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死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ  作者: タイハクオウム


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24/30

芯を通し、死線へ踏み出す

 蛇の死骸は、もう何一つ残らない。

 迷宮に溶けて、影だけになって消えていく。


 その余韻が消えた暗闇の中を、俺は三層の通路に沿って歩き続けていた。


(……たぶん、もう四層の階段は近い)


 何度も行き来したわけじゃない。けれど、壁の質感や空気の流れ――あのゴブリンに腕を喰われる前に、確かに通った“匂い”が、皮膚の裏側でうっすらと記憶を叩く。


 足は進んでいる。


 レベルも、数字だけ見れば四層で死ぬ前と同じ五まで戻した。


 それでも。


(……まだ、足りない)


 さっき蛇を殴り倒した拳を、そっと握りしめてみる。


 硬質化を通したときの感覚は、確かに前より滑らかだ。肩から肘、手首、指先まで、一本の線が通っている。


 だが、あのゴブリンの群れに囲まれた瞬間の”どうしようもなさ”を思い出すと、それだけじゃ不安だった。


 囲まれ、押さえつけられ、腕を固定されたあとで噛み千切られた、あの感覚。


 骨の中に、まだ歯型が残っている気がする。


(力そのものを増やすより――“使い方”を、もっと詰めないと)


 硬質化で“どこ”を“どれくらい”固めるか。


 ただ拳を硬くするだけじゃ、四層では足りない。前の階層で、薄々気づいていたことを、ようやく真正面から考える気になった。


「……体幹、か」


 小さく呟いて足を止める。


 通路は緩やかに曲がり、すぐ先の様子は見えない。蛇の気配も、今はない。


 いい。

 ここで少し試す。


 息を整え、意識を“中心”に落とし込む。


 みぞおちの奥、背骨の真ん中、骨盤のあたり。


 その周りをぐるりと囲むように、硬質化のイメージを薄く……本当に薄く、張り巡らせた。


 表面から見れば何も変わらない。皮膚の色も、質感もそのままだ。


 けれど、腹を軽く引き締めただけで、内側に一本、細い金属棒が通ったみたいに軸が立ち上がる。


「……おお?」


 思わず、身体を左右にひねってみる。


 腰から肩にかけてを捻ったときの、あの不快な「ブレ」が、ほとんど出ない。骨盤の上に積んだ上半身が、一本の柱みたいにぐるりと回る。


 試しに、そのまま二、三歩歩いてみた。


 足を出す。体重を移す。止まる。


 動きが、やけに素直に通る。


 いつもなら、足を前に出した瞬間に軸がわずかに揺れて、その揺れを足首や膝で誤魔化していた。


 今は、胸の中心に打ち込んだ杭が、そのまま床まで垂直に降りているみたいだ。


(これが……体幹に薄くかけた状態、か)


 頭の奥の圧は、ほとんどない。


 硬質化を拳や足に集中したときのような、こめかみを締め付ける痛みは来ない。ただ、“ここから先は濃くするな”とでも言うように、遠くで小さく鈍い鈴が鳴っている程度だ。


「じゃあ、濃くすると……」


 自分に呟き、あえて一度、負荷を上げてみることにした。


 体幹にまとわせた硬質化の”濃度”を、ほんの少しずつ、上げていく。


 腹筋。背筋。肋骨の間。腰の筋肉。


 一本だった金属棒を、二本、三本と束ねるイメージ。


 密度が増す。


 中身が詰まる。


 足元から、床がにじむように感触を押し返してくる。

 

(いける、まだいけ――)


 そこで、カン、と頭蓋の内側で何かが鳴った。


「っ……!」


 視界の端が、じわりと黒く滲む。


 脳の表面を、熱した鉄板で撫でられたみたいな、焦げるような痛み。鼻の奥がツンとし、喉の奥から吐き気がこみ上げる。


 慌てて硬質化を薄く戻した。


 圧がすっと退く。


 膝が一瞬笑いかけたので、壁に手をついてやり過ごす。


「……はい、アウト」


 誰もいない通路に、情けない声が落ちた。


 今ので、ようやく境界線が分かった。


 体幹全部を“厚く”固めるのは、今の俺の頭ではまだ無理だ。


 スキルそのものは反応してくれる。


 身体も、もっと固くできる。


 けれど、脳が先に悲鳴を上げる。


 その先へ無理やり踏み込めば、おそらく戦う前に意識を飛ばすことになる。


(じゃあ――“薄く常時”まで)


 さっきの手前。


 鈴が鳴らないギリギリのところで、体幹だけに薄く硬質化をかけ直す。


 腹と背中をゆるく締めたまま、再び歩き出した。


 歩くだけなら、ほとんど疲れない。


 むしろ、ここまでくるあいだに溜まっていた微妙な”バランスの悪さ”が、少しずつ削られていく気がした。


 右足を出したときに上半身が勝手に左へ流れる、あのいやな癖が、ほとんど出ない。


 軸が立っている。


 “真ん中”に、細い芯が通っている。


 その状態を維持したまま、次の段階に進むことにした。


「……流す」


 今までは、肩から肘、肘から手首、といった具合に“部品同士を繋げる”イメージで硬質化を使っていた。


 でも、それだけじゃ足りない。


 全身を一気に固めるのはまだ無理だとしても――“順番に” “流れるように”起動できれば、負荷を割り振れるんじゃないか。


 右足の裏に、意識を落とす。


 床を掴んでいる指。


 土踏まず。


 かかと。


 そこから、硬質化の線を薄く立ち上げる。


 


 足首。


 ふくらはぎ。


 膝。


 太もも。


 腰。


 背中。


 肩。


 肘。


 前腕。


 手首。


 拳。



 一気にやるんじゃない。


 コンマ数秒ずつ、段差を登るように、硬質化を“連動”させていく。


 足で地面を踏んだ瞬間、その圧を膝から腰へ渡し、そこから背中を通って肩へ、肩から肘へ、肘から手首へ、最後に拳へ。


 まるで、床を蹴った力を波に乗せて腕まで運ぶみたいに。


 通路の真ん中で、空を殴ってみる。


 抜き手の形に指を揃え、手刀を前に滑らせる。


 ――スッ。


 空を切る音が、いつもより軽く、鋭く響いた。


 自分の体重が、いつも以上に“素直に”手先に乗っている。


「……悪くない」


 問題は、実戦で使えるかどうかだ。


 そう思った矢先、通路の先で、ざらりと鱗が石を擦る音がした。


 蛇だ。


 体幹には薄く硬質化を維持したまま、壁際に身を寄せる。


(試すには、ちょうどいい)


 息を吸う。


 右足の裏に、薄く硬質化を載せる。


 踏み込む瞬間――足首、膝、腰、背中、肩、肘、手首、拳。


 波を走らせる。


 床を蹴る衝撃が、膝の中で一度溜まり、それが腰を回転させ、背骨を通って肩を押し出し、肘を伸ばして手首を弾き、最後に抜き手の指先に集中した。


「ッ!」


 蛇の頭が跳ねる。


 黄ばんだ牙が空を切った瞬間、その顎の横を抜き手が走り、首筋の柔らかい部分に深く潜り込んだ。


 硬質化を薄く乗せた指先が、鱗の隙間をえぐる。ごり、と骨に触れる感触があった。


 蛇の体が痙攣し、そのまま床に叩きつけられる。


 拳がぶれずに衝撃の伝達を意識する。

 体軸が、全く流れない。


 蛇の胴体が二、三度床を叩き、やがて迷宮に溶けて消えた。


「……よし」


 硬質化を解き、体幹の薄い膜だけ残す。


 波を”順番に”動かしたぶん、一カ所に負荷が集中しなかったのだろう。


(常時体幹+流動起動のセット……これは、使える)


「……筋肉だけじゃなくて、腱も試すか」


 ふと、そんな考えが浮かんだ。

 硬質化は皮膚や筋肉だけじゃない。


 もっと奥、骨と筋肉を繋いでいる腱や、神経そのものにもかけられる――そんな感覚が、四層で暴れたときからうっすらあった。


 ただ、それをやるには怖さもあった。


 試しに、右足首の内側だけに、狭く硬質化をかけてみる。


 骨と骨を繋ぐ腱。

 そこに一本、細い針金を通すイメージ。


 足首をひねるように動かしてみると、関節の可動範囲の「端」が、やけにくっきりと分かった。


 これ以上曲げたら壊れる、というラインが、線を引かれたみたいに明確だ。


 同時に、そこで止めたときの安定感も増す。


(……踏ん張りやすい)


 だが、同時に、いやな感触もあった。


 神経の上を直接指でなぞったときみたいな、ビリビリとした痺れが、足首から脛にかけてじわじわ広がっていく。


 意識がそこに引っ張られる。


 さっきまで「流れ」で動かせていたはずの波が、そこで引っかかって止まりかけた。


「……これは、今じゃないな」


 すぐに硬質化を解除する。


 痺れは数秒で引いたが、その間に頭の奥の圧がじわりと強くなっていた。


 筋肉や骨よりも、神経周りにかけるほうが、どうやら負荷が重いらしい。


 今の俺が弄るには、まだ早い。


(皮膚と筋肉、関節と骨。そのあたりまでにしておく)


 欲張りたい気持ちを押し込める。


 焦ってスキルの可能性を広げようとして、また四層での二の舞になったら笑えない。


 そんなふうに自分を諫めていると――通路の先、暗闇から、別の気配がまとまって近づいてくるのが分かった。


 蛇が二体。いや、三体か。


「……ちょうどいい」


 岩陰に身を滑り込ませ、足音と鱗の擦れる音の位置を測る。


 右側の壁際から一体、正面やや左から一体、その後ろにもう一体。


 ばらけてはいるが、動きかたは単純だ。


 体幹の硬質化を、ほんの少しだけ濃くする。

 右足に波を溜める。


 一体目が視界に飛び込んでくる。


 迷わず踏み込む。

 足裏から腰、背中、肩、肘、拳へ。

 

 蛇の頭が弾ける。


 そのまま足を滑らせるように位置をずらし、二体目の突進を体幹の軸だけで受け流す。


 腰がブレない。

 踏ん張りが効く。


 右足で床を蹴り、今度は抜き手を首に叩き込む。手刀に載せた硬質化が、鱗の下の肉を裂き、骨をへし折る。


 三体目。


 最初の二体の死角を抜けて突っ込んでくる。


 床に滑った血と粘液で足元が少し滑ったが、体幹の軸が勝手に姿勢を戻してくれる。


 “真ん中”が崩れない。

 だから、足だけで微調整ができる。


 今度は、腰から肩へ”逆向き”に波を流す。


 上半身をひねりながら、背中から肩甲骨、肩、肘、手首までを一瞬だけ濃く硬質化する。


 裏拳の要領で顎を打ち上げる。

 蛇の頭部がありえない角度に折れ、そのまま床に叩きつけられた。


 三体分の巨体が、ほとんど反撃らしい反撃をする間もなく崩れ落ち、やがて迷宮に吸い込まれて消えていく。


「……はあ」


 硬質化を解き、体幹の薄い膜だけを残す。

 肩で息をしながら、通路の壁に背中を預けた。


 “狙ったとおり”に身体が動いてくれる。


 踏み込みたいところで足が出て、殴りたい位置に拳が届く。


 頭の中で組んだ動きと、実際の軌道のズレが、前よりずっと小さい。


 ……それが、どれだけの価値を持つかは、四層に行けば嫌でも思い知らされるだろう。


 再び歩き出す。

 体幹には薄い硬質化を張りっぱなし。


 どれくらいそうして歩いただろう。

 時間の感覚は、とっくに曖昧だ。


 蛇の気配は、さっきよりだいぶ薄くなっている。


 代わりに――空気の匂いが変わった。

 湿り気はそのまま。


 だが、鼻の奥をくすぐる”草”の匂いが、ほんのわずかに混じる。


 四層の、あの苔とシダの匂い。


「……来たか」


 通路の先が、わずかに開けているのが見えた。


 そこには、黒いひび割れのように、上へと続く石段が口を開けている。


 第三層から第四層へ続く、あの階段だ。


 前にここへ来たときは、レベル5まで上げた勢いのまま突っ込んでいった。


 硬質化の使い方も、まだ荒かった。


 結果どうなったかは、腕と脚と肺がよく知っている。


 今、その階段を見下ろす足元の感覚は、あのときと違う。


 体幹の“芯”が、ぶれずにそこにある。


 薄く張った硬質化が、骨と筋肉をまとめて一本の棒にしてくれている。


 足裏で床を押せば、その力が腰から背中へと素直に伝わる。


 息を吸う。


 吐く。


(……それでも、まだ足りない)


 硬質化の精度は上がった。


 動きも、前とは比べものにならない。


 それでも、四層で味わった“死にかけ”の感覚は、簡単には消えてくれない。


 あの、皮膚の下に冷水を流し込まれたみたいな、どうしようもない気配。


 殺される、と分かった瞬間の、理屈抜きの悪寒。


 あれを、もう一度味わうのはごめんだ。


 だが――完全に避けることもできない。


 なら、せめて。


 俺は、腰のマジックバックに手を伸ばした。


 指先が、硬いものに触れる。


 掌に収まる、小さな球形の感触。


 これまで温存してきた、ひとつのスキルオーブ。


 幾度かの探索で手に入れてからずっと、使わずにいた切り札だ。


 取り出すと、淡い光が通路の闇をぼんやり照らした。牛乳を薄めたみたいな白さの中に、血管のような細い線がいくつも走っている。


 指を添えると、嫌な冷たさが皮膚を這い上がってきた。


「……もったいぶってる場合じゃないか」


 迷う時間はない。


 妻と息子の顔が、ふっと脳裏に浮かぶ。


 事故の前日、何気ない夕飯の光景。


 食卓越しの、どうでもいい会話。


 あの日に戻るために、ここへ来た。


 死に戻りの痛みを積み上げてでも、まだ進もうとしている。


 俺は、スキルオーブを握りしめた。


 指に力を込める。

 球体の抵抗が、一瞬強くなる。


 皮膚の内側から、ぞわりと何かが覗く。それを無理やり押し潰すみたいに、さらに力を込めた。


 ぱきん、と音がして、掌の中でオーブが砕けた。光が、指の隙間から滲み出る。


 次の瞬間、氷水のような感覚が骨の中へ流れ込んだ。


 胸の奥、心臓の裏側あたりに、冷たい糸が一本通る。


 視界の端で、何かがゆっくりとピントを合わせ直すような違和感。


 世界の輪郭が、ほんのわずかに変わった気がした。


 何のスキルか――その“名前”は、頭の内側に確かに浮かび上がった。


 けれど、口には出さない。


 まだ確かめていないものを、言葉にして固定したくなかった。


 ただひとつ分かるのは。


 四層の、あの瞬間――あれとよく似た、でも少しだけ違う冷たさが、今は常に胸の奥に座っているということだ。


 それは、死の気配に触れるための感覚なのかもしれないし、単なる悪寒の延長かもしれない。


 答えは、この先で嫌でも知ることになる。


 拳を開く。


 砕け散ったオーブの欠片は、もうどこにもない。光はすべて吸い込まれ、代わりに鈍い重さだけが身体に残っている。


 四層の苔の匂いが、階段の上から薄く降りてきた。死の痛みも、死に戻りの記憶も、全部抱えたまま。


 体幹に通した一本の芯と、胸の奥で冷たく光る新しい感覚を頼りに――


 俺は第三層から第四層へ続く階段へ、ゆっくりと、しかし迷わず足を踏み出した。

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