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65.軽率な小宮山さん


「えっ、店長休みですか?」

「忌引きでね。親戚のおじさんが亡くなったらしいよ」


 小宮山さんが経営するこのコンビニは、客がほぼオフィスビルで働く社員なので、平日の方がずっと忙しい。

 それに合わせ店長の小宮山さんも平日はほぼ出勤で、夜勤に回ることも少ないのだが――――


(今日は休みか……)


 今日、小宮山さんと話す時間を持てればと思っていただけに、好実は空回ってしまった。しかし再びコーヒーマシンの掃除をしながら、むしろ安堵が押し寄せる。

 仕事場が同じなので、言い方は悪いが小宮山さんから逃げられない感覚に陥り、決断にしろ報告にしろ急がされる。

 でも今日は会わないことで、決断報告も後日に回された。

 それによって安堵が生まれてしまうなんて、好実は小宮山さんにとって酷い恋人に違いない。


(恋人……)


 二人の関係は一昨日恋人に変わったのに、まだ全然しっくりこない。

 でも、好実にとってはそんなの当たり前だ。恋人になった一昨日の夜、弟がさっそく絡んだことによって、そのまま挫折しようとしたのだ。

 小宮山さんに何をするかわからない弟がいる以上、やはり彼の恋人にはなれないと。


 しかし翌日の昨日、また迷ってしまった。間違いなく小宮山さんに対し未練があったからだ。

 彼となら今度こそ上手くいくんじゃないかと、期待を生んでしまったせいで。

 好実だって、一度の失恋で恋愛そのものを諦めたくはなかったのだ。

 同時に、次に恋愛する相手は相性が良くて信頼も安心もできる小宮山さんがよかった。いや、何より今の自分が受け入れられるのは彼だけ。

 彼に対するそういう未練が好実を迷わせ、そして偶然友達の佐紀さんが後押ししてくれたことで決断に至った。

 あとで後悔するより、小宮山さんとの交際に踏み切ってみようと。


 一度は挫折と迷いを生じたことにより、ケジメとして改めて自分の決断を伝えようとしたのだが、彼は急遽休み。

 決断報告が遅れるくらいで安心してしまうなんて、結局ビビりな証拠だろう。

 誰と恋愛を始めるにしても、踏み切る時は勇気がいるし怖さも生まれる。

 特に今回は弟に徹底的に隠しての交際スタートとなるので、そういった緊張感も半端ない。

 とにもかくにも、暴力沙汰だけは避けたいのだ。

 好実と交際したことで、小宮山さんに被害と後悔を与えてはいけない。


 ……けれど、細心の注意を払いながらの交際なんて、現実的に上手くいくのだろうか。

 弟に徹底的に隠すということは、他の人にも決してバレてはいけないということ。

 好実はそんな交際を望むしかなくても、はたして小宮山さんは納得も満足もできるのだろうか。

 できないなら、そのうち好実との交際から不満ばかりが生まれ、結局彼は後悔するのだろうか。

 好実の弟から直接被害を与えられずとも、弟に頭も行動も囚われすぎる好実によって、彼は後悔と共に別れを選択したくなるんじゃないか。


 普段あんなに我慢強い小宮山さんでさえ根を上げたら、好実など本当に三十万の価値なのかもしれない。

 高城君も、妥当な値段をつけたということか。

 

 噂をすればといったように、以前好実に三十万の価値を与えた彼が現れた。

 ちょうどコーヒーマシンの掃除を終えてレジに戻ったばかりだった好実は、またレジから離れてしまった。

 いつもなら避けずに接客くらいはするけれど、今はそれすらも御免だ。

 放棄するために、パン補充中の鈴木君をわざと手伝ってしまう。


(どうせ私は三十万ですよ、ふんっ。もう三十万以下かもね、ふんっ)


 今日は彼が来るタイミングが悪すぎて、心の中で勝手に憤慨していると、隣の鈴木君にも伝わってしまったようだ。


「折原さん、そういう所はいただけません。俺の彼女を見習ってください」

「……は? どういうこと?」


 喧嘩売ってんのか、鈴木君。鈴木君の彼女だって見たこともないよ。


「今の折原さんはフキハラですよ。フキハラ」

「……フキハラ?」

「不機嫌ハラスメント」

「あっ、それでフキハラ」


 くう、日本は何でもハラスメント付けやがってぇ。しかも何でも略しやがってぇ。

 内心文句をつけたあと、好実は改めて鈴木君に視線を向けた。

 

「鈴木君、教えてくれてありがとう。彼女見習って気を付けるよ」


 そういや鈴木君がいつも自慢する彼女は高校時代から付き合っていて、いつもニコニコしてるんだっけ。

 奥ゆかしくもあって、鈴木君のバイトは邪魔できないと、遊びにも来ないんだって。

 だから、たまにこっそりコンビニ外から覗いてるらしいよ。健気。


「……じゃあさっきの私、マジでフキハラだな」

「落ち込むことはないですよ。折原さんらしくない。それに、俺の彼女が特別いい子なだけです」

「あっそ……鈴木君は彼女自慢したいだけね」


 パンコーナー前で鈴木君とそんな会話をしていると、レジにいた渡辺さんがいきなり近づいてきた。


「ちょっとー折原さん、逃げないでよっ」

「えっ……何のこと……」

「誤魔化さないでよ。高城さん、結局何も買わずに帰っちゃったんだからね。二人に何があったか知らないけど、悲しませたら私が許さないからっ」


 客がいない今だとばかりに、渡辺さんはコンビニ中に怒声を響かせる。

 いつも好実に優しい渡辺さんなのに……結局、彼女も美形の味方? 美形のためなら好実も敵?

 でも、確かに私情で彼を避けるのは店員失格だよね。今日はフキハラといい、自分最悪やん……。

 せめて渡辺さんにちゃんと謝ろう。


「……すみませんでした。今度から気を付けます」

「ちょっと待ってくださいよ。今のは折原さんが謝る必要ないです。渡辺さんのただの八つ当たりでしょ?」


 ここで割って入ったのは鈴木君。ひと月前まではあざと女子の堀田さんの言いなりだったほど気弱男子だったのに、堀田さんが無事辞めてからどんどん堂々とし始めたね。

 とっても良いことだけど……今は渡辺さんに意見しすぎかな。庇われた形の好実は、あっという間に二人の間で冷や汗ダラダラ。

 仕事場の人間関係は平和に限るのにぃぃ!


「……確かに、今は私の八つ当たりだった。ごめん。でも……友達の二人がずっとこじれたままなんて、私見てられなくて」


 鈴木君によって素直に反省した渡辺さんが、悔し顔で本音を明かした。

 彼女は好実と高城君が友達になったことまでは知っていて、その後交際し破局に至った事実は教えられないままなので、友達同士と信じる二人がここ一カ月明らかに仲違いしていて心配だったらしい。

 しかも高城君は変わらずなのに好実は目も合わせない状態なので、今日はわざと避けまでした好実を怒りたくもなったのだろう。

 やはり渡辺さん、いい人なだけなんだよな。


 だがそうはいっても、好実はここで半年間働く約束を守らなきゃいけない。

 あと三か月は辞められない以上、今のほぼ無視状態の接客を続けなきゃいけないのだ。彼がこれ以上は諦めたなら話は別だが。


 渡辺さんに本当の事情は明かせず返答も困ってしまうと、好実の代わりとばかりに、また鈴木君が一歩前へ。

 ……ちょっと鈴木君、今度は堂々と何言うつもり? 今度こそ波風立てちゃう?


「渡辺さん、折原さんは多分、俺の彼女と一緒です」

「えっ」

「どういうこと?」


 また自慢の彼女を持ち出した鈴木君は、好実と渡辺さんをしっかり戸惑わせた。


「俺の彼女は俺の邪魔しないようにと、あえてここには来てくれません。来たとしても、外からそっと覗くだけです。そんな彼女に俺が気付いた時、俺が近づこうとしても走り去ってしまいました。俺は寂しかったけど……同時に彼女の健気さに胸を打たれました。彼女を絶対に幸せにすると、心から誓ったんです」

「……鈴木君、多分話それてるよ」

「軌道修正軌道修正」

「ゴホンッ……つまりですね、折原さんも俺の彼女と同じく、高城さんの邪魔になりたくないんですよ。友達だってこともなるべくバレないように、高城さんが来てもあえて冷たく接することにしたんです。折原さん、俺は正解ですよね?」


 自信満々すぎる鈴木君がもはや有無を言わせてくれないので、好実はうんと頷いてしまった。

 ここはあえて便乗して、乗り切ることにしよう。


「何だ、そうだったんだ。なるほどねー。心配して損した」


 アハハと最後に笑いも足した渡辺さんはあっさり正常に戻ってくれた。

 ここは鈴木君の勘違いだけじゃなく、渡辺さんの単純さにも感謝するべきだな。 

 とりあえず、コンビニ内での平和は保たれてよかったよかった。ふう……。


「ん? 三人集まってどうしたの?」


 ちょうどパンコーナー前で堂々とサボっていた三人は、ここで店長に見つかった。

 「はっ、店長すみません!」「「すみません!」」と三人揃ってちゃんとサボりを認めたところで、三人揃って「えっ」と驚く。


「店長、何でいるんですか?」

「今日、忌引きですよね?」

「あー、さっき焼香だけ済ませてきた」


 やっぱり小宮山さんって仕事人間なんだな。いや、というより自分のコンビニ大好き人間?

 いつもピカピカにするほど大事にしているし、恋人のようなコンビニからなるべく離れたくないのね。

 それはそうと小宮山さん、何だか今日は……。


「うわー店長、黒スーツ似合う! カッコいい!」


 そうなんだよね。渡辺さんがつい口に出して惚れ惚れした通り、葬式帰りの小宮山さんには好実もうっかり見惚れちゃう。

 いつものコンビニ制服姿に見慣れすぎているからこそ、気付かされてしまうよね。

 はぁ……黒スーツの小宮山さん、素敵。


「え? 折原さんもウットリしてる。めずらしー」

「はっ、本当だ! 折原さんが女の顔してる!」


 好実の顔があまりにも露骨だったのか、渡辺さんと鈴木君を驚かせてしまった。

 もちろん好実は「気のせいですっ。そんなんじゃないですっ」と誤魔化して、その場から退散。

 しかし顔の熱さが引かないままに、「好実ちゃん」と引き止められてしまった。


「今日の休憩、一緒に取ろう」

「えっ」

「じゃあ」


 言ったもの勝ちとばかりに、小宮山さんはバックヤードに行ってしまった。

 残された好実は、今度は別の意味で渡辺さんと鈴木君の顔をポカンと驚かせる。


「へ……へ? そういうこと?」

「えっ……店長と折原さんがってことですか!? 仲いいとは思ってたけど、さすがに予想外……」

「ちっ、違う違うっ! 二人とも誤解しないで! これには理由があるんです理由が!」


 じゃあその理由を言ってみろとばかりに二人の視線が痛いので、好実はわざと項垂れ始めた。


「……実は今、兄のことで相談してて」

「お兄さん? あー確か店長は、お兄さんの先輩なんだっけ?」

「はい……うちの兄がこの度問題事を起こしまして、店長にも助けていただいたんです……ううっ!」


 ぐったり項垂れながら理由を告白し、最後は泣き真似まで足せば、どうにか二人とも信じてくれた。

 まあ、兄が問題事を起こしたのは本当だからね。信憑性ありまくりだろう。


「何だぁ。店長と折原さんだったらお似合いだったのに、お兄さんの問題繋がりか……」

「渡辺さん、問題起こしたお兄さんの手前、そこガッカリしちゃだめですよ。でも残念ですよね。俺も店長と折原さんだったら応援したかったです。あっ、お兄さんの問題をきっかけに付き合っちゃえば……」

「あーいいねぇ! 私達はそれ希望だね!」


 仕事仲間の二人が単純で勘違いしやすい上、騙されやすくてよかった。

 そっと泣き真似をやめた好実はそればかりは安心した後、当然軽率な小宮山さんに対しては不服が生まれるのだった。


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