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死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ  作者: タイハクオウム


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戦いの後に残るもの

 第五層の出口を探し始めてから、まだそう時間は経っていないはずだった。


 それでも、肩に掛けたマジックバックの重みが、やけに意識にのしかかる。


 さっき突っ込んだ《ガンギマリ・ミノビーフ》だの《ラリホルン・ステーキ》だの、悪趣味なレトルトパウチの詰め合わせだ。


(……胃もたれしそうだな)


 そんなことを考えながら、地底湖から伸びる通路を進む。


 湿った床。壁を覆う苔。

 頭上には、寄生植物の名残のような蔦が垂れ下がっている。


 死線感知を薄く広げても、太い線は見えない。

 さっきまで暴れていた“この階層唯一の生き物”は、もう完全に消えていた。


 だからこそ、不意の違和感に気づくのが一瞬遅れた。


 足先が、何か柔らかいものに引っかかった。


 つん、と。


 靴底の感触が、岩でも骨でもない。


「……ん?」


 立ち止まり、視線を落とす。


 暗い通路の床に、地底湖の光がかろうじて届いている。


 その光を、影のように吸い込む塊が一つ。


 さっきまでは、なかったはずだ。


 レトルトパウチを回収していたとき、ここをちらりと見た覚えがある。


 見落としていたか、あるいは、少し遅れて落ちてきたか。


 どちらにせよ、今はここにある。


 俺はしゃがみ込み、端をつまんで持ち上げた。


 重み。


 指先に伝わる感触は、“布”というより、なめした革に近い。


「……ローブ?」


 それは、一枚の外套だった。


 分厚く、重い。


 外側は、ほとんど黒に見える深緑。岩肌に落ちた影のように、周囲の光をさらう色合い。


 表面には、うっすらと凹凸が走っている。


 ミノタウルスの皮――そう考えると、妙に腑に落ちた。


 ローブを少し捻ると、裏地がめくれた。


 そこに、色があった。


 深い緑の内側を、赤い線が無数に走っている。

 細い根のような、血管のような線が、網目状に絡み合っていた。


 じっと見つめると、その赤がかすかに脈打つ。


 ゆっくりとした、粘つく鼓動。

 耳を当てれば音が聞こえそうなほど、はっきりとしたリズムで。


「……生きてんのかよ」


 思わず、声が漏れた。


 死線感知を薄く広げる。


 鋭い線は、浮かばない。

 “今すぐ俺を殺す気配”はない。


 ただ、そこに在る。


 さっきまでミノタウルスの外皮として存在していたものが、殻だけになって残っている。


 中身を喰っていた寄生植物の一部が、そのまま内側に根を張った――そんな印象だ。


 裏地に鼻を近づける。


 血と樹液の、鉄と甘さが混ざった匂いを覚悟していた。


 だが、予想は外れた。


 湿った土の匂い。

 苔むした森の奥に踏み込んだときのような、冷たい緑の香り。


 人の血ではなく、樹木が息をしているときの匂いだった。


 胸の奥のどこかが、ふっと緩む。


「……悪くない」


 見た目はどう考えてもグロテスクだ。

 それでも、この匂いは嫌いじゃない。


 俺は、ローブを肩に掛けてみることにした。


 ずしりと重さが降りる。


 だが、想像していたほどの圧迫感はない。

 肩口から背中へ、体の線に沿って重さが流れていく。


 外側は、黒に近い深緑。

 内側には、赤い脈が、皮膚のすぐ上を走っている。


 裏地が肌に触れる。


 ひやりとした感触のあと、じわじわと温度が馴染んでいく。


 内側の赤い線が、皮膚の上に絡みつき、心臓の鼓動とどこかで歩調を合わせようとしている――そんな錯覚が、一瞬だけ走る。


「……気持ち悪いこと考えるな」


 頭を振り、そのイメージを振り落とした。


 どこか“生きている”感覚はある。

 それでも、着心地そのものは意外なほどいい。


 重さは鎧というより、分厚い作業着。

 肩の傷を包み込むように、じんわりと熱を閉じ込めてくれる。


 外気の冷たさが、さっきまでより薄らいだ。

 胸の前でローブの合わせを軽く引き、裾を整える。


「……まあいい。役に立つなら、見た目なんてどうでもいい」


 独りごちて、立ち上がる。


 マジックバックの紐を握り直し、地底湖から離れる通路へ視線を向けた。


「第五層の出口、探さないとな」


 俺は、改めて歩き出した。

 足音が、湿った床に吸い込まれていく。


 通路は何本かに分かれていた。


 天井から垂れ下がる蔦。

 壁を覆う苔に似た植物。


 どれも、さっきの寄生植物の“親戚”のような気配をまとっているが、襲いかかってくる様子はない。


 死線感知を薄く広げる。


 視界の端に、細く淡い線がいくつか浮かんだ。

 足場の悪い場所や、崩れかけの天井。


 物理的な危険は確かに存在する。


 だが、ミノタウルスと対峙したときのような、太く濃い“死”の線は見当たらなかった。


 人の姿も、モンスターの姿もない。

 湿った植物と、沈黙だけが続く。


 この階層の生き物は、さっき倒した一体だけ。

 神がそう決めたのなら、この静けさもその一部なのだろう。


 それが“クリア後の休憩”なのか、“次の遊びのための準備期間”なのかは分からない。


 分かるのは、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえることだけだ。


 いくつ目かの分岐を抜けたとき、風の流れが変わった。湿った空気の中に、別種の冷たさが混じる。


 顔を上げる。

 視界の先に、段差が見えた。


 岩肌を粗く削ったような階段。


 下ではなく上へと伸びている。

 天井の闇へ向かって、ゆるやかに。


 第六層へ続く、階段。


「……来たか」


 思わず足が止まる。

 死線感知を強める。


 階段の先から伸びてくる線は、細いが、確かにそこにあった。


 一歩進めば、また別の“死”が待っている。

 ただ、注意して進めば、まだどうにかなる――そんなレベルの危険。


 同時に、別の選択肢も頭をよぎる。


 一層へ戻る、という道。


 黒川さんの顔が浮かぶ。


 少女を庇い、妙にまっすぐな目。

 俺が差し出したスキルオーブを受け取った手。


 収納のスキル。いくつかの食糧と、ナイフ。


 あのとき渡したものは、“きっかけ”としては十分なはずだ。


 今戻れば、この階層で手に入れたレトルトも配れる。


 パンと水を握っている連中の支配を、崩せる可能性もある。


 だが――。


 死んで戻れば、レベルはゼロに落ちる。

 自分の意思で戻るなら、今の力を抱えたまま一層まで降りることはできるだろう。


 それでも、時間はかかる。


 二層、三層、四層……と、また同じ道を辿り直すことになる。


 その間、次の階層の情報は一切進まない。


 俺が立ち止まっているあいだにも、この箱庭のどこかでは何かが進んでいる。


 神の悪趣味な思いつき。

 他の人間の暴走。


 何にせよ、“遅れ”を取ることは、この世界ではそのまま“死に近づく”ことだ。


 そして何より。


 ここで足を止めて、一層で多少“いいこと”をしたところで――あの日の朝には、近づかない。


「……黒川さんには、もう種は渡した」


 ローブの襟を指で押さえながら、呟く。


 登り階段を見上げる。


 上から吹き下ろしてくる風は、第五層の湿った空気とは違う匂いを運んでいた。


 冷たい石と、鉄と、なにか乾いたものの匂い。


 第六層は、また別の地獄だ。

 それでも、進むしかない。


 そう思ったところで、胃の奥がきしんだ。


 空腹の痛みが、ようやく自己主張を始める。


「……その前に」


 息をひとつ吐いた。


「休憩だな」


 階段から背を向け、来た道を辿って地底湖へ戻る。


 地底湖は、さっきと同じように静かだった。


 ミノタウルスの影は、もうどこにもない。

 天井にびっしりと張りつく発光苔が、水面に揺れる光を落としている。


 湖の縁に腰を下ろす。


 ローブ越しにも、岩の冷たさがかすかに伝わる。


 肩と拳が、じくじくと主張してきた。

 硬質化で無理やり耐えた衝撃は、時間が経ってからじわじわ効いてくる。


 ふと気づく。


 さっきより、痛みが少しだけ鈍っている。

 ローブの内側から、じんわりとした温度が広がっている。


 赤い線が、微かに動いたように見えた。

 俺の体に合わせるみたいに。


「……考えすぎだ」


 小さく呟き、意識をそらす。


 このローブは、気味が悪くて、妙に心地いい。

 その矛盾が、いちばん厄介だ。


 マジックバックを膝の横に置き、口を開ける。


 中には、先ほど拾い集めた第五層のレトルトパウチがぎっしりと詰まっていた。


 《ラリホルン・シチュー》

 《ミノトリップ・カレー》

《ブチアゲ・ハヤシ》


 その他諸々、見た瞬間に正気度が下がりそうなラインナップ。


 その奥には、第四層で拾って、まだ手をつけていないゴブシリーズ――


 ゴブシチュー。

 ゴブカレー。

 ゴブンチーノ。

 ゴブラーメン。


 ゴブリンの笑顔が印刷された、あの悪夢みたいな「ゴブ飯」のパウチも、きちんと並んでいる。


 読めば読むほど、食欲が削がれる顔ぶれだ。


 それでも、体は正直だった。


 戦いの興奮が引いた今、空腹はもう誤魔化せない。この階層に、まともなパンも、水もない。


 あるのは、神が用意した“よく分からない飯”だけ。


 いつかは口をつけなきゃならないと覚悟していた。その“いつか”が、今なのだとしたら。


「……食うか」


 呟きと同時に、俺はマジックバックの中に手を伸ばし、一番手前のレトルトパウチの端をつかんだ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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