第二話 第八章 上書きの真実
不意に体がビクリと震えた。
体の感覚が次々にもどっていき、血液の流れる感覚がビリビリという痺れと共に体中に広がっていく。俺はゆっくりと眼を開けた。
目の前にいきなりトロイ……プロミネンスの顔が広がった。
「のわ!」
思わずそんな情けない叫び声をあげてしまう。
「ん……なんだ目が覚めたか」
トロイはどこか力のない声でその言葉に反応した。
「あ、ああ。お前のお陰で何とかな」
「は……珍しいな。お前が感謝の言葉言う……なんてよ」
「うるせえな。俺だってそれぐらいの礼節は弁えてるっつーの」
そう言って立ち上がると、それと同時にトロイの体が床にバタンと倒れた。
「……トロイ?」
言葉をかけても何の返事も返ってこない。
「おい、どうしたんだよ。おい!」
思い切り揺さぶるが、それでも反応が返ってこない。一体どうしちまったんだ。
「はっ、やっぱり倒れたんだ。そりゃああんな無茶したら誰でも倒れるよね」
背後から聞こえてくる嘲りの声。振り返ると、氷川が右手に先程の槍を、左手に刀身を失ったアルマブレードを持ちながら立っていた。
「氷川……てめえいったい何をした!」
「別に? ただ普通に攻撃しただけさ。僕は当然避けるんだと思ってたんだけどね。でもそいつ、君を抱えながら全然動かないんだ。言葉通りの無抵抗さ」
「じゃあ……トロイは俺のために……?」
「そう、鎧の炎で君を温めていたらしいんだけど……それにしてももうちょっと抵抗のしかたがあったと思うよ」
馬鹿な。何で俺のためにそんなバカなことしたんだ……
「馬鹿野郎……何やってんだよ! トロイ!」
倒れたトロイを抱え、俺はその体を仰向けに直した。
「それでお前が倒れてどうすんだよ……」
「しかた……ねえだろ。俺じゃアイツは倒せねえ……から」
意識をなくしていたのかと思ったが、トロイは虫の鳴くような声で返事をしてきた。
「トロイ……! 倒せねえって……いったいどういう意味だ?」
「昨日も言っただろ……俺の炎は攻撃に使うと……全部を、燃やしてしまう……だから、人間相手じゃ本気は……絶対に使えない」
「そんな……じゃあお前が攻撃しなかったのは……」
「憑着体だけを倒し、人間だけを救えるのは……義人、お前らだけなんだよ」
「俺らが……? 何で俺達だけなんだ?」
「ドラゴンエナジー……それを使ってでしか、憑着体だけを倒し、人間を救うことはできない……だから、俺はそのために日本に……グッ!」
ゴホゴホと咳き込み、苦しそうに胸に手を当てる。
「フェニットにも悪いことをした……俺を守り、お前を救ってくれたのはこいつのお陰だ…………ああくそ、もう意識がもちそうにねえ……義人、後はお前の仕事だ……アイツを、救って……やれ」
「俺が……救う?」
「そうだ……お前しかアイツに憑いた憑着体の力を……消すことができない……」
「で、でも、俺にどうやって……? アルマブレードもアイツに捕られちまったし……」
「……顕現だ」
「え?」
「顕現の真の力を使え……」
「ま、またそれかよ! 結局、真の力っていったい何だよ!」
「お…………だ……」
「……おい、トロイ!?」
トロイの返事が返ってこない。俺は再びトロイの体を揺さぶる。
『……無理だ。もう既に意識は失っている』
ドラクールが止めてきた。でも結局、顕現の真の力って奴の意味が分からないままだぞ。このままじゃ俺は丸腰でアイツと戦わないと……
『心配はいらん。それは私が教えよう』
……私が教える? じゃあお前は元々知っていたってのか? なんで今まで黙ってたんだよ。
『……すまん、義人。私は恐れていたのだ』
恐れていた?
『顕現の真の力は強力である反面、非常に不安定な出力を利用した代物だ。安易にそれを教え、お前がそれに飲み込まれてしまうのではないかと……私は恐れ、その存在を秘匿していた。だが、もう私は迷わない。今のお前なら飲み込まれること無く、この力を使いこなすことができるだろう』
……じゃあ、教えてくれ。一体真の力ってのは何なんだ?
『顕現の真の力……それは現実の思考による上書き、名をオーバーライティングという』
オーバーライティング?
『簡単にいえば、強い思い込みの力により、現実の物理法則はおろか、存在、運命まで操る行為だ』
存在、運命? ちょっとまってくれ。そんなものが本当に思い込みで何でも思い通りに操れるってのか?
『何でも、というわけではない。例えば私なら空間移動、形状変化だけしか操れないし、フェニットは防御、結界しか操れない』
なるほど、万能ではないというわけか。……でもどうやってそんなことをするって言うんだ。
『思い込め。なんども同じ思考を繰り返し、頭に刷り込み、それを言葉にすることで顕現させるのだ』
……つまり最後は根性論というわけか。いいだろう、やってやるよ。取り敢えず刷り込めばいいんだな。
俺はトロイの体をゆっくりと地面に置き、氷川の方へと向き直った。
「ん……話は終わり? 待ってみたのはいいけど退屈だね、誰かを待つってのは」
あくびをしながら氷川がこちらを向いてくる。
「安心しろ、もう話は終わりだ……後は、お前を倒すだけだ」
拳を構えて戦闘態勢をとる。氷川はヒュウ、と口笛をする。
「へえ、今度はこぶしで戦うつもりかい? そんなので本当に勝つつもりなのかな?」
「つもりじゃねえ、勝つんだよ!」
言いながらも俺はドラクールに言われた事を思い出す。なんども思い込む……って言われてもそんな簡単にいくものでもない。だが、それを使わないと丸腰のまま勝てそうもない。なんとかしてこの戦いの間にモノにしないと……
「迷いは隙を生むよ……氷刃礼突!」
「――!」
俺が迷っている間に、氷川は右手の槍状の武器を構え、突きを連続で放ってきた。だが直線的な攻撃だったのが幸いしたのか、俺は間一髪で避けることができた。
「――へえ、なかなか器用に動くじゃないか。でもそんなんじゃ何時まで経っても僕には傷ひとつ付けられないよ?」
「ハア……ハア……黙ってろ……」
軽口を叩く氷川を黙らせ、俺は更に思考を集中させていく。
だが、集中させようとした瞬間に氷川の攻撃が飛んでくる。こんな調子では何時まで経ってもできそうもない。どうすればいいんだ……
『落ち着け、義人。集中するのは何か一つ、それもささいなことでいい。そこからイメージを繋げていって顕現をする。それが最も簡単な方法だ』
ドラクールが俺を落ち着かせようと言葉をかけてくる。だが、そんな言葉も俺を混乱させることにしかつながらない。
「んなこと言ったって……分かんねえもんは分かんねえよ!」
背中を向けて走り出し、氷川から距離を取る。この状況じゃ、接近していてもいいことは一つもない。
「今度は逃げるのかい?」
「ちげえよ! 戦略的撤退だ!」
跳躍で二階に上がり、走り続けながら劇場方面に向かう。このままなら一旦形勢を立て直したほうがいい。なにより今のままでは攻撃することすらままならない。暫く走り続けると大きめの雑貨屋が目に入った。あそこなら隠れるのに調度よさそうだ。
「……よし! 一旦あそこの店に隠れて……」
「へーえ、そこに隠れるんだ?」
「なっ……!」
店に入り込んだ瞬間、背後に氷川が立っていることに気づいた。どうやってここに……
「移動の速さなら僕の方が速いってこと知らないんだね。わざわざ逃げられないところまで移動してくれるだなんて、ゴクローサマ♪」
「くっ……」
既に俺は店に入っていて、今はちょうど袋小路に追い詰められた状態になっている。逃げ場所がない分さっきよりも格段にピンチだ。
「覚悟はいいよね……?」
氷川は手に持った槍を構えた。避けるスペースは既に存在しない。……どうやら俺も最後のようだ。そう思うと、意識が妙に落ち着いてくる。
と、そのとき氷川のもつ武器にオーラがまとわりついている事に気づいた。おかしいな、あんなものさっきまでなかったはずなのに……それに気づいた瞬間、氷川の動きが突然にスローなスピードに低下していく。
――なんだこれ。こんなスピードで構えて俺に当てるつもりなのだろうか。攻撃が届くまでにこの店を三周ぐらいできそうだ。こんな攻撃、簡単に――
「――避けられる」
その瞬間、俺の体が何かに引っ張られていくかのように動き、それと同時に氷川の動きが通常通りのスピードに加速されていく。
「氷刃礼突・三十の連……」
氷川が言い終わる瞬間、俺は既に氷川の背後に立っていた。氷川の放った突きの連発は当然当たるわけもなく、すべてが虚空を突くだけに終わった。
「な……何だ! 何が起こったって言うんだ!?」
困惑する氷川の声が、今起きたことが現実なのだと俺に告げていた。正直言って俺にもさっきのがなんだったのかわからない。急に氷川の動きがスローになったかと思うと、いつの間にか氷川の後ろに移動しているし……
『違う、これがオーバーライティングだ』
ドラクールが俺の思考を遮ってきた。
これがオーバーライティング? 余りに唐突すぎて何が何だかわからないぞ。
『お前の極度の集中によって練り上げられた精神、そしてそのイメージによって紡ぎだされる一つの単純な言葉、それを口にすることで私の空間移動術式が発動し、本来なら発動しない瞬間移動を可能にしたのだ。さっきの感覚を大切にすればもう一度するのは容易だ。ほら、やってみろ』
ドラクールが促すと、氷川が再び槍を持って俺の方に構えているのがみえた。
「さっきのはきっとまぐれだよ……こんどこそ絶対に当ててみせる! ――氷刃礼突・花弁雪散!!」
再び構え始める氷川。その体にオーラが浮かび上がると同時に、先程のスローな感覚がまたやってくる。
――まただ、またあのスローな攻撃。こんなもので俺を突き刺せると思っているのだろうか。逆にこのまま柄をつかんで投げ飛ばすことぐらい――
「――簡単に出来る」
加速。急激に加速されていく槍の動き。だが俺はその攻撃をすべてかわしながら動き、逆にその柄を握って投げ飛ばした。
氷川の体が何かの曲芸を見ているかのように浮かび上がり、そのまま床へとたたきつけられる。
「ぐあっ!」
氷川は苦悶の声をあげ、痛みのためか手に持った槍を手放す。
『いいぞ。今度は私たちのドラゴンエナジーに意識を集中させてみろ。その際重要になるのが《一点に集中させるイメージ》、これを持つことだ』
ドラクールが次の指示を飛ばしてくる。俺は言われたとおりのイメージに集中する。
――右腕にドラゴンエナジーが集中していく。今までは眼を閉じた上で集中させないと操れなかったドラゴンエナジーが、今は自分の手足のように自由自在に動く。右手にほぼすべてのオーラが集中した瞬間、俺の頭の中に一つの強烈なイメージが浮かび上がる。それは明確で確固とした荒々しいイメージ。俺はそれを躊躇うこと無く口にする。
「――――竜鱗爪甲」
右腕のドラゴンエナジーがピクリと跳ね上がり、右腕全体に纏わり付くかのように圧縮されていく。そのままピキピキという音と共に実体化されていく。
そうして完成したのは、俺の腕を覆うかのようにできた、巨大な龍の腕――
『……これが我ら一族の……爪……私も本物を見るのは初めてだ』
ドラクールが感嘆の声を上げる。確かにこんな立派な腕をみたら感動するのも無理はないだろう。
「くっ……何なんだその腕は……」
倒れこんだままの氷川がこちらを見ながら呻く。そのまま痛みを堪えながら立ち上がった。
「悪いけど……僕の計画を邪魔させるわけにはいかないんだ……僕こそが選ばれた人間、それを見せつけてやる……この僕を拒絶した世界に!!」
「……誰かに与えられた力を見せつけて、それに何の意味があるってんだ」
「……何だって?」
「結局、それはお前自身の力じゃねえだろう。自分の力みたいに言いやがって。いい加減気づけよ、そんなことに意味が無いってことを」
「黙れ……黙れ黙れぇ! お前に僕の何が分かる! 僕にはこれしか無いんだ! もう……もう僕にはこの力しか残されていないんだ!!」
激昂した氷川は両手を広げ、先鋭な氷の塊をいくつも創りだす。徐々に空間を埋め尽くしていく氷塊は、一つ一つが無慈悲な殺意をその中に孕んでいた。
そのまま俺と氷川の間に静かな緊張が膨らんでいき……そして、弾けた。
「このまま串刺しにしてやるよぉ!!」
「ったく……暫くここで頭冷してろ!」
氷川が氷を飛ばした瞬間、俺の方も氷川に向けて走りだす。
「氷架葬――」
「龍翔爪鱗断!!」
飛んでくる氷塊を右から左、左から右へと躱していき、そして右腕の巨大な爪……ドラゴンエナジーによって作られた爪を、氷川の体に突き刺した。
そのまま俺も氷川も動かず、爪が突き刺さった自分の胸を、呆然とした氷川がただ眺めているだけであった。
「僕が……負けた?」
目の前の光景が信じられないのだろうか、氷川はどこか他人事のように呟いた。
「ああ、お前の負けだ」
俺がそういった瞬間、氷川を覆っていた鎧が煙をあげて崩れだした。
「うわああああ! 僕の鎧が! 僕の……僕の力がぁ!!」
取り乱した氷川は体を捩らせ、崩れていく腕で自分の体を抱きしめる。
「嘘だ! 嘘だ嘘だ! こんな……こんなことが!」
「………………」
今の状況を認めずに絶叫する氷川に対し、俺は何も言えずにただ見つめるしかできない。
「僕が……こんな……」
最後の鎧が崩れ落ち、中から制服を着た高校生の男が現れた。その顔は面長の長髪で、中性的で幼い印象をあたえる顔立ちをしていた。
「ちく……しょう」
呻きながら前のめりになったかと思うと、そのまま力が抜けてしまったかのように崩れ落ちてしまった。
「お、おい! 大丈夫か!?」
『心配要らん、ただ気絶しているだけだ。しばらくすれば目を覚ますだろう』
怪我でもしたのかと心配したが、ドラクールがそれを否定してくれた。
「おっと、終わったか? お疲れさん。随分とSmart assな戦いだったぜ」
不意に後ろからよく知った馴れ馴れしい声が聞こえてきた。
「トロイ! お前いつの間に――」
「実を言うとアイツの攻撃はオーバーライティングを使ったお陰で全然効かなくてさ、俺はフェニットの誤魔化しで気絶したふりをしていたんだ」
しれっとした声でとんでもないことを言ってきた。
「はぁ? じゃあお前俺を放っといて気絶したふりしてたってことか!?」
「お前がオーバーライティングを使うのにいい機会だと思ってな。悪いとは思ったが……お前ならやってくれると思ったよ」
そう言ってこちらに笑いかけてくる。そう言われてしまうとこちらも何も言えない。
「ちっ、調子のいい奴……」
「そうだ、お前これからどうする? 俺はこいつに少し用があるんだけどさ」
トロイは気絶した氷川を指さした。何か聞きたいことでもあるのだろうか。
「どうするって……決まってんだろ」
そう言うと俺は後ろを向いて家具売り場の方を向いた。
「鳰誣を助けに行く」
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寒い、寒い、寒い、寒い……
体中が凍えるかのように冷えている。
動こうにも体に紐のようなものが巻き付いていて身動きがとれない。
どうしよう……私、ずっとこのままなのかな。
もう体を動かすこともできなくなってきた……
このまま……私は……
縄を解く音が聞こえる。体を縛っていたものが外され、止まっていた血管に血液が流れだす。
体に温かい痺れが広がると同時に、誰かが私を持ち上げる。
突然のことに戸惑いながらも、私は眼を開けた。
「……貴方は?」
私を抱えていたのは、鎧を着た人だった。
誰なのかわからない。一言もしゃべらない。だけど私を抱えるその腕は、なんだか懐かしい感触だった。
その人はお姫様抱っこの格好で私をどこかへと連れて行く。普通なら逃げ出すところだけど、なぜかその人からは逃げ出す気にならなかった。
「…………」
そのまま暫く運ばれていくうちに私の頭に、ある一つの予想が浮かんだ。
「……義くん?」
ピクリ、とその人の腕が動いた気がした。だけども何も返事をしてくれない。
「義くん、なの?」
その人が、鎧越しに私を見つめてきた。下の顔は見えなかった。だけどバイザーを通して分かるその視線は……
「義くん……」
そのまま私は体を腕に預け、気が緩んだまま眠りについてしまった。