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死に戻りの箱庭ダンジョンで、亡き家族を取り戻すため俺は何度でも死ぬ  作者: タイハクオウム


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第四層

 第四層へ続く階段を登り切った瞬間、肺に入ってくる空気の質が変わった。


 湿った土と冷えた石の匂い――そこまでは第二層、第三層とそれほど変わらない。だが、鼻の奥をくすぐる青臭さがひとつ混じっている。潰した草の匂い。ほんのわずかな光を受けて、壁際の何かがかすかに揺れた。


 第四層も、形式としては“洞窟”だ。


 だが、三層のような、ただ湿った岩と蛇だけの空間ではない。


 天井の隙間から、細い光の線がところどころ差し込んでいる。岩盤が割れ、その裂け目から、現実世界の昼光にも似た色が染み出しているようだった。その足元では、苔や、背の低いシダ、名前も知らない細い葉の植物が点々と広がっている。


 緑の色が、目に痛い。


 洞窟で見慣れた褐色と灰色の世界に、突然差し込まれた鮮やかな色彩は、どこか異物感すらあった。


「……生えてる、のか」


 呟きながら、靴先で苔の上を軽く踏んでみる。柔らかい。湿っているが、ぐずりと崩れ落ちたりはしない。しっかりと岩肌に貼りついて、ここがすでに“環境”として安定していることを主張していた。


 耳を澄ます。


 遠くで水の滴る音。どこかで土を掘るような、乾いた擦過音。そして――微かに、何かが動く気配。


 蛇ともスライムとも違う。


 細く、途切れ途切れで、地面からではなく、壁の向こうから響いてくる足音。


 俺は無意識に、両腕と軸足に意識を向けていた。


 ――硬質化。


 肩、肘、手首。右足の股関節、膝、足首。


 それぞれをバラバラに硬くするのではなく、“連結して”動くイメージを頭の中で組み立てる。一本の線が、骨と筋肉と関節を串刺しにして貫いているような感覚。


 肩から肘へ、肘から手首へ。股関節から膝へ、膝から足首へ。それぞれの節に、わずかに硬質化を流し込む。


 皮膚の色が鈍く変わり、内部の密度がじわりと増していくのを感じた。全身を一気に変えることはまだできない。だが、こうして部分ごとに“線”を繋げれば、力を伝える経路が格段に滑らかになる。


 肩を回し、膝を軽く屈伸する。


 筋肉の反応が、三層で試した時よりもさらに整っている。拳を握るだけで、指先まで神経が一本に繋がったような手応えがあった。


(全身をこうやって硬くできたら、どうなる……)


 脳裏に浮かんだ想像を、いったん振り払う。今は試している場合ではない。耳に届く足音が、次第に近づいてきていた。


 壁際に大きめの岩がせり出している場所を見つけ、そこへ身を滑り込ませる。岩と岩の隙間に背中を押し付け、姿勢を低くした。光が届きづらい位置だ。正面から見なければ、闇に紛れられる。


 呼吸を浅くし、気配だけを研ぎ澄ませる。


 やがて――通路の奥から、それは姿を現した。


 最初に見えたのは、足だった。


 分厚い土色の足首。人間のような五本の指だが、一本一本の爪が濁った黄土色に伸び、地面を掴むたび、苔を乱暴に抉っていく。


 続いて、ふくらはぎ、膝、腰。


 皮膚は緑がかった灰色。筋肉質で、ひどく乾いた割れ目があちこちに走っている。腰にはぼろ布のような布切れが巻かれ、粗雑なベルトが締められていた。


 上半身は裸だ。肩から胸にかけて、筋肉が異様に発達している。腕は人間の男と変わらない太さだが、節々が不自然に膨らみ、力を込めれば骨が皮膚を破って飛び出しそうな勢いだ。


 首の上に乗っている頭部は、歪な楕円形をしている。


 鼻は低く、つぶれている。そのぶん、口が大きい。裂けた口の中から、乱杭歯のような黄色い歯がぎっしりと覗いていた。犬歯だけが妙に伸び、唇の外にはみ出している。


 目は小さい。だが、ぎょろりと動くその黒い瞳には、濁った光が宿っていた。人間のようで、人間ではない。俺は岩陰から、わずかに息を漏らす。


(……ゴブリン、か)


 ゲームやファンタジーで散々見てきた名前が、自然と頭に浮かんだ。実際のところ、この世界での正式名称が何であろうと関係ない。だが、目の前の“それ”が、人型のモンスターであることだけは確かだった。


 しかも、一体ではない。


 先頭の個体の後ろから、似たような体格の個体が三体続く。全部で四体。先頭は、一回り大きい。肩幅も、胸板も厚い。その手には、石を削って作ったような棍棒が握られていた。


 彼らは何かしらの言葉を交わしていた。


 濁った音が混じり合い、意味のない唸り声のように聞こえる。だがその調子には、明らかに感情の抑揚があった。苛立ち、笑い、警戒。人間と同じような、いやらしい温度を孕んだ声だ。


 先頭の個体が突然立ち止まり、鼻先をくんと動かした。空気を嗅いでいる。


 心臓がひとつ跳ねる。


 しかし、そいつは俺のほうではなく、別の方向へ視線を向けた。壁際に生えたキノコの塊を眺め、棍棒の先で雑に突く。後ろの個体が、そこからひとつもぎ取り、口に放り込んでいた。


 咀嚼音と、濁った笑い声。


 そのまま彼らは、通路の奥へと去っていった。


 完全に気配が遠ざかるまで、俺は岩に張り付いたまま動かなかった。硬質化していた肩と肘の重さが、じわじわと筋肉に負荷をかけてくる。


 ようやく呼吸を深くし、硬質化を解いた。


「……やりずらいな」


 人間に近い姿をしたものを殴り殺す――そのイメージに、喉の奥がざらつく。


 一層で暴れていた刺青の男たちの顔が浮かぶ。黒川比奈が、少女を庇いながら睨み返していたあの光景。


 あいつらを殴るなら、迷いはほとんどない。


 だが、目の前のゴブリンは、明らかに“人間ではない”一方で、動きや視線の挙動があまりに人に近すぎた。


(……でも、避けて通れる相手じゃない)


 第三層では、食料がモンスターからドロップした――神がそう設計しているのなら、第四層はより攻略に適したものもドロップするだろうか。


「見ておくだけじゃ、足りない」


 独りごちて、岩陰から身を離す。さっきゴブリンたちが去っていった方向とは、あえて逆へ進んだ。通路は枝分かれを繰り返し、植物の密度も場所によってまちまちだ。


 数十分ほど、慎重に歩を進めた頃だ。通路の先から、さきほどと同じ足音が聞こえた。


 反射的に岩陰に身を寄せる。だが、先ほどと違い、足音はひとつだけだった。重さも、リズムも一定だ。群れではない。


 通路の角から、ひょいと現れたのは、先ほどと同じ緑灰色の人型――ゴブリンだった。


 だが、体格は先ほどより少し小さい。胸板も薄く、棍棒ではなく、石を削って作ったナイフのようなものを右手に持っている。腰には干からびた肉片のようなものをぶら下げていた。


 一体だけ。


 こちらにはまだ気づいていない。


 喉の奥で、乾いた息を飲み込む。


(……やるしか、ないか)


 俺はマジックバックの口に指を差し入れ、内部から一本の青いナイフを取り出した。三層に戻る前、二層で改めて拾い直しておいた予備の一本だ。


 硬質化を、再び起動する。今度は、右肩から肘、手首、指先まで。左足の股関節から膝、足首まで。


 拳と、軸足。


 攻撃と、移動。


 その二つにだけ線を通すように、イメージを集中させる。皮膚の下で、骨と筋肉が硬質化の線に沿って組み上がっていく。右手に握ったナイフが、自分の腕の一部になったような感覚が生まれた。


 ゴブリンとの距離は、十メートルほど。


 深く息を吸い、次に吐き出す呼吸に合わせて、岩陰から一歩踏み出す。足音が響かないように膝を柔らかく使い、速度はむしろ落とす。視線だけを鋭く前に向けた。


 ぎょろりとした黒い目が、俺をとらえる。次の瞬間、口が大きく裂け、喉の奥から低い唸り声が漏れた。


 短い警告音。それだけで、こいつが“敵”と認識したのが分かった。ゴブリンは、持っていた石ナイフを軽く振り、一歩……いや、二歩引いた。


 逃げるかと思った次の瞬間、足首が地面を強く蹴る。前に出るための“溜め”だった。


 そのまま地を滑るように距離を詰めてくる。動き自体は単純だ。だが、踏み込みの瞬間に一瞬だけ上体を揺らし、視線をずらした。


 フェイント。


 左に避けると見せかけ、右から切り込んでくる動き。蛇やスライムにはなかった、明確な“ずる賢さ”だった。


(っ……!)


 硬質化していない左腕を、本能的に引き戻す。石ナイフの刃が、左上腕の肉を浅く裂いた。皮膚が割れる感覚と、遅れてじわりと広がる熱。生暖かい血が、腕を伝って滴り落ちる。


 同時に、足が勝手に前に出ていた。


 左足――硬質化させていた軸足で地面を強く踏み込む。膝から股関節までの線が、全身の体重を押し上げ、腰を回転させる。


 その力が、そのまま右肩へ、肘へ、手首へと伝わる。


 拳が、軌道を描く。


 人を殴る感覚は、交通事故の時の感覚に少し似ていた。金属と肉の衝突。だが今、俺の拳がぶつかったのは、緑灰色の頬骨だった。


 硬質化した拳が、ゴブリンの顔面を横から打ち抜く。骨がきしむ感触が、拳の奥から肘へ、肩へと逆流してくる。鈍い手応えとともに、ゴブリンの頭部が不自然な角度にねじれた。


 だが、それでも奴は倒れなかった。


 よろめきながらも踏みとどまり、乱杭歯をむき出しにして唸る。脳震盪を起こしたはずの頭部が、獣じみた執念で俺のほうへ向き直る。


 右手の石ナイフが、再び閃いた。


 今度は、真正面から。


 上段から振り下ろす、力任せの一撃。


 俺は青いナイフを握った右手を反転させ、刃を下に向ける形で構えた。硬質化した右前腕で、相手の手首ごと受け止める。


 石ナイフの刃が、腕の上で弾かれた。硬質化した皮膚には、かすり傷ひとつつかない。その反動を利用し、右腕を内側から下へとひねる。


 ゴブリンの手首を叩き落とす。


 同時に、一歩踏み込み、顔面のすぐ下――喉元めがけて、青いナイフの切っ先を突き上げた。


 刃が肉を割る感触。


 温かい液体が、手の甲にどっと溢れ出す。


 ゴブリンの喉から、たまらないような濁った音が漏れた。目が大きく見開かれ、全身が痙攣する。硬質化した右腕で、そのまま柄を押し込む。


 刃が喉を貫き、首の後ろ側の皮膚を内側から押し広げる感触が伝わった。


 しばらくのあいだ、ゴブリンの身体はもがき続けた。腕に、足に、無秩序な力がぶつかってくる。そのたびに、俺の脳裏には、人の顔がちらついた。


 喉の奥が焼けるように痛んだ。


「……っ」


 歯を噛みしめ、ナイフを握る手に力を込める。やがて、ゴブリンの身体から力が抜けた。


 膝から崩れ落ちる。


 俺は柄から手を離し、一歩、二歩と後ろへ下がった。呼吸が荒い。肺が、熱を持って大きく膨らんでいる。


 目の前で、緑灰色の身体がぐにゃりと輪郭を崩し始めた。


 蛇やスライムと同じ。


 死んだモンスターは、肉体を残さない。液体とも煙ともつかないものに溶け、床へと吸い込まれるように消えていく。


 ただ、足元には一つだけ――物体が残った。


 黒ずんだ革と、鈍い銀色の金属片で作られた輪。幅三センチほどの腕輪だった。


 ゴブリンがつけていたのか、戦闘中には意識していなかったが、今こうして見れば、どこか“それらしい”粗野な造りだ。革の表面には、雑な刻印がいくつも打ち込まれている。


 俺は、まだ早鐘を打っている心臓の鼓動を意識の端に押しやりながら、その腕輪を拾い上げた。


 冷たい。


 革の内側は、思ったよりも滑らかで、肌に当てても違和感はない。金属の突起は外側に向けられており、装飾とも棘ともつかない形をしている。


「……ゴブリンの、腕輪、か」


 勝手に名前をつけてみる。あながち間違っていないだろう。


 左腕の傷口から、じわじわと血が滲み続けていた。浅いが、なかなか止まらない。腕輪をそっと右手首にはめ、硬質化を解除する。


 深く息を吸い込み、視線の前に意識を集中させた。


「ステータス」


 薄青い光の板が、いつものように視界に浮かぶ。


 ――――――――――


 【レベル】5


 【スキル】硬質化


 【状態】軽傷/中度疲労


 【装備】


 ・マジックバック

  (重量を無視してある程度の荷物を収納可能)


 ・ゴブリンの腕輪

  (筋力値をわずかに上昇させる)


 ――――――――――


「……“わずかに”、ね」


 思わず、呟きに苦味が混じった。


 初めてスキルオーブを使ったときの、身体の奥から組み替えられるような変化はない。硬質化を覚えた瞬間の、骨まで凍るような感覚ともまるで違う。


 右拳を軽く握ってみる。


 確かに、ほんの少しだけ力が入りやすい気はした。指先に集まる圧が、これまでよりも微かに太く、重くなっている。


 だが、それだけだ。


「筋力値上昇……ってこういうことか」


 ゲームなら、数値に+1とか+3とか表示されるだけで、“ああ上がったな”と納得できる。だが、体感だけでそれを感じろと言われても、正直なところ、よく分からない。


 この世界の“成長”は、喜びよりも先に、疲労と痛みを連れてくる。肩で息をしながら、ステータス表示を閉じた。


 右手首の腕輪が、脈を打つたびにわずかに重さを変える。筋力が、ほんの少しだけ底上げされている。その事実が、理屈ではありがたいのは分かっている。


 だが――先ほどの死闘を思い返すと、どこか釣り合わないようにも感じられた。


「命がけでやって、これだけかよ……」


 自嘲混じりに吐き捨てる。すぐに、頭のどこかで冷静な声が返ってきた。


(それでも、“ないよりはマシ”だ)


 一つ一つは微々たる変化でも、積み重なれば無視できなくなる。レベルも、装備も、スキルも。


 この世界で“偶然”与えられる強化に、いちいち一喜一憂している余裕はない。神が用意したご褒美に踊らされるのではなく、それを踏み台にして顔面を殴り返すために使う。


 左腕の傷に手を当てる。浅い切り傷だが、動かすたびに痛みが走る。蛇から落ちたエナジードリンクの一本をマジックバックから取り出し、喉を湿らせる程度に口をつけた。


 胃の奥から、じわりと温かさが広がる。


 痛みが完全に消えるわけではない。だが、さっきよりも腕の重さが和らいだ。これなら、あと数戦は動ける。


「……行くか」


 そう呟いて、立ち上がる。


 第四層の奥からは、まだいくつもの気配が伝わってくる。複数の足音。遠くで交わされる、意味の分からない言葉。


 人間に似た姿で、人間とは違う存在。こいつらを倒した先に、何が落ちているのか。


 食料か、日用品か、また別のスキルオーブか。あるいは、もっと “どうでもよさそうな”小さな強化だけかもしれない。


 それでも、進むしかない。


 一層に残してきた人たちのことを思う。黒川比奈と、その腕の中の少女。そして、まだ遠い未来にしかいない、妻と息子。


 硬質化した拳を静かに握り直し、俺は第四層の奥へと足を踏み出した。

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