硬質化②
通路の奥から、また蛇の気配が近づいてくる。
今度は、肩と肘だけ。別の個体には、膝と足首だけ。さらに別の個体には、指先と腰だけ。
少しずつ組み合わせを変えながら、俺は蛇との戦闘を繰り返した。
どれくらいの時間、狩り続けただろう。
エナジードリンクのボトルは、マジックバックの中で何本にも増えている。背中の重さは変わらないが、歩きながら揺れる微かな感触で、それなりに本数が溜まったことが分かった。
蛇の数も、それに比例して減ってきている気がする。通路の空気が、少しだけ静かだ。
そんな中で、明らかに“違う”気配がした。
視界の奥、少し開けた空間の中央に、ひときわ大きな影がとぐろを巻いているのが見えた。
「……でかいな」
近づくにつれ、その大きさがはっきりしてくる。体長は五メートル近く。太さも、これまでの蛇の倍はある。黒色の鱗に加え、ところどころに赤と白の斑点のような模様が浮かんでいた。
首をもたげる動きも、これまでの個体より速い。獲物を射抜く瞳には、わずかに“狩る側の余裕”が混じっていた。
俺は一歩前に出て、深く息を吸う。
まず、左足首と膝を硬質化。地面を押さえ込む「杭」を打ち込むイメージで固める。次に、右肩と肘、そして手首。最後に指先。
同時にやろうとせず、コンマ数秒だけタイミングをずらして、順に連結していく。
蛇が地面を蹴った。巨体のわりに速い。一直線にこちらへ飛びかかってくる。
俺は左足で床を強く踏み込んだ。
硬質化した足と地面の間で、短く重い衝撃が弾ける。その勢いを腰で受け、肩へ、肘へ、手首へ、指先へと流し込む。
全身が一本の槍になったような感覚。蛇の開いた口の横をすり抜けるように、体を半歩ひねり、その勢いを乗せたまま、右手を首筋へ叩き込んだ。
硬質化した指が、鱗の隙間に食い込む。厚い皮膚を突破し、その下の肉を深く抉った。蛇の身体が大きく痙攣し、通路の床を打つ。
さらに踏み込み、左足の硬質化を一瞬だけ解除してから、今度は右足に切り替える。軸足を入れ替え、回転の勢いを乗せた裏拳を、頭部側面へ叩き込んだ。
鈍い衝撃が、肩から背骨へと抜けていく。蛇の体から力が抜け、その巨体がゆっくりと崩れ落ちた。
ほとんど、反撃を受ける隙を与えなかった。
「……よし」
硬質化を解いた瞬間、足から腰にかけて、どっと疲労が押し寄せる。それでも、さっきまでのような“限界”の感覚はない。
連動のかけ方さえ間違えなければ、このくらいは“普通に”できる――そう身体が理解した。
崩れ落ちた蛇の輪郭が、じわじわと溶けていく。床に広がった黒い影が消えたあとに、一つのものが残った。
手のひら大の、淡い光を宿した球体。
「……スキルオーブ、か」
透明な殻の内側で、光がゆっくりと脈打っている。手に取ると、指先に微かな抵抗が返ってきた。赤黒いスライムからもらった硬質化のときと、収納のオーブのときと、同じ感触だ。
意識を向ければ、きっと表面に文字が浮かぶだろう。
「……とりあえず、保留だな」
マジックバックにオーブを滑り込ませる。収納スキルを譲ったあのときと違い、このオーブは完全どのタイミングで砕くべきか、その判断材料がまだ足りない。
その代わり、オーブを拾い上げた瞬間、体の芯からじわりと熱が湧き上がってくるのを感じた。
筋肉の奥で、何かがもう一段階引き締まる感覚。視界がわずかに明るくなり、足元の安定感が増す。
「ステータス」
視界の前面に、薄青い情報の板がゆっくりと浮かび上がった。
――――――――――
【レベル】5
【スキル】硬質化
【状態】良好
【装備】
・マジックバック
(重量を無視してある程度の荷物を収納可能)
――――――――――
「……5、か」
数字が増えたところで、まだ何も終わっていない。赤黒いスライムを倒したときのレベル2。蛇を狩り続けて、いつの間にか上がっていたレベル4。そして今、5。
死ねば、いくらでもゼロに戻される。それでも、積み上がっていくこの数字を見ると、胸の奥が少しだけ軽くなるのを止められなかった。
「死ななければ、ちゃんと強くなれる」
以前一度確認した言葉を、改めて呟く。その強さが、家族を取り戻すために必要なのはもちろん、一層で震えている連中を解放するためにも必要だ。
黒川さんに渡した収納スキルも、一層の夜を変えるための“手”のひとつに過ぎない。
だから俺は、まだ死ねない。
ステータスを閉じてから、しばらく通路を進んだ。蛇の気配は、先ほどまでほど濃くない。何体か小さな個体をいなしているうちに、ふと、前方の空気の流れが変わった。
湿った洞窟の匂いの中に、わずかに乾いた風が混ざる。
「……階段、か」
視界の先に、上へ伸びる石段が現れた。
第三層から第四層へ続く階段。一層へと続く階段よりも、わずかに幅が狭く、段差も高い。その分だけ、「ここから先は別の世界だ」と告げているように見える。
足を止め、マジックバックの口を開く。
中からエナジードリンクのボトルを一本取り出し、キャップをひねった。甘い匂いが、湿った空気に混じって広がる。
「……一本くらい、いいだろ」
喉を潤すように、一気に飲み干す。
液体が食道を滑り落ち、腹の底で温かさに変わっていく。さっきまで残っていた全身のだるさが、薄い皮を一枚剥がされたように軽くなった。
右腕の奥に残っていた鈍い痛みも、わずかに薄らいでいく。
「第四層……」
階段の上は、見えない。
神がどんな悪趣味な罠を用意していようが、もう驚かないつもりでいても、胸の奥にはごく自然な怖さがあった。
それでも――その怖さを押しつぶすだけの理由が、俺にはある。
妻と息子を取り戻す。
一層の夜を終わらせる。
その両方を叶えるためには、この先も登り続けるしかない。
「行くか」
誰にともなく呟き、階段の一段目に足をかけた。硬い石の感触が、靴底越しに伝わる。二段目、三段目と、ゆっくりと上がっていく。第三層の湿った空気が、少しずつ遠ざかっていく。
四層の見えない闇が、口を開けて俺を待っている。息を整えながら、俺はその闇へ向かって、一歩、一歩と足を進めた。
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