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68.恋する男


「鈴木君、お先に―」

「はーい、お疲れ様でーす」


 まだ残る鈴木君と挨拶を交わしてから、好実は今日のアルバイトを終わらせた。

 小宮山さんにも挨拶しようと、そのまま事務室を覗くことに。


「あっ、好実ちゃん、いいところに来た」

「え?」

「ちょっとこれ手伝って」


 やはり事務室にいた小宮山さんに手招きされ、元々ドアが開いていた事務室に入る。

 そのまま小宮山さんの手でドアを閉められた。

 カチャリと鍵まで閉められる音がすれば、さすがにハッと気付く。


「小宮山さん……」

「騙された」

「だめですよ」

「何で?」


 好実のささやかな抵抗など聞く耳持たないかのような彼は、事務室に閉じ込めた好実に接近してしまった。ギリギリで触れない距離。

 でもそんな彼は絶妙な気がして、好実は思わず訝しい顔を向けてしまう。


「え……さすがにそんな顔されるとショック」

「どんな顔ですか?」

「俺のこと見損なったような……」

「違います。ただ、手慣れてるように感じて」


 「手慣れてる?」と彼がキョトンとしたので、「経験ありなのかと」と続けてあげた。

 もしとぼけているなら、これでもう逃げられないだろう。 

 閉じ込められたのは好実なのに、逆に彼を追いつめ始めた。


「心外だな。こんなことしたの、好実ちゃんが初めてだよ」

「……小宮山さん、モテるって聞きました」

「モテる? 誰が言ったの?」


 申し訳ないが正直に渡辺さんと明かすと、「そんなの冗談だよ。本気にしないの」と逆に呆れられた。

 きっとわざと呆れたのだろう。渡辺さんの言うことを信じさせないために。

 安心させるためだろうともわかった好実も、もう困らせることはやめた。


「別にモテてもいいですよ。選ばれたのは私だから」

「……好実ちゃん、殺し文句得意だね」


 別に殺し文句でもないのに、小宮山さんが心臓まで押さえた。すでに恍惚とした表情まで浮かべる。

 今まで好実の前では良き店長、良き兄なばかりだったのに、今はしっかり恋する男の顔。昼休憩を共にしたファミレスでもそうだった。


「好実ちゃんにだけモテたいよ。俺は」

「殺し文句のお返しですか?」

「ううん。ただの本心」


 好実はバイトが終わったが、彼はまだ仕事中なのに。しかも店長なのに。

 今の彼は間違いなく、目の前の好実以外すっかり忘れている。

 だったら、そろそろ好実が思い出させなきゃ。


「仕事戻ってください。鈴木君一人ですよ」

「今は一人でも大丈夫。それに……俺は店長の前に男だよ。好きな子と一緒にいられるチャンスは逃せない」


 今は仕事中なのだから、男の前に店長であるべきなのだが……でも今の彼は本当に恋する男なだけなので、とうとう好実も甘くなってしまった。


「私、もう帰るから……少しだけ触れさせてください」


 彼は恋する男になってもギリギリ触れない距離を保つので、好実が焦れてしまった。

 こんな中途半端で帰るのは嫌なのかも。せめて彼の手に触れようとすると、先を越された好実は抱きしめられる。

 けっこうな勢いだったせいで、彼の胸におさまりながらびっくりしてしまった。

 

「好きだよ。離したくない……こんなに」


 彼に煽られるように、好実も背中に手を回してしまう。

 一昨日の海でも感じたが、やはり彼は恋に情熱的な男性だった。

 それ以外は良き店長、良き兄の顔しか知らなかったからこそ、好実は彼の情熱により負けてしまう。これぞギャップ……。


「こんな気持ち、初めてだ。恋がこんなに苦しいなんて……」


 四歳年上で、精神的にも断然大人。何より好実よりずっと経験豊富だろうに、今の恋に苦しむ彼は初心な男性にさえ感じさせられる。

 好実がちゃんと受け止めなければ、彼の心は崩れ落ちてしまいそう。

 でも、どうしよう。いつまでもこのままなわけにはいかないのに。


「店長ー、ちょっといいですかー」


 ……ナイス鈴木君、今日は本当に気が利くな。

 店内から小宮山さんを呼んでくれたお陰で、二人の身体も反射的にバッと離れた。


「くそ……行ってくる」

「はい。じゃあ私は帰りますね」

「ラインするから」


 こうして今日の所は小宮山さんと離れた好実は、今日は兄を待たずにバイト先を離れた。


 まだ彼の熱が残るような身体が外の冷気によって正常に戻ると、同時に気も引き締めた。

 今日は兄の車に頼らなかったのは、昼に弟が不意打ちでコンビニに来たからだ。

 鈴木君が気を利かせてくれたお陰で、その時小宮山さんと一緒だったことはバレなかったが、それでも弟には不満が残ったのだろう。

 いや、胸騒ぎのような不安かもしれない。だから今日はバイト終わりの姉も待つことにした。

 さっきラインでその旨を伝えられた好実はオフィスビルを出てすぐ、やはり弟の姿を見つける。

 明らかに苛立ち顔を見せていた塁生は姉の姿を見つけるや否や、パッと笑顔に変わった。


「好実っ」

「ごめんね。昼いなくて」


 すぐに駆け寄られたので、まずは謝る。

 不意打ちで来られたのだから謝る必要はないのだが、昼は空振りで苛立つ塁生には謝ることが一番大事。


「どこ行ってたの?」

「そこのファミレス……知り合いが来て、一緒にご飯食べようってなって」

「知り合い? 誰? 高城さん?」


 どうしてこういう時に限って、塁生は「高城さん」を真っ先に思いつくのだろう。

 姉が働いているオフィスビル内には、高城さんという姉の知り合いの女性がいる。ただそう信じさせられているだけで、塁生が真っ先に思いついた高城さん。


「違うよ。最近全然コンビ二来ないし……」

「へえ、じゃあ誰?」

「安藤さん。高校で同じクラスだった人。近くの雑貨屋に勤めてるの」


 安藤さん情報は真実で、以前安藤さんがコンビニを利用した際に偶然再会した。高校時代はクラスメイト程度だったが、久しぶりの再会は互いに嬉しくて、今度一緒にご飯を食べようと約束したのだ。

 お陰で、誤魔化さなきゃいけない今はすんなり安藤さんに助けられた。


「安藤さん、女?」

「うん」

「じゃあいいや。行こう」


 塁生の確認が終われば、二人はようやくオフィスビル前から離れ始めた。


「今日さ、小宮山のオヤジいなかったね」

「あー……親戚のおじさんが亡くなったらしくて。でも遅く来たよ」

「ふーん。俺が来たから隠れたのかと思った」


 塁生の確認はまだ終わっていなかった。駅に向かって歩きながら、今度は塁生にとって目玉の小宮山さんを気にされる。

 どうせ今日の昼に不意打ちで来たのだって、姉より小宮山さん目的だったのだろう。

 一昨日小宮山さんをしっかり脅した塁生は、また現れることで再度脅したかったのだ。

 姉に少しでも近づいた相手は逆にとことんしつこく追い回すのが、塁生のやり方だから。

 一度脅しただけじゃ気が済まず、何度だって繰り返して完全排除する。

 姉に近づこうとすれば、もれなくこんなしつこくて厄介な弟が付いてくると散々教えたい。 


 そんな塁生は今回初めて姉に近づいた男を脅したわけじゃなく、幼少期からの筋金入り。

 しかし今までは姉に近づいた異性など、わざとじゃなく偶然に過ぎなかったのだ。

 近所に住む男の子と偶然帰りが一緒になったとか、お祭りで偶然会ったクラスメイトが話し掛けてきたとか、本当にその程度。

 好実に好意があるわけでもない男子がその程度で好実の弟に目を付けられ、姉に近づくなとなぜかしつこく追い回される。

 好実は後から被害者の男子本人に苦情を言われ、ようやくそんなことをした弟を知るのだ。

 でも、どうしてそんなことするの? やめて、なんて結局一度も怒れなかった。

 何より好実がナイーブな弟を傷つけられなかったのだ。

 そんな自分のせいで、塁生は変わらないまま今年二十二歳になってしまった。


 二十二歳にまでなった塁生は姉が男の車に乗っているのを見た一昨日、初めて暴力行為にまで走った。

 それほど暴走するまでに、塁生は危機感を抱いたということ。今回の男は姉に偶然近づいただけじゃないと自ら判断して。

 現に好実は小宮山さんにアプローチされ、誰にも内緒で付き合うに至ったのだ。もちろん弟に気付かれないために、誰にも内緒。

 姉がそこまで隠そうとする男を、姉に一番敏感な塁生がより怪しまないはずないのだ。 

 今回の塁生はいつもとも違う執念深さも見せ、小宮山さんを徹底的に排除する気かもしれない。


 好実は小宮山さんと付き合ったことはまだ悟られてなくても、弟がしつこく小宮山さんを脅し続けるかもしれなくて、さっそく身震いを起こしそうになる。

 小宮山さんとの交際を諦めたくなくて、一歩踏み出したばかりだというのに、弟は決して侮れないと今日さっそく思い知らされたばかりに怖さが襲う。

 本当にこれでよかったのか、この弟がいながら我を通すべきだったのかと、また心がフラフラと迷走してしまった。


 それでもすでに一歩踏み出してしまった以上、何としてでも小宮山さんは守らなきゃ。

 だったらまず、塁生が小宮山さんから目を離し、排除の対象から外してくれることが一番なのだが――――今は小宮山さんのみをターゲットにして執念深さを見せる塁生にはそれが最も難しい。


(……そうだ。じゃあ、小宮山さんには他に彼女がいることにすれば)


 と好実が秘かに苦悩した末に閃いたところで、隣を歩く塁生に手をギュッとされる。


「痛いよ」

「だって、駅着いたのにボーっとしてるから」


 本当だ、いつの間にか駅前。でも好実は良案が思いついたばかりで気持ちは少し軽くなった。


「ご飯、ここら辺で食べてこうか」

「うん、そうしよっか」

「駅中のファミレス?」


 すでに昼ファミレスを利用した好実が「えー……」と渋ると、「嘘嘘」と笑われる。

 他の店を思い出し始める塁生は優しいだけで、姉との数週間ぶりの外食にただ浮かれてるようにも見える。

 見た目は可愛い男の子。その上、今は純粋で優しさも見せる塁生を、彼氏にしてみたい女の子なんてきっといっぱいいる。

 好実だって姉じゃなく、たとえば幼馴染みたいな存在で塁生の傍にいたら、普通に惹かれたかも。

 現実は姉であっても、塁生は特別な存在にまでしてくれるのだから。


「う~ん……ねえ好実、昼は何食ったの? ファミレスで」

「おろしハンバーグ」

「え? 絶対タラコパスタだと思った」

「絶対思ったなら、何で聞いたの?」

「一応……でも聞いて正解だったじゃん。そっか、昼はおろしハンバーグ……じゃあ、今は麵にする?」


 塁生をこれ以上悩まさせず、ここはさっさと提案することに。


「うどんがいいな。ファミレスの隣の」と店まで指定すると、「じゃあ行こっか」と塁生もさっさと誘導し始めた。


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