第二話 第四章 失踪
新しい朝が来た。希望の朝だ。……とはいえ喜びに夢を磨き、大空を仰ぐ気にはとてもならない。
扉の隙間からカレーの匂いがしてくる。朝食の用意(といっても昨日の余りだが)が出来ているようだ。階下に下りて居間の席に着く。一日経ったカレーの味は何でこんなに美味いのだろうか。そんな事を前、鳰誣に聞いてみたら『具材の旨味が滲み出るからよ』と言われた。確かにそうなのだろう、スパイスの見事な配合はどんな具材の持ち味をも関係なく包み込み、受け入れてくれる。
などと言う事を考えながらパクついているといつの間にか二杯目を食べ終えてしまっていた。腹いっぱいだ。
食器を片付け、いつものように2リットルのペットボトル二本に水を満たす。これがいつものドラクールの朝食だ。
ペットボトルを両手に持ち、軽い負担をかけながら階段を登る。中の水はチャポチャポと揺れ、屈折させた光を床に照らし出す。
「入るぞ、ドラクール」
倉庫の扉の前でノックする。返事がない。
「寝てんのか?」
やはり返事は返ってこない。眠っているのだろうか。しかしこのままここに立ったままでは母さんに見つかってしまう。しょうがない、チョット入ってさっさと置いて外に出よう。
「失礼するぞー」
ガチャ、と余り音を立てないようにドアを開ける。そのまま余り様子をみないように……と言われてもこみ上げる好奇心を抑えることなど出来ようがない、ついついドラクールが眠っている方を見てしまった――
――が
「……居な、い?」
そこにドラクールの姿はいなかった。
どういう事だ。
昨日確かに話をして別れたはずなのにいきなり居なくなるなんて
……いや、待てよ。確かアイツ別れ際に――
『……今まですまなかった』
――まさか
家出したのか?
俺を戦わせることに重圧を感じて?
「嘘だろ……なにバカなこと考えてんだ」
早く……早く探さないと!
そう思うや否や、俺は外に向かって駆け出し始めていた。
「あら義人。もう出かけるの? いつもより早くていいじゃない」
母さんの声が聞こえてきたが無視させてもらう。靴をちゃんと履くのももどかしく、俺は不確かな足元によろめきつつも玄関を飛び出した。
――商店街
(どこだ……)
――公園
(どこなんだ……)
――ショッピングモール
(どこに居る!?)
飛び出してから一時間三十分。ドラクールの姿は影も形も見えない。
「マジで……消えちまったのかよ、ドラクール」
思わずそんな事をつぶやいてしまう。
俺は……こんな別れ方でいいのか。確かに最初は押し付けられた形だったけど、だけど……
「こんなの……納得行くかよ……!」
再び探しに走りだそうとしたその瞬間。
――カンカンカンカンカンカンカァーン
遠くから鐘の鳴る音が聞こえた。
「予鈴……ってことはもしかして!?」
もう学校に行く時間ってことじゃないか! いや、待てよ……
「さっきの鐘は予鈴の音じゃない……ということは!」
あれは本鈴ってことか!? マズい、二日連続とかシャレになんないぞ!!
「と、とにかく急がねえと!」
ドラクールを探すことも気になったがコッチもコッチで重要事項だ。俺はきた道を引き返し、学校へと急いだ。
「どうしたんだ? 義人、二日連続遅刻とか洒落になんねえぞ?」
教室に到着後、いの一番に話しかけてきたのは樋橋だった。
「わかってる、今は何も聞かないでくれ……」
言い訳する気にもなれず、俺は机に突っ伏した。
「取り敢えず、妙義先生の所いっとけよ? どうせ指導来るはずだから」
「うげ……」
この学校では二日以上遅刻すると指導が入る。しかもその内容は『全校の廊下を雑巾がけ』『図書室の未返却本の回収取り立て』『一日だけ全教師の資料印刷のお手伝い』と、体力的且つ精神的に辛いもので、さらに遅刻する回数が増えるとその内容もハードになっていく。去年一週間に五日遅刻した先輩が、砂場の砂粒を数える作業をさせられてブッ倒れたことは記憶に新しい。
「冗談じゃねえよ、まったく……」
「ま、それも身から出た錆と思うことだな。やっぱリア充には罰が来るものなのだよ」
カハハハと笑う樋橋。大口を開けて笑っているのが無性に腹が立った。消しゴムのかけらを放り込んでやる。
「ゴハッ!? な、何しやがるこんちきしょう!」
思いっきりむせこみながら声を荒らげて向かって来る。
「あーすまん。幼少の頃からゴミはゴミ箱に投げ入れるようにしてたんでな」
「なんだそれ! 言うに及んで人の事ゴミ箱扱いか!?」
顔を真っ赤にしながら激してくる樋橋。このままこいつで遊ぶのもいいが、いい加減付き合っている時間はなくなってきた。
「悪い、もう妙義さんの所に行かねえと」
「待てお前! まだ話は終わってねえって……!」
追いすがる樋橋を片手であしらい、職員室の方へと歩いていく。
「呼ばれた理由はわかっているね、山臥岳君」
職員室に行くと樋橋の言うとおり、妙義先生が待っていた。
妙義武、この学校の英語教師で生徒指導の先生でもある。まだ三十前半のはずなのに生徒指導を担当しているというのは私立のおおらかさ故なのだろうか。常に物腰は柔らかで、女子生徒からの人気も高い。授業もわかりやすく、普段は本当にいい先生なのだが……
「今日で君は二日遅刻。更にいえば二日連続でだ」
「はい……申し訳ありません」
「……聞けば、三日前もギリギリだったそうじゃないか。少したるんできているんじゃないか?」
……怒った時の怖さは他の先生の追随を許さない。静かな物腰はいつもと変わらないのだが、心の内を見透かすような視線が何よりも恐ろしいのである。怒られ慣れているクラスの男子ですら『あの人の前では足が震えた』という曰く付きだ。だからこそ生徒指導と言う役職を任命されたという噂すらある。正直、今こうしているのも結構精神的にキツイ。
「それは……」
「あるいは夜更かしでもしているのかい? 君が自分の時間をどう使おうと勝手だが、それは社会の集団の規律を破っていいという免罪符にはならない」
「……申し訳ないです」
ああ、どうしよう。目を合わせられない。合わせたらその瞬間にチビリそうだ。
「……まあ、とはいえ」
妙義先生は唐突に口調を柔らかなものに変えた。
「君が遅刻したのはこの年が初めてだし、普段の素行も悪いと言うわけではないようだ。今回はそこまで厳しく咎めるのはやめよう」
「ほ、本当ですか!?」
マジかよ、やったぜ! 思いのほかあっさりと説教が済み、俺は危うく歓声を上げそうになる。話がわかるぜ、妙義先生!
「ただし、指導はちゃんとあるからそのつもりで」
……前言撤回、やっぱ先生は先生だ。
昼休み、いつもなら至福の一時であるはずのこの時間も今日においては阿鼻叫喚地獄もかくやとばかりの苦難の時になる。
「それでは、このブラシで屋上を清掃してくれ」
妙義先生はそう言って俺にデッキブラシを渡してきた。
「あの……屋上の掃除なんかするんですか?」
「そう、屋上は分担で掃除するところが無くてね。いつも汚れているんだ」
「げえ……」
とんでもない昼休みになってしまったな、トホホ。まあだがこれも因果応報というものだろう。チャッチャと終わらせて贖罪しようじゃないか。
「……とは言ったものの、この広さはなかなか終わらないな……」
掃除開始から三十分たつが半分も終わらない。このままじゃ終わるのはいつのことやら……
「はあ、先生も最初の五分間監修していたと思ったら、女子が質問しに来て教えに行ったきり戻ってこないしなあ。まあそれは女子が先生を離そうとしないからだろうけどさ」
人の居ない屋上で溜息をつく俺。
もう掃除なんかほっといて戻っちまうか。なんてことを考え始めたその時。
「……なんだ、先客がいたのか?」
後ろから若い男の声が聞こえた。待てよ、この声どっかで聞いた事が……
「誰かと思えばお前は昨日の契約者じゃないか。確か、名前はヨシトとか言っていたな」
「契約者? 何の話だ、って……」
振り向くとそこには昨日の不死鳥が、屋上のフェンスに掴まっていた。名前は確かフェニットとか言ったっけか。だがどうしてこんな所に?
「何でお前がここに居るんだよ」
「日にあたりに来たのだ。いつもはトロイの自転車の籠の中でおとなしくしているが、こうしないと日に当たらんとこの世界に存在できんのでな」
尊大な口調で説明する鳥一匹。どうやらコイツにとっての日光はドラクールにとっての水と同じものらしい。
「……で、日向ぼっこをしにワザワザここまでやってきたって訳か。」
「そういうことだ。我はコソコソする行いは嫌いだが、トロイのためだと思えばこれも仕方がなかろう」
「ふーん。ま、確かにしゃべる不死鳥なんて二重にオイシイ代物だからな。それが正解だろ」
「うむ、我としてもトロイに迷惑を掛けるのは本意ではないからな……所でドラクールはどうした。一緒に来てはいないのか?」
不思議そうに首を傾げるフェニット。そう言われて俺はようやく今朝の出来事を再び思い出した。
「ドラクールは……消えた。いまどこに居るのかは分からない」
俺がそう言うとフェニットは目を丸くした。
「消えた? 契約者たる貴様を放っておくなど……あのドラクールがか?」
「そうだよ。俺だって何が何だか……」
と、そこまで言ったところで俺はある違和感に気づいた。
「あのドラクールって……お前、アイツと知り合いなのか?」
「知り合いと言うべきかは分からんが……我が一族たるタイプフェニックスと、アイツの一族であるタイプドラゴンは古来から交友が深いからな。当然、その両族の正統後継者であった我々は幼少の頃から頻繁に出会っていたのだ」
「は? 幼少の頃から? それじゃ……お前らって幼なじみだったのか!?」
「まあ、そういうことになるな」
そんなこと一言も言わなかったぞアイツは。この真っ赤な鳥がアイツの幼馴染だったってのか?
「とはいえ、当時の出会いといえば、お互いの目付け役が付いた上での話会いのようなものだ。自由に話ができたことなど一度も無い。加えて、当時のドラクールは幼かったからな。我の顔を忘れていても……まあ無理はなかろう」
少し寂しそうに語るフェニット。……確かに久しぶりに会った知り合いに顔を忘れられてたらそりゃ悲しいだろう。
「……いや、今はそんな事などどうでもいい。ドラクールが消えたと言うのはどういう事だ? アイツが何もなしにそんな事をするなど……考えられぬ」
話を切り替えるかのようにフェニットはこちらに問いかけてきた。
「どういう事って聞かれても、俺には殆ど何も言ってなかったし……強いていうなら、昨日の事が原因か」
「昨日のこと?」
「昨日、帰ってからのことだ……」
俺はフェニットに帰ってからのドラクールとの会話の概要を聞かせた。
「ふむ……なるほどな」
「正直、何でそこまで思いつめているのか分からねえ……アイツだって無理やりっていう意識はあったはずなんだ。それを、今更になって……」
俺がそう言うと、フェニットは神妙な顔で頷いた。
「或いは、意識が有ったからこそ、という見方もできるな」
意識が有ったから? なんだソレ、だったら何で居なくなるんだよ。
「……貴様、昨日のトロイとの手合せでどう戦っていた? パートナーの能力にかまけて自分では何もしないでいたではないか。自分は安全な鎧に包まれながら、な」
フェニットの言葉が泥に刺さった釘のようにズブズブと俺の心に突き刺さった。昨日のあの光景がまざまざと脳内に再生される。
「それで?」
脳の奥底から湧き出る感情を押し殺しながら尋ねる。たった三文字の言葉を言うのがここまで辛いなんて初めてだ。
「それで愛想を尽くしたのではないか? 自分はパートナーのタメに命を尽くして戦っているのに、この男はそれに応えるばかりか、戦いから逃げていた。」
死刑宣告を告げるかのようにフェニットの言葉が追い打ちをかける。
「やめろ……」
「もう背中を預けることはできない」
「やめろ」
「これ以上、一緒に居ることも……」
「やめろって言ってんだろ!」
気がつけば大声を上げてしまっていた。
「……以前の自分がどうだったのか理解しているようだな」
眼を閉じたままフェニットが呟く。
だが……
「理解したから……何だってんだ」
いまさら反省してどうなると言うんだろうか。そんなことをしてもドラクールが帰ってくるわけじゃないというのに。
「……あるいは、そうかもしれんな」
フェニットはそれ以上何も言おうとはしない。
「これからどうすればいいんだ? 俺は……」
もうこれからどうすればいいのか分からない。ドラクールを探すべきなのか、それとも……何もかもを忘れるべきなのか。
だが、フェニットは突き離すかのような冷淡な口調で
「仮にも戦士を名乗っていたものが戦いに迷ってどうする?」
「あれは俺が名乗っていたわけじゃ……それに第一今は」
「だとしても答えぐらい自分で探せ。どちらにしろお前はもう自分の責任は自分でとる年齢だろう。……それとも、また逃げ出すのか? 他人に答えを委ね、いざとなれば相手に責任を押し付ける。そうしたいのとでもいうのか?」
その言葉に俺は何も言えなくなってしまう。葛藤のような、甘えのような、どちらとも言えない奇妙な感情が俺を押し黙らせていた。
「さて、我はもう行くぞ。日向ぼっこのつもりが説教することになるとは思わなんだ」
フェニットは飛び立とうとその双翼を広げた。昨日は良くわからなかったが、よく見るとそれなりの大きさのある紅の綺麗な翼だった。
「最後にこれだけは言っておこう。お前が心からソレ(・・)を望んだとき、憑着体は必ずお前に応える。自分の本当の望みを思い出せ」
そう言って、翼で空気を打ちながら飛び立つ。
「あ……おい待てよ! 何だよソレって!?」
俺の方も追いかけようと走りだすが、いかんせんここは屋上。すぐに鉄柵に阻まれてしまった。
「あーあ、結局肝心なところはなんにも分かんないままか」
ため息をついて肩を落とす。結局さっきの時間ってただ説教されただけな気がするのだが。
だが、クヨクヨしていても仕方がない。ここはとっとと掃除の方を終わらせよう。
「じゃ……もう時間もないし、とっとと掃除の続きを」
――キーンコーンカーンコーン
モップをとった瞬間、予鈴のチャイムが校内に鳴り響く。
あれ? ということは
「俺、タイムオーバー?」
「で、結局昼休みには終わらなかったと?」
妙義先生の冷ややかな視線が俺を射抜く。
「なんつーかその……すいません」
とりあえず頭を下げ、謝罪する。その様子に妙義先生は溜め息を吐くと、いつもどおりの柔和な表情を見せた。
「……まあ、昼休みだけで終わらせるのは無理だったかもしれないな。こちらも途中からそちらの様子を見に行けなかったということもあるし……今回はこれで終わりにしてよろしい」
先生はもう行っていいぞ、と言ったきり自分の作業の方へ戻ってしまった。何にせよ、終わらなかったことに対してお咎めなしだったと言うのはありがたい。俺はお言葉に甘えて教室へと戻ることにした。
「おう、義人。お説教と指導は済んだのか?」
教室へと戻る途中で、俺を見つけた樋橋がこちらに話しかけてきた。
「なんとか許されたってところかな。全く、屋上の掃除なんてやる必要あるのかよ」
「ハハ、まあそういう不毛な作業がこの学校の遅刻指導の伝統みたいなもんだからな。ある程度は仕方ねえよ」
樋橋は俺の愚痴を笑って受け流した。
「そうは言っても精神的には堪えるぜ……ん、そういや次の時間てなんだっけか?」
四時間目の教科を聞きながら、なにげなく視線を後ろに向けると
――トロイがそこに立っていた。
同じクラスの奴らに囲まれ、柔和な微笑を浮かべながら談笑しているかと思うと、こちらの視線に気づいたのか一瞬無表情になってまたすぐに甘いマスクでクラスの連中との話に戻っていった。
「……おい、聞いてんのか?」
トロイの方に気をとられていると、樋橋が訝しげな表情でこちらをのぞき込んできた。
「うおっ! いきなり驚かすなよ」
「人が親切に質問に答えてやってんのに、あさっての方向向いてるからだろうが」
眉を吊り上げながら文句をいってくる。そう言われてみれば最初に質問したのはこっちだった。
「ん、そういえばそうだったな。すまん」
「……なんか投げやりな感じがプンプンしてるけど……まあいい、とっとと戻るぞ。時間がやばい」
そう言って樋橋は廊下の時計を指さした。見ると、長針があと少しで本鈴がなる時間に重なる。
「おっ、本当だ。……四時間目って何だっけ?」
「だーかーらー……」
樋橋は文句をたれながら結局教えてくれた。なんだかんだでこいつも良い奴だ。
四時間目、五時間目が終わり、先生が今日のSHRで最後の挨拶を終えた。
「はあ……ようやく終わったか」
「さってと、部活部活―」
相も変わらず樋橋は部活のようだ。毎日毎日特撮ばっか見て飽きはしないのだろうか。
「バカかお前、その質問はご飯を主食にしている奴に毎日ご飯食べて飽きないのかって言ってるようなもんだぞ?」
あーそうかい、つまりお前にとって特撮はお前にとってパンであり、とうもろこしであり、ジャガイモみたいなものなのか。
「その例えは正確じゃねえな。俺からすれば日本以外の特撮は邪道だ。アメリカのパワーレンジャーとか、北朝鮮のブルガサリとかあんなのはダメダメ。まあ何が言いたいのかというと、つまり俺はご飯派というわけだ」
なんだかよく分からん。とりあえずこの場にいるとこいつの電波に毒されそうだ。とっととこの場から離れることにしよう。
「ちょっと待て」
襟首を掴まれた。
「どうせ今日も暇なんだろ? 折角だから付き合えよ」
「またかよ……一昨日もそんなこと言われた気がするぞ」
「正確にはこれで四十七回目だな」
なんだこいつ、正確に覚えているっていうのか気持ち悪い。
「とにかく付き合えって。今日はお前に見せたいものがあるんだよ」
予想はついたが取り敢えず聞いてやることにする。
「……なんだ、見せたいものって?」
「ウラトルマンシリーズのダイジェスト集だ。VHSの特典映像をDVDに焼きなおした」
案の定、こいつの趣味が全力全開にでている。
「なあいいだろ? 一人で見るとなんだか寂しいんだよ」
変なところで女々しいな。
「そういうなよ……一人で盛り上がっている時、ふと気がつけば部室には一人だけで、空には夜の帳が下りている……この寂寥感がお前にはわかるか!?」
分からん。というか分かりたいとも思わん。
「うるせえ! とにかく行くぞ!!」
俺の右手をとって引張る樋橋。いつもなら逆に引っ張り返し、バランスの崩れたところで足払いをかけてやるところだが……
「仕方ねえな……今日だけだぞ」
今日は何だかそんな気分になれなかった。
偶にはこいつの特撮談義につきあうのも悪くない。柄にもなくそんなことを考えていた。
何でだろうか……
まあただの気の迷いだろう。……そう信じたい。
「到着。さて、ようこそ友よ! 我が城へ!」
俺が連れてこられたのは北校舎3Fにある視聴覚教材室だった。確かこの部屋は視聴覚室で使う教材を補完する部屋のはずだが……
「それは世を忍ぶ仮の姿。果たして真の姿は……」
そう言って樋橋は鍵を開けた教室の扉を開いた。
「特撮文化研究会の部室なのだ!」
扉を開くとそこには本棚の列、列、列。
そびえたつDVDの山、山、山。
壁一面を埋める巨大なディスプレイ。
この部屋だけが学園の中で異質な空間として隔絶されている。
「これが俺が十七年かけて集めた宝……の一部だ。家にはまだこの三倍くらいはある」
これでまだほかにもあるってのか。ある意味尊敬するよ。
「さーて。早速だけど目的のブツを見ようぜ」
さっきから鞄を探っていた樋橋がスチャーンと取り出したのは透明なプラケース。中に入っているのが問題のDVDらしい。
「これが件のDVDか?」
白のDVDにはマジックペンで永久保存版と書かれている。
「そういうこと。ほら、そこに椅子があるから適当に座れ」
樋橋が指さしたところを見ると、確かにそこにはパイプ椅子が置かれていた(背もたれがボロボロなのが哀愁を誘う)。
とりあえず言われた通りに座ると、樋橋は黒のDVDデッキらしい代物にDVDを入れようとしていた。ん? あの形は……
「おい樋橋、それってもしやPS2じゃないのか?」
「お、よく気づいたな。家にはもう新型PS2もPS3もあるから要らなくなってさ。こっちの方に持ってきたんだ」
「フツーに問題だろそれって……」
「お前、この光景を見たらそんなもの大したこたあねえって」
笑いながらディスクをセットする。そういうことじゃないと思うのだが。
「よし、あとは再生するだけだな」
TVのスイッチを入れるとCGでできた五色のボールが画面上を踊り、やがて『宝刀』の文字が出てくる。『宝刀』というのはウラトルマンシリーズを作っているところだ。
「ほい」
樋橋がこちらに缶ジュースを渡してきた。おおサンキュー、と受け取り、ふたを開けてかっ喰らう。うん、いい感じに冷えている。
……ん? 冷えている?
「お前、これいつの間に買ったんだ? ここから自販機までって結構距離があったはずだが」
というか引っ張りながら買ってる暇なんざなかったと思う。
「ああ、そこそこ」
そう言って指差した先を見る。本棚の隅に四角くて白い代物が鎮座していた。
「なんだあれ?」
「冷蔵庫。ベイズィアで安かったから買ってきた」
「はあ?」
タハハと笑っている樋橋。完全にこの部屋を私物化しているなこいつ。
「ほら、始まるぞ」
そんな疑問もそのままに、樋橋に促されてTVの方を見ると、そこには『決定版 ウラトルマンシリーズ大全集!!』の文字がデカデカと表示されていた。
「キター!!」
テンションが上がってるのか、意味不明な言動をする樋橋。盛り上がってんのはいいけど零れてるぞ、ジュース。
「さて、と。まず最初は……やっぱウラトル9か」
「ウラトル9? 何だそれ?」
「ウラトルマンが放映される前の特撮番組さ。白黒だし、人間が自力で解決するってあたりはアメリカのアウターギミックに近いものがあるな」
「アウターギミックって?」
「その昔、アメリカで放送されていた特撮番組。トワイライトボーンとは人気を二分していたらしいな」
そんな感じで俺が質問し、樋橋が答える形式で映像を見ていった。
白黒の映像は今見ると独特の雰囲気があって、見ていて中々面白い。怪獣の造形も今の洗練されたデザインじゃなく、昔ながらの味のある形をしていた。
「実はこの番組は初回の放送では流されなかった回があるんだよ。再放送で初めて流されてな……」
樋橋の解説も人を引き込ませる話し方で、知らない間に俺は時間を経つのも忘れて、DVDに熱中した。
かれこれ四十五分、俺は俺の体を離れてDVDの世界に入り込んでいた。
「おし、これで最後かな。お疲れさん」
どうやら最後のウラトルマンの解説が終わったようだ。気づけば空がすっかり暗くなっている。
「おい義人、早く出てくれ。鍵が閉められねえぞ」
いつの間にか樋橋はカバンを持って廊下に出ていた。
「悪い、すぐに出る」
相槌を打って外に出る準備をする。カバンを背負い、廊下に出るとじゃあ行こうぜ、と樋橋が促す。
そのまま暫く二人で歩いている内にふと疑問が生まれる。俺はソレを思い切ってぶつけてみることにした。
「樋橋」
「ん? なんだいきなり」
「お前さ、特撮好きだよな?」
「好きって……お前、あの部室見てそう思わないやつがいるかよ」
「……どうしてだ?」
「は?」
「確かに面白かったよ、あのDVDは。だけどそれは本来なら小学生あたりにでも卒業すべきものだろ? 高校生なら……もっとこう打ち込めるものがあるだろ、勉強でも、スポーツでも」
そう聞くと、樋橋はふ、と遠くを見る目つきをした。
「まあ、確かにそうかもな。特撮なんてあまり人に言える趣味じゃねえかもしれねえ」
だけどな、と続けて
「それでも、ヒーローの活躍を眼をキラキラさせて見ていた、小さい頃のあの憧れは消えねえよ。TVの中で命かけて必死に何かを守るヒーローの姿はいつだって俺の憧れだった。勿論、今でもな。……まあ、今でも時々思ってたりするんだぜ? もしかしたら、俺の目の前にもヒーローが現れて、この世の悪を成敗したりするんじゃないか、ってな」
そういうと樋橋は肩を落とし
「結局、今でも棄てきれねえのさ。昔の自分って奴をな」
と言って苦笑いを浮かべた。
「そんなところだ。分かったか?」
「いや……正直はぐらかされた感じがして意味分かんなかった」
「なんだよそれ」
肩を落とされても困るな。まあ、ただ……
「ただ……」
「ただ?」
「お前がどんだけ特撮が好きなのかは分かったよ。そんなキラキラした眼をして話やがって。子どもかっての」
「……うるせ」
軽口をたたき合いながらお互い笑いあう。
……まあ、やっぱりこいつは馬鹿なんだな、いい意味で。
生徒玄関につき、靴を履き替える。外に出ると野球部がまだ部活をしているのか、ナトリウムランプの白光が野球場を照らしていた。
「んじゃ、俺はこっちの門から出るから」
樋橋は俺の行こうとしていた方向とは逆方向に歩き出す。こいつは駅から自転車で通っているからこれはある意味仕方がない。
「OK、それじゃまた明日」
そのまま特に何もいうことも無く、俺は南門へと歩き出した。
門までの60メートルの間、俺は朝のことを思い出していた。
ドラクールのことだ。
結局、なあなあでここまで放ったらかしていたが、手がかりは見つかっていない。
一体何処に行ったのだろうか。この辺りでアイツが知っている場所って言えば……
「義くん?」
背中越しの声が俺の足を止めた。俺をそんな風に呼ぶ奴は一人しかいない。
「随分遅かったじゃない。お話長かったの?」
――案の定、春奈鳰誣がそこに居た。
「お前こそ、部活帰りなのか?」
「ううん。部活は明日から本格的に再開するの。今日は発声を軽くやっただけだったからすぐに終わったよ」
まあ全国大会で銀賞とる位努力したわけだから、三日の休みぐらいは大目に見てくれてもおかしくはないな。
……いや、やっぱりおかしいぞ。だとしたら何でこいつはこんな時間にここに居るんだ?
「あーっと……ちなみに部活が終わったのは何時だ?」
「発声は20分ぐらいで終わったから……4時30分位かな。その後はずっとここに居たけど」
今の時間を腕時計で確認する……6時45分。
は? じゃあこいつは二時間以上もここで居たのか? 何でたってそんな酔狂なことを。
「だって……義くんに伝えたいことあったから……」
先程より心なしか小さめの声でそう言う鳰誣。そういう態度でそういう言葉を言われると、たとえ幼馴染でも少しそういう事を期待してしまうからやめて欲しい。
「伝えたいこと……って?」
「昨日の、事。ドラクールさんについてと、義くんについて……」
鳰誣からドラクールの言葉が出た瞬間、俺はさっきまで考えていたことを思い出した。
そうだ、何やってるんだ俺は。こうしている間にもドラクールは遠いところに行っているのかもしれないのに。早く探さないと。
「っ……すまない鳰部」
「え? すまない……って……」
「俺、ちょっと行かなきゃいけないんだ。大切な用事を思い出したんだ」
この時間になるまでドラクールの事を放っといたのは全部俺の責任だ。でも、だからこそ早く探しに行かなきゃいけない。二時間以上も鳰誣も待たせていたのは悪いが、今は急を要する。鳰誣の話は明日聞かせて貰うことに……
「大切な用事って、何?」
先程までとは打って変わって、張り詰めたような鳰誣の声が俺の思考を遮った。
「いや……それは……」
このことを正直話してしまって良いのだろうか。いや、やはりマズイだろう。説明するとなると俺の裏業の事まで話さなければならなくなる。ここは何とかはぐらかして……
「ねえ、教えて。どうしても知りたいの……!」
……駄目だ。こういう時の鳰誣に嘘は通じない。仕方ない、何とかぼかして伝えよう。
「……ドラクールの事だよ」
「ドラ、クール……さん?」
「ああ、ドラクールについて用事があってさ、どうしても外せないんだ」
正直、これで誤魔化せるかどうかは分からない。寧ろ『嘘だ!』と言いながら怒り出す可能性が高いと思う。
果たして結果は……
「……っ! ……っく……!」
あれ? なんか大人しいぞ? 顔俯けてるし。
「おい、鳰誣。一体どうしたんだよいきなり黙り込んで」
そう言って近寄ろうとした瞬間――
「近寄らないで!!」
感情が爆発したかのような怒声が俺の足を止めた。鳰誣のこんな声を聞くのは生まれて初めてだ
「な、何だいきなり大声出して」
「義くん、は……ドラクールさんに用が有るんだよね……? わた、私じゃなくて……ドラクールさんに……」
鳰誣は俺の声など耳に入らないかのように喋り続ける。
「いや、だからその話はまた明日に……」
「だから……私は……私は……もう!!」
言うなり鳰誣は背中を向けて走り出した。
「おい、鳰誣! 待てって! いきなり走り出してどうしたんだよ!」
俺も追いかけようとするが、角を曲がったきり姿を見失ってしまった。
「何だよ……一体」
いきなりの事で混乱したままだ。いきなり走りだすような答えだったか? さっきの
「……分かんねえ」
結局俺の頭では答えが見つからなかった。
「とりあえず、今はドラクールを探さないと……」
そう自分に言い聞かせ、俺は再び走り出した。
……二時間後。結局見つからないままだ。
この街のめぼしい所は全部回ったハズだ。何処に行ったってんだ……
疲労と混乱で立ち尽くしていると、突然俺の携帯が鳴り始めた。
「携帯……?」
そのまま放っておく訳にも行かず、俺は携帯を開いて通話ボタンを押した。
『あ、義人?』
「……何だ母さんか」
一体何のようだろうか。
『何だは無いでしょう、何だは。……あ、そうじゃないわ。今一体何してんのよ!』
「何って……外に居るけど」
『じゃあそこに鳰誣ちゃん居る?』
「鳰誣? どうして鳰誣の名前が出てくんだ?」
『さっき鳰誣ちゃんのお母さんから連絡があってね、まだ帰って無いらしいのよ。それであんたなら知ってるかと思って』
「な! まだ帰ってない!?」
あれから二時間も経ったってのに……てっきり帰っているのかと思っていた。
『まあ、鳰誣ちゃんもお年頃だからねえ。そういうこともアルトは思うけど……でもまさかアンタとじゃないとはお母さん驚きだよ』
意外そうな声でそういう母さん。意味がわからない。
「……何で俺じゃないと驚きなんだよ」
『だって小さい頃からアンタと鳰誣ちゃんはずっと一緒に居たじゃない? てっきりそういう関係かと』
「いや、でも最近はそういうこともなくなったし。そんな感情アイツが……」
『アンタじゃそんなこと分かんないでしょ? ……まあとにかく。早く家に帰ってきなさい。晩御飯が冷めちゃうでしょ』
「……分かったよ」
携帯を切ってカバンにしまった。しょうが無い、今日はここらで切り上げよう。
それにしても……鳰誣とドラクール、二人とも一体何処にいったんだ?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「はぁ……何やってんだろ、私」
ショッピングモールの人ごみの中で、私は一人ため息を漏らした。
理由は決まってる。幼馴染の義くんの事だ。
今日こそは言おうと思ってたのに、結局言えなかった。
それどころか……こんな所にまで走ってきてしまった。
「やっぱり、義くんにとって私は……」
幼馴染
小さい頃はそんな関係でも良かった。
でも、やっぱり私は……
「……っ」
いけない、また涙が零れそうになってしまう。
約束したから。
絶対泣かないって、彼と約束したから。
必死に自分に言い聞かせて、私はなんとか泣くのをこらえた。
……それにしてもさっきからなんだか肌寒い。
空調が壊れてしまったのだろうか。幾ら何でもこの寒さは異常だ。
……何だか体が震えてきた。風邪でもひいたのかな。早く家に帰ろう。
自動ドアのある方向に小走りで走り出した瞬間、
「きゃ!」
私は足を滑らせて転んでしまった。
「いたた……」
打ったところをさすりながら足元を見ると、市松模様の床にはうっすらと氷が張っていた。
「氷……なんでこんな所に氷が……」
よく見ると至るところに氷は張っていた。
それに気づいた瞬間、私の体感温度が急激に低下し始めた。
寒い。
真冬の屋外でもこんな寒さは感じないだろう。
少しでも寒さを凌ごうと両肘を抱える。
突然の事に戸惑いながら辺りを見回すと、床にマネキンが倒れているのに気づいた。
「マネキン……誰かが倒したのかな」
この辺はファッションショップが多いところだから誰かが倒したのかもしれない。
直してあげたほうがいいのかな……
ふと、周りを見回すと、何時の間にか私以外の人が全くいなくなっていた。
さっきまではあんなに居たのに。
もしかしたら私みたいに寒かったから外に出たのかもしれない。
……やっぱり私が直さなきゃなのかな。
倒れたマネキンを元の位置に直してあげようと近寄っていく。
よく見るとマネキンの周りには氷の欠片が散らばっている。なんだろう、あれ。
途中、氷に足をとられながら何とか近寄るとマネキンの形がはっきりと分かり……
……違う
マネキンじゃない
「これって……」
倒れていたのは
凍っている……人の死体
「あ、あああああああ……」
氷結して霜がおりた顔にはヒビが入っていて、そこから覗いているピンク色の筋みたいなのがミミズみたいに波打ちながら飛び出ていて床に転がっている目も割れたスイカのような頭ひもかたから先のない右てもからだからこぼれおちてしまったないぞうもぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ……
「ひっ……!」
恐怖のあまり尻もちをつく。
散らばっている氷片は……人の体の一部だった。
急激に冷やされて、体の中の水分が膨張して……破裂した。
なんで
……なんで
「なんで……こんな所で、人が」
体に力が入らない。
頭は早く逃げなきゃって思うのに、どうしても体が動かない。
「お願い……動いて……」
かろうじて動く両腕で体を引きずる。
ノロノロとだけど、これなら何とか外まで出られそう。
「早く……外に……」
「義くん……」
こんなときでも私は……やはり彼のことを思い出してしまう。
「お願い……助けて……義くん……」
泣かないから。
絶対に泣かないから。
だから……
だから私を助けて……
「おや? まだ人残ってたのか」
突然、私の頭上から声が聞こえた。
見上げると、二階通路の吹き抜けから見下ろす人の姿が見えた。
あれって……
「とりあえず、人質にでもなってもらうかな」
その人影はそのまま通路の手すりをよじ登って……落ちた。
「え……」
――違う、落ちたんじゃない。着地した。私の目の前に。
「最初はとりあえず眠っててもらうよ」
とん、と私のうなじに衝撃が走る。
これって、当て身……
意識が私の意志から離れ、静かに闇に落ちていく。
気絶する前に頭に浮かんだのは
「義くん……」
楽しそうに私に笑いかける、彼の顔だった。
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曲がり角を曲がった瞬間、いきなり眩い照明の反射光が俺の瞳を襲った。
ウッド・ステップの夜間照明だ。
この辺りでは一番大きなショッピングモールで、シネマコンプレックスも併設されていることもあり、休日は結構人が多い。今日は平日とはいえ、金曜のためそれなりに人もいるはずだ。
現に今も駐車場には……あれ、あの白黒のセダンは……
パトカーか!?
何か事件でも起きたのだろうか。……いや、どちらにしろ今の俺には関係ない。早く家に――
『義くん……』
……ッ!?
今、鳰誣の声が……
いや、気のせい、だよな。見渡してもどこにも鳰誣の姿は見えないし。
そんな、夢みたいなことが……
『助けて……』
……違う! 確かに聞こえた!
聞こえた先は……
……ウッド・ステップ。