3.六人の泊まり客
大広間には、白雪邸の泊まり客が全員集っていた。小生意気なポチ、デブでだらしないドク、のほかに、さらに三人の男女がそこにはいた。
ひとりは色黒のスキンヘッドで、ずる賢そうな顔をした、やせ男だ。シドよりもすこし年上のように見える。
そのスキンヘッドが、さっきからべたべたと寄り添っているのが、メイド姿をした娘だった。品のよさそうな小顔の美人で、明らかにほかの泊り客よりもひときわ輝いていた。長い髪は明るいミルク紅茶色に染められていて、表情はまだあどけなかった。ひょっとしたら十代なのかもしれないぞ、とシドは思った。それにしても、なぜコスプレ紛いのゴシックなメイドの衣装などを身にまとっているのだろう。
そして、最後のひとりは、ショートボブカットのすらりとした女だった。メイド姿の娘と比べると、じみなメイクで無表情だが、どこか知的な雰囲気をかもし出している。彼女は、ひとりだけすこし離れた所で熱心に文庫本を読んでいた。
スキンヘッドがシドに気づいて、傍にやってきた。
「やあ、あなたがシドさんですね。クリンです。その名のとおり、リアルでも禿げ頭なんですよ」そういうと、スキンヘッドは不ぞろいの歯を見せて笑った。「これでもまだ歳は二十九なんやけどね」
クリンはシドに握手を求めてきた。両耳には髑髏をかたどった金色の大きなピアスが光っていた。クリンとは人気少年漫画雑誌のドラゴンゼットに登場するスキンヘッドのユニークキャラの名前である。シドが右手を差し出すと、クリンはあいさつ代わりのつもりか、渾身の力を込めて握ってきたので、シドも遠慮なく握り返した。
「そちらの女性がココさん。私立高校の先生をされているそうです。それから、こちらのメイド服のお嬢さんがモネさん。本業はなんとネットアイドルだそうですよ」
シドから握り返された右手を痛そうに振りながら、クリンはふたりを紹介した。ココは、一瞬、シドに目を配ったが、かすかに頭をさげただけで、ふたたび本を読み出した。
メイド服の娘は、アンティークなひじかけ椅子から立ちあがると、両手を前に組みながら端正な足どりで、ゆっくりとシドの方に近づいてきた。シドはドキッとした。
「はじめまして、シドさん」と、娘はかわいらしいアニメ声を出して、にっこりほほえむと、品よく頭を下げた。「モネと申します。ネットのブログでも白雪萌音の名前で活動させていただいております」
そういって、娘はまた椅子に戻っていった。シドの鼻孔には、彼女の身体から放たれた甘酸っぱくてやわらかな香水の匂いが、ふっと薫ってきた。
わきからなれなれしく、「ねえねえ、モネちゃん。ネットアイドルって、いつもは何をしているの」と、ポチが訊ねた。
「はい。某プロダクション会社に所属していて、ふだんはインターネットでブログを更新したりします。時々、写真会のモデルやイベントのコンパニオンなどのお仕事をいただけることもありますよ」と、娘はかすかに首をかしげながら、にっこりとほほえんだ。
「いやはや、まだお若いのにしゃべりかたがしっかりされてみえるよね」と、クリンが感心してうなずいた。
「モネちゃんがこんなかわいいアイドルだって知っていたら、もっとゲームの中でいろいろ教えてあげたのになあ。これからもよろしくね」ポチはうれしそうに鼻を伸ばしっぱなしだ。
「そうですね。わたしゲームの中では、ユーノさんにしか、自分のお仕事のことは話さなかったように思います」といって、モネは細い両肩をさらにすぼめた。
ふたり分のスペースを確保してソファーを陣取っていたドクは、さっきから会話には無関心なそぶりを貫いていたが、白雪萌音のことは相当気になるらしく、横目づかいにモネを絶えず観察していた。下心まる出しだな、とシドは腹の底で思った。
「ええと、スカル様がお見えにならないので、あとはユーノ様がいらっしゃれば、全員おそろいということですね」と、二階堂氏がにこにこしながらいった。
「えっ、大地の間の泊まり客は来ない、ってことなの」と、ココが顔をあげた。「じゃあ、二階堂さん。あたし、今晩から大地の間に泊まってもいいかしら。だって、あたしが泊まった清流の間って、この部屋の隣じゃない。きのうはそこの酔っぱらいがうるさくて、ちっとも眠れなかったんだから」と、ココはクリンを睨んだ。
「さようでございますか。もちろん、かまいませんので、お荷物を大地の間に移動してください」と、老人はいった。
ココはパタンと本を閉じると、満足そうに広間から出て行った。
ポチが老人に眼を向けた。「二階堂のじいさんは、ユーノに会ったことあるの」
「はい、ございます」
「で、どんなひと、ユーノって」
「ユーノ様は、お若くてとても聡明なお嬢様でございます。まだ、三十前だと思いますが、ビジネスで成功をおさめられていて、ゲームはその合間になされているとおっしゃっていました」
すると、シドが恥ずかしそうに顔を赤らめながら、「どうでもいいことなんですが、あのお……、美人ですか」と訊ねた。
二階堂氏は優しくほほえんで、「はい、細身で背が高い美人でございますよ。それでは、わたくしはみな様のお食事の準備をいたしますので」と答えた。
「じゃあ、わたしもおじいさんのお手伝をします」と、メイド服のモネが、老人のあとをついていった。
結局、広間にはシド、クリン、ポチ、ドクの、男四人が残された。
ため息を吐いてポチが、「ちょっと、やばくない? モネちゃん、かわい過ぎるよな」と呟くと、
「ポチ君もそう思うん? 俺も全く同感やで」とクリン。
シドは自分自身に語りかけるように、「たしかに、モネさんは若くてきれいだけど、俺はユーノさんに期待をしたいね」といった。それを聞いたクリンがあざ笑って、
「憐れやな。ユーノが美人だといったのは、かのご老体だけやで。果たして、信用できるんか」
「俺も、クリンに賛成。ヴァーチャルのユーノより、リアルのモネちゃんだよ」と、ポチもクリンに同意した。
「ふん、軽率なお前らがつくづくうらやましいね」と、シドが反発した。
すると、ずっと黙っていたドクが、突然、わめき出した。「なんだ、ここは。携帯が全然かからないぞ」
「ここは本土から遠くはなれた離島やで。携帯やネットはつながらんよ」とクリン。
「じゃあ、本土との交信はどうやって?」
「固定用の電話回線が海底をとおしてつながっているらしいに。だから、何か起こった時には、きちんと本土に連絡ができるそうや」
クリンの説明に納得して、ドクはおとなしく引き下がった。
あらしはますますひどくなってきた。荒れ狂う海の波しぶきとつむじ風が奏でる轟音が、白雪邸の奥底まで響きわたっていた。
大広間におかれた大きな鳩時計が午後六時を指した。天窓から瑠璃色のカッコウがとび出して、クックウ、クックウ……、と不気味な鳴き声を六回発して、時を告げた。宿泊客全員が食堂に集まって、その日の晩餐が催された。
しばらく食事が進んだとこで、給仕をしていた二階堂氏が、前に一歩踏み出して発言した。
「みな様に残念なことをお伝えせねばなりません。夕刻に見えるご予定のユーノ様ですが、海が荒れていてどうしてもこちらに来ることができないとのご連絡が、先ほどございました」
「ええっ、それじゃあ、なんのためにここに来たのか……」と、シドは呆然としていた。
「そうですか。残念やな」と、クリンもがっかりした様子である。
「まあ、いいじゃない。ユーノが来なくても、ここにはモネちゃんがいることだし」と、ポチは全く動じていなかった。
「あたしもユーノさんには、ぜひお会いしたかったのに」と、ココは残念そうに呟いた。
「そうだよ。ユーノさんがいなきゃ、このオフ会も無意味じゃないか」
ドクは再び怒りをあらわにしていた。
「ユーノさんは、天候がおだやかになれば、きっと見えるとわたしは思います」
一同を励ますようにモネがそう断言すると、それを聞いた二階堂氏は会釈をして、
「さあさあ、みな様、ごちそうが冷めてしまいますよ」と、おいしそうに並んだ料理を、客たちに勧めた。
食事は、それは申し分のないものであった。気が付くと、全員が無言で、料理に舌つづみを打っていた。
「あれれ、モネさんは左利きなのですね」
ひとりだけ左手で食事をとっているモネに気づいて、ドクが訊ねた。
「はい、ちいさい時からわたし、ずっと左利きです」と、申しわけなさそうにモネが小声で答えた。そのかわいらしい返事を確認すると、ドクはうれしそうに右手中指を伸ばして、ずり落ちた眼鏡を持ち上げた。
やがて、ポチがポツリと口ずさんだ。
「主催者だけがやって来ないか……。まるで、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』だな」
テーブルに腰かけた五人の男女の視線が、いっせいにポチに集中した。
「そういえば、玄関ホールにある白雪姫と七人のこびとの彫像も、クリスティの小説とよく似ている」と、ドクも同意した。
「まさか、悪い冗談やに」
そういいながらも、クリンの肩は小刻みに震えていた。
「でも、あたしたち泊り客は六人でしょ」と、ココがすまし顔で答えた。それを聞いたクリンは、ほっとしたように、
「つまり、あの彫像の白雪姫が、さしずめユーノ自身であると想定しても、実際にこびとは七人いたのに、ここにいる泊り客は六人しかいないから、関係はないということか」と、胸をなでおろした。
「でも、スカルさんって方が、来ていないのですよね」と、モネが不安そうな表情をすると、
「そうだ。来ていないことになっているスカルが、実は邸内に潜んでいてぼくたちを監視している、なんて可能性はないだろうか」と、興奮気味のドクが叫んだ。
すると、ポチがいたずらっぽくまわりを見まわして、「そんなややこしいことを考えずとも、二階堂のじいさんを加えれば、われらはぴったり七人になっているぜ」といった。
ただひとり、シドだけがきょとんとしていた。「その、仮に泊り客とこびとの人数が同じだったとして、いったいそれがなんの問題になるんだ」
さっそく、ポチが小ばかにするように、「なんだよ。その年にもなって『そして誰もいなくなった』を知らないのかい」と、挑発してきた。
「悪かったな。俺は読書とか、そういった面倒くさいことはきらいなんだ」
真っ赤になったシドを気づかって、クリンがあわてて、「離れ小島に招待された十人の客が、童謡になぞられてひとりずつ殺されていくって話や」と、説明した。
さらに、ドクが付け足した。「その時に、客を招待した島の主人が姿を見せなかったんだ。たしか、オーエン氏とかいったよね」
「そうそう、U.N.オーエン『Owen』氏――。裏の意味は、アン・ノウン『unknown』。すなわち、どこの誰とも分からぬ人物、という意味だったな」と、ポチがうなずいた。
「おい、ひょっとして、ユーノ『Uno』って、いい換えると、アン・ノウンということにならないか」
ドクとポチが顔を見合わせた直後のことだった。女のヒステリックな悲鳴が聞こえた。声の方向を見ると、モネがテーブルにうずくまっていた。
モネの隣に腰かけていたクリンが、くたっとなった細身の身体を抱き上げた。「お嬢さん、おちついて。彼らのしとった今の話は、ほんの冗談ですよ」
驚いて椅子から立ち上がったものも何人かいたが、すぐにモネが意識を取り戻した。
「すみません。わたし昔から、ささいなことで気を失うことが多くて」
うつろな瞳で、モネがみなに陳謝した。
「まあ、とにかく、何もなくてよかったわ」と、ココがため息をついた。
「まさか、ユーノさんに限って、そんなことは考えられないね」
真っ先に椅子に腰をおろしたシドが、うまそうに子羊肉をほお張った。
食堂での晩餐のあと、泊り客たちは広間に場所を移してくつろいでいた。彼らの話題は、もっぱら、ゲームでの思い出や、ユーノの人物像などであったが、やがて、それぞれの身の上ばなしへと進展していった。
ポチがドクの顔をのぞき込んだ。「へー、デブのにいちゃんは、お医者さんなんだ」
「ゲームのお名前、そのままですね」とココ。
「はい。たいして考えずに、そのままつけてしまいました。義理の父がクリニックを開業していて、半人前ですがそちらでどうにか働かせてもらっています」と、顔を赤らめたドクが答えた。
皮肉っぽい口調で、クリンがいった。「将来は院長さんか。半人前といっても医者は医者。収入は俺たちとは比べものにならんのだろうね」
「ココさんは学校の先生だと、うかがいましたが」
シドが話題を振ると、
「はい、私立タカバタ高校で数学を教えています」
その時、ココは右手に鉛筆、左手に八十一マスの数字パズルの本を持っていた。
「高畠――。三重ナンバーワンの進学校じゃないの。そんな所に通う先生が、夜中にオンラインゲームに興じているとは、ちょっと不似合だね」
ポチが茶茶を入れると、
「誰だって息抜きは必要です」と、ココはさりげなくかわした。
ポチも負けていない。「かくいう俺も、これで東洋学園出身なんだけど。名古屋の私立高で、まあいうなれば、高畠とはライバル関係だよね」
クリンがドクに視線を振って、「じゃあ、ドクさんもお医者さんなのやから、さぞかし有名な高校の出身でしょうな」と、皮肉ると、
「ぼくは、普通の県立高卒です。残念ながら」と、ドクは悔しそうにうつむいた。
モネが興味深げに、「シドさんのお仕事は」と、訊いてきた。
「警備員です」
「あはっ。まさに体格そのままやね」と、クリンが横やりをいれた。
「考えることは苦手なので」と、シドが弁解すると、
「俺も、努力することがむかしから苦手なんだよなあ」とポチ。
こんどはドクが質問した。「クリンさんのご職業は」
「フリーターってやつですかね。まあ、その日暮らしのプー太郎ってやつやな」
笑いながらクリンが答えると、またもやポチが、「銭がかせげないのなら、オンラインゲームなんかしている暇はないんじゃないの」と、生意気な台詞を吐いた。
「コンピュータは上手に使えば、時には利益を生み出すものやに」
「パチンコよりも、ネット株をしたほうが儲かるとか」
「まあ、そんな所やね」とクリン。
「ネットといえば、ネットアイドルのモネさんは、かなり稼いでいそうだなあ」と、ドクがモネに横目を向けると、
「いいえ、収入なんてほとんどありませんよ。でも、こうしているうちにすこしでも有名になれるのなら、と思って一生懸命頑張っています」
口元で軽くこぶしを握りしめながら、モネがほほえんだ。
しばらくすると、左手にはめた高級腕時計を見つめながら、ドクが「ちょっと、トイレに行ってきます」と告げて、立ち去った。
ドクが出ていくと、ポチがほくそ笑んだ。「わざわざ、トイレにいってきます、だってさ。あいつ、かなりのお坊ちゃまだな」
すると、こんどはクリンが「では、自分も部屋に戻るとしますか」といって、部屋から出ていった。時刻は午後八時をすこしだけまわった頃であったが、そのあと、いくら待っていてもドクは戻っては来なかった。それからしばらくして、二階堂老人が、厨房からエレベーターに向かって、廊下を歩いていくのが見えた。大広間の扉は、常にあけっ放しだ。視力に自信のあるシドは、老人が運ぶトレイに、ウイスキーグラスとアイスボックスがのせられているのを、しっかりと確認した。
その後も、広間では、シド、ポチ、モネ、ココの四人の会話が弾んでいた。まずポチがオンラインゲーム『永遠の剣』の中でのエピソードを切り出した。
「キマイラ洞窟にみんなで行ったこと覚えているかい」
ココがあきれたそぶりをしながら、「あの時は大変だったわね。みんな自分勝手だったし」と答えた。
「ええと、誰がいたかな。魔法戦士のココ姉と、白魔術師のユーノ、黒魔術師のドクに、そうそう、ばか強い戦士のシド。そういえば、シドのキャラって、リアルとそのままじゃんか。ははは」
そういって、ポチは腹を抱えて笑いだした。
「悪かったな。どうせ不器用だよ。俺は――」
「いやいや、ごめんよ。本音をいうと、すごく頼りにしているよ。あんたの強さは半端じゃないからね」
「ポチ君は吟遊詩人だったわね。あの洞窟でも、モンスターを錯乱させたりして、とっても要領よかったわよ」
ダイエットコーラを口にしながらココが、ポチをほめた。
「俺は肉体労働よりも頭脳労働のほうが得意なんでね。そういえば同じ戦士でも、モネちゃんはいつでもすぐに死んじゃっていたね?」と、ポチは申し訳なさそうに、くすくすと笑った。
すると、モネはうれしそうな顔で「はい、そのたびにユーノさんに生き返らせてもらっていました。たしか、あの時は四回も死にましたよね。でも、とても楽しかったです。わたしひとりでは、あんな奥深くまで行くことはとてもできませんもの。ずっとわくわくでした」と答えた。
「ユーノは白魔術で死人を生き返らせることができるからな」
「本当にユーノさんっていつも親切なんですよ。今回の旅行もユーノさんが直々に誘ってくださったんです」
「へー。ゲームの中で?」
「はい。ユーノさんは、『オフ会を予定しているんだけど、もし開催することができたら、モネさん、参加してくれる?』って……。わたし即答でOKしちゃいました」そういうと、モネはあどけなく笑った。
「まあ、ユーノが親切なのは、モネちゃんに限ったことではないけどね」と、ポチも認めた。
こんどはココが、「あの時は、ほかに誰がいたかしらね」と、首をかしげた。
「あとはスカルだ。ほら、トレジャーハンターの」思い出したようにシドが答えた。
それを聞いて、ポチが愚痴った。「ああ、そうそう。何も戦わないスカル様。あいつがいないと、宝箱の罠が解除できないからな。仲間に悟られずに、スカルだけが宝箱の中身を、真っ先に確認できるんだ。お宝はあとで公平に山分けするっていっているけど、きっといい品物だけを、こっそりとくすねているんだぜ。あいつは。
ユーノも甘いよな。やっこさんの不正を知りながら、見逃してやっているのだから」
「そこがユーノさんなのよ」と、感心するようにココがいうと、
「たしかに、俺もスカルってやろうは、あまり好きじゃなかったな」と、シドがポチに賛同した。
モネが一同を見まわした。「あのお、さきほど見えたクリンさんって、ゲームの中ではどんな方ですの」
「なんだ、モネちゃん。クリンに会ったことなかったのか」
「ええ。わたし、はじめてから間がないので……」
「そうだったね。クリンは鍛冶屋さ。武器とか、防具とか、そのほかいろいろなすぐれたアイテムを作り出すことができる職業だよ。俺たちもクリンにはいつも世話になっている」
「どんなふうにですか」
「ええとね。武器とか防具って、使っているうちにだんだんぼろくなっていくだろ。腕のいい鍛冶屋は、ぼろくなったアイテムの修繕ができるんだ。例えば、切れ味が悪くなった剣をクリンに渡せば、それを新品同様にしてくれる。俺たちはそのお礼に、修繕の代金を払うのさ」
「あの、ゲームの持ち物って、どうやったら相手に手渡せるのですか」と、モネがきょとんとしながら訊ねてきたので、
「そっか、それも知らないんだね。アイテムを渡したい相手のプロフィール画面を選択すると、中に握手をしている図柄のアイコンが表示される。それをクリックすれば、トレーディング・モードの画面が開かれる。そうすると、お互いの持ち物を交換しあうことができるようになるんだ」
「そうなんですか。ちっとも知らなかったです」と、モネは大真面目だった。
「モネちゃんは欲がないね」と、ポチはあきれていた。「鍛冶屋は冒険には不向きだから、キマイラ洞窟探検の時には、たしかクリンはいなかったよ」
「じゃあ、クリンさんは、冒険が全くできないのですか。それだと、ゲームがあまり面白くないのではありませんか」
「まあ、その人なりの楽しみがあるんだよ。クリンの場合は、人に奉仕しながらゴールドを稼いでいくのが楽しみなのさ」と、シドが説明すると、ポチがにやりと笑った。
「実際、あいつは貯め込んだゴールドを使って、ゲームの中で土地を転がして、俺たちが想像を絶するほどの大金を稼ぎまくっているんだぜ」
「ゲームのお金なんかいくら貯めたって、なんの役にも立たないじゃない」と、ココが聞き返すと、
「ココ姉、知らないの。今やゲームマネーがネットオークションで売買される時代だよ。リアルマネーを払ってまで、ゲームでのゴールドを欲しがる買い手がいるってことさ」と、ポチがいった。
ココは眼をまるくしながら、あきれかえっていた。「ゲームという仮想世界の中で、ミクロ経済が進展するということなのね」
「そういうこと。案外、フリーターのクリンはこの方法で莫大な生活費を稼いでいるのかもね」
「まさか……」と、思わずシドが真面目顔でのり出してきた。
やがてモネが、「厨房にいってきます」と、ひとこと告げて部屋を出ていった。しばらくすると、軽やかな足取りで、モネが大広間の前の廊下を、こんどはエレベーター方向にとおり過ぎていった。
数分後に二階堂氏が顔をのぞかせ、「モネ様は?」と心配そうに訊ねた。
「さっき、ここから出ていってから、そのまま戻ってこないわよ」と、ココがいうと、
「さようでございますか……」と、老人は小首をかしげて、エレベーターの方へ歩いていった。
シドは提供された上質ワインの酔いがまわってきて、この頃からしだいに細部の記憶があいまいになっていった。
あとでわかったことだが、広間に残った三人のうちで、ワインを飲んでいたのはシドだけで、ほかのふたりはノンアルコール飲料をたしなんでいたとのことであった。
やがて、ココが給仕の呼び鈴を鳴らした。「ちょっとー、二階堂さーん」
一分ほどしてから、二階堂氏が姿を現した。「お呼びでございますか。ココ様」
「眠くなってきたから、そろそろ自室に戻るわ。それから、きのうのあたたかいミルクココアを持ってきてね」
「かしこまりました。すぐにお持ちいたします」
ココは席を立ち、いなくなった。しばらくして、二階堂氏が大きなマグカップをのせたトレイを持って廊下を歩いていったのを、シドはかろうじて覚えていた。
ココが去ってどのくらいたったであろうか。
気がつくとシドは、ソファーの上で寝ころんでいた。ポチの姿は、いつの間にか広間から消えていた。
不意をついて、あの不気味な鳩時計のふいご音が響きわたった。
――クックウ、クックウ、クックウ、……
驚いたシドが時刻を確認すると、針は十一時を指していた。