝いた。
「持ってきたのではなくて、持ち出されていたんだ。クリンによってね。クリンと、スカル、このふたりは同一人物なのさ!」