55.兄と彼の繋がり②
それは昨夜のことだった。
ファミレスで三十万という慰謝料を支払い、瀬川と決着をつけたばかりの兄を、今度は好実と小宮山が問い詰めた時だった。
兄の口からほぼすべて白状させ、瀬川と関係を持った経緯から妊娠詐欺を用い脅されるに至るまで知った後、好実は一つ気になったことを尋ねた。
瀬川との関係を終わらせるきっかけとなった目撃者とは、一体誰なのか。
そしてその目撃者こそ、今回兄にアドバイスと共に三十万を貸した人物でもあった。
しかし言い渋った兄によって目撃者の名前は明かされず、好実はそれでも問い詰めようとしたのだ。
ちょうどその時だった。改めて兄に視線を向ける前に、テーブルに置かれた兄のスマホがライン通知によって点灯したのだ。
偶然のタイミングでそれに気付いた好実は、その時兄にラインを送った相手まで微かにでも目に入れてしまった。
それが高城だったのだ。
高城のラインの表示名は、シンプルにイニシャルで「N.T.」。
しかしそれを表示名にしたからこそ、彼からラインを受け取る側の兄としてはわかりやすくしたかったのだろう。
兄自身が彼の表示名を変更して登録した。
兄が登録し直したのは、漢字表記のフルネーム――高城尚。
もし兄が変更などしなければ、好実はイニシャルじゃ彼だと気付けなかっただろう。
しかし兄はわかりやすくするためだけに、丁寧にも漢字表記のフルネームに変えてしまった。
これこそ兄の油断で、好実に隙をつかれた原因なのだ。
こうして好実は目撃者の名前を兄に白状させる前に、気付いてしまった。
兄と高城はすでに繋がっていて――おそらく兄が明かすのを渋った目撃者は高城かもしれないと。
兄を白状させない限り確証はなく、しかし好実はもし本当に目撃者が高城だったとしても、大きなショックまでは受けなかっただろう。
確かに兄の浮気の目撃者が高城で、それによってすでに兄と高城に繋がりができていたことには衝撃を受けるだろう。今まで内緒にされたことにも、多少のショックは生まれるはず。
けれど間違いなく高城のお陰で今回の兄の問題は解決したのだから、後はただ感謝と謝罪のみで借りた金を返すしかない。
もし本当に高城が目撃者だったなら、好実にとっては所詮その程度で済んだのだ。
兄が原因で高城に迷惑をかけ、金銭の貸し借りが生じてしまったことに暫く落ち込んでも、高城自身が許してくれるなら、彼との恋愛関係だって解消したくなかった。
これから兄の代わりにいくらでも反省しても、いくらでも図々しくなっても、好実は兄の問題だけでは高城を手離せなかった。それだけはどうしても許されたかった。
同じく好実を離せない高城なら、許してくれるだろう。そういう都合いい狡さも持ち合わせていた。
もう心身共に彼の恋人になってしまった好実には、どうしたって諦められなかったのだ。
だからこそ、せめて事実はしっかり受け止めるために、翌日兄からすべて聞き出そうと決意した。
高城との関係を偽りなくすべて。
そして翌日、好実はコンビニに息抜きに来た佐紀にもついでに確かめた。兄のことを知っていたのかと。
以前高城は、好実が紹介する前に兄のことを知っていて、そのことに疑問を覚え尋ねれば、先に気付いた佐紀が前もって好実の兄だと教えてくれたと答えたからだ。
好実が直接佐紀にそのことも教え、それは本当かと確認すると、確かに肯定された。
佐紀が好実と一緒に帰る兄を見かけ、そのまま調べて高城に教えておいたと。高城が誤解しないために。
佐紀にこうして肯定された好実は感謝だけしたが、本当は佐紀の態度から嘘だと見破った。
やはり高城は好実に疑われたことで、佐紀のせいにしただけだと。
そして佐紀は、あとで高城の指示により口裏を合わせたのだろうと。
まだこの時点では兄に白状させておらず、高城が目撃者であると確定していなかったが、好実は佐紀によって増々確信させられただけだった。
その後、兄と昼休憩を合わせすべてを白状させるに至った好実は、前もってしっかり脅したのだ。すべて正直に明かさなければ、妹をやめると。
すでに高城が目撃者であることも確信していると教えれば、さすがに兄は観念した。
すでに妹の口から高城の名前を出されたのだから、あとは妹に捨てられる前にすべて白状するしかないと。
こうして好実は兄の口で、高城と繋がる最初のきっかけから順に教えられたのだ。
もちろん最初のきっかけは、駐車場での瀬川とのキスを偶然目撃されたこと――――しかし、それ以降の話は好実にとって予想だにしなかった、耳を疑う真実が隠されていた。
それまで好実は、単純にこう思っていたのだ。高城は偶然兄の浮気の目撃者になってしまい、それによって逆に兄に頼りにされ、金まで貸して兄のピンチを助ける羽目になったと。
もちろん金まで貸したのは、相手が好実の兄だとすでにわかっていたから。
しかし現実は甘くなかった。好実にとっては衝撃的で、残酷なほどに。
まさか高城の方から目撃者として兄の弱みを握り、兄を協力者にさせることによって好実を今のコンビニで働かせたなんて。
しまいには謝礼として、瀬川との和解金三十万を兄に貸したのではなくあげたなんて。
そんなの信じられるわけなかったけれど、好実が兄を脅したのだ。正直に言わないと妹をやめると脅したから、兄は観念して正直に明かしただけ。好実にとっては残酷な事実をすべて。
高城と兄の繋がりは、交換条件で成り立っていたのだ。生贄は好実。
好実の兄の浮気を見逃す代わりに、高城は好実を要求しただけ。
そして無事に手に入れれば、褒美の三十万を与えた。
二人の交換条件やりとりをこうして簡単な言葉にしてしまえば、生贄とされた好実は何てちっぽけな価値なのだろう。
当の好実は何も知らず、本当は生贄にされるために遠いオフィスビルのコンビニで働けと強制され、兄の言うことだからと仕方なく再就職を延期され、何より初恋の彼と偶然再会した嘘の演出に踊らされた。
自分はただの生贄でしかないなんて知らないままに、一人勝手に運命の再会とさえ思ったのだ。
運命的に再会した初恋相手の高城がコンビニに来るたびドキドキして、確実に自分目当てだとわかれば期待までしてしまった。
高城はあまりにも高嶺の花だってわかっても、純粋にアプローチされたからこそ飛び込めた。
彼はただ純粋でナイーブで、人間くさかったからこそ、好実は信じられるだけだったのだ。
初恋の高城をもう一度好きになったことで、自分が好きになるのは彼だけとさえ確信してしまった。
彼の他に好きになった人はおらず、逆に彼のことは二度も好きになり、ただそれだけで自分には彼だけと思い込んだ。
好実にとって初恋相手との運命の再会があったからこそ、そんな思い込みだって生まれてしまったのだ。
けれど、本当は思い込みに過ぎなくたってよかったのだ。好実自身がそう信じたのだから、それでよかった。
初恋相手の高城が唯一無二の運命の男性と思い込み、永遠に信じたままでいたかったのだ。
ただの思い込みで実際はそうじゃない。現実は滑稽で残酷なんだとわざわざ証明してくれたのは、自分の兄と初恋相手の高城自身。
自分の妹を生贄にした兄と、生贄の好実を捧げられただけの高城。そんな好実の金額は三十万。
兄を白状させたことにより、自分が本当は生贄だった挙句三十万の価値だと知った好実は、やはり滑稽にも人生最大の衝撃とショックを受け、心に傷を負ってしまった。
生贄にだって感情くらいあるのだから。
だから好実は心に傷を負ったままに、生贄を辞退することにした。
自らちゃんと一人の人間として一人の女性として復活するために、自分を三十万の価値として扱った高城を許さず決別した。
それがせめてもの報復だった。
自分を勝手に三十万の価値にした男を、こっちから捨ててやったのだ。
同時に、一度は運命と信じてしまった初恋相手の高城も、傷を負った心から追い払った。
もう誰の生贄にもならない。自分の価値は自分で決める折原好実として、これからは生きてやる。




