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第二話 第七章 緑の丘

 どこだか分からない、どこかの場所

 仰向けに倒れ、俺はまぶたを閉じていた。

 若草のチクチクとした感触が背中をくすぐっている。

 静かなそよ風が頬を、腕をなで、軽く汗ばんだ肌を冷やすその感覚が頭に心地良い。

 俺は体を、五感すべてを、ともすれば心でさえも世界に預けていた。……それは不思議な心地良さだった。背中に感じる重みを通じて世界につながっているような、そんな感覚。

 どこかもわからないこの奇妙な空間の中で、俺はただ一人世界につながっていた。


 ……奇妙な空間?

 待てよ、ここはどこなんだ?

「ん、ぅーん……」

 眼を開け、辺りを見回す。――一気に眼に原色の嵐が襲ってきた。

 緑の草原。青の空には白い雲が塗りたくられたペンキのように浮かんでいた。

 一瞬、あの二見山、もしくは日本のどこかかとも思ったが、直ぐに心がそれを否定した。いや、もはや地球上のどこでも無いだろう。余りにも風景の『色』が強すぎる。幼稚園児に配色をさせたかのようにその色はドギツく、原色のままであった。

 本来ならばこの草も地球の言葉で言えば若緑などの表現があるだろうが、この草はただ緑としかいいようがない。

「……目が覚めたか?」

 不意に後ろから、風鈴のように涼し気な女性の声が聞こえてきた。

 釣られるように振り返ると――

「ドラ、クール……?」

 ――ワンピース姿のドラクールが流れるような黒髪を風に遊ばせ、何処か遠くを見つめて俺の隣に座っていた。

「何で、お前がここにいるんだ? てか、ここはどこなんだ!?」

「……その二つの質問に対する答えは一つでいいだろう。ここは私の精神世界だ」

「お前の精神世界?」

 思わず辺りを見回してしまう。この原色の暴力みたいな景色がお前の精神世界だってのか?

「ここは……私が生まれ、育ち、そして見限った世界、アルマティアなのだ」

「じゃあ、ここがお前の生まれ故郷っていうことか?」

「そうだ。既に思い出の中でしか存在のしない、亡郷になってしまったがな」

 ドラクールは俺の方を見ることもなく、どこか懐かしむ眼で遠くを見つめ続けている。

「……あれ、じゃあ俺はどうしてここにいるんだ? さっきまで氷川と戦っていたはずなのに」

「……おそらく、水分がすべて凍結してしまったからではないかと思う。本来なら水分がなくなれば憑着が解除される所だが、今回はまだ氷という形で存在している為にまだ解除されず、お前は私の精神世界に飛ばされたということではないか……と私は思う」

 なるほど、まだ憑着が解除されるというわけではないのか。

「安心はできんぞ。いつ私たちの体がアイツに粉々にされるか分かったものではないのだからな」

 目線だけこちらを向けたドラクールが釘をさすかのように注意してきた。



「それにしても……」

 不意にドラクールがポツリと呟いた。

「よもや、お前がここにまで来てしまうとはな」

「……何だよ。なにか不都合な事でもあるのか?」

 俺のその質問にフ、と笑いを返す。

「そういうことではない。単純な私のエゴだ」

「エゴ……?」

「そう、エゴだ。自分の目的にとらわれすぎた醜くドス黒いエゴだ」

 そういうとドラクールはポツリ、ポツリと話し始めた。

「……ここはな、我らの一族が住んでいた地『龍顎の(エンレージヴァレー)』なのだよ。アルマティアでも一二を争うほどの名所だったよ。春には色とりどりの花が咲き乱れ、夏は緑の草木がその葉を広げる。秋には紅葉が山を彩り、冬には白の雪景色が丘を覆う。幼い私はそのどれもが大好きだった」

 見回すかのように景色を見やり、そしてその唇に微笑を浮かべる。

「へえ、お前にもそういう時期があったんだな」

「何を馬鹿なことを……無論、私だけではなかったぞ。母様も父様も……兄様も皆この丘を愛していた」

 俺の質問に呆れたような顔で返答すると、不意にその表情を機械の様な無機質なものに変えた。

「だが……」

 突然、俺達がいる丘の景色が急変した。

 大地に生えていた緑の草がまるで枯れ果てたかのように黒に変色し、空は穴があいたかのようにポッカリと黒に染まっていた。

 ――そこには先程までの原色の彩りなど何処にも存在していなかった。ただ、一面に塗り尽くされた圧倒的な『黒』。それ以外の色という色は完全に排斥され、消え失せていた。

「奴らは……ライナス帝国はそれを"塗りつぶした"」

 遠くにそびえ立つ山が音を立てて崩れ去った。巨大な其れが崩壊するその姿は、さながら世界の終わりを見ているかのようだった。

 ……いや、違う。これは文字通り『終わり』だ。俺は今、ドラクールの世界の終わりを見ているんだ。

「アルマティア最強の種族、ドラゴン……そんな言葉も多勢の前では無力だった。母様も父様も、一族の皆が死んでしまった。兄様も、逃げる私を追手からかばって…………」

 俯くドラクールの表情は髪に隠れてしまい、俺からはその顔を見ることは叶わない。だがそのドラクールの声もまた、この風景と同様、どの感情にも染まることのない、憎しみの『黒』に染まっていた。


「この地も既に存在しない。時空間の中に消滅してしまった。私はライナスの追手から逃れる為にこの世界に逃げ、そして……」

 ドラクールが顔を上げ、俺の方を向いた。

「……お前に出会った」

 そう告げるドラクールに対し、俺はその顔を見ることができなかった。……ただ、今のドラクールに顔を合わせるのが怖かった。

「分かったか? 私がライナス帝国を恨んでいるその理由を、身を持って」

 俺は顔を俯けたまま、それを動かすことができない。

「私は未だにこの光景を忘れることができない。無論、ライナス帝国に対する憎しみもだ。…………きっと、彼らの全ての息の根を止めるまで私のこの感情は消えることはないのだろう」

 そう言うとドラクールは話は終わったとばかりにその場に屈みこんだ。


「……嫌悪したか?」

「……何を?」

 唐突の質問の前に、否定するにも肯定するにも言葉が見つからず、ただ質問を返すことしかできない。

「はぐらかすな。生の感情を剥き出しにされて何も思わないほどお前は無感情な人間ではないだろう。まして、それがドス黒い憎しみのようなものであったなら……嫌悪するのが普通だ」

 俺の心を見透かすかのように、ドラクールは尋ねる。だが、それは答えを求めるようなものではなく、寧ろ……『自分を嫌ってくれ』と願っているようでもあった。

「あの山でお前が私に言ってくれた言葉。正直言って、嬉しかった。私と戦ってくれると言う言葉がどれだけ私の救いになったことか……。だが、それと同時に心のなかに暗い微笑を浮かべた私が居ることに気づいた。これでまたライナスへの復讐を続けられる、とな」

 両腕を胸に重ね、独白を続ける。

「私は結局、お前を利用しているだけなのかもしれない。本来ならばあの時だって突然居なくなったりせずに、お前にキチンと話をするべきだった。しかし私は逃げることしかできなかった。……お前なら探してくれるなんて都合のいいことを考えながらな……」

 言いながら、段々ドラクールの声が震えてくる。見ればその体は溢れ出る感情を抑えつけるかのように、ガクガクと震えていた。



「だから………………だから!」

 突然、押えきれなくなったかのようにドラクールは大声を上げた。思わずうつむけていた顔をあげると、視線の先にあるドラクールの眼には、今にも溢れんばかりの涙を湛えていた。

「……だから、やっぱり私にはお前と共に戦う資格なんかないのかもしれない。お前が善意で戦ってくれるのに、私はそれを利用することしか考えていない。……そうして結局お前は今、命の危機に瀕している」

 力なく首を振ると、その両目から硝子玉のような水滴がこぼれ落ちた。

「今、この瞬間にも、お前が私のエゴで死んでしまうかもしれない……そう思うと……心が押しつぶされそうなんだ……怖いんだ、お前を失うのが……でも、私は何もできず、今お前は凍らされ死にかけている……全部……全部私の責任だ……すまない……すまない……すまない……」

 頭を抱え込み、そのままドラクールはうずくまってしまった。

 髪で目線を隠したまま、ブツブツと壊れてしまった機械のように謝罪の言葉を繰り返している。



   ……それで、どうするんだ。俺?


   どうするって…………どうすればいいんだ?


   アホか、このわからず屋を説得するに決まってんだろ。


   でも、こいつは自分の感情に押しつぶされかけている。俺の言葉なんか届くかどうか……


   だからこそ説得しなきゃいけない。俺の言葉を届かせなくちゃ、こいつは本当の意味で救われないんだ。


   それは……そうかもしれない。いや、でも何を言えば……


   皆まで言わせんなよ。二見山の時みたいに、自分の思ったことをぶつけろ。生の感情を相手にするには、生の感情をぶつけるしか俺はできない、だろ?



 


   ……そうだな。わかった。やってみるよ、俺。


「ドラクール」

 不意に呼びかけられたドラクールはピクリとその体を反応させるが、顔を上げることはしない。俺はそのまま話を続ける。

「あまり俺を見くびるなよ。そんなことで俺がお前を恨むわけがないだろ」

「……! だが!」

 こらえきれなくなったドラクールが顔を上げる。

「私はお前を利用することしか考えていなかったんだぞ? あの時だって私は……」

「それを悔いる気持ちがありゃあ、責めることなんかしねえよ。そもそも元居た場所を消されて、家族を殺されもすればそんな簡単に恨みを忘れられるもんじゃないだろ。だから俺はそれを責めることなんかしない」

「…………そ、それでも! 今こうしてお前は命の危機に瀕している! お前を守ることぐらいしか私にはできないのに、それすら出来なかった!」

 そう言うとうつむいて眼を閉じるドラクール。

 ……俺は両手でドラクールの肩をつかんだ。

「な、何を……」

 うろたえながら手をどかそうとするドラクール。俺はそれを抑えつけ、そのまま言葉を続ける。

「いいか、ドラクール。俺は確かに今、氷漬けにされて死にかけている。でも、それでお前に責任なんか無い。相手の能力を見くびった俺の誤算だ」

「う……だが! それでも私はお前の言葉を受ける資格なんかない! エゴにまみれた私の心には、お前の言葉は眩しすぎるんだ……!」

「こ、この…………」

 頑ななドラクールの態度に思わず声を荒らげそうになるが、すんでのところで抑える。

 今のこいつに必要なのはそういう言葉じゃない。

「……だったら」

 俺はそのままドラクールの肩を握る。視線を合わせていたドラクールがビクッと体を震わせた。

「そのエゴを、お前のエゴを俺にも背負わせろ」

「……どういう意味だ」

 分かりかねたかのように、怪訝な顔をしてこちらを見つめるドラクール。

 俺はそのまま言葉をつなげる。

「お前のエゴを俺にも背負わせろってんだよ。ライナス帝国の奴らが憎いんだろ。だったら俺もお前と一緒にその復讐を手伝ってやる」

「な……何を馬鹿なことを……お前にそんなことをさせるわけには」

「どっちにしろ契約した身だ。今更大して変わんねえだろ」

 俺はドラクールの言葉を遮って言葉を続ける。

「だから……俺の言葉が眩しすぎるって言うんなら……そのお前のエゴを、憎しみを背負ってやる。これならお前も気兼ねすることねえだろ?」

 俺はそう言って口を閉じた。

 言いたいことは言った。後はドラクールに届いたかどうかだ。相変わらず肩はつかんだままだが、ドラクールは顔を俯けたままだ。

「……どうして」

「え?」

「どうして、そこまでしてくれるんだ?」

 ドラクールは顔を上げないまま、声を震わせながら聞いてきた。

「どうしてって……そりゃ、まあ最初がなし崩しとはいえここまでやってきたから……」

「もしかしたら、一生お前を付き合わせるかもしれないんだぞ? そんな簡単な話じゃない。だからお前はよくモノを考えてから話せと……」

 ジト目をしながらこちらを説教してくるドラクール。いつもの調子で言われ、それを聞いているうちに俺の頭も段々と血が昇ってくる。

 そうする内にとうとう俺は、いつもなら言わない直情的なセリフを言ってしまった

「……ふざけんな」

「……な、何だと!?」

 思わず顔を上げるドラクールに向かって俺は言葉を続ける。

「別に構いやしねえよ、そんなこと。言っただろ? こんなぶっ飛んだ体験、お前とじゃなきゃできねえんだからよ」

 そのままドラクールを見つめる。

「いいじゃねえかよ、学園戦士。丁度つまんねえ日常に飽き飽きしてたんだ。むしろ持って来いだな。ライナスだろうがなんだろうが片っ端からぶっ飛ばしてやるよ」

 自分でも何を言っているのか良く考えないまま、ただ頭に沸き上がってくる言葉をそのまま目の前のわからず屋にぶつける。

「俺が良いって言ってんだ。誰にも、勿論お前にも文句なんか言わせねえぞ」

 一気に言い切り、そのまままっすぐドラクールを見つめる。


 …………マズイ、視線を合わせているうちに段々頭に昇っていた血が下がってきた。

 ああ、やべえ。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。顔に血液が集まってきているのが自分ながら分かる。ドラクールの顔もなんだか言葉に出来ないよくわからない表情をしているし。何やってんだ俺。このままじゃ只の痛い奴じゃないか。

「義人……」

 ドラクールが口を開いた。心臓がビクリと跳ね上がる。

「ありがとう」

 その言葉に反応するまもなく、俺の胸に軽い衝撃が来た。

 何が起きたのかわからず、そちらを見ると、ドラクールが俺の胸に顔をうずめていた。

「え、いや……いやいや! おおおおお前いったい……!」

 下がり始めた血が再び一気に急上昇をし始める。

「す、すまん、今だけは……今だけはこうさせてくれ」

 それっきり言っただけでドラクールはもう何も言わない。

 何を言うべきか、いやそもそも何か言ったほうがいいのか、どうすればいいのかと次々に思考が切り替わって我ながら落ち着きがない。とりあえず素数でも数えようかと思ったところに、ずずっと鼻を啜る音が聞こえてきた。肩を震わせながらドラクールは湿った息で俺のYシャツを温めた。


 ……俺は、その間何も言うことなく、ずっとドラクールの背中をポンポンと叩いていた。




 そのまま五分ほどそうしていただろうか。ようやくドラクールは落ち着いたらしく、俺から離れた。

「すまん……もう大丈夫だ」

「あ、ああ。それならいいんだ」

 言葉では平常を装っているが、頭の中は未だにテンパリが続いている。脳の神経があっちこっちバラバラに繋がってしまったかのように思考がまとまらず、俺はそれ以上何も言えない。

「ん、来たか……行くぞ義人。そろそろ出番だ」

 ドラクールは急に空を向いたかと思うと、いきなりこっちを向いてそんなことを言ってきた。

「出番って……この状況で何処に行けばいいってんだよ?」

「現在体内温度が急激上昇中だ。おそらくフェニットたちが何らかの方法で私たちを温めているのだろう。水分量も少しずつ融けてきている」

「……じゃあ、もう少しで俺達は……」

「ああ、活動可能になるだろう」

 ……ドラクールがそういった瞬間、俺達のいる丘が一瞬にして消失し、真っ白の何も無い空間に変化した。同時に俺の体が何かに引っ張られるかのようにドラクールから離されていく。

「ふん……どうやら、もうその時間のようだ」

 それ以上お互い何かを言うこともなく、俺はただ流されるままに引っ張られ続ける。



「――おい、義人!」

 不意にドラクールがこちらに向かって何かを叫んできた。

 だが、その声は霞に包まれたかのようにぼやけていて、イマイチはっきりと聞こえてこない。

「私は――えの――で――が――――」

「何だって!? 何言っているのか全然分かんねえよ!」

 俺からも叫び返すが、あちら側に届いているのかどうかは判らない。案の定、ドラクールはこちらの声など聞こえていないようでそのまま話し続けてくる。

「――が――とう。だ――――」

「え? だから何言ってんのか――」

 瞬間、俺の視界が白に染まる。奇妙な浮遊感が体中を支配し、俺はそのまま意識の彼方へと飛んでいった。


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