第二話 第六章 氷点下の邂逅
来るまでには時間がかかったが、直線距離で飛べば何のことはなかった。十分もしない内にウッド・ステップの屋上駐車場が視界に入る。
『……あれがウッド・ステップか』
「そうだ。えっと、トロイは……あれ、どこだ?」
上空から屋上に飛んだ筈のトロイを探してみるがなかなか見当たらない。
『あいつの鎧は燃えているから明かりを探せばいいだろう』
「ところがそうはいかないんだな。今のあいつ……プロミネンスはあの時とは違う姿になってるんだ」
『どういうことだ?』
「量子憑着しやがったんだよ。あいつら」
『な、何だと! まさかフェニットが無理やり……!』
ドラクールが信じられないとばかりに驚嘆の声を上げる。
「いーや、お互い了承の上でやったみたいだった」
『了承の上で? そんなことが……』
「まあ、信頼とかじゃねえのか?」
「……信頼?」
「詳しくは知らねえよ、俺だって。でもよ、お互いにわかりあった奴らじゃねえと分かんねえことなんか幾らだってあるだろ?」
……ただまあ、生半可な覚悟でできることじゃないのは確かだ。
「とりあえず、降りるぞ」
このまま空で飛んでて誰かに見つかったら洒落にならん。俺はゆっくりと駐車場に降りていった。
「さて、アイツはっと……あ、居た」
駐車場に降り、さっそく探しに掛かると思いのほかあっさり見つかった。
「来たぞフェニット。遅くなっちまったな」
俺の言葉に反応したフェニットがこちらに振り返る。
「……来たか」
チラ、とだけ見るとそのままこちらに近寄ってきた。
「どうやらそちらの問題は解決したようだな」
「ああ、お互い吹っ切れたぜ」
その言葉にフェニットは目を細め、後ろをまた振り返った。
「では、我もこれ以上心配する必要はないな。今からトロイに意識を移す。……後は頼んだぞ」
そう言い残すと、フェニットは右手を顔の前にまで持ってきた。
「……次元憑着」
憑着の言葉と共に、フェニットの体が蒼い炎に包まれる。炎は勢い良く燃え上がり、完全に体を覆ってしまった。
……やがて、その炎が落ち着き始めた、と思うやいなや
「待たせたな、義人」
炎が一気に火の粉になってはじけ飛んだ。
その姿は昨夜の公園の時と同じく、炎に包まれた鎧を纏っていた。
「……さあ、とっとと終わらせようぜ。こんな気怠い夜はとっとと眠るに限るんだからよ」
憑着は済んだ。合流も終えた。
「でも、問題はどうやって入るかなんだよな……」
すでに電源は落ちているらしく、センサーはピクリとも反応しない。割って入ろうにもどうやら防犯用の振動感知センサーが働いているようで、割るどころか少し強い振動を与えればたちまちALS○Kの世話になってしまうだろう。
「ああ、それなら俺に任せろ」
後ろからトロイが何やら自信有りげにドアに近寄っていく。
「こういう時の対処法は慣れてんだ」
そう言って笑い声を上げるトロイ、だがそれは決して褒められた話じゃないと思うぞ。
「ハアアアアア……」
俺のツッコミもそのままに、トロイは両手を握って力を込める動作をしている。
「……おいおい、トロイ。殴って入ったらマズイって分かってんのか?」
無視
「そんな事なら俺がとっくに割ってるって」
無視
「……返事がない。ただの屍のようだ」
無視、無視、無視
「ちったあ返事しろコラアアア!」
右手を振りかぶってゲンコツを見舞わせようとした瞬間。
「……セイ!」
トロイは両拳をピタッ、と自動ドアのガラスにくっつける。いきなりの事に俺の拳は行き場を失ってしまった。
「……なあ、一体何しようって言うんだ?」
再び、無視
「……少しは返事ぐらいs」
「メルティング・ナックル」
直後、トロイの両拳が眩い光に包まれた。
否、光だけじゃない。熱だ。超温度の熱波がトロイの拳から放たれている。あまりの熱に陽炎がトロイの姿をすっぽり包んでしまっている程だ。
『驚いたな……既に1500℃を超えているぞ』
ドラクールが驚嘆のつぶやきを漏らす。
そんな温度を持った拳をガラスにくっつけていたらどうなるか。当然、熱せられたガラスはその粘性を弱め、融解する。
「というか、こんな温度の近くに居たら俺たちも危ないんじゃないのか?」
『既に水分量が絶賛減少中だ』
「ちょ、早く言えそういうの!」
慌てながらのバックステップ三連続で何とか距離をとる。全く、危ないところだった。
トロイの方を見やると、既にガラスはボタボタと崩れ落ちていた。するとトロイは
「……フラッシュ・オーバー」
ガラスがボシュ! という膨張音とともに蒸発する。蒸発したガラスの幕がトロイの姿を完全に隠してしまった。
……幕が晴れると、そこには蒸気を上げるトロイ……もといプロミネンスと、大きな風穴を開けた『元』自動ドアがそこにあった。
「行こうぜ、義人。……ああ違った、コウリョウ」
こちらを振り向きながらトロイが促してくる。
「……もーちったあ、穏やかに行けなかったのか?」
「昨日もいっただろ? 手加減は出来ないって」
そう言ってカカカと笑うトロイ。
はあ……。まあとにかく、入れたと言う点ではこれでいい……のか?
トロイとともに建物内に入り込む。既に建物内の電灯は落ちている……と思っていたのだが、何故か蛍光灯は煌々と内部を照らしている。
『恐らく、電源が別系統になっているのだろう』
とはフェニットの談。何故異世界の住人がそんな事を知っているんだ。
エスカレーターを降り、二階のモール部分に到着する。いつもなら買い物客で賑わうここも、今は人っ子一人いない。いや、それだけじゃない……
「凍ってやがる……全部」
全てが凍りついた静止の世界。目の前の万物は何一つ動くことも無く、その姿を氷に晒している。
「……ささささ寒い! フェフェフェフェニット、いいいい今何度だ?」
『計測開始……完了。現在気温マイナス32℃』
後ろの方でトロイが体を震わせながら悶えている。こいつはここが敵地ということが分かっているのだろうか。
いや待て、今気づいたけどマイナス32℃ってヤバくねえか?
「俺たちもそうだけど、お前ら憑着体の方は大丈夫なのか? この寒さ」
『心配するな。我々は元々が無機生命体だからな、絶対零度でなければ活動は可能だ』
ほう、そういえばドラクール達はロボットに近い存在なんだっけか。普段の姿からは絶対に想像付かないが。
『とりあえず、ここは二手に分かれて探そう。偶然にもここはちょうど建物の中心に位置する所らしいからな』
フェニットがこれからの行動を提案してきた。地図を確認すると、俺たちが使った入り口はちょうど建物の中心部に位置している。
「そうだな。確かにそのほうが効率的だ」
トロイが肯定する。
『しかし……単独で活動するには危険じゃないか? 既にここは敵の狩り場の中なんだぞ?』
ドラクールはどうやらフェニットの提案には否定的なようだ。俺もできる事なら集団で行動した方が良いのでは、と思う。
だが……
「あいつが、鳰誣が捕まっているんだ。全部を回っている時間はない」
こうしている間にも衰弱している可能性もある。ここは二手に回って行ったほうが得策だ。
『……分かった。おまえがそう言うのなら、それでいい』
ドラクールの方もどうやら納得してくれたようだ。
話しあった結果、俺達は食品売り場方面、トロイ達がシネマコンプレックス方面に進むことになった。
『それにしても……久しぶりだったな』
トロイ達と別れてから不意にドラクールが尋ねてきた。
「ん? 久しぶりって……何が?」
『あの山だ。あの山は私にとって思い入れの深い場所だからな』
「……やっぱ、俺と出会った場所だからか?」
『それもあるが……あの山は私の生まれ故郷の山に似ているのだ。私があの山に降りたのもそれが理由だ』
「へえ、お前の生まれ故郷ってどんなところなんだ?」
俺としては何気ない質問だったのだが、その質問をした途端にドラクールの声は暗いものになってしまった。
『……綺麗な所、だった。既にライナス帝国によって消滅してしまったがな』
「……すまん」
『いや、いいんだ。既に吹っ切れていることさ』
ドラクールは極めて平易な声で答えた。だが、その声はどこか違和感のある口調であったのを俺は見逃さなかった。
暫く会話もなしに進んで行くと食品売り場までたどり着いてしまった。
「そういえば、憑着人の反応は無いのか?」
『ああ、今のところ反応は見えない。今の時点でほとんど建物内全部の感知を終了している』
「ということはコッチはハズレかよ……ッチ」
舌打ちをすると、反対側の方へ向き直る。既にトロイの方は戦闘に移っているかもしれない。早く向かわなければ。
そう思って走り出した瞬間。
「――――寒鴉哮吼」
俺でも、ドラクールでも、トロイでも、フェニットでも無い、見知らぬ声が聞こえた。
『――憑着体反応が急に! こ、これは一体……うあっ!』
「ぐあっ!」
不意にきた背中の衝撃に俺の体は吹き飛ばされた。そのまま凍りついた床を滑り、柱に強かに叩きつけられる。
「が……あ……」
急激な痛みを何とかこらえ、衝撃の来た方向を向く。
白の憑着人がそこにいた。
外見は白を基本カラーにした鎧であり、肩から胸にかけて純白の毛が覆っている。
コイツがフェニットの言っていたフェンリルという憑着体なのか。
だが、俺のその予想はドラクールの一言によって裏切られる事になる。
『お前は……コキュートス!』
コキュートス!? でもコキュートスって確か……
「コキュートスってこういう行為はしない奴じゃなかったのか!?」
『そうだ。あいつはこんな事をするような奴じゃない。……だが、目の前に居るコイツは間違いない。ライナス帝国のコキュートスだ!』
ドラクールの言葉を受け、再び目の前の憑着人を見る。言われてみると、白い毛に覆われた鎧は狼というよりシロクマのように見える。じゃあ、やはりこいつが……
「コキュートス、か。確かにアイツはそんなふうに名乗ってたかなあ」
突然、コキュートスが話し始めた。だが何やら様子がおかしい。
「警察隊が入ってきたのかなあって思ってたけど、どうやらもっと面白いのが入ってきたみたいだね」
言い終わると同時にコキュートス(?)は二階の手すりを乗り越え、俺の目の前に飛び降りた。
「……見たとこ、僕と同じ経験にあった人なのかなあ?」
間近で聞くその声は何処か友好的で、それなのに禍々しい狂気を孕んだ歪な声色だった。
「僕と……同じ経験?」
どういう事だ? まるで自分が人間であるかのような言い振りじゃないか。
「そうだ、自己紹介するのがおくれたね……僕の名前は氷川涼、県立霧雨高校の二年生だ」
「氷川涼、だと? お、お前、人間なのか!?」
「そうだよ。なんだったら言える限りの個人情報を言ってあげようか?」
「なんだと……」
おかしい。ドラクールの話じゃ憑着人は人間の意識が無いんじゃなかったのか。……いや、待てよ。もしかしたらこいつは適正体なんじゃないのか? そのほうが寧ろ自然に見えるぞ。
『いや、それはありえないな』
ドラクールが即座に否定してきた。何でだよ、そう考えるほうが自然だろうが。
『ライナス帝国は人間……いや、有機生命体全てを見下している。そのため、適正体になることは帝国内では御法度だ。仮に、もし一度なってしまったらそいつは暗殺部隊から狙われることになる。……だから、それは絶対にありえない』
じゃあ、これはどう説明付けるつもりだよ?
『……一つだけ、心あたりがある』
なんだそれは、と聞こうとした刹那、白いガスが俺のところを目がけて噴射された。
「……っぷ! な、何だコレ!?」
慌てて後ろに下がり噴出された方を見ると、そこには右手をこちらに向けたコキュートスがいた。
「内緒でコソコソされるのって嫌いなんだよねえ。お話をするんなら僕も混ぜてくれないかなあ?」
微かにイラついた口調でこちらに話しかけてくる。話に混ぜろってか……丁度いい、こいつにはいろいろ聞くことがある。
「……じゃあ、お前がどうやってその力を手に入れたのか教えてくれないか?」
出来る限り穏やかな口調で話しかける。またあの変なガスを吹きかけられるのは堪らないからな。
「うーん、話すと長くなるんだけどお……まあいいか、教えてあげるよ」
そう言うと懐かしむような口調で目の前の憑着人は話し始めた。
――その日は塾があったからこっちの方まで着てたんだよねえ。何時ものように先生の話と板書を写しとる講習を終えてさ、変える時のことだたったよ、アイツにあったのは。
なんて言ったらいいのかな。ビクビクしてるんだけどエラソーな口調でこっちに話しかけてきてさ。吾輩はナントカ帝国のコキュートスである、とか言ってきていきなり襲いかかってきたんだ。こっちも抵抗してみたけど全然ダメで抑えこまれちゃったよ。
抑えこまれたあともモガイたけどビクともしなくてさ、もうダメだ……って思った瞬間、いきなり僕の中に力が湧いたんだ。そして……その、色々あって……いつの間にか僕は自由になっていて、同時にこの力を得たんだ。
コキュートス……いや、氷川の話はそれで終わった。確かに話の流れがわからなかったわけじゃないが、どうにも内容が不明瞭な部分が多い。一体どういう意味なのだろうか。
『なるほど……そういうことか』
どうやらここに意味がわかった奴が一名いるようだ。さっそく話を聞いてみることにしよう。おーい、ドラクールお姉さーん!
『……なんだ』
そんな殺気を孕んだ声を出さんでくれ。ただの冗談だ。それより、あいつの言葉の意味が分かったのか?
『ああ、間違いないな。あいつは不全観念体と呼ばれる存在だ』
不全観念体? なんだそれは。
『我々は元々異世界から来た存在、ということはもう知っているだろう。つまり憑着という行為は本来、異世界の者同士が融合する非常に不安定な行為なのだ。それを我々はなるべく不具合が起きないように体組織などを調節している。ところがその調節を振り切って不具合を意図的に作ることができるものが存在する。それが不全観念体だ』
……いまいちピンと来ないな。もっとザックリ行ってくれ。
『要するに、意図的に憑着体の意識支配から逃れられる人間が存在するということだ』
ああなんだ、そういう事か。
いや待て。この三ヶ月間、うんざりするほどの憑着人と戦ってきたけど、人間が主導権を握った憑着人なんて奴は今まで見たことがないぞ。そんなに希少な連中なのか、その不全観念体って輩は。
『確かに数は多いわけではない。だが何よりも意識を保てる事が少ないというのが大きい』
どういう事だ? それだけじゃ分からん。
『第一に不全観念体だからといって必ず憑着体に抗えるわけではない。それには大きな要因が必要となる』
要因……って、なんだ?
『精神力、とでも言えば分かりやすいか。憑着体の支配に抗い、逆に支配してしまうというのは並大抵の精神力ではできない話だ。例えるなら麻酔銃を持ったハンターから銃を奪って、逆に眠らせるようなものだからな』
じゃあつまり目の前のこいつは……
『そう、並大抵の人間では無いということだ』
なんてこった。ただでさえ人間相手だってのに……
その瞬間、俺のところに先程の白いガスが飛んできた。
「クッ……させるか!」
さっきは不意を食らったが、今度はもう当たるものか。俺はとっさに右に跳躍し、ガスを回避する。着地した瞬間に床が凍っていることに気づかず滑ってしまったが、なんとか受身をとって衝撃は抑えられた。
「まぁた僕をほっといて話してる。そういうの大っ嫌いだって言ったよねえ?」
氷のように冷酷な声で話しかけてくる氷川。その左手には先程まではなかった槍のような武器が握られている。
「お前、その武器は……」
「あ、気づいた? そりゃ気づくよねえ、こんなに大きいんだもん。これはハルバードって言う武器さ。僕が自分で作ったんだ。この能力を使ってね」
作った? 氷で? じゃあまさかこいつは……
『既に顕現を使いこなしている、ということだな。しかも無意識のうちに』
俺の予感にドラクールの肯定が援護射撃のようにかぶさる。
マズイことになった。これはさっきも言った。ではどの様にマズイのか、思考を加速させながら整理してみよう
①今回の事件の犯人は人間だった
②その犯人は自分の能力をある程度まで制御が可能になっている
③鳰誣はこいつによって捕まった可能性が高い
続いてこの状況で俺がしなくてはいけないことを整理すると
①鳰誣の可及的速やかな救出
②犯人の説得、若しくは鎮圧
この二点に絞られるだろう。だが、果たしてそんな簡単にことが進むのであろうか。正直この氷川という人間を見る限り難しい気がするのだが。
とりあえず、説得からやってみるか…………とその前に聞いておくことがある。まずはそれからだ。
「……聞いてみたいことがもう一つある」
「なにかな? 答えられるものなら答えてあげるよ?」
「……どうしてこんなことをやろうと思ったんだ?」
そう、俺が一番にこいつに聞きたかったことはこれだ。ライナス帝国のような破壊活動が大好物ですみたいな脳内パープリンな奴らならともかく、なぜ只の人間がこんな大それたことをやろうと思ったのだろうか。
「……知りたいかい? いいよ、教えてあげるよ」
俺の質問に対し、氷川は何かを思い出すかのように、顔を天井に向けて話し始めた。
「僕にはね、一歳年下の妹がいるんだ。それも超が十個つくほど優秀で、美人なね」
その声は機械を使って出力したんじゃないかと思うほど、一切の感情がこもっていない……いや、むしろ押し殺されていたものだった。
「小さい頃から僕のやることを真似していてさ、……そりゃあ可愛いもんだったよ。……小学校の半分を過ぎるまでは、ね」
声の質が急激に変わった。いや、無感情という点では変わらないのかもしれない。だがその質がぜんぜん違う。さっきのが感情を押し殺したそれだとするのなら、今のは絶対零度の氷の響きだ。
「そのころからかな、周りの人の声を気にするようになったのは。『妹ちゃんは本当に良い子だねえ』『お兄ちゃんとは大違いだよ』……親戚の集まりなんかは本当に地獄だった。
まあ、それでもまだ学校にいる間は良かったよ。行けば友達と一緒に他愛もない遊びをやってられたからね。……でもそれも中学で終わりさ。中学に入ってからは学校の中ですら『アイツがあの優秀な妹の兄貴だぜ』『同じ兄弟でどうしてこうも違うかねえ』なんて声がお構いなしに聞こえてくるようになったよ。ひどい時には『あんま出しゃばんなよ、お前は所詮スペアなんだからさ』なんて言われる始末さ。
僕も悔しくて寝る間も惜しんで何時間も努力して、いろんな賞をとったりしたけどね、何もしない妹はあっさりとその遥か上を越えていったよ」
……それからしばらく、俺は氷川の仄暗い恨みのこもった思い出を聞かされた。そのどれもが妹と比べられる自分についてのものだった。
「……それで今年。妹は……いや、アイツは東京にある全寮制の有名私立校に進学したんだ。ハハ、親は僕の方には『うちには私立にやる余裕なんかない』なんて言っていたはずなのにね。……でもね、僕は嬉しかったんだ。これでようやくここからアイツがいなくなる。みんながようやく僕自身を見てくれる……そんなことを考えていたんだよ。……愚かにも」
そういうと一度氷川はうなだれ、そしてまた顔を上げて話し始めた。
「現実は違ったよ。家庭、学校の皆は僕を『東京に行った妹に負け、地元に残った可哀相な兄』としか見てくれなかったんだ。……本人は慰めているつもりなんだろうけどさ」
くつくつ、と喉を鳴らして氷川はこちらを見つめてきた。
「……結局ね、僕は妹の影でしかなかったんだよ。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、注目されるのは妹の方で僕はその比較対象にしかならなかったのさ」
氷川は一瞬たりとも俺から目を離すことはなかった。鎧で覆ったその顔からは、下の表情を推し量ることはできない。
「そんなとき……全てに絶望していたあのときに……この力を、この素晴らしい力を手に入れたんだ! この力なら僕は今まで越えられなかった妹を超えられる。あの、忌々しい妹をようやく超えられるんだ! 見てみなよこの光景! ぜーんぶ凍りついてるだろ? こんなことをただ才能があるだけのあいつにできたと思うかい? ハン、できるわけがない! そう! 僕は選ばれたんだ! 運命に選ばれたんだよ! アハハハハハハハハハ!!」
感情すべてを奮わせ、今までの鬱屈した思いを吹き飛ばすかのような絶叫、そして笑い。……俺は、そんな状況にただ立ち尽くすしかなかった。
「……ねえ、君も選ばれた人間なら分かるだろう? 才能なんてものに意味なんかないってことが。現にこうして僕は一瞬であの妹を超えることができたんだ」
不意に氷川が俺に向かって話しかけてきた。先ほどまでの狂気を孕んだ声とは違い、一種の爽やかささえ感じさせる涼しげなものだった。……だが、こいつの言っていることに同調していることはできない。
「そんな……そんな詭弁で罪が許されると思ってんのかよ」
「罪? ああ、この状況のことを言っているのかい。別にいいじゃないか、人を一人殺したくらい。そんなつまらない倫理観なんか捨てちゃった方が気が楽だよ」
首を傾げながらこちらに語りかけてくる氷川。
だが、俺はその言葉に絶句する他なかった。目の前の人間が話していることが信じられなかったのだ。なるべく震えないように声を出す。
「お、まえ……殺した、って……」
「ああ、ちょっと手違いがあってね。いやあ、一度やってみるとなんでもないものなんだね。……まあ大して問題はないさ。どうせ彼らは僕たちとは違う、選ばれなかった人間なんだからね」
こともなげに言う氷川。
頭がガンガンしてきた。
鼓動が早くなる心臓を左手で抑え、俺は最後の質問をする。
「……最後に、ひとつだけ質問がある」
「……いいよ。一つだけ、答えてあげる」
氷川は混濁した感情に淀んだ声で頷いた。
「鳰誣、いや……ポニーテールで制服姿の女の子を、知ってるか?」
「ポニーテール……なんだ、君は彼女の知り合いなのか」
特に興味もなさそうな声で答える。
「知ってんのか!?」
「うん。何せ彼女は貴重な見せしめだもの」
「見せしめ……? どういう意味だ」
「言葉通りの意味さ。僕の力を、僕を無視した世界に見せつけるための『見せしめ』だよ」
言葉通りって……見せしめ、見せしめ……
「……!?」
俺の頭に想像したくもなかった残酷なヴィジョンが浮かび上がる。
「まさか、テメエ……」
「ふふ、楽しみだなあ。集まった人たちの前であの子を凍らせてバラバラにする時を想うと。今からワクワクしちゃうよ」
まるでクリスマスを前にした子どものように、氷川は期待に膨らんだ声を上げていた。
間違いない。こいつは鳰誣を……
「鳰誣を、殺す気か……!」
「そうだよ。そうして世界に見せつけてやるんだ。僕を無視した人間はみーんな、こうなるってね」
冷え切った俺の言葉とは裏腹に、氷川の声は明るく弾んだ少年のような声だった。
言葉と共に俺は右手を前に構える。
「――アルマブレード、マニフェステーション」
手のひらからの光と共に俺の手に両刃の剣が握られた。
「させるかよ……そんなこと!」
もうこいつに説得なんて言葉は存在しない。力で止める以外に聞く耳は持たないだろう。
俺はアルマブレードを正眼に構え、ス、と息を吸った。
「……ブレイク!」
アルマブレードの刀身にヒビが入り、根元から音を立てて砕け散る。
「アンド……オーラバースト!!」
俺の言葉に呼応するかのように、根元からオーラが溢れ出た。
『一気に終わらせるつもりか、義人』
「ああ、もう話し合う時間も、内容も、余地もない」
刀身から流れ出るオーラ……ドラゴンエナジーというのが正式名だが、このオーラでアルマブレードの柄を通して憑着体を斬りつけると、斬られた憑着体は溶けてしまう。文字通り『龍の瘴気』というわけだ。更にこのオーラは有機生命体には無害という地球環境に優しい仕様になっている。つまりドラクールは他の憑着体にとって天敵にも等しく、それが俺達がライナス帝国に襲われる原因の一つとなっている。
「スマンが……そこを通らせてもらうぜ、氷川!」
言葉と同時に右足で踏み込みをいれ、氷川の右横を通り抜ける。
追い抜きざまにオーラで氷川の脇腹を斬りつけ……ようとした瞬間、氷川の拳がカウンターで俺の顔面を強打した。
「グッ、ァア!!」
クリティカルヒットしたその衝撃は首を通じて全身に伝わり、俺はそのまま薄氷がはって摩擦の少ない床に倒れこんだ。
「させると思っているのかい? 僕にとって大事な人なんだよ、彼女は。……というか、もしかして喧嘩弱い?」
倒れこんだ俺を見下ろして、氷川は俺を踏みつけてきた。ズン、という衝撃と共に俺は身動きが取れなくなる。
「くっ……」
何とか態勢を立て直そうともがくが、押さえつけられた体はピクリとも動かない。それが更に俺を焦燥へと駆り立てる。
『落ち着け、義人! 顕現を使うんだ!』
ドラクールが焦る俺を諫め、ようやく俺は顕現の存在を思い出した。
「え、ええと……レビテーション!」
言葉と同時に反重力場が翼に展開され、俺の体が氷川の足を押しのけて浮かび上がる。そのまま床から三メートルぐらいのところで体の上昇は止まった。
「へえ……なんだか面白いモノもってるじゃないか。暇つぶしにはいいかもしれないね」
飛んでいる俺を見ても、氷川は特にそれに驚く様子は見えない。
「言ってろ!」
そのまま剣を振り上げ、氷川めがけて急降下しはじめる、その瞬間。俺の体が急に地面めがけて自由落下をし始めた。
「なっ……!?」
嘘だろ? まだ水分量がなくなるには時間が……
突然のことに驚く思考を宙に置き去りにして、俺は床へと堕ちていった。
――墜落と同時に今日一番の激痛が背中を襲う。
「ぐっ! ゲホッ、ゲホッ!」
衝撃に咳き込みながら、俺は未だに先程のことを理解しかねていた。
一体どういう事だ? まだ水分がなくなるには時間が早い。まさか水分量が中途半端なままモードチェンジをしてしまったのか。
『っ……いや、それはない』
俺と同様に痛みに耐えながらドラクールが否定する。
『憑着するときにも言ったが、山に流れる川で水分量は私に蓄えられる限界まで補給しておいた。そんな簡単には切れる筈がない』
じゃあこの状況は……どういう事なんだ?
『……最初この建物に入ったとき、あるひとつの不安があった』
不安?
『ああ……本来私の中の水分はある程度の環境までなら、私自身の体内機能によって接種可能な液体の状態を維持することができる。ただ……』
そういうと、ドラクールは考えたくもない事を言うかのように話を続ける。
『その状態の維持も限界がある。マイナス54℃以下になると水分が凝結を始めてしまうのだ』
じゃあ、それで水分を補給できなくなってしまったというわけいか。
……いや待て、マイナス54℃? おかしいじゃないか。さっきトロイがフェニットに聞いたらマイナス32℃って言っていたはずだろ。
『あの時、聞いた時点ではそうだった。だがいまの気温は……』
「現時点で約マイナス67℃。ちなみに今も下がり続けているけどね」
いつの間にか近寄っていた氷川がそう告げた。
――何故だ。何故そんな短時間で急激に気温が下がるんだ。
そう思ったところで俺は不意に目の前の男が手に入れた能力を思い出した。
「……まさか氷川、お前が……お前がずっと気温を下げていたってのか!?」
「ご名答。ああ、僕の体なら心配はいらないよ。この鎧は絶対零度下でも生命活動が維持できるらしいから」
パチパチと拍手しながら氷川が聞きたくもない解説をしてくる。
「この鎧、いろんなところから冷却用のガスが噴出できるらしいんだけど、そのユニットって取り外しが出来るんだよねえ。それでここの空調設備を弄らせてもらって、今までこの建物全体を冷やしてたんだ」
なんてこった。じゃあ俺達はゆっくりとこいつの罠に引っかかっていたのか。
「くそ……ったれえええ!」
叫び声をあげながら飛び上がり、斬りつけに掛かる。だがそれすら氷川にはお見通しだったようで、軽くかわすと手のひらをこちらに向けてきた。
「――寒鴉哮吼」
手のひらと胸にあいた隙間から、冷却ガスと一緒に氷片が俺の体をめがけて飛んできた。
氷片は俺の腹に二つ、肩に一つ突き刺さり、それはドラクールの鎧をも貫通していた。
「ぐああああ!」
『あ、ああああ……!』
そのダメージは俺の体を守ってくれているドラクールの方が当然大きい。ここにきて初めての肉体的なダメージに俺達は身動きが取れなかった。
「君は見た目が強そうだったけど……僕の見込み違いだったみたいだね。なんだか興が削がれちゃったよ」
完全に興味を失ったかのように呟くと、そのまま俺の頭に手をおいた。
「……さようなら」
バイザー越しに映る手のひらに隙間が開き、氷片が放たれ――
「……ちょっと待ちな」
――ようとした刹那、氷川の背後からの声がそれを止めた。
「ト、ロイ……」
冷たく凍える白氷の世界に一人、燃え上がるような熱をたたえ、紅く煌く鎧をまとった炎の戦士がそこに居た。
「取り敢えず、その手をどけて後は眠ってもらうぜ」
既にその手には昨日の刀が握られており、戦闘準備は完了している。トロイはその剣先を顔の前に構え、氷川を見据えた。
「Show Timeだ、Mother Fucker――――焔薙!」
言葉と共に手に持った刀が勢い良く燃え上がった。赤い蛇が絡みつくかのようにその炎は広がり、刀身全体が炎に包まれる。
「……へえ、まだ仲間がいたの。綺麗な発音しているね。帰国子女か何かなのかな?」
「生憎とそういう上品な人間じゃねえ。ただのスラム出身のクォーターだ、日本人とアメリカ人のな」
「スラム街……ね。どうりで口が悪いわけだ」
軽口をたたき合いながらも二人の間の空気は徐々に張り詰めた物に変質していく。だが未だに手を頭に置かれたままの俺は動くことすらままならない。
「……彼は強いね」
不意に氷川が俺にそういった。
「強いって……戦ってもいないのに分かるのか?」
「小さい頃は武道もやってたから。だいたいの強さは見れば分かるさ」
「……で? 強いって分かったから降参するってのか?」
俺のその言葉には氷川は首を振る。
「まさか。ただ正攻法で攻めるとちょっと手こずりそうだからね。ちょっとこっちに有利に行くようにさせてもらおうと思ってさ」
「はっきりしねえな。何が言いたい」
「つまり、君は彼への人質に丁度いいってことさ」
「な……!」
氷川の言葉に俺は慌てて離れようとしたが、頭を掴む手がそれを許さない。
「大丈夫、すぐに終わるよ。――――氷礫結化」
氷川は絶対零度の声で言い放つと、片腕にあったハルバードで俺の胸を突いた。
「コウリョウ!」
俺の名前を呼ぶトロイの声がどこか他人事のように聞こえる。
槍は体に刺さりはしなかった。だが、何か異様な力が突かれたところを中心にして、俺の体に広がっていくのを心のどこかで感じていた。
「何を……した?」
「すぐに分かるんじゃないかな。……あ、ほらもう変化は始まっているみたいだよ」
何だと……と言おうとした瞬間にソレは起きた。
俺の体がパキパキ、といった乾いた音と共に凍りつき始めたのだ。
「こ、これは……!」
「ん、鎧があるから死にはしないんじゃないかな。さっき生身の人に試したらバラバラに砕けちゃったけど」
氷はまたたくまに俺の体を覆い、やがてそれは四肢と俺の頭にまで及んできた。
『マズイ! 水分量が急速に凍結し始めている! このままでは活動限界が……!!』
ドラクールが今日一番の焦りの声を出している。既に右手はピクリとも動かず、左腕も肘関節が動かない。完全に身動きが取れなくなるのは時間の問題だろう。
「コウリョウ!! 待ってろ、今そっちに行くぞ!」
トロイの方もこちらに向けて駆け出し始めたが、直ぐにそれは氷川の手によって制された。
「待って。不用意に接近すればたちまちこの子の体は粉々になっちゃうよ?」
その言葉にトロイはピクリと体を止めた。
「テメエ……そんなことしてみろ。その真っ白な体、真っ黒に焦がしてやるぞ」
「へえ、やれるものならやってみなよ。その前に君の体が凍りついちゃうと思うけどね」
トロイの挑発に対し氷川はあくまで余裕な態度をとり続ける。
……今だ。トロイの挑発に反応している今こそ、反撃をする最大のチャンス。
「ドラゴン……エンレージ……」
かろうじて動く、左腕に剣を握り締め振り上げる。刀身をもしたオーラが命を得たかのようにうねり出す。
だが……
「させないよ」
その一撃が氷川に届くことはなく、アルマブレードは氷川の蹴りによって遠くに飛ばされてしまった。
「く、しまった! 剣が!!」
「全く……油断も隙もあったもんじゃないね」
そのまま俺を蹴倒し、倒れた俺を容赦なく踏みつけた。
「グ…………ガハッ!」
「悪いけど、そのまま凍っててくれないかな?」
氷川のその言葉と同時に、体が完全に凍りつき俺はその自由を失った。
「くっ……体が……」
もがこうとするが、既に体に力をいれることすらできない。おかしい、こんなこと今まで無かったはずだ。どういうことだ、ドラクール。
『すまん、義人! もう水分量が……』
突然、強制終了されたパソコンのように目の前の視界がブラックアウトした。
体が、頭の中の温度が急速に低下していき……ゼロへと堕ちていく。
パキン、という乾いた氷結音を耳のどこかで聞きながら、俺は氷の世界に意識を囚われた。