第二話 第二章 雨と傘と留学生
「ぜえ……ぜえ……なんとか間に合ったか」
教室に飛び込むと同時にHRのチャイムが鳴る。ギリギリセーフ。
息を整えながら小走りで自分の席につき、カバンの中身を確認する。……よし、忘れ物は無いようだ。
「おう義人。今日はギリギリだったな」
斜め右後ろから声が飛んでくる。
振り向くとクラスメートの樋橋がニヤニヤ顔でこっちを見ていた。
「めずらしいじゃん。お前がギリギリなんて」
「ああ、今日はちょっと支度に手間取ってな」
樋橋が意外そうな顔を浮かべる。
「おやおや、お前がそういう理由で遅れるとはね。いつもそういうのは五分で済ますとか言ってるじゃん」
「まあいつもはな。今日はちょっと朝食の後に色々やってたら遅れちまった」
「ははあ……じゃあ今朝は彼女も待たせたって訳か」
したり顔でうんうんと頷いている。何言ってんだこいつ。
「彼女って誰だ? 鳰誣のことか?」
「他に誰がいるって言うんだよ」
当たり前といった顔でこっちを見てきた。
やれやれ、なんでたってこういう勘違いが多いんだか。
「あのな、誤解する奴も多いがアイツとは決してそういうような関係では……」
誤解を渡航とする俺の声は樋橋の呆れきった声で遮られた。
「なーにいってんだ。毎日一緒に登校しておきながらそんな言い訳が通用すると思ってんのか」
「そうは言うけどな、別にあいつと一緒に登校するのは朝だけだし、別に休日に一緒に何処か行くというわけでも……いや待てよ? そういや先週一緒に映画に……」
「……あああああ! リア充死ね!」
急に俺の首を締め上げてきた。苦しい。苦しいからやめろ。
「うるせえええ! 全国の非リアに代わってお仕置きしてやる!」
締め上げる力が更に強くなってきた。あ、やべ……頚動脈が締まってきた……
「ま、待て。マジで苦しい。ホントにやめてくれ」
「修正してやる!」
ヤバイ、オーバーロードしてやがる。こういう時は……
「お、おい。そろそろ先生来るぞ」
その言葉を聞いた途端にピタ、と止まって席についた。全くもって調子のいい奴だ。
HR後、授業も前半戦が終了して昼休みを過ぎた辺り、クラスの連中が急に移動し始めた。
「あれ? 今日なんか行事あったっけ?」
クラスの連中と同じく体育館シューズを持った樋橋に尋ねた。
「あれだ、留学生の歓迎会」
留学生? 今更なんでそんな奴が来るんだ。
「七組の矢内が先週からアメリカ行ってるだろ? その交換留学生が今日来るんだとさ」
そういえばそんなこと担任が言っていた気がする。しかしその時の俺は夜分遅くまで起きていたことによる寝不足で、そんな話を聞いているどころでは無かったのだ。
というより何でこんな時期に交換留学なのだろうか。まあどうでもいいけど。
「で、その留学生はなんていう名前なんだ?」
「知らね。でも確かドイツ系アメリカ人だとか言っていたな」
なんで名前はわからないのにそういうどうでもいい情報はわかるんだ。
とりあえず樋橋と一緒に体育館へ移動。
クラスのみんなはもうあらかた並んでいる。俺は番号が後ろのほうなので移動が楽だ。一方、樋橋のほうは真ん中の方なので移動が大変である。
そちらを見るとすいません、ごめんなさい、失礼します、と絶えず呟きながら列の間を進んでいる。
……あ、転んだ。
今度は視線を鳰誣の方へ移す。アイツは文系で俺は理系。よってクラスは必然的に別々なのだが、二人とも丁度境界線のクラスなので探すのは容易である。どうやら今は同じクラスの女子と話をしているようだ。今日のところはこのまま何もしてくれなければいいんだが。
「えーこれより、交換留学生の歓迎式を行います」
司会の先生の一声で生徒の話し声は一斉に止んだ。
「それではまず、学年主任の朝日先生のお話。朝日先生お願いします」
学年主任の先生の話が始まった。
内容は『留学生が来るのは毎年の事であるが、皆いずれもがこの学校での生活を楽しかったと言っていた。君たちも同じように思われるように歓迎してあげなさい』というものだ。この先生の話は面白いためいつもは突っ伏して寝ている俺も真面目に聞く。
話が終わり、再び司会の先生がマイクを握る。
「それでは留学生の紹介に移ります。留学生の人には檀の上で自己紹介してもらいます。みなさん拍手で迎えてください」
先生がそういうとどこからとも無く誰かが拍手し始め、それが周囲に伝播していく。波が広がるように一斉にみんなが拍手しはじめた。
……しかし、肝心の留学生が出てきた瞬間、その音に段々と女子のヒソヒソ声が混じりはじめる。
壇上に立った件の留学生はマイクに顔を近づけ、静かに話し始めた。
「皆さんハジメマシテ。ワタシの名前は、トロイ・レーンブルックです。祖父が日本人なので日本はダイスキです。コレカラ半年間、皆さんとイッショに楽しい学校生活が過ごせたら良いと思います。コレカラよろしくお願いします」
トロイと名乗ったその留学生の日本語は、所々カタコトなところが混じるものの、かなり流暢だった。祖父が日本人だとか言っているので恐らくその為だろう。
しかし、何よりも驚いたのはその容貌だ。眉目秀麗、明眸皓歯、金髪碧眼の三拍子が揃っている。まるで絵本の中の白馬の王子様をそのまま引きずり出した感じだ。そりゃ、所々から女子の黄色い声が聞こえてくるのも致し方あるまい。
「えー、トロイ君はさきほど本人も言っていた通り、これから半年の間君達と一緒に過ごすことになります。それではトロイ君、檀の上から降りてください」
司会の先生が降りる旨のジェスチャーをすると、トロイ君はフランス貴族を思わせる優雅な歩きで檀の階段を降りていった。
その後はいつも通り、司会の先生が連絡のある先生が居るか居ないか聞いた後、文系クラスから退場していった。
「まったく気に食わねえ、あの金髪豚野郎」
教室に戻ってきて樋橋がいの一番に言った言葉だ。
「そういってやんなよ、なかなか素直そうな奴だったじゃないか」
「け、ああいうのに限って裏は結構腹黒かったりするんだよ。あとは自分の顔を鼻にかけてたりな。あーうざったいうざったい」
体育館から教室に戻ってくる途中も、戻ってきてからもさっきからこいつはこんな感じだ。いい加減反応するこちらもつかれてくる。
「もうやめとけって。他の奴が聞いたら妬んでいるようにしか聞こえねえぞ?」
「事実妬んでるんだからいいんだよそれで! 世界中のリア充は俺の敵だ!」
もはや処置なしである。こういうのも選民思想というのだろうか?
「というかお前、俺と鳰誣の仲は茶化してくるじゃないか。そう言うのはいいのかよ」
「ああ、あれはやってて面白いからいい。ただ、お前がリア充アピールしてきたら殺すけどな」
……もはや何も言うまい。
そのまま午後の授業もHRも無事に終わり、今日一日の学校でのイベントはすべて終了した。掃除は今週は無い週だから楽だ。
バッグに荷物を詰め込んでいると樋橋の方はもう詰め込み終わったらしく、エナメルを肩に背負い始めた。
「おっし、部活、部活っと。義人、お前はいつも通りそのまま帰るのか?」
「おう、そのつもりだ」
俺は帰宅部なので基本的に授業が終わればそのまま直帰だ。今日も例外なくそのつもりである。
「でも今外は雨ふってるぞ? 傘持って来てんのか?」
「え、今雨ふってんのか!」
窓の外に駆け寄ると確かに通り雨がザアザアと降っている。マジか、今日は大丈夫だと思ったのに……
「そういう訳で今から俺の部活に来ようぜ!」
樋橋がそう誘ってきた。歯をちらりと見せて笑っているところがなんだか気色悪い。
あれ? そういやコイツが入っている部活ってなんだっけか? インドア全開のコイツのことだから運動部ってことはないと思うが。
「お前の部活って何部だっけ?」
俺がそうきくと樋橋は手を頭においてやれやれと頭を振り、
「おいおい、忘れたのかよ? 特撮文化研究部だ!」
げ! そういえばそうだった。こいつの部活は特撮文化研究部とかいうぶっ飛んだ部だったんだ。
樋橋。本名樋橋透。俺と同じ厩橋学園二年四組。校内屈指の特撮好き(というかオタク)で自宅パソコン内のライブラリーにはマニア垂涎の逸品が数多くあるとかないとか。
「残念だが急用を思い出した。今日は少し濡れて帰ることにする」
「おいおい、そんなこと言うなよ。今日はようやくカタストロフマンのLDが手に入ったんだぜ? 一緒に部室で見ようぜ?」
断る俺に樋橋はしつこく誘ってくる。
というよりLDってもしかしてレーザーディスクのことか? なんでそんな数世代前の規格の再生機器が部室にあるんだ。
「嫌だよ。他の部員と一書に見ればいいだろ」
「な! そ、それは…………う……ぐ、ひっぐ……ひっぐ」
俺が正論をいうと樋橋は急にこの世の終わりのような顔ですすり泣き始めた。おいおい、なんだよ急に?
「それができたら苦労はしねえよ! 部員は部長の俺ひとりだけだ!」
あーなるほどね。何となく予想はしていたが。
「それじゃひとり寂しく見ていてくれ。リア充は敵なんだろ?」
そういってカバンを担ぎ、廊下にでて玄関へと歩き出す。
……後ろから樋橋が追いかけてきた。しつこい奴だな。
「待てよ! それじゃお前自分をリア充と認めるんだな! やっぱそうだったのかこの裏切り者!」
おもわずズッコケた。それが言いたいがためにわざわざ追いかけてきたのか。ご苦労なことだ。
「はいはい、この際リア充でもピカチュウでもなんでもいいよ。とにかく俺は帰るからな」
「面白くねえよ! いいから速く部室にこい! そんでカタストロフマン見てからじっくりお前をなぶり殺しに……」
「そう言われて誰が行くか」
樋橋の左足を右足で足払い。面白いように倒れた。そのまま帰宅行程の進行を再開する。
……というか面白くないとか余計なお世話だ。
玄関に行くと鳰誣がそこにいた。
「やっぱりまっすぐここに来た」
俺の姿を見ると、すぐさまこっちに近寄ってくる。
「今朝は誤魔化されたけど今度はそうはいかないからね!」
そういって俺の顔に指を突きつけてきた。
マズい、今度は言い逃れできそうにないぞ。なんとか先延ばしとかないと。
「あー悪い、今日は急用があってもう帰んなきゃなんないんだ」
「そう……じゃあ一緒に帰ろ! その間にお話すればいいじゃない」
「一緒に帰るって……おまえ合唱部のほうはどうしたんだよ」
「最近コンクールが終わってね、それで暫くは休みだって顧問の仁井田先生が言ったの」
そういうと両手を腰に当て胸を反らした。
やれやれ、どうやらもう逃げ道は無いようだ。せめて今のうちから言い訳を考えておくことにしよう。
玄関をでると案の定雨はまだ降っていた。
「ちっ、雨はまだ振ってるのか」
しかたない、今日は濡れるのを覚悟で帰るとするか。横を見ると鳰誣はきっちり傘を持っている。こういうところはしっかりしているんだな。
意を決して屋根がへり出ているところから出ようとする。
……その時鳰誣がこっちに傘を差し出してきた。なんだ、一体?
「傘、無いんでしょ? 入れてあげるよ」
当然のように言ってきた。提案はありがたいが、流石にこの歳になって相合い傘というのもなあ……
「ほら、早く入って。どうせ話をするんならこっちのほうが都合がいいでしょ?」
腕を掴まれると有無を言わさず傘に入れられた。といっても身長は俺の方が高いので鳰誣は腕を上に伸ばす感じで傘のなかに入れることになる。
そのまま校門へと歩いていく。嗚呼、生徒の視線が痛い……
--しかし厚意で入れてもらっているんだから文句は言えない。素直に礼ぐらいは言っておこう
「……なんか、すまねえな」
「ううん、気にしないで。この傘大きくて私だけだと結構スペース余るし」
そういう鳰誣は、はにかんだように笑っている。
考えてみたら相合い傘というのも久しぶりな気がする。
中学の時に一緒に帰った翌日みんなに冷やかされて以来、こういう事はしなくなった。思えばあの時期から一緒に帰らなくなったな……
そのままお互い話を切り出せずに歩いていく。
ザアザアという雨音がベールとなって俺たちを包み込み、足音以外の音は一切聞こえてこない。
「ねえ、濡れちゃうよ? もっとこっちに寄りなよ」
確かに今のままだと少し左肩が濡れている。その言葉に素直に従うことにした。だが実際寄ってみると俺の腕と鳰誣の肩とがあたって少し歩きづらい。
……まあ濡れるよりかはマシか。
「……久しぶりだよね。こういうふうに一緒に帰るのも」
さっきの言葉をきっかけにして、鳰誣はポツリポツリとしゃべりだす。
「相合い傘もな」
俺の言葉に鳰誣も頷いて、クスっと笑った。
「そういえばそうだったね。あの時は結構一緒に帰ったのに」
「帰宅部の俺がお前の終わるのをいつも待ってたんだっけ」
「そうそう、私部活が終わってから直ぐにいってたんだよ。お陰でみんなに付き合い悪いっていわれたこともあった」
「へえ、そりゃ初耳だったな。変に急かしたりして悪いことしちまったか?」
尋ねてみると鳰誣は首を横に振る。
「ううん、そんなこと無かったよ。むしろ嬉しかった」
「嬉しかった? 何で?」
「だって……」
そういって一旦息を吸って、何かを言いかけようとしたが
「……ううん、何でもない」
そのまま顔を俯けてしまった。
「……そうか」
俺もそれ以上は何も言わず、ただただ歩を進めていく。
気づけば校門まであともう少しだ。
このまま家に帰るのかと思いきや、ここにきて鳰誣は再び俺に話しかけてきた。
「あのね、義くん」
「何だ?」
「私ね、本当はまだ義くんに言っていないことがあるの」
「……え!?」
その言葉を聞いた瞬間俺は一気に鳥肌が立ち始めた。恐らく雨の寒さだけではあるまい。
というか言ってないことってまだあったのかよ!
「言いたいことってつまりあの」
「うん、義くんについてのこと」
マ、マズい! やはり俺の正体について知っているらしい。一体、いつから知っているって言うんだ。
「あのね、これは三日前とかそんな最近のことじゃなくて、もっと前の話」
……ん、もっと前? もっと前っていうと……俺が学園戦士コウリョウになった(というかさせられた)あたりからもう知っていたということか! マズすぎるぞ。いつの間に調べたんだ。
ああ、なんかほほ染めてるし! 俺だって恥ずかしいことしてるって自覚ぐらいあるよ! 頬を染めたいのはコッチのほうだ!
「そ、それで……今度はそれについて聞きたいってことか?」
「う、うん」
うわあああ、まさかこんな展開になるとは思わなかった。こっちの言い訳は考えてないぞ。このままだと何もかも話すことになっちまう!
「そ、そうか。ああ、まいったな……ん?」
校門の方に視線をやると誰かが立っているのに気づく。何だか見たことがあるような……
あ! まさかアイツ!
「ちょ、ちょっと待っててくれ。確かめたいことがある」
返事も待たずに傘から飛び出して校門の外に駆け出す。
「あ、ちょっと待って! 濡れちゃうよ! 待ってってば!」
「悪い、必ず戻るからそこでちょっと待っててくれ!」
返事もそこそこに校門の外へと急ぐ。
果たして校門の外に待ち構えていたのは――
「遅かったじゃないか」
「やっぱお前だったのかよ……ドラクール」
――セーターを羽織って左手に傘をさしたドラクールだった。
ったく、おとなしく家で待ってろっていったのに……
「なんでここに来たんだよ、家で待っててくれって言ったろ?」
俺が文句を言うと、ドラクールは右手に持っているものをこちらに突き出してきた。金属の骨組みにビニールが貼られた防雨具――いわゆるビニール傘というものだ。
「お前、今日傘を忘れただろ? もってきてやったぞ」
「え、お前それって……」
ううむ、わざわざ持ってきてくれたのか。
どう言ってやればいいか考えあぐねていると、ドラクールは突き出した傘を腹に向かってついてきた。痛い。
「グェッ! 何すんだお前、痛てえじゃねえか!」
「そっちこそ何か言うことがあるんじゃないのか!?」
腹の衝撃は意外に強く、何か言おうにも蹲りながらになってしまう。
そんな俺をドラクールは目をいからせて睨んでくる。
腹立たしいことこの上ないが仕方がない。ここは下手に出よう。
「わ、悪かったよ。ありがとな、傘持ってきてくれて」
やっとこさ謝るとドラクールもそれで満足したようだ。
「ふん、わかればいいんだ」
そういってこっちに微笑みかけてきた。くそ、こんな状況じゃなかったら素直にカワイイと思えるのに。
そう思ってると今度は何かを急かすような顔になる。コロコロと表情の変化が激しい奴だ。
「おい、何ぼうっと突っ立てるんだ。早く帰るぞ」
さも当然のようにいってきた。いや、待て、俺は今ニオブを待たせているんだが。
「いや俺はちょっとまだ用事が……」
「つべこべ言うな。ほら、さっさとこれを持て」
右手に持っている傘を無理やり握らせてきた。
うーん、これはどうしたものだろうか。
手に持った傘をさすべきか否か答えが出ないままでいると、ふいに後ろから誰かが呼びかけてきた。
「おーい義くん。私、いつまで待ってればいいのー?」
ヤバイ、鳰誣だ。しかもだんだん足音はこっちに近づいてきてるし。
「何だあいつは? 義くんとか言っているがお前の知り合いなのか?」
ドラクールが校門から様子を覗こうと顔を出そうとする。俺は間一髪のところでドラクールの肩を抑えた。
「ストップだドラクール! お前が関わると面倒な事になる」
「何だ人を疫病神みたいに。私だってちゃんと自己紹介ぐらいはできるぞ。……はじめまして、ドラクールです。性別は女で、種族は憑着体です。今は義人くんのパートナーをやっています……ほらできるだろ?」
「自己紹介なんてそんなこと今は全然求めてねえんだよ! それ以前に自己紹介で種族を言うとかトチ狂ってんのかお前は!」
というよりこいつに義人くんとかいわれるとむず痒くてしょうがない。
「ねえ、誰と話してるの義くん?」
ギクッ、という音ともに俺の筋肉が一斉に硬直した。
「あれ? 誰なのその綺麗な髪の人。義くんの知り合い?」
鳰誣は俺を押しのけてドラクールの方に近寄っていく。待て鳰誣、それ以上にそいつに近づくと危険だ!
ドラクールはドラクールで鳰誣に向かって一礼をした。
……マズい、非常に嫌な予感がするぞ。
「おい、ドラクール待て! お前今何しようと……」
「はじめまして、ドラクールです。性別は女で、種族は憑着体です。今は義人くんのパートナーをやっています」
や、やりやがった……
この状況が自己紹介する空気に見えたのかよ。内容もシッチャカメッチャカなままだし。
問題のドラクールは余裕を滲ませた笑みを湛えている。やはりこいつは事の重大さに気がついていないようだ。
鳰誣の方を見ると、こちらは相当なショックを受けた顔をしている。まあ無理もない。名前のぶっ飛び具合もさることながら、自己紹介で種族のことをいう奴なんてそうはいないだろう。
「あ、あの。パートナーって……どういう意味ですか?」
……あれ? ソッチの方に食いついてきたのか。
「文字通りの意味です。私と義人くんは一心同体。とはいっても、それを強要したのは私なんですけどね」
ドラクールは飾った口調で質問に応じる。強要したって自覚があるならもうちょっと俺を思いやってもらいたいんだが。
「そ、そうなんですか…………ありがとうございます」
そういう鳰誣の顔は真っ青だ。いきなりどうしたんだ、貧血にでもなったのだろうか。
「おい鳰誣、顔色悪いぞ。気分でも悪いのか?」
鳰誣に近づくと視線をそらされた。少し傷つくぞそういう態度とられると。
「ううん……何でもない。ごめんね邪魔しちゃって」
鳰誣は視線を俺の手に持った傘から逸らそうとしない。その顔は更に青白い。
「傘……持ってきてくれたんだね」
「あ、いやこれは」
「わ、私先に帰るね! ……また明日!」
手を振って走り去ろうとする。
「おい! 聞きたいことがあったんじゃないのか?」
「いいの! もう……もういいの!」
そのまま傘もまともにささずに走って行ってしまった。
俺としては正体がバレずに済んで助かった訳だが、やけに腑に落ちない。
いきなり聞く気がなくなったのは何故なのだろうか。
……わからない。
「おい、どうだった私の自己紹介。なかなか丁寧に出来ていただろう?」
ドラクールが俺の前に回ってくる。さっきの自己紹介がまともだと本気で思っているのだろうか。
「口調はともかく、あの内容は何だ。普通の人間が聞いたら耳を疑うような内容だったぞ」
「それはつまりお前は普通の人間じゃないということか?」
話の腰を折るんじゃない。
「とにかく、話は終わったんだろう? 早く帰ろうじゃないか」
俺の腕をドラクールが引っ張った。少し痛い。
「おいおい、そんな強く引っ張るなって」
「しょうがないだろ? 久しぶりに外にでられたんだ。ちょっと位はしゃいだっていいじゃないか」
水たまりの上でチャプチャプとスキップしながらドラクールはこちらに笑いかけてくる。すこしドキリとしてしまう自分が情けない。
「……しかたねえな。誰かに見つからないうちに早く帰るか」
ドラクールに向けて歩き出す。パシャパシャと水たまりを踏む音が耳に心地いい。
……ん?
おかしいな。さっき誰かこっちを見ていたような気が……