56.打ち明ける夜①
兄の浮気問題は、実際は兄自身が元浮気相手に騙されるという更なる問題を孕んでいたが、それでもとりあえずは終息した。
あとは兄夫婦だけの問題となり、兄はこれから翠さんに浮気した事実を打ち明け、騙されたこともすべて白状した上で懺悔しなければならない。
兄夫婦に関してはもう出る幕じゃなくなった好実は、一足先に肩の荷を下ろすことにした。
兄の浮気問題が解決した二日後、好実は仕事終わりの小宮山さんと改めて向き合った。
兄の浮気現場を推定し張り込むという苦労をさせてしまった小宮山さんに、改めて感謝するためだ。
もちろん彼が一緒に行動してくれなければ、兄の浮気に関するすべての真相を見逃したまま、兄だけが問題解決に至ってしまったことだろう。
そうさせてくれなかったのは、やはり小宮山さん。
なんせ今回の兄の浮気問題は、一応妹の好実だって関わっていたのだ。
もちろん間接的で微々たるものでも、関わっていたことには変わらない。
好実自身が兄の浮気を突き止めなければ、自分が関わっていたことすら当然気付かぬままだったのだ。
現実、好実一人では突き止められなかったのだから、やはり小宮山さんが協力者だったお陰で隠された真実もすべて知ることができたのだ。
「……は? 待って、どういうこと?」
しかし今回の件でしっかり感謝を述べた後、小宮山さんを驚かせてしまった。そのまま詳しい理由も問い詰められる。
夜九時過ぎ、ファミレスで小宮山さんと向き合う好実は驚かせるのも想定内だったので、せめて自分は落ち着くためにコーヒーを啜った。
「いやいや、コーヒー飲んでる場合じゃないよ」
「……コーヒー飲む時間くらい、ください」
「いや、コーヒーそのものがだめだ。飯も食わずに」
結局小宮山さん自身が話を中断して、ドリンクバーだけ注文した好実に自分のハンバーグを分け始める。
ご飯が乗ったプレートに半分のハンバーグも更に乗せられ、好実の前に置かれた。
「こんなに食べられるかな」と正直に零してしまうと、「いつもの好実ちゃんなら余裕でしょ」と返された。
いつもだったらね。さすがに今日はいつもと違うから、まったく食欲がない。
「せめて一口……いや、三口は食べなよ。ほら」
「……小宮山さん、私二十五歳です」
「だから? 大丈夫だよ。このフォーク、まだ使ってないから」
そういうことでもないんだけどなぁと思いながら、もう抵抗するのも面倒で口を開けてしまった。
小宮山さんが母親のように、フォークに乗せたハンバーグとご飯を食べさせてくれた。
今日初めて口にした食事は、残念ながら砂を噛むようだった。
今は味覚すら機能しない。いつ復活するのかな。
それでも小宮山さんによって三回口に運んでもらうと、彼も諦めてくれた。
「それで? バイトを辞める理由は?」
ようやくさっき驚かせた件に戻り、今度は優しく問われた。
好実としては誰にも明かしたくなくても、小宮山さんにはそうもいかない。
バイトを辞めるに至って理由があるのは当然だし、店長相手に理由も添えるのは常識だろう。
しかも好実はコンビニでアルバイトを始めて二か月足らずで、今度は突然辞めたいと言い出したのだから、小宮山さんにしてみればずいぶん勝手。
高校生だったらまだしも、成人をとっくに過ぎた二十五歳なのだから。
「……ごめんなさい。理由は」
「じゃあ辞めるのは無理だね。理由を言うのも渋るんだから。それに、好実ちゃんと同じく俺にも都合がある。いきなり辞められたら俺の負担が二倍になるんだから、理由も言えない子を辞めさせられない」
「……理由を言えば」
「それでもだめ。やっぱり俺の負担が二倍になるのは変わらないから」
小宮山さん、さすが店長だけあってシビアだな。今日は明らかに好実が異変を見せ、今は食欲すらないとわかっても、同情して辞めさせる気など更々ない。
バイトを辞めたい理由を言っても言わずとも、結局はまだ辞められないのか。
じゃあ、今日のところは好実も口を塞ごう。
「……貝になることにしたの?」
好実がコクンと頷くと、やれやれといった表情でようやくハンバーグを口にした。そんな顔で食べても美味しくないだろうに。
「俺ってさ、けっこう好実ちゃんの特別だって自惚れてたんだけど」
「…………」
「兄的存在っていうか……俺だったら、安心して身を任せちゃうところもあっただろ?」
「……小宮山さんが兄的存在なのは認めますが、身を任せるっていうのはさすがに大袈裟な表現です」
さすがにそこは否定したくて貝をやめると、小宮山さんにとってはしてやったりだったのだろう。
「俺はアニポジ?」
「……私の真似しないでください」
「好実ちゃんがイモポジなら、俺は必然的にアニポジでしょ」
ここで小宮山さんが屈託なく笑ったので、好実はかえって俯いてしまった。
正直、実の兄よりも兄らしい小宮山さんにとっくに安心感と信頼を抱き、懐いてしまったのだ。
小宮山さんの指摘は自惚れでも何でもない。確かに彼は、ある意味好実の特別な存在。
この人の前だと、本当は何でも打ち明けたくなって、平気で弱音を吐き出したくなる。
今の好実はそんな自分に抵抗して俯き、小宮山さんからも目を逸らしているだけなのだ。
「言っちゃえよ。好実ちゃんの辛いこと、全部聞く」
「……私、誰に対しても強がるのだけは得意なんです」
「俺には無理だってことだろ?」
「そうですよ。だから……せめて、ここでは言えません」
俯きながら発した好実の曖昧な言葉に、小宮山さんはさっそく立ち上がった。「行こう」と、好実の腕もそのまま掴んでしまう。
平気でバイトの腕を掴んだままファミレスを抜け出す小宮山さんは、やはり妹みたいな好実だから構わないのかな。
好実だから許すものの、普通にセクハラだからね。




