影に笑うもの〈side-B 中編〉
岩場の陰から覗くと、そこには五、六人のグループがいた。
筋肉質な男二人。その後ろに、中肉中背のサラリーマン風の男。若い女が一人、そして、十代半ばくらいの少年。
彼らは肩を寄せ合いながら、一本の通路の先を見つめていた。
「おい、本当にやるのかよ……」
「やるしかねえだろ。あのデカいの、倒せれば一気に稼げる。さっきのちっこいのと同じなら、弱点は真ん中の……」
筋肉男の一人が、喉を鳴らしながらそう言う。
彼らが見つめている先――そこにいたのは、二層のスライムとは比べものにならない巨体だった。
通路を半分ふさぐほどの、赤黒い塊。和真が相対した個体と同じ“巨大スライム”だが、こちらはさらに一回り大きい。中心に宿るコアは、濁った血のような光を放っている。
近づくだけで、肌がざわつくような圧。普通の人間なら、それだけで足がすくむ。
鞍馬は、岩陰で小さく目を細めた。
「へえ……でかい」
興味と愉悦とが混ざった声だった。
グループの一人、少年が震える声を上げる。
「む、無理だって……! だってさっき、小さいのに食われかけたばっかで……!」
「うるせえ。今さら一層に戻ってどうする。パンと水の奪い合いに戻りたいのか?」
男が吐き捨てるように言う。
仲間内の空気は、既に追い詰められている。誰もが「当たり」を欲しがっている。誰もが誰かに死んでほしいと思っている。
(いいねえ)
鞍馬は、岩陰に背を預けたまま、静かに眺める。
巨体が、ゆっくりと蠢いた。
最初に飛び出したのは、筋肉男のうち一人だ。
「いくぞ!」
彼は大きく声を上げ、石を握りしめて駆け出す。その瞬間、巨大スライムの表面が波打った。
ぬるり、と伸びる。半透明の粘液の腕が伸び、男の下半身を一気に絡め取った。
男の悲鳴が通路に反響する。膝から上、腰、胸、肩へと、男はあっという間に飲み込まれていく。
残されたのは、首から上だけがスライムの外に出た状態。顎の下まで粘液に浸され、目を見開いた男が荒い息を吐いていた。
痛みで涙がにじむ。骨の砕ける感触が、表情に刻まれる。
その様子を、グループの残りのメンバーは、凍りついたように見つめていた。
誰も、動けない。
その場面に、投げ込まれるように、平坦な声が割り込んだ。
「ねえ、今どんな感じ?」
全員がはっと振り向く。
岩陰から一歩、鞍馬が出てきた。スライムに半ば飲み込まれている男の正面に、躊躇なく歩み寄る。
男の目が、わずかにこちらを捉えた。
「……な、なん、だよ……!」
「いや、単純に興味があってさ。さっき自分でも一回食われたんだけど、ほら、痛みって人によって感じ方違うじゃん?」
会話の内容が、あまりに場違いだった。
少年が顔を引きつらせ、女が息を呑む。
スライムの粘液が、男の顎までせり上がる。
顎の骨が軋み、歯がかち合う音が混ざる。
「内臓からいくタイプ? それとも筋肉? ああ、骨かな。皮膚から順番にとか?」
「ふ、ふざけ……ん、な……!」
男は、歯を食いしばりながら絞り出す。
「助けろよ……! たす、け――」
「助ける?」
鞍馬は首を傾げた。
「助けてもいいよ。助けたら、何くれる?」
「は……?」
「だってこれ、“ゲーム”だろ? リスクに見合うリターンがないと。君を助けて、俺に何の得がある?」
淡々とした口調に、男の顔から血の気が引いていく。
「も、戻ったら……金、やる……! なんでも……!」
「戻ったら、ねえ」
鞍馬は、その言葉だけを少しだけ楽しそうに繰り返した。
「君、本当に戻れると思ってる?」
スライムのコアが、どくん、と脈打つ。
その瞬間、男の悲鳴が途切れた。
首から上すらも、粘液に飲み込まれていく。
血の泡が一瞬表面に浮かび、それもすぐに飲み込まれた。
グループの残りのメンバーが、一斉に後ずさる。誰も、鞍馬に言葉を投げかけない。
彼の存在そのものが、巨大スライムよりもよほど異物に見えた。
「なるほど、ここまで行くと会話は難しいか」
鞍馬は満足げに頷いた。
「でも、面白いデータは取れた」
ひとりごちると、ようやく足を前に出す。
巨大スライムが、新たな獲物を見つけたようにコアを明滅させた。鞍馬は、腰を落とし、足の位置をほんの数センチ調整する。
「……じゃ、今度は“効率プレイ”」
スライムが突進する。
彼は、その動きの「癖」を既に把握していた。
一歩だけ、横にずれる。さきほど男を飲み込んだときと同じ軌道。そこから数十センチ外れた位置に、鞍馬はいた。
伸びてきた粘液の一部が、彼の服の裾をかすめる。その感触を無視しながら、彼はコアに向かって石を振り下ろした。
刺さった感触。
硬い抵抗。
さらに力を込めると、コアにひびが入る。
スライムが、痙攣するように震えた。
波打つ表面が、彼の足を巻き込もうとする。
「はいはい、さっきと同じ」
鞍馬は、同じ角度で石を押し込んだ。
コアが砕ける。巨体が崩れ落ち、赤黒い液体となって床に広がる。やがて、それも輪郭を失って消えていった。
残されたのは――
「おっ」
床に転がる、手のひら大の球体。その内部で、黒に近い紫の光が、細く揺らめいていた。
【スキルオーブ:気配遮断】
文字が浮かぶ。
「いいね」
鞍馬は笑い、何の迷いもなく、オーブを握りつぶした。冷たい何かが、血管を逆流するように全身を駆け巡る。皮膚の下で、自分という輪郭が薄くなっていくような感覚。
呼吸をしているのに、自分の呼吸音が遠い。心臓が打っているのに、その鼓動が自分のものではないような。
「……これは、便利だ」
彼はその場に立ったまま、足音を殺して一歩踏み出す。
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