第二話 ~プロローグ~
夜、月明かりが寂れた郊外の路地を照らす。
三叉路で、ライナス帝国侵攻部隊隊員スタッガは一人愕然とした。
なんだこの男は。
なんだこのデタラメな動きは。
なんだこの異常なまでの速さは。
いずれもが彼の常識には収まらないほどに、“それ”の動きは物理法則を無視していた。
残像すら残さずに視界から消え、いつの間にか自分の背後に立っている。
明らかに普通の動きでは無い。
――しかし、何よりも彼を驚愕させたのは、その動きでは無かった。
「お前……何だよ……何々だよその剣は!」
“それ”が持っている剣らしきものが振るわれる度に、彼の身体の至る所が煙を上げ、溶けていく。
更にいえば剣の長さも一定ではなく、後ろに跳んで避けたと思っても刀身が伸びて切られることも度々だった。
(……! またこいつは後ろに!!)
ふと気づけば“それ”はまた後ろに立っている。音も、影も、何も残さない上での移動で。
だがそれでも今度は先に斬撃に気づけたため、前に跳んで避けることができた。伸びる刀身もそこまでは届かなかったようだ。
しかし、こうしている間にも左の肩は煙を上げ、右の手首から先は既に崩れ落ちている。
――――ボトリ
不意になにかが抜け落ちるような音がした。
それは右腕が肩を根元にして、彼の身体から消失した音だった。
「ぐあああああ!」
四肢の一つを完全に喪失した痛みが彼を襲った。
(このままではヤバイ、ここはひとまず撤退しないと!)
わずかに残った思考で、ここにきてようやく彼は逃亡を決意する。
――しかし、直後にライナス帝国の訓戒を思い出した。
『帝国に腰抜けは必要ない。侵攻の際の逃亡は極刑に処す』
既に自分に逃げ場はなかったのだった。ここで死ぬか、後で死ぬかのどちらかしかもう自分には残されていない。
絶望が彼に残された最後の思考を塗りつぶしていった。
「ちくしょおおお、当たれ! 当たれよ!」
絶叫しながら彼は“それ”に向かって、左手についた武器『金剛切斷器』を飛ばす。
巨大な栽バサミの刃の部分に似た獲物が、根元についたワイヤーを巻き上げ、文字通り刹那のごとき速度で“それ”へと飛んでいく。
迫る刃は本来ならば攻撃のモーションが見えても避けることなどできはしない。それほどまでの瞬速。
……なのに。
(まただ……またこいつは違うところに……!)
“それ”は金剛切斷器が飛ばされた瞬間、既に今までと全く違う位置にまた(・・)移動していた。
最初は超高速で移動をしているのだと思った。だから金剛切斷器を飛ばすと同時にワイヤーが“それ”の足元にかかるように仕向けた。
だが、足に引っかかった感触がしたと思うや否や、その感触は喪失し、“それ”は少し離れた所で剣を構えていた。
あるいは死角から狙えばいいとも思った。だから一端姿を隠してから、死角となる場所を探し、そこから狙い撃った。
だが、“それ”はまるで体中に眼があるかのようにこちらの攻撃を尽く避けた。
そして、外した代償は剣の攻撃によって贖われる。
つい数瞬の間、五分前の事を思い返していると、“それ”がどこにもいないことにスタッガは気づいた。思わぬことに肝を潰す。
(ば、馬鹿な! ここで咄嗟に隠れられるところなどあるわけが無い!)
確かに彼の言うとおり、先程まで彼と“それ”のいた三叉路は見渡しも良く、そう簡単に隠れられる所はなかった。
(どこだ、どこに隠れた!?)
辺りを見回して姿を捉えようと試みるが、奇妙なことに数百メートルは見渡せるはずの道には“それ”の影も形も見えなかった。
(右、左、後ろ……どこだ、どこに居る!)
息を荒らげながらあたりを見回すその姿には、冷静さの欠片もない。
当たりを走り回りながら探していると、不意に彼の目の前に影がさした。
「なんだ。この不自然な影、は……」
不審に思って空を見上げると、そこにはおそらく今晩で一番彼が驚愕したであろう光景が広がっていた。
「空を……飛んでる?」
月明かりを背に受け、“それ”は夜空に浮かんでいた。翼を目一杯に広げ、剣を持って佇むその姿は、ともすれば神話の中の悪魔にも見えた。
「一体なんだあの個体は。記録にあんなものは……いや、まさか!?」
必死に記憶の中から、とある憑着体――異世界よりきた機械生命体――の情報を探し出す。
(そう、確かあれはタイプドラゴンの……)
そこまで思い出したところで彼は記憶のサルベージを中止せざるを得なかった。
“それ”が彼に対して急降下を仕掛けてきたのである。
(く、不味いぞ……こっちにくる! なにか、なにか方法は……)
半ばパニックになりながらも、彼はなんとか策を講じようとする。
戸惑う視線が左手の武器に行く。
その瞬間、彼の頭部の電子回路に稲妻のごとく電流が流れた。
(そ、そうだ! こっちに一直線に降りてくるってことはカウンターを仕掛ければ良いんじゃないか! タイミングさえ合わせれば逆にあいつを……)
ここに来て見えた唯一の希望。それは彼の消えかけていた闘志を再び奮い立たせるには十分だった。目に輝きを取り戻すと、急いでワイヤー引き絞って腕先を目下急降下中の“それ”へと向ける。
(外すな……外すなよ、俺。大丈夫、こっちはタイミングをあわせさえすればいいんだ)
必死に自分を落ち着ける。もっとも彼自身、タイミングをあわせてのカウンターには自信があった。実際に敵対する相手を同じ方法でなんども屠ってきたこともある。落ち着いてさえいれば勝機はこちらにある。彼はそう考えていた。
自らを落ち着かせようとしているうちに“それ”は彼の眼前へと迫ってきた。
(来る……これで…………決める!)
もはや彼に打算や、恐怖心など存在してはいなかった。
――この一撃ですべてが決まる。
――この一撃ですべてが終わる。
その思いだけが彼を突き動かし、そして彼の左腕を“それ”へと突き出させた。
「切り裂け! 『金剛円断』!」
目を閉じて左手を突き出した瞬間。左手の武器の刃が巨大化し、猛烈な勢いで回転しながら目の前の空間を円状に切り裂いた。タイミングは完全にあっていたはずだった。
(この技はまだ見せていない。完全にフェイントをつけたはずだ!)
勝利を確信して目を開くと、そこにはなにも無く、ただ無人の三叉路が視界に映るだけであった。
――刃はただ虚無を空振ったにすぎなかった。
「……嘘だろ? 幾ら何でもあの勢いで突っ込んできて当たらないなんてことが……」
今度こそ、完膚なきまでに彼の闘志は消失した。茫然自失としていると、背中から視線のような、殺気のような、言葉では形容し難い妙な気配が彼を襲う。
(後ろだと!)
振り返ろうと首を後ろに向けた瞬間――
「逆鱗斬」
彼の目の前を眩いオーラのようなものが覆った次の瞬間、彼の身体が急激な勢いで崩壊していく。
(な、何故だ……何故後ろに奴がいるんだ……)
次々と停止していく頭部のセンサー類の中、湾曲検知センサーが空間跳躍が行われたことを示す信号を彼の回路に送ってきた。
(瞬間、移動…………だったのか……)
掠れて良く意識の中、最後にこれだけは聞こうと力を振り絞る。
「お前……一体、誰……なんだ? 名前……名前を、教えてくれ……」
目の前の“それ”に精一杯の力でそう聞くと、“それ”は初めてうろたえた様子を見せる。
「お、俺の名前なんかどうでもいいじゃねえか。なあ?」
『……どうせ最後だ。それぐらい教えてやれ』
なぜか若い男と女のふたり分の声が聞こえた気がした。
溜息一つ吐いてから男の声が聞こえてくる。
「はあ、しかたねえ……いいか、一回しか言わねえからな。よく聞いとけよ」
その言葉を、そして次に言われたその名前を、彼は意識が消失する最後の刹那、確かに聞いた。
「俺の名前は……」