6.第二の事件
翌朝、厨房には食事の支度に切磋琢磨する二階堂老人とモネの姿があった。シドが大広間に現れると、モネがやってきて、
「すみません。お食事の準備、もうすこし待ってくださいね」と、ぺこりと頭を下げた。
「いいよ、きのうは遅かったし」と、シドは歯を見せた。モネはうれしそうにほほえむと、厨房へと戻っていった。
しばらくすると、ココが起きてきた。「おはよう。よく眠れた?」
憐れむようにシドがいった。「どうやら、まだ知らないようだね。昨夜、ドクが死んだよ……」
「はあ……?」
「ドクの死体が書斎で見つかったんだ。あんたはぐっすり寝ていたようだけどね」
ココは一瞬、細い眉をつり上げたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「なるほどね。それであたしの部屋のチェーンが壊されていたんだ」
「ずいぶんと察しがいいじゃないか」
「何よ! あたしが犯人だとでもいいたいのかしら」
ココはシドをキッと睨んだ。
「いや、犯人は確定しているよ。クリンさ――」
気をつかって、何気なくシドはいったつもりだったが、
「まさか、クリンさんが? 信じられないわ……」と、意外にもココは、いつになく激しい動揺を見せた。
そこにポチが大あくびをして、広間にやってきた。
「やあやあ、みなさん、お早いことで。おや、ココ姉。きのうは本当によく寝ていたね……」
「そうね。あたしらしくもなかったわ」
「夜の出来事は、シドから聞いたかい?」
「うん――。ところで、クリンさんは今どこにいるの」
シドが「自分の部屋じゃないのか?」というと、
「あなたたち、彼をひとりにしたの?」と、ココはあきれていた。
ポチが平然といい放つ。「別に、ここは離れ小島だし、逃げたくても逃げることは無理だしね……」
「しかし、どうも嫌な予感がする。ちょっと、見てこよう」と、シドが提案した。
シドを先頭にポチとココの三人がクリンの部屋に向かった。エレベーターが二階に到着してポーンと鳴った。三人は手前から二つ目に位置する森林の間にやってきた。
シドがノブに手をかけると、扉はあっさりとあいた。
部屋の中には誰もいなかった。ただ、南の窓があいていた。雨は降っていなかったが、風はまだ荒れていた。その風が吹き込んだ所為なのか、室内の小物が散乱していた。机の上のマッキントッシュの電源がオンのままになっていた。
「誰もいないか……」
シドがそういった直後、甲高い女の悲鳴がした。ココが窓から下をのぞき込んでいる。ポチとシドが傍までやってきた。
白雪邸の二階は、通常の建造物では四階相当の高さがある。さらに、この部屋の真下は固いコンクリート地面になっていた。そこに、クリンが仰向けになって大の字で転がっていた。昨晩のドクと、まさしく同じような格好で……。
「ここから、転落したのか」
シドは窓から上半身を大きくのり出した。窓わくは思いのほか低くなっていて、シドの腰の高さほどしかなかった。
「今、あんたをつき落そうと思えば、たやすくできるな」と、ポチが不謹慎な冗談を耳元で囁いた。シドがキッと睨み返したが、相手にせずにポチは机に向かった。ポチはしばらくじっと机上のノートパソコンを見つめていたが、やがて思い出したかのようにマウスをさっと動かした。すると、スリープ状態が解除されてディスプレイが明るくなった。そこには文書ファイルが開かれたままの状態になっていた。そして、次のようなメッセージが書き込まれていた。
『正常な精神において、責任をとって、われは自害を選択す――。クリン』
シドは頭を抱え込んだ。窓からそとを見わたすと、手前に丘があり、その先には海が広がっている。ねずみ色の暗雲のわずかな隙間から零れた日光が、大海原のほんの一部をダイヤモンドのように煌々と照らしているのが見えた。
混乱を極めているシドのうしろから、「とにかく、階下に行こう」と、ポチが声をかけてきた。森林の間をあとにした三人は、二階のエレベーターの前にやってきた。
「ここから近道をしようぜ」
ポチが東の非常口のドアをあけると、シドもそれに続いた。
「あたしはおじいさんを呼んでくるわ」
ココはそういって、その場でエレベーターを待ち続けた。
ポチとシドはクリンの遺体の傍にやってきた。クリンは口をポカンとあけたままで、眼球はカッと空を睨んでいた。後頭部からじかに地面にぶつかったらしく、頭がい骨が割れて、血が四方にとび散っていた。しばらくして、二階堂氏とモネのふたりが駆けつけてきた。ふたりはすこし離れた所で立ち止った。
だいぶ遅れてココが息を切らしながらやってきた。
「はあはあ、急にいなくなっちゃったから、見失ってしまったわ」
「申し訳ありません。わたくしたちは一階の非常口からまいりましたので」と、老人が謝った。
「そういうことか。あたしだけが玄関から大まわりしてきたのね」と、ココはなげいていた。
「残念だけど、やっこさんが生きている可能性はゼロだね。遺体はこのまま警察が来るまで放置せざるをえないだろう」と、シドがいった。
やむを得ず、五人は白雪邸に戻ることにした。
途中、老人が一階の非常口から邸内にはいろうとしたのを見て、ポチが訊ねた。
「ちょっと、じいさん。そのドア……、そとからあけられるの? くしゅん」
「ああっ、完全に閉めきってしまえば、そとからはノブがまわせないので、あけられませんよ」といってから、足元にしゃがみ込んで、何かを拾った。その小さな物体をポチに見せて、
「ほら、この木片をそとに出る時に挟んでおけば、ドアは半開きの状態になるので、ノブがまわせなくても引くだけで、そとからドアをあけることができます」と説明した。
「なるほど、さっき出るときに、この木片をドアに挟んでおいたというわけだね。くしゅん」
花粉アレルギーのポチは鼻を押さえながら、木片を老人に返した。このやり取りをずっと見ていたシドは、苦虫を噛み潰したような顔をした。
五人はそのまま食堂にはいって朝食をとったが、誰もがあまり食がすすまない様子であった。
ようやく食事を済ませると、シドは真っすぐトイレにいった。
「さっきの老人のやり取りで、ポチも非常口のからくり知ってしまった。俺のアドバンテージは完全になくなった……。ということは、クリンがとった一連の行動を、いち早く説明しなければならない状況に、俺は追い込まれたことになる」シドは、ぶつぶつとひとりごとをぼやいた。
用を済ませてから、何気なく白雪姫とこびとたちの像の前まで、シドは足を運んだ。美しい白雪姫の像を眺めながら、モネのイメージを重ね合わせていたその瞬間、シドの背筋は一瞬にして凍りついた。
七人いるはずのこびとのうち、ふたりのこびとの頭部が割れて、なくなっていた……。
シドはあわてて絨毯に落ちていた陶器の破片を見つめた。ひとりは眼鏡をかけていたこびとで、もうひとりはあごひげのないこびとの像だった。
「どうしたの、シドさん……」
気がつくと、いつのまにかココが傍に立っていた。シドが壊されたこびと像を指差すと、彼女は急におどおどしはじめた。
「まあ、恐ろしい。なんてことなの?」
「どうかしたのですか」
「シドさん。白雪姫に登場する七人のこびとたちの名前は、ご存じ?」
「いいえ、全く……」
「ドック、グランピー、スニージー、スリーピー、ハッピー、バッシュフル、ドーピー、――の七人なの」
「そうですか……。それで、壊れてしまったこのふたりは誰なのですか」
「丸眼鏡をかけたこびとが『ドック(先生)』、あごひげのない丸坊主のこびとが『ドーピー(おとぼけ)』よ!」
察しの悪いシドも、ようやく事態を理解してきた。一連の事件に何らかの統一意志が存在するかのような、あまりにも残酷で、悪魔じみているこの趣向を――、
連続殺人事件……!
「そういえば、あのポチって子、油断しない方がいいわね」と、ココが囁いた。
「どういうこと?」
「さっきクリンさんの部屋で、あの子、何かをくずかごから取り出してポケットに入れたのよ」
シドは驚いた。自分は動転していて全く気づいていなかったからだ。
「やつが何を持って行ったかわかりますか」
「さあ――、何やら小さな薄紙を丸めたようなものだったけど……」
シドは白雪姫の像をじっと睨んだ。美しく無表情な白雪姫は、物憂げにどこか遠くを見つめているようにも思えた。
今、この屋敷には五人の人間が生き残っている。そして、壊れていないこびとの数もちょうど五つだ。そして、ユーノはまだ姿を現していない。
「まさか、これだけで済まないのだろうか……?」
あたかも、ココに聞いてもらいたいかのように、おだやかだが、はっきりとした口調で、シドはひとりごとをつぶやいた。
このお話で登場する「白雪邸」の見取り図は、本文第一章の冒頭にあります。
邸内の見取り図は、この小説を楽しむために、かなり重要な役割を担うことになりますので、ぜひご参考にしてください。