61.一触即発の夜
「音楽聞く? ラジオとか」
「はい。じゃあラジオ……」
海からの帰り道、途中でまたコンビニに寄ったり、絶景スポットで休憩したりしているうちに夜も迫り始めた。
ラジオを希望された小宮山さんは、なぜか伸ばした手を引っ込めてしまった。
「やめた。ラジオに邪魔されたくない」
「……小宮山さんって、けっこうクサいこと言いますよね」
「あとニ十キロだからね。あー離したくないなぁ。ようやく高嶺の花を手に入れたのに」
また高嶺の花扱いしてくれるのは、もしかしたらわざとかな。好実の自己肯定感を高めてくれようとしてる?
優しいな……本当は好実の方がもったいない。中身が優良すぎる小宮山さんこそ、好実にとって本当の高嶺の花だな。
(最初から、小宮山さんを好きになれればよかったのかな……)
ついそんなことまで思ってしまう好実の本音は、もう二度と失恋したくないのかも。
コンビニで働き始めた時点で小宮山さんを好きになっていれば、失恋は免れたかもなんて考えて。
そもそも両想いにすらなれないかもしれないのに。
小宮山さんは、今回慰め続けた経緯があるから好きになってくれたのだろう。最初は妹だったのに、それ以上の愛着が湧いてくれて。
それとも放っとけなくて?
だったら、やっぱりさりげなく世話焼きな小宮山さんらしい。
「また来週、デートしよう。俺達は毎週デート」
「そんな上手くいきますか? それに、もう夜勤明けで無理しちゃだめですよ。来年三十でしょ?」
「それ言う? でも大丈夫。恋は男を元気にさせるから」
女だって元気になりますよ。でも今日の小宮山さんは夜勤明けなのに、最後まで元気でいてくれて有難い。
でも帰ったらいっぱい寝てくださいね。
「もうすぐアパート着いちゃうね」
「はい……今日はありがとうございました。海、また行きたいです」
「……そんな可愛いこと言わないで。このまま逆戻りしたくなる」
それはやめてー。寝る暇なくなっちゃいますよ。好実はもう余計なことを言わず離れよう。
でも小宮山さんの横顔はニヤけそうなのを我慢している。
四歳年上なのに、つい可愛いなと思ってしまうと、とうとう好実のアパート前に着いてしまった。
「じゃあ小宮山さん、また明…………ハッ」
「え? どうしたの?」
突然息を呑んだ好実が小宮山さんを戸惑わせたうちに、助手席の窓がドンドンと叩かれ始めた。しかも容赦がない。
慌てた好実が急いでシートベルトを外す間に、今度は「出てこいよ! おい!」と荒々しい怒号まで響いた。
「やめてよ塁生、何考えてんの?」
外へ出たばかりの好実からさっそく止められたのは、弟の塁生。
しかし感情的になっている塁生は運転席側から小宮山さんまで出てくると、わざと車を足で蹴ったのだ。
衝撃音が響くほどの暴力的行動に、好実は驚きすぎて我が弟かさえ疑う。
「……塁生!」
「いいから好実ちゃん、俺が悪いんだから、俺が話すよ」
何も悪くないだけの小宮山さんが間に入ってしまい、塁生と向かい合ってしまう。
ただそれだけで、今は制御不能な塁生が殴りかかってしまうんじゃないかと好実をビクビクさせる。
「ごめんね、塁生君。今日は……」
「うるせぇ! 言い訳すんなよオヤジが!」
「やめて! やめて塁生! 違うの! 今日は小宮山さんと本社行っただけ! 小宮山さんは店長として、研修受ける私に付き合ってくれただけなの!」
これぞ咄嗟に思いついたデタラメだが、暴力沙汰にさせるわけにはいかない。好実は今にも小宮山さんに殴りかかりそうな塁生を全身で止めながら、嘘の言い訳で宥めた。
「嘘つけ!」
「本当に本当! 小宮山さん、そうですよね?」
「そうだよ。好実ちゃんは正社員になりたいんだ。俺は付き合っただけだよ」
小宮山さんもここはすんなり好実の嘘に付き合ってくれた。
お陰で、塁生の暴走もようやく収まる。好実は塁生を押さえながら安堵すると、これが油断となり、塁生の手だけが伸びた。
そのまま小宮山さんの胸倉を掴んだのだ。
「おいオヤジ、好実に手出したらマジで殺すぞ。俺は知ってんだからな。あんたが好実を狙ってることくらい」
小宮山さんに向けた塁生の最後の一言は、静かな脅しだった。
静かだからこそ、しっかり殺意が込められていることがわかる。
弟の脅しに震えたのは好実だった。姉の好実が、何だかんだ塁生を一番甘く見ていたのだ。
ただシスコンすぎて、いつまでも姉離れできないと。
殺意を込めて小宮山さんを脅した塁生は、何より姉を一番脅かせたのだ。
「小宮山さん、今日は本当にありがとうございました……それじゃあ。塁生、家入ろう」
「うん。ねえ好実、お腹空いたぁ」
好実がさっさと小宮山さんから離れれば、こうして塁生もコロッと豹変。いつも通りに戻り、好実に纏わりつきながらアパートへ向かった。
姉の部屋に入り電気をつければ、姉の顔色がいつもと違うことくらいわかっただろうに、塁生は無視するだけ。
今日の塁生は油断した姉に釘を刺し、懲らしめただけだから。
正社員になりたくて小宮山さんに付き合ってもらったのは嘘でも本当でも、塁生にとってはこの際どっちでもいいのだ。
いかにも自分に気がある男と一緒に出掛けた時点でアウト。プライベートじゃなく本当に仕事上の都合だって、塁生には関係ない。
だって姉は、昔から塁生のものだから。塁生がそう決めてしまったなら、姉は守らなきゃいけないだけなのだ。
姉離れ、弟離れなんて、この姉弟に限っては夢のまた夢。
今まで弟を甘く見ていた好実も、さっきようやくわからされてしまった。
「好実、マジで正社員目指すの?」
「……ううん、やっぱり無理そう」
「だと思った。やめときなよ。コンビニの正社員になったら、休みなんてなくなっちゃうよ。好実はバイトで十分」
もうすっかりいつも通りの塁生は、相変わらず姉の背中にくっつく。
昔から、塁生はいつでもどこでも姉にくっついている男の子だった。
いつも強気なのに、実は繊細で気難しくて、姉だけは手離せない。
まるでお気に入りの毛布やぬいぐるみを手放すと不安がる子供と一緒。
塁生にとってそれが姉だっただけで、結局大人になっても変われなかった。
「でも、今のバイトは半年の約束だよ。小宮山のオヤジがいるから、それ以上は続けちゃだめ。次バイトするなら、女ばっかの所にしなよ」
「……次はバイトじゃないよ。再就職先、見つけるから」
「だから、好実はこのままバイトでいいって。俺がちゃんと稼ぐから」
塁生は姉の道をなるべく塞ぐことで自分に依存させようと、けっこう必死なのだ。
再就職させれば、姉はまた自立してしまう。アルバイトのままでいさせて、これから就職する弟を頼りに暮らさせたい。そんな魂胆が見え見え。
弟がいなければまともに暮らしていけない水準に、姉を落としたい。
自分が姉を手放せないばかりに、姉も依存させたい。
そんな弟にとって、やはり小宮山さんなど最も邪魔で危険人物。
(……やっぱり、小宮山さんはだめだ)
今日、海で小宮山さんを受け入れてしまった好実は、さっそく弟によって後悔させられる。
塁生という弟を持った限り、好実には男性との交際など絶対禁止だったのだ。
そして守らなければ、好実じゃなく相手に被害が及んでしまう。
まさしくさっきのように、塁生は我を失くすまま暴力に走ってしまうだろう。
小宮山さんが好実を好きになったばかりに傷つくなど、間違ってもそんなことさせられない。
姉として、弟を制御不能にさせてはいけないのだ。
好実はすでに小宮山さんへの後悔と共に、間違っても弟を裏切れないとわからされた夜となった。




