64.佐紀さんに相談②
「……実は、私が小宮山さんとの交際を後悔したのには理由があって、本当はそのせいで今すぐ別れなきゃヤバい事態なんです」
「ん? どういうこと? ヤバい事態……?」
ここで俄然興味津々となった佐紀さんは小声で顔を寄せてきた。
近いよ、まるでキスする勢いやん。トンカツ屋で誤解されるからやめて。
もちろん好実は佐紀さんの顔を押して元通りにする。
「ヤバいのは、うちの弟が参入したからです……。昨日、小宮山さんと一緒の所を見つかっただけで、暴力沙汰になりかけました。私が止めなかったら、今頃弟は留置所。内定も取り消し……ブルッ」
「……なるほど。つまり折原さんの弟は反社な大学生……」
「違いますっ。普通の大学生ですっ。でもっ」
「わかってるよ。どうせ血気盛んなシスコンなんでしょ? 俺の姉ちゃんをそそのかしやがってーって感じ? ははは、折原さん、弟にも愛されちゃってるんだね」
冗談を挟むほどのん気に捉える佐紀さんは、まあ普通か。好実の弟を血気盛んなシスコン程度としか思わないよね。
実際にそうだったら、好実だってもっと気楽だったんだろうな。
「……確かにうちの弟はシスコンで、私の交際に大反対なんです。万が一本当に暴力なんて振るわれたら大変なんで、私も後悔しました。断れなかっただけで、小宮山さんと付き合ったことを」
「OK。じゃあ、それを理由に断りなよ。うちの弟が認めてくれないんで、ごめんなさいって」
「……結局、そうなりますよね。わかりました。そうします」
佐紀さんの助言をすんなり受け入れた好実は、ようやくトンカツにも手を付ける。
ちょっと冷めてしまったせいか、一度目より感動は薄かった。残念。
佐紀さんはそんな好実に目を細め、なぜか観察し始める。
「……折原さん、悲しそうだね」
「そんなことないですよ。美味しいです」
「もしかして……本当は付き合いたいの? まだ良き兄で、好きじゃないのに?」
「……まだ好きじゃなくても、好きになってくれたんです。こんな……こんな私を、高嶺の花だって言ってくれました。そんなの、小宮山さんだけです」
佐紀さんが指摘したせいで、好実まで自覚してしまった。今、悲しいのだと。
ただ流されてしまっただけだって、それでも小宮山さんだから受け入れたのだ。
今の好実が唯一受け入れられた男性。もうその時点で、小宮山さんは失いたくないほど特別なのだ。まだ恋ではなくても――
どうせ好実は単純で、初恋の男性を唯一無二と信じ込んだほどだから、きっと小宮山さんにもいずれ本気になってしまう。
同時に、彼とだから穏やかな恋を長続きさせられると思ったのだ。弟の問題さえなければ。
「私だって、また恋したいんです。一度の失恋で終わりたくない。ずるいけど……次に付き合うなら、私を裏切らなそうな小宮山さんがよかった」
「……じゃあ、そうすれば? 折原さんが望むなら、このまま付き合いなよ。弟のことも、高城のことも無視して」
佐紀さんの意外すぎる提案に、さすがにびっくりしてトンカツから視線を離す。
再び目を合わせた佐紀さんはただ冷静だった。
「佐紀さん、そんなことしたら、一番困るのは佐紀さんでしょ?」
「俺? 何で?」
「最上階、いられなくなっちゃうかもですよ。会社潰れて……」
「本気でそう思ってる? 高城が失恋で再起不能になっちゃうって」
「……いいえ。私はそんな根性ない人、好きになった覚えないです」
約二か月前の再会をきっかけに、好実がもう一度好きになった初恋相手の高城君は、好実の一挙一動ですぐ傷つくほどナイーブな人だった。
でも本当はとんでもなくガッツがあって、へこたれない人だった。
諦めも悪すぎて、裏でとんでもなく狡賢いことだって平気でしていた。
好実をしっかり騙したって、平然と隣で笑っていたほど。
本当はそんなとんでもない根性を隠し持っている人が、一度恋を失った程度で再起不能になどなれるはずないのだ。
現に、彼はすでに二度も好実にフラれていたって、面の皮が厚いままコンビニに訪れる。
だったらその根性で、今度は好実を吹っ切ればいい。好実が彼を振ったように。
どうせもう好実は二度と戻らないと、ようやく自覚して。
「折原さんがこれ以上高城を心配しないなら、あとは自分の気持ちに従えばいいよ。人生一度きりなんだから、あとで後悔しないように」
「……佐紀さん、たまにはいいこと言ってくれますね。でも、弟に関しては無視ってわけにはいかないです。私じゃなくて、小宮山さんが被害を受けるから」
「じゃあ、しばらく徹底的に内緒にしながら付き合ってみれば? そもそも折原さん、一度受け入れちゃった男を自分から振るなんてできないんじゃない? お人好しだから。それに、弟が暴力振るうかもしれないから別れようなんて言ったって、相手はそれで納得する人なの? そんな根性なし、折原さんは最初から受け入れないんじゃない?」
佐紀さんの完全に友達としてのアドバイスを受け、好実はようやく腹を据えた。
佐紀さんが言った通り、人生一度きり。後悔したくないなら、今の好実は未来の不安に囚われてはいけない。
それでも細心の注意を払いながら、まずは小宮山さんとの交際に踏み切ってみよう。
昨夜は諦めて、今日は迷い、そしてたった今、好実は佐紀さんのお陰で決意した。
頷きで好実の決意を受け取った佐紀さんは、今になってようやく自分が諦めたように溜息を吐き出した。
せめて好実はすでに冷え切ったトンカツを、また一切れ分けてあげた。




