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白雪邸殺人事件  作者: iris Gabe
出題編
4/14

4.密室の中の変死体

 その時、広間の出入り口には二階堂老人が立っていて、こちらをじっと見つめていた。

 シドはぎくりとして、ソファーから起き上がった。まだ頭がくらくらするが、どうやら意識ははっきりしているようだ。

「お休みの所、申し訳ございません。実は――」と、二階堂氏が切り出した。「晩餐のあとで、ドク様とクリン様のおふたりが、書斎でお話し合いをされたいと仰せになり、わたくしは二階の書斎にご案内いたしました。ところが、この時刻になっても書斎から出て見えないようなので、心配をいたしまして、扉をあけようとした所、内側から錠がおろされていまして」

「書斎には、鍵がかけられるのですか」と、シドは聞き返した。「そのお、一般の部屋にはチェーンロックしか設置されていませんよね。チェーンロックだけなら、はいることはできなくても、扉をひらいた隙間から、中をのぞくくらいならできるでしょう」

「はい、書斎と白雪の間のふた部屋だけは特別で、チェーンロックの代わりに、内側からかけられる頑丈な差し込みボルト錠が設置されております。どうやら、そのボルトがおろされてしまったようなのです」

「すると、中の様子は何も確認できないとでも」

「さようでございます。扉は固く閉ざされていて、全く動きません」

 シドは老人について書斎にいくことにした。

 途中でシドは、ポチが泊まっている火炎の間の前で立ち止まると、扉をどんどんと叩いた。

「おーい、チビすけ。用事だ、起きろ」

 呼んでからしばらくすると、ゆっくりと扉が半開きになった。

「何……。今、何時……?」

 チェーンロック越しに、寝ぼけまなこのポチの顔が見えた。

「とにかく、早く出てこい」

 シドが命令すると、ポチはすごすごと廊下に出てきた。

「ドク様とクリン様のおふたりが、お部屋に戻られていないようなのです」と、二階堂氏が申し訳なさそうに頭を下げた。

「それで、ふたりがいそうな場所は」

「ふたりは書斎にはいったまま出てこないらしい。しかも、中から差し込みボルト錠がかけられているそうだ」

「ふーん、そいつは奇妙だな……。ほかの泊り客は?」

 ポチとシドがそろって老人の顔をのぞき込んだが、老人は何も語らなかった。

 ようやく三人はエレベーターの前までやってきた。シドは、白雪邸のエレベーターにのるのはこれが最初だった。三人がのり込んで、二階堂氏がボタンを押すと、エレベーターの扉がゆっくりと閉まった。やがて、独特な重力が加わって、エレベーターは二階に到着した。すると、扉があいた瞬間に、ポーン、という効果音が鳴り響いた。

 二階の廊下にも、いくつかの扉が立ち並んでいた。いちばん手前の扉の表札には、白雪の間、と文字が書かれている。その次の表札が、森林の間となっていた。

「たしか、黄金の間にはモネさんが、そして大地の間にはココさんがいるはずですよね」と、シドが確認を求めたが、老人は戸惑うしぐさを見せた。

 横からポチが、しびれを切らして、「こんな遅くに、わざわざ起こす必要もないだろう」と、老人の代弁をした。

「それもそうだな。じゃあ、急ごう」と、シドがいった。


 三人は二階の廊下を西向きに歩いていた。エレベーターの出口から、白雪の間、森林の間、黄金の間、大地の間と順番に扉の前を通過して、ついに書斎までやってきた。シドとポチは、互いに眼で合図をすると、シドが書斎の扉のノブに右手をかけた。ノブはすんなりと半回転ほどまわせたが、押してみても何かがひっかかって、扉は微動だにしなかった。こんどはポチがあけようと試みたが、やはり結果は同じであった。

「たしかに、ボルト錠がおりている。おーい、ドクさん、クリンさん。いるのなら、あけてくださーい」

 シドが扉をどんどんと叩いたが、全く反応はなかった。

「こうなったら、扉を壊すしかない。よろしいですか、二階堂さん」というやいなや、シドは扉に体当たりをぶちかました。しかし、頑丈なオーク材でできた扉は、この一撃程度ではびくともしなかった。

「こいつはやっかいだな」シドが肩をぐるぐるとまわした。「おい、お前も手伝え」

 シドの強引な命令に、ポチはしぶしぶ承諾した。シドとポチがスクラムを組んで扉にぶつかった。二階堂老人も手伝いたいのか、いっしょになって体当たりを試みた。ところが、年をとっているためか、どうしてもタイミングが若い二人からワンテンポずつ遅れてしまう。結局、シドとポチがぶつかったあとで、二階堂氏がふたりに体当たりするという動作が、数回繰り返された。

 シドの体力は眼を見張るものがあった。あれだけ頑丈な扉も、しだいにメシメシと軋みだした。

「じいさん。あんた、もういいよ」と、ポチが叫んだ。扉に体当たりするだけでも身体じゅうが悲鳴をあげているのに、そのあとでさらに老人がぶつかってくるのだからたまらない。

「いえいえ、わたくしめも微力ながら、お手伝いさせていただきます」

 必死になっている二階堂氏は、聞く耳持たずであった。あきらめてポチは体当たりに専念することにした。

「もうすぐだ、がんばれ」と、シドが声を荒げた。

 七回目の試みで、頑丈な扉がついに破壊された。勢い余って、シドとポチは室内につんのめった。シドがまず先に倒れこみ、ポチはかろうじて踏ん張ったのだが、あとからタイミングがずれてぶつかってきた二階堂氏の体当たりにあっけなく押されて、ポチと二階堂氏はもつれ合ったまま、うつぶせのシドの上に重なるように倒れ込んだ。

「痛ててて」

 暗闇で一番下敷きになってしまったシドが、うめき声をあげている。

「これは申し訳ございません。すぐに灯りをつけますから」

 ふたりの上にのっかっていた二階堂氏がやっとのことで起き上がると、壊れた扉の横壁にあるスイッチを手探りで探し当て、右手人差し指でスイッチを押した。ようやく、書斎の中が明るく照らされた。


 ほぼ同時に三人は息をのむこととなった。広い書斎の正面奥には、暖炉があった。大理石でつくられたマントルピースの両サイドの土台は、こちらに向かって大きくせり出していた。そのせり出した大理石を枕にして、青年医師ドクが仰向けになって倒れていた。二重あごの口をポカンと大きくあけ、両眼は眼鏡越しに天井を睨みつけていた。頭部から流れ出たひと筋の血が、白い大理石に茶色くこびり付いていた。

 ポチが倒れているドクに近づこうとしたので、シドがあわてて大声をあげた。

「おい、チビ――。勝手に動くな」

 ポチは、ビクッと肩を震わせて一旦は立ち止まったが、やがて、ドクを指差すと「このままじゃ埒があかないだろう。こいつは事件なんだ。おそらく、この先生はもう仏さんになっちまっているぜ」と、説き伏せるようにいった。

「扉には内側から差し込みボルト錠がかけられていたんだ。だから、これからの行動は極めて慎重に行う必要がある」と、シドは全く譲らない。

 それを見ていた二階堂氏が、「シド様のおっしゃりたいのは、三人が勝手に行動すると事件の重要な手がかりをうっかり隠滅させてしまう懸念があるということですね。どうでしょう? これからの調査では、誰かひとりが物を調べて、他のふたりがその人を監視するようにしたらいかがでしょう」と提案した。ポチとシドは即座にこれに同意した。

 書斎は一階の大広間と同じく、ひときわ広い部屋だった。何事も見透かすまいと、シドは周囲に全神経をそそいだ。

 上に視線を向ければ、天井は異常な高さで、そこには豪華なシャンデリアがポツンと灯っていた。天井の一角には空調設備の通気口が開いていたが、そこには金網ががっしりとはめ込んであった。

 室内には様々な調度品が置かれていた。部屋の一番奥には、こげ茶のマホガニー材でつくられたクラッシックな書き物机があった。暖炉のマントルピースの上には、ひとりの美しい少女の色あせた肖像写真が飾られている。中央には談話をするためのテーブルがあり、ソファーがふたつテーブルを囲んで向かい合っていた。それぞれのソファーの前にグラスがひとつずつ置かれ、それからふたがあけられた高級ウイスキーのボトルと、金属製の氷入れと氷挟みがのっていた。断熱効果のある氷入れの中には、透きとおった氷の大きな固まりがいくらか残っていた。グラスのひとつは横に倒されて、琥珀色の液体がこぼれて散乱していた。もうひとつのグラスはきちんと立ったままで、琥珀色の中身はそのまま残っていたのだが、氷はほとんど解けてしまっていて、わずかにかけらが浮かんでいた。さらに、テーブルの上には奇妙な形をしたうす緑色の陶器が置いてあり、中から細いひとすじの煙が出ていた。

「香を炊いているのか……。どおりでさっきから香のかおりが、部屋中に漂っているんだ。それにしても、書斎に香とはね」と、シドはひとことぼやくと、倒れているドクに眼を向けた。しかしこの時、ポチがシドの肩をつかんだ。

「まず、俺が確認するよ。あんたは見ていてくれ」

 そういうとポチはドクの傍にひざまずいた。ドクの首筋にそっと右手をかざして脈を調べたあとで、口元に耳を近づけて呼吸を調べたが、

「間違いなく彼は死んでいる。少なくとも死後一時間は経過しているようだが、それ以上詳しくはわからない。俺は専門家ではないんでね」といった。

 続いてシドもドクの遺体を調べたが、結局、ポチの判断に同意した。

「あんたも、確認するかい」

 ポチは老人に眼を向けたが、老人は立ちすくんだまま拒むように手を振った。

「二階堂さん、この建物に外部からの人間が侵入することができますか」と、シドが老人に訊ねると、

「いいえ。さきほど申し上げましたように、午後八時になると、玄関はオートロックがかかりますから、外にいる人が邸内にはいることはできません」

「もっとも、ここは離れ小島だぜ。建物のそとにだって俺たち以外の人間なんていないと思うよ」と、ポチが嫌味を付け加えた。

 次に三人は壊された扉に近づいた。やはり、ポチがシドを押しのけて、最初に倒れている扉に手をかけた。アンティークな丸い形状をした真鍮のドアノブには、鍵穴はついていなかった。そのかわり、ドアノブの下には極太のスライド式の差し込みボルトが設置されていた。ボルトは差し込まれた状態で扉にくっついたまま残っていたが、ボルトを受け止めていた壁のくぼみは、頑強な男たちの体当たりによって、見るも無残に破壊されていた。破壊されたボルトの受け口から斜め上方の壁に、電灯のスイッチがあり、その真横にはインターホンの受話器が吊り下がっていた。さらに壁は、その先で隅につきあたって、東側の壁へとつながっていた。そして、人の背丈よりも高いスチール製の書架が、東側の壁をほぼ全面おおっていた。書架と扉との間隔はそれなりに十分あるので、たとえ本を探している人がいる時に書斎に誰かがはいってきても、扉をぶつけて怪我を負わせてしまうという心配はなかった。

 シドが壁を指差して訊ねた。「あのインターホンは、どことつながっていますか」

「厨房につながっております」

「ほかには?」

「いえ。ほかはどことも」

「そうか。インターホンをつかえば、書斎から厨房へと連絡ができるのか――。二階堂さん、これまでに書斎と何か通話をされませんでしたか」

「ええと、最初はウイスキーグラスと氷を用意するように、そのあとしばらくして、氷が融けてしまったから補充してほしい、といわれました」

「ぜんぶで二回ですね。――誰から?」

「いずれもドク様だったように思いますが」

 シドが念を押した。「二階堂さん、そこはとても重要なことです。本当にドクさんでしたか」

「間違いございません。ドク様でした」と、こんどは、老人は、はっきりと断言した。

「それで、二階堂さんが書斎にグラスを運んだ時には、ふたりともいたのですね?」

「はい」

「時刻は」

「たしか、八時一五分です」

「その時の、ふたりの様子は」

「クリン様とドク様が、テーブルを囲んでソファーに腰かけているのが見えました」

 シドはすぐにふたりの腰かけていた位置関係を老人に確認した。老人の証言によると、テーブルの南側――つまり窓に近い方にドクが座り、北側――すなわち扉に近い方にクリンが座っていたということであった。倒れされていたグラスは、クリンの側に置かれたグラスであった。

「それでは、二回目にドクさんが連絡してきたのは、いつでしたか」

「そうですね……。前の電話から一時間ほど経っていたので、九時十分くらいでございましょうか」

「その時も、あなたがインターホンを受けたのですね」

「そのとおりでございます」

 すると、ポチが興味深げに、「でも追加の氷は、たしかモネちゃんが運んで行ったよね」

「はい。あの時はドク様が、もしモネ様が近くにいるようだったら、彼女に運んできてもらいたい、と仰せになりまして……」

「ふーん、モネちゃんをじきじきにご指名ね……」と、ポチはすこし考え込んでいたが、やがて壊れた扉に眼を向けると、「さてさて、書斎の外部にいる人間が、何らかの手段で、この差し込みボルト錠をおろすことが、物理的に可能だと思うかい」と、シドに訊ねた。

「無理だね」と、シドはあっさり首を横に振った。

「じいさん、扉に妙な細工は施されていないよな」と、ポチが確認すると、

「はい、いったん閉めてしまえば、扉と壁とのあいだには隙間は全くありません。細い紐などを無理やりとおしても、ボルトの重量が重くて、スライドさせることはおよそできませんし、そもそも紐自体が挟まってしまって動かないことでしょう」

「ということは、扉からの出入りは不可能だな。だとすると、窓か?」

「窓から外部のものが出入りすることも不可能だと思います。なぜなら、白雪邸にはベランダがないので、適当な足場がありません。窓ガラスはとても大きくて、つかまることすらできないでしょう。それに、一応ここは二階ということになっていますが、通常の建物の四階に匹敵する高さです」

 二階堂氏の返答はとても簡潔で的確であった。


 ちょうどその時、エレベーターが二階に到着した合図のポーンという音がした。ほどなく、メイド姿のモネが両手に大きな皿を持って現れた。

「あのお、みなさん、どうかなされましたの」

 あどけない声で、モネが訊ねた。

「モネ様、どうかその場にいてください。中には、はいらないように!」と、二階堂氏がいつになく強い語調で命じた。モネは驚いて、書斎の入口から廊下へとあとずさりした。

 シドがモネに近づいていった。

「モネさん。あなた、自分のお部屋にいらしたのではなかったのですか」

 上目づかいにじっとシドを見つめて、モネが静かに答えた。「いいえ、ずっと厨房におりました。でも、変な物音が数回したので、心配になって上がってきました」

「この頑丈な扉をぶっ壊したのだから、さぞ、やかましかっただろうね」とシド。

「いいえ、それほどは」モネはポカンとしていた。

 すると、二階堂氏が、「ああ、白雪邸の一階と二階の間の床には防音材が仕込まれておりまして、下にいる方には、二階の音がよく聞こえなかったのかもしれません」と、説明した。

 不意をついて、ポチが「ところで、じいさん。あんた、モネちゃんが厨房にいたことを、さっきからずっと知っていたんだよね」と、老人をなじった。

「申し訳ありません……。はじめは書斎のおふたりに林檎をお持ちしようと、わたくしが準備をはじめましたが、ちょうどその時、モネ様が厨房にいらしたので、彼女に林檎の皮むきをお願いいたしました。そのあとで、わたくしは書斎にまいりました。しかし、書斎には鍵がかかっておりまして、お呼びしても中から返事もございません。心配になり、シド様に相談持ちかけたしだいでございまして」

 そういうと、二階堂氏は深々と頭を下げた。

「モネさんに心配かけたくなかったというわけか……」と、シドが老人を弁護した。

 モネはこのやり取りを黙って見ていたが、やがて思い出したように、手にしている皿を差し出した。「みなさん、折角ですから、お林檎いかがですか」

 どの林檎も丁寧に皮がむかれて、食べやすい大きさに切ってあった。大皿にめいっぱい盛られているので、かなり多くの林檎がむかれたようであった。

「ひとつ、いただきますよ」

 こんな状況にもかかわらず、ポチはずうずうしく一切れの林檎をつまんだ。

「みなさんもいかがですか」

 モネはにこにこ笑っているが、さすがにシドと二階堂氏は遠慮するしぐさを見せた。

「本当に白くてみずみずしい林檎だね。でも夏なのに林檎があるなんて、不思議だなあ」

 ポチは夢中で、ふた切れ目の林檎をつまんで、むしゃむしゃとほお張っている。

「最近は林檎も貯蔵技術が進歩しまして、一年中取り立てのように新鮮な林檎が楽しめます。お値段は少々お高いのですが、林檎は白雪姫のシンボルでもありますし、ユーノ様のご指示でお取り寄せいたしました」

 二階堂氏がうれしそうに説明した。

「ところで、モネちゃんはいつから台所にいたの」

 さりげなくポチが訊ねたが、シドがそこにわってはいった。

「おいおい。モネさんのことを疑っているのか」

 しかし、モネは何ら悪びれた様子もなく、舌を出して、「はい、二十分ほど前からだと思います。わたしぶきっちょで、林檎の皮をむくだけでとっても時間がかかってしまいますの」といった。

「へえ、二十分ねえ。たしかにこれだけむくとなると、そのくらいの時間が経っていてもおかしくないか――。だけど、どの林檎も全く変色していないね。林檎なんてものは、切ってからある程度時間が経過すると、茶色に変色してしまうものだけど」と、ポチが意地悪そうに質問した。

「二階堂さんからいただいた魔法のお水がありまして、皮をむいた林檎はすぐにその水にひたすんです」

「アスコルビン酸ナトリウムの溶液でございます。林檎の酸化防止に効果があります」と、二階堂氏が補足した。

「モネさん、ここに来るまでに、クリンさんやココさんに出会いませんでしたか」と、こんどはシドが訊ねた。

「いいえ、誰とも……」

 シドはモネにすこしずつ近づいていった。やがて、彼女の前にたどり着くと、恥ずかしそうに眼を伏せながら、「あのお、ところでモネさん。いいにくいことですが、お洋服の、その……、襟元が少々はだけているのが、さっきから気になっていまして」と指摘した。

 モネのブラウスの襟元から胸元にいたるまでの三つのボタンが全部はずれていた。きめの細かい色白の地肌と、かわいらしい形をした鎖骨が、もろに露出していた。

「あら、まあ」

 モネはひどく驚いた様子だった。胸元を手でおおって、あわててボタンをはめると、頬を林檎のように赤らめた。

「ひょっとして、お気づきではなかったのですか」

「はい、全然……。もう大丈夫です。いつのまにこんなことに」

 ようやく落ち着きを取り戻したモネを見て、シドはにっこりと笑った。

 すると突然、ポチが「とにかく、窓から順番に調べてみようぜ。おーい、マッチョのあんちゃん。あんたとじいさんで見てきてくれ」と、シドに指図をしてきた。

 お前がやればいいじゃないか、といい返したくなる気持ちをぐっとこらえて、シドはゆっくりと窓に近づいた。二階堂氏もいっしょについていく。

 モネが心配そうに部屋の中をのぞき込んで、「みなさん、いったいどうされたのですか」と訊ねた。しかしそのあとで、倒れているドクを発見すると、モネはへなへなとその場に座り込んでしまった。手にしていた皿の林檎は、絨毯の上にぶちまけられた。

「ほらほら、いわんこっちゃない。モネちゃん、おい、大丈夫か」

 ポチがあわててモネに近づくと、すぐにモネは意識を取り戻した。

「ごめんなさい。今の――、ドクさん? いったい何が……」

 ポチが事のしだいを説明すると、ちょうどシドと二階堂氏が戻ってきた。

「この部屋には三つ窓があったけど、全てが内側から三日月型鍵がかかっていたよ。さらに三日月型鍵を固定するためにスライドさせる金具もついていたけど、それも閉まっていた。つまり、どの窓も、完璧に二重ロックがされていたということだ。それに、さっき二階堂さんがいったように、窓をつたってこの部屋にはいることなど、とてもできないよ」

「この部屋にほかに秘密の出入り口なんてものはないよね。天井や床から出入りできるとか」と、念をいれてポチが確認を取ると、「ございません」と、二階堂氏がきっぱりと断言した。

「ということは、この部屋は完全な密室だということだ!」

 丸太のような太い腕を組んで、シドは力強く主張した。

「それでは、どのように犯行が行われたのでしょうか」と、モネが問いかけると、ポチが、

「ひょっとしたら、犯行なんてなかったのかもしれない。ドクは酒に酔っぱらって、勝手にボルト錠をおろしたあとで、足を滑らせて大理石に後頭部をぶつけただけかもしれないね。とにかく、もう一度仏さんを調べてみよう」と、独自の見解を述べた。

 シドとポチのふたりが手分けして、ドクの遺体を調べた。

「後頭部のほかには、特に外傷はなさそうだな。もっとも、こいつを裸にしてみなきゃ、断言はできないが」

「毒殺の可能性は」とモネ。

「何か薬を飲まされていることもありうるけども、今ここでは確認できないな」と、ポチがいった。

 二階堂氏が、「ドク様の持ち物を並べてみました」と、トレイの上に並べた遺留品を見せた。

 遺留品は全てドクの衣類のポケットから見つかったものだ。大きな蛇皮の財布の中身は、一万円札が六枚と現金が少々、それに四種類のクレジットカードがはいっていた。そのほかには、くしゃくしゃに丸められたタオルハンカチ、携帯電話と運転免許証に名刺入れ、『太陽』と刻まれた金庫の鍵などがあった。

「本名は松村まつむら誠二せいじ――。生年月日から、年齢は三十二歳だとわかる。住所は神奈川県の川崎市宮前区だ。松村内科クリニックか。医者というのは本当だったんだな。おや? 免許証の名前は川本かわもと誠二になっている。交付は四年前か……。どうやら婿さんってことだな、やっこさんは――」と、ポチが推論した。

「このメモリースティックは?」

 モネが指差すと、ポチの眼が光った。「ちょっと、失礼――」

 ポチはメモリースティックを手にすると、書き物机に近づいていった。机の上にはノートブックのパソコンが置いてある。

「マッキントッシュか……」

 林檎のロゴマークのふたを開いて、ポチは電源を入れた。スティックを差し込んでホルダーを表示すると、中にはたったひとつだけファイルがはいっていた。ファイル名は『Secret of Skull』となっていた。ファイルをクリックすると、表形式のデータが画面に現れた。

 ポチが叫んだ。「なんだ、これは……。人の名前と性別、年齢、連絡先に、特定の日にちとコメントが書かれている。それにしても、膨大な数のデータだな。急性胃腸炎――? 処方薬、クラビットとラックビー……とね。これって診療患者のデータじゃないの?」

「ドクは医者だから、カルテの個人情報を携帯していても不思議じゃなかろう」と、シドが口をはさんだ。

「それにしても、中には、公開されると患者が困りそうな症状もはいっているぜ」と、ポチはうれしそうにいった。

 シドは書斎の奥の壁を指差して、「ところで、二階堂さん。今、気づいたのですが、あれはなんですか?」と訊ねた。シドの視線の先には小さな扉があった。

「ああ、あれは暗室への扉です。その壁の向こうは、写した写真を現像するための暗室があります」

「その暗室から部屋の外部に脱出することは?」

「それはできません。暗室にはその扉のほかに出入り口はございませんから」

 シドとポチはお互いに顔をみ合わせた。

「あけて見てもいいですか?」と、シドが訊ねた。

「どうぞ、おかまいなく」

 シドとポチはいっしょに暗室へ通じる扉に近づくと、シドがノブに手をかけた。扉はあっさりとあいた。シドが中をのぞき込む。しかし、すぐにシドの顔色が急変した。

「大変だ。クリンが、ここに倒れているぞ!」

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