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豹変令嬢ですが、ちょっとよろしくて? ……いいよなァ!?

作者: 網笠せい

 大雨の中、街道を行く馬車がある。小走りに駆ける馬のひづめと回転する車輪が水たまりを突っ切って、泥を跳ねた。それさえも、すぐさま洗い流されるほどの大雨だ。

 エリシアが滞在中の別邸を出たときには小雨だったが、今や豪雨になっている。

 馬車の小さな窓から外をのぞいていた従者の少女──ルーが、雷の音に首をすくめた。


「エリシアお嬢様、雷まで鳴りはじめましたよ。一度別邸に戻って、支度をし直した方がよろしいのでは?」

「今、どの辺り?」

「行程の半ばほどかと。お嬢様のドレスに万が一泥がついてしまってはいけません。戻りましょう」


 エリシアはルーの肩越しに雨に煙る景色をながめると、首を横に振った。金色の絹糸のような髪が揺れると、ふわりと花のような香りが漂う。


「構わないわ。そのまま進んで」

「でも」

「一度戻ってからまた出発するのでは、雨に打たれる時間が倍になってしまうでしょう? 御者も馬も疲弊します。こんな大雨の中、移動に時間をかけるものではないわ」


 ルーは困ったように微笑むと、御者に声をかけようと浮かしていた腰を下ろした。レイピアの鞘がごつんと音を立てる。

 エリシアは窓の外にある森をながめながら、自分の両親なら「貴族の令嬢としての体面も同じように気にしてくれればいいのに」と言うだろうなと苦笑した。


「向こうに着いたら、暖かい飲み物と毛布を御者の方に差し上げてね。いくら雨除けのマントを着ていたって、寒いでしょうから」

「はい!」


 ルーがうれしそうに答えた直後、馬車が大きく揺れて傾いた。馬のいななきが聞こえてくる。


「きゃっ! ……どうしたのかしら」


 御者に声をかけたルーが、馬車の外に出る。どうやら車輪が泥の中にはまって、動かなくなってしまったようだ。馬が前足をかく。押しても引いても、馬車は動きそうにない。


「ぬかるみが深いですな。助けを呼んできます」

「雨がひどいから、気をつけて」


 エリシアとルーは馬に乗った御者の背中を見送った。馬のいない馬車だけが、雨の中に取り残されている。


「ルー。風邪をひいてはいけないから、早く中にお入りなさい」


 雨に濡れたルーはなぜか誇らしそうに鼻を膨らませて、エリシアを見た。


***


 馬車が止まって数十分ほど経った頃、ルーが突然身構えた。


「お嬢様、お下がりください」


 きょとんとしているエリシアの耳に、タタタタッ……と馬車に何かが立て続けに当たる音がした。つづいて、ばしゃばしゃという足音が聞こえてくる。


「おそらく弓矢です。荒事の気配がします。お嬢様、動かないでくださいね」

「ごめんなさい。力になれればよかったのだけど……荒事は不得意だわ。気をつけてね、ルー」


 馬車の外に躍り出たルーを見送って、エリシアは胸の前で指を組んだ。

 おそるおそる息を吐き出して目を開けると、恐怖なのか、力を入れすぎたのか、指先が白くなっていた。


「お宝をよこしな!」

「賊め……断る!」


 馬車の窓からそっと様子をのぞくと、ルーがレイピアの鞘で賊の後頭部を殴り倒しているところだった。

 既に二人の賊が、地面に倒れ伏している。早い。

 敵のナイフをレイピアの先でくるりといなして、親指を突く。賊がナイフを取り落とした。


 ──なんという華麗な剣さばきだろう!


 馬車の中で感嘆のため息をもらしながらも、エリシアは表情を曇らせた。

 護衛として頼もしいけれど、できればルーには危ない目に遭ってほしくない。

 エリシアは無力感にさいなまれながら、先ほど助けを求めに行った御者が早く戻ってきてくれることを願った。

 ルーは華麗にレイピアで賊を蹴散らしていくが、その細い剣は賊の命を奪うまでには至らない。

 正確無比に親指や手を突いて無力化しても、賊はナイフを再び握りしめ、破れた布でぐるぐると固定して襲ってくる。

 ルーの息があがっている。目を突いて無力化するのが精々だ。


「あっ」


 ルーの小さな叫びがエリシアの耳に届く。

 レイピアを取り落としたルーが地面に蹴り飛ばされる。エリシアは口元を覆って息を詰めた。

 泥まみれになったルーに、無情にも雨が降り注いでいた。


「お貴族様の華麗な剣よりも、こちらに分があったみたいだなぁ!」


 馬車に乗り込んできたガサツな賊を、エリシアはキッとにらみつけた。

 ルーを傷つけられた怒りが、ふつふつと内に燃え盛っていた。


***


 腕をつかまれて、粗末なあばら家に投げ込むように通される。

 エリシアとルーは人質になった。大方、身代金を要求するのだろう。

 部屋の中には、いくつか材木が積んである。おそらく修理に使うものだ。すきま風が、雨の雫と共に室内に入り込んできた。


「チッ、しけてんなぁ! 大したもんは持ってねぇじゃねぇか。……身代金用意させるから、どこのお貴族様か、教えろや」

「その前に、暖炉に火を入れていただけますか? こんなに雨に濡れては、身体が凍えてしまいます」


 寒さで歯の根が合わなくなっているルーを抱きしめながら、エリシアは賊を見上げる。


「暖炉なんかねぇよ」

「これを差し上げましょう。ですから、何か温まるものを」


 ネックレスを差し出すエリシアの横で、ルーが震えながら首を横に振る。


「いけません。いけません、お嬢様」

「いいから」

「ケッ。……焚き火くらいなら炊いてやってもいい」


 賊はナイフを構えながら足元に散らばっていた枯れ枝を足で寄せ、吸っていた煙草を投げ入れる。マッチで火をつけると、小さな焚き火に火が灯った。


「ルー。少し温まりなさい」


 泥と雨と涙にまみれた顔を向けるルーに、エリシアはにこやかにうなずいた。


「お貴族様は、ずいぶんと甘やかされてんなぁ!」

 

 賊の一人がエリシアに近づいてきて、宝石のついたネックレスをひったくる。

 ついでとばかりにルーを蹴り飛ばしたとき──エリシアの目に、パチっと小さな稲妻が走った。


「おめぇ、ざっけんなよ!!」


 恐怖に震えていたエリシアの意識が遠くなる。その割に、妙に頭の中は冴えていた。

 エリシアは部屋の中に積まれていた材木を一つ、腕に抱える。

 ささくれだった材木は初めて触るもののはずなのに、なぜだか覚えのある感触だ。


「お貴族様が、そんなもん持ってどうする気だ!」


 ゲラゲラと笑いだした賊の目の前を、ぶんっと角材がかすめた。

 角材の重さでバランスを崩したエリシアは、そのまま遠心力に従って賊の向こうずねに角材をぶち当てた。


「大晦日の鐘つきだ! オラァ!!」


 知らない言葉を口走っている。

 オオミソカ? カネツキ? と、聞き覚えのない言葉に首を傾げながら、エリシアは角材を再び構える。


「いっ……てぇ」

「二発目、くれてやるよ!」


 うずくまる賊の股間に、間髪入れずに角材を叩きつける。

 見張りの賊が断末魔の叫びをあげて泡を吹き、賊の仲間が駆け寄ってくる。


「上等だ! 来いやオラァ!」


 入り口は扉しかない。一人ずつやって来る賊を、エリシアは角材を振り回して迎え撃った。

 角材の角が当たるように、ときにひねりを加えることも忘れない。

 アゴを下から打ちのめし、脳天から叩きつけ、みぞおちに全力で角材を叩き込む。


「お……お嬢様……?」


 震えながらも戸惑うルーに、エリシアはへへっと拳で鼻をこすってみせた。

 角材の端に焚き火が燃え移る。


「はっ、こりゃいいわ! ……焼き印だゴルァァァァ!」


 エリシアが火のついた角材を賊の顔面に打ち付けると、賊は泡を吹いて倒れた。


「これで終わりだな!」


 エリシアは角材をどしんと下ろして、両手をぱんぱんと叩いた。賊たちが倒れている。死んではいないが、死屍累々と言うにふさわしい光景だ。


「ルー。とっととずらかろうぜ!」

「あ……はい」


 戸惑いのあまりそう答えることしかできないルーの手をとって、エリシアは入り口に倒れ込んだ賊たちを踏みつけた。貴族令嬢のかかとの高い靴が、賊にめりこんだ。


***


 馬車に戻ると、戻って来た御者がオロオロしていた。助けに来てくれたのだろう、他にも何人かいる。

 エリシアは馬車に突き刺さった矢を力任せに抜くと、ぼきりと二つに折った。


「お嬢様……! よくぞ……よくぞご無事で!」


 感激する御者に、エリシアは親指を立てて見せる。

 この仕草も、どこで覚えたのかわからない。

 既に車輪はぬかるみから脱していた。

 馬車に戻ってルーと並んで座ると、エリシアは大きく息をついた。


「風邪、引くんじゃないよ」

「ありがとうございます」


 エリシアの言葉に、ルーがぱちくりと目を瞬かせてから、ふっと笑った。

 それが合図だったかのように、エリシアの身体から、急に力が抜けた。


「あら? わたくし……」


 エリシアの目の前をよぎった小さな稲妻は、彼女に経験した覚えのない記憶を残していった。

 見たこともない街並みに、四角い建物がたくさん建っている。今のエリシアは、それがビルというものだと知っている。

 テレビ、スマホ、パソコン、インターネット……。

 コンビニ前でヤンキー座りをして、フランクフルトをバリバリ食べている女性がいる。

 記憶の中で、エリシアの知らない世界を経験しているのは、その女性だ。


 ──異世界転生。


 その女性がもう一人の知らない自分だと理解したとき、エリシアは思わず顔をおおった。


 ──なんで? なんでアタシがお嬢様?


 前世でヤンキーだった自分が、エリシアというご令嬢になっていることが解せない。

 なぜあんなにも、心穏やかに、理知的に過ごしていたのだろうか。


「……お嬢様、とても勇敢でした」

「えっ? ……ありがとう」


 思わずルーから目を逸らす。

 窓の外にはまだ雨が降っている。馬車は動き出して、目的地に向かっていた。

 顔をおおったエリシアの手からは、角材のいい匂いがした。


<おわり>

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