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66.離したくない


「まだ着替えてなかったんですか?」


 今日の小宮山さんは正午前に出勤したが、好実と共に遅い昼休憩を取り始めた今も黒スーツのまま。

 というより仕事中は上だけ脱いで制服着用し、近くのファミレスへ来る前に黒スーツ姿に戻ったのだろうが。


「せっかく好実ちゃんが見惚れてくれたから、もったいなくて」

「……もう見飽きました」

「あ、そういうこと言う? つれないなぁ」


 先に来ていた好実は、今来たばかりの小宮山さんをさっそく笑わせる。

 そもそも、小宮山さんってけっこう笑い上戸なんだよね。笑いのツボがいくらでもあるのか、好実の何気ない発言でも高笑いまでしてくれたり。

 でも好実の見飽きた発言は本当に冗談。黒スーツの小宮山さんは、本当にいくら見ても飽きない格好よさ。

 そういや好実の母も、息子夫婦の結婚式で初対面した黒スーツ姿の彼を一発で気に入ったのだった。

 ……でも、そろそろ好実は小宮山さんじゃなくメニュー眺めるか。


「あれ? メニュー見るの? いつもタラコパスタなのに」

「今日は小宮山さんの真似して、ハンバーグにします」


 小宮山さんはハンバーグと決めつけるほど、好実とファミレスに来ればいつもそれ。

 でも好実はいつものタラコパスタをやめるために、今日はメニュー表をしっかり見つめる。


「タラコパスタにトラウマできた?」

「トラウマ……いえ、卒業程度です。飽きちゃって」


 本当は飽きたわけでもない。

 元恋人と一緒に食べたことがあるファミレスのタラコパスタを、現恋人の前ではさすがに遠慮したいだけ。

 でも恋人が変わった程度で避けるなんて、何だかなぁとも思う。

 結局メンタル弱くて、元恋人が関わったものは見たくも食べたくもなくなっちゃうのかも。

 一番好きだったミートソースパスタだって、もう食べられないのかな。元恋人がそれを手作りしただけで。


「好実ちゃんってさ、丸わかりだよね」

「え?」

「タラコパスタきっかけに元彼思い出して、頭グルグルさせてた」


 こうして今日もお見通しの小宮山さんには否定もできず、「ごめんなさい」と正直に謝った。


「いや、そこは誤魔化そうよ。そんなことないですって」

「バレバレの嘘なんてつきたくないです。あっ、すみませーん」


 ちょうど通り掛かってくれた店員さんに声を掛け、それぞれ注文品を伝え終える。二人ともハンバーグなので、ちょっと時間掛かるかな。

 だったら本題に入ってしまおうかと、好実はまず彼としっかり視線を合わせた。

 しかし、なぜかしっかり逸らされてしまう。


「今日は、天気いいよね」

「はぁ……」

「あ、猫歩いてる。ははは」


 唐突に窓の外ばかり気にし始めた小宮山さんはまるで好実から逃げたようで、全然らしくないのだが。

 どんな好実からも全然目を離してくれないのが、小宮山さんなのに。

 だからこそ好実も、そんな彼から逃げないと決めたようなものなのに。


(……もしかしたら、今頃怖気づいたとか? 私の弟がやっぱり怖くて?)


 小宮山さんから目を逸らされただけで、好実こそあっさりマイナス思考に陥ってしまう。

 これじゃあ互いに怖気づいた状態じゃないか。

 彼としてはただ昼休憩を共にしただけだから、逆にこの時間を機に決意を伝えたい好実の気迫めいたものを感じて、やっぱり引いてしまったとか?

 今は窓の外ばかり気にしてる小宮山さん、内心は「俺にはやっぱ無理だ……」とか呟いてるのかな。


 彼はそういう人じゃないと勝手に信じてしまったせいか、すっかり後ろ向きの好実は勝手に裏切られもしてしまう。

 そもそも好実には、暴力まで振るいそうな弟から奪うまでの魅力や価値がないのかも。

 そりゃそうだよな。他にも独身女性など星の数ほどいて、そのうちの一人でしかない好実にこだわることもないのだから。小宮山さんも然り。

 好実にあの弟さえいなければこだわってくれただろうが、あの弟がいるだけで、まるで尻尾巻いて逃げるのか。


 ……だったら、そんな小宮山さんに心の中で愚痴っている場合でもない。さっさと解放するか。

 この一カ月など特にお世話になったのだから、感謝の気持ちのみで引き際よくならなきゃ。


「あの、小宮山さん」

「……何?」

「私、やっぱりしばらくは一人で頑張ろうと思います。小宮山さんにも頼らず」


 目の前の彼を逃がすためだけに気丈に発した言葉は、彼の顔を気まずげにすることはなかった。

 実際はテーブルに額がつくほど明らかに落ち込んでしまう。どうした小宮山さん。


「やっぱり、そうきたか……覚悟はしてたけど」


 声にもひどい落胆を滲ませた小宮山さんがまた渋々と顔を上げると、すでに諦めたような笑顔も浮かべている。


「……わかった。しばらく好実ちゃんの好きなようにすればいいよ。ちゃんと待ってるから」

「……え?」

「でも、一人で頑張ったついでに他の男に心変わりなんてだめだよ。好実ちゃんには俺だけ。それは絶対忘れないで」


 どうやら小宮山さんは好実の思い込みとは異なり、彼自身も思い込んでいたらしい。好実のことだからこのまま恋人同士になるんじゃなく、一度距離を置くと。

 しかし、好実としては特にそんなつもりもなかったのだが。

 そもそも小宮山さんとはすでに恋人関係になったのだし、その後やっぱり距離を置くなんて、それこそ中途半端すぎやしないか?

 そんな中途半端な関係になるくらいなら、ちゃんと別れるかちゃんと付き合うか、どっちかにするよ。


「……小宮山さん、私とやっぱり付き合うのやめるって選択はないんですか?」

「え? どういうこと?」

「その……私の弟のことで、やっぱり後悔したとか……」


 結局こんな曖昧口調で確認してしまったが、好実が知りたいことなど本当はそれだけなのだ。

 自分の気持ちはすでに定まっていたのだから、小宮山さんさえ同じ気持ちのままならそれで。


「俺は、好実ちゃんが好きなだけだよ。本当は一瞬も離したくない」

「お待たせしましたー! ハンバーグとおろしハンバーグでーす」


 ……すごい。小宮山さんの告白は、見事にファミレスのお姉さんが元気に搔き消してしまった。

 自分のタイミングの悪さに、小宮山さんが改めて落胆。

 いつもの彼らしからぬ大失敗に、好実は思わず吹き出すのを堪えた。

 けれど、本当は安堵が押し寄せたのだ。今の小宮山さんが、自分の弟を知る前と何一つ変わっていなくて。


 やはり好実も疑うことなく、ただ信じ続ければよかった。

 彼は自分にちゃんとこだわってくれて、ちょっとやそっとじゃ諦めない男性だと。

 どんな時もしぶとく傍にいてくれる彼だからこそ、今の好実も唯一受け入れられたのだから。


 ファミレスのお姉さんがいなくなった後、今度は好実から口を開いた。

 素直なままに、変わらない彼への安堵を笑顔に変えて。


「私こそ、小宮山さんを離したくないです」


 ファミレスであっても初めて顔を真っ赤にした小宮山さんは、四歳年上なのに十分純朴な男性だった。

 そんな彼を、好実は初めて可愛いと思う。

 これからも、まだ知らない彼の素顔をいっぱい見れるのかな。


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