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死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ  作者: タイハクオウム


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最初の痛み

 二層へ足を踏み入れた瞬間、世界は闇に沈んだ。一層のあの無機質な白光は一切届かず、前方はただ黒く濁ったような空洞が広がっている。


 だが、不思議と何も見えないわけではない。灯りがあるわけでもないのに、自分の周囲だけ淡い灰色に浮かび上がっている。まるで視界が、闇を限定的に押しのけているようだった。


 洞窟の壁は褐色に濁り、湿った土のにおいが空気を満たしている。浅く息を吸っただけで喉がひりつくほどの濃密さだ。


 さらに奥から、何かがゆっくりと地をなぞるような音が響いている。乾いているようで湿っている、その中途半端な気配が、かえって背筋を冷やした。


 足元には大小様々な石が散らばっていた。いずれも角が丸い、踏みしめれば砕けそうなものばかりだ。その中でひとつだけ、小さく鋭い棘のような突起を持つ石が目にとまった。


 光沢はなく頼りないが、拳よりは使える。俺はそれを拾い、手のひらで握りしめた瞬間、皮膚に食い込む鈍い刺激が走った。


 “痛みがある”――それが今の俺に、妙に現実感を与えた。


 俺は洞窟の内部へと進んでいく。迷路のように道が枝分かれし、曲がるたびに空気の重さが変わる。湿り気が強くなるところもあれば、土が乾いたような粉っぽさが増す場所もある。


 視界は常に一定の範囲だけが淡く照らされている。その光は輪郭が曖昧で、どこか生き物の呼吸のようなリズムを刻んでいた。


 奥へ進むほど、周囲の音が増えていく。静寂ではない。しかし生き物の“鳴き声”でもない。何かが体をずらす、平たいものを床に押しつけて滑らせるような音だった。


 そして時折、洞窟の天井から何かが落ちるような柔らかい、水分を含んだ音がかすかに混じる。


 生き物がいる。

 間違いなく、俺以外の何かが。


 胸がわずかに高鳴る。恐怖か、それとも別の感情か。自分でも判断がつかない。


 やがて、その“気配”は音ではなく視界の端に現れた。淡い灰色の視界の縁に、不自然な影がひとつ、ゆっくりと形を持ちはじめる。


 輪郭がぶよぶよと歪み、地面を押し分けながら近づいてくる。やがてそれは、俺の正面にその姿をさらした。


 スライム――そう呼ぶしかなかった。だが俺が知っているゲームのそれとはまるで違う。


 半透明の青色でもなければ、可愛らしい丸みもない。肉の塊のような鈍い茶色が混じり、ところどころ濁った水が内部で淀んでいる。形は安定せず、見るたびに微妙に変わる。


 そして、その中心部には赤い光を帯びた石のようなものが埋まっていた。まるで内臓のように、弱く、しかし脈動するような揺らぎを放っている。


 気味の悪さに思わず息を止める。だが同時に、喉の奥で乾いた笑いがこぼれた。


「……これが、あの可愛げある“スライム”の現実かよ」


 俺は自嘲気味に笑いながら、鋭い石を構えた。スライムは速度のない動きで近づいてくる。跳ねない。ただ地面を押し広げながら、這い寄るように進む。


 その中央にある赤く光る石――そこが弱点なのだろうと、直感が告げていた。ゲーム的な推測ではなく、もっと本能的な感覚だった。


 俺はスライムが距離を詰めるのを待ち、観察を続ける。動きは緩慢で、攻撃と呼べる動作は見られない。ただ体そのものを押しつけてくるだけ。ならば、こちらのほうが先に届く。


 呼吸をひとつ整えて、俺は歩み寄る。スライムの中心部に狙いを定め、石の尖った部分を押し当てる。


 赤い石がわずかに沈む。

 その瞬間、スライムの身体が崩れ落ちた。


 まるで輪郭を失った水溜まりのように、じわりと床へ広がる。その後、跡形もなく消えた。


 息を吐いた。


 喉の奥に重く張りついていた緊張が、ほんのわずかだけ緩む。


「……なんとかなる、のか……?」


 その言葉を飲み込む前だった。

 頭上から、何か柔らかいものが落ちてきた。


 視界が揺れ、肩に衝撃が走る。何かが肩に吸い付いた。瞬間、激しい痛みが左肩を貫いた。ただ圧されたわけではない。


 肉をゆっくりと押し広げられていくような、内側から裂けるような痛みだった。


「……ッ!」


 声にならない息が漏れる。


 スライムだ。恐らく天井に張りついていた個体が落ちてきたのだ。慌てて肩をねじってスライムを床に振り落とし、手に持つ石で中心部を探る。


 視界が揺れ、呼吸が乱れ、痛みが思考を塗り潰しそうになる。それでも赤い光を見つけ、力任せに石の先を押しつけた。


 スライムは崩れ、消えた。

 肩の痛みだけが生々しく残った。


 しばらくその場でうずくまり、呼吸を整える。

 痛みは確かに強い。しかし――死に至るほどではない。


 じわりと体の奥から、奇妙な熱が湧き上がってくる。それは痛みを溶かすように肩を満たし、やがて熱だけが残った。


 不思議と、動ける。

 痛みは、わずかに残る程度。


 肩を押さえながら立ち上がると、床に何かが落ちているのが目に入った。


 小さく、青く光るもの。

 俺が使っていた石ではない。


 それは短い刃を持つナイフだった。金属のようでいて、どこか液体の光沢を帯びている。

 

 そして、俺が握っていた石の先端は丸く潰れ、もう武器として使えそうにない。


 俺は青いナイフを拾った。

 軽い。手に吸い付くように馴染む。


 肩の痛みはわずかに残っているが、もう思考を乱すほどではない。深く息を吸い、洞窟の奥へ視線を向ける。


 まだ先はある。

 まだ痛みも恐怖も待っている。

 だが――もう戻る気はなかった。


 俺は青いナイフを握りしめ、湿った土の迷路の奥へ歩を進めた。

お読みいただきありがとうございます。

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