54.兄と彼の繋がり①
事の始まりは三か月前だ。好実の兄である侑久は仕事終わり、駐車場で瀬川に待ち伏せされ、その日も瀬川の誘惑を断れなかった。
瀬川は今年入社した新人だったが、結局は三か月足らずで辞め、でもその間に侑久は瀬川を一度浮気相手にした。
侑久としてはつい魔が差しただけの、浮気より軽い遊び程度。
瀬川もそういう軽いノリだったから、侑久も遊び相手として新人の後輩に手を出してしまったのだ。
しかし遊びは長く続かず、幸い二週間程で目を覚ました侑久は、夜の会議室で瀬川と関係を持つのをやめる。
それから一カ月程して、瀬川は仕事が合わないからとあっさり会社を辞めてしまった。
一度新人の瀬川に手を出してしまった侑久としては、ただ安堵したのだ。
もう顔を見ることもない瀬川が再び現れるなど、この時点では思いもしなかった。
しかし瀬川は一見頼りなくて小動物のようなイメージを持たれがちだが、実は相当したたか。一度関係を持った男は簡単には逃さない女だった。
今度は駐車場で待ち伏せされた侑久はまんまと惑わされ、また魔が差したのだ。
侑久にとって瀬川は完全に肉体関係のみの遊び相手。その上、もう会社の後輩でもない。
前回は二週間で目が覚めたが、再び関係を持てば、今度こそ週一、二ペースでずるずると会い続けてしまう。
しかも毎回車を利用しての情事なので、それも気軽さを生んでしまった。
そうした侑久の行いが、完全に油断を生んでしまう。
そして事の始まりとなった三か月前を迎え、その日も駐車場で待っていた瀬川と車に乗り込んだ侑久は、瀬川からキスされたことで目撃者を生んでしまう。
車内での二人のキスを目撃したのは、同じオフィスビルに勤める高城だった。
侑久は目撃されたと気付いた時点で、目撃された相手が高城であることも気付いたのだ。
なんせ彼はオフィスから滅多に抜け出さなくても、このオフィスビルに勤める者なら誰もが知っている存在。
最上階にいるUNICUS社のヒットメーカー・高城尚は、それほどオフィスビル内で名が知れ渡った有名人だったのだ。
その上であの稀な美形顔を備えているのだから、実はしたたかな瀬川だって侑久と関係を持ちながらもしっかり狙いアプローチ済み。
結局はあっさり玉砕し、実はそれがきっかけで瀬川は会社を辞めたのだ。
侑久はそんな高城に瀬川とのキスを目撃され、しかも瀬川は高城にアプローチして玉砕済みであることも、瀬川の口から知らされてしまった。
高城の方は侑久を知らないだろうが、アプローチされた瀬川のことは知っている。侑久にとって、それが気懸りとして残ってしまった。
そして予感が的中したかのように、高城に目撃されてから数日後、初めて顔を合わせることになる。
今度は直接目の前に高城が現れてしまったのだ。ただ静かな笑みを浮かべて。
最初に目撃された駐車場という場所で接近された侑久は、その時点で弱みを握られたと確信した。
確信したことにより、侑久自身がその場で必死に頼み込んだのだ。
当然、瀬川とのことは見なかったことにしてほしいと。今度こそ目が覚めて、もう決して会うつもりがないとも勝手に約束して。
ただ侑久の浮気を目撃し、数日後に自ら近寄っただけの高城は、侑久が勝手に必死になったことでわかりましたと了承した。
弱みを握られたにもかかわらずあっさり安堵させられた侑久が礼まで述べると、高城はそのまま侑久を解放するのではなく食事に誘った。
安堵をもたらされた矢先にジワリと訝しさが押し寄せた侑久は、それでも当然従ったのだ。
侑久は食事の場で、今度は逆に高城のお願いが待っていた。
すでに高城は、侑久が好実の兄だと知っていたのだ。好実は中学の同級生だったことも一緒に明かした。
しかし高城は好実にとってほぼ知らない存在で、会う術もないという。それでもチャンスが欲しくて、こうして侑久に頼ったと言うのだ。
そんな高城のお願いは、すでに弱みを握られた侑久にとって全く大したことなかったのだ。
確かに、これは交換条件なのだろう。
高城は侑久の弱みを握った代わりに、ただ自分の願いを一つ叶えてほしかっただけ。
脅されて金銭を要求されたり、暇潰しに会社や家族にバラされたり、そんなあくどい輩だってこの世にいくらでもいるのだ。
高城が提示した交換条件など、侑久にとっては助けられただけ。ただ妹を差し出せばいいのだから。
しかも相手は妹にとって高嶺の花すぎるUNICUS社の高城尚。そんな彼が逆に妹に好意があり、近付きたいというのだ。妹にとっても玉の輿を狙える幸運話に過ぎない。
むしろ喜んで受け入れた侑久は、高城との交換条件を成立させた。
しかし難しいのはここから。
侑久は高城の要求をどういった形で実現させるか、しばらく悩み続けた。
弱みを握られただけに、さすがに失敗はできないと危惧もしたのだ。慎重に計画を立て、事を運ばなければいけない。
単純に侑久が高城と友人になったことにして、妹と会わせる機会を作ることもできる。だが妹自身が高城に興味を持たなければ、その一日きりで終わってしまうだろう。
高城はただ好実と再び会うチャンスが欲しいと要求しただけだが、実際はそれだけとはいかない。二人の仲を進展させ、交際にまで至らせなければ。
そんな使命感を背負わされた侑久は、当然瀬川との関係をすっぱり絶った。
高城と妹をどう接近させるかに一点集中し始めたのだ。
そして妹が実家に来た際に零した何気ない一言によって、思いついたのだ。それが約二か月前。
その時、好実はちょうど失業中だった。失業手当が切れる前にようやく再就職をと重い腰を上げたが、つい実家で愚痴り、その前にコンビニでアルバイトでもしよっかなーと何気なく口にしたのだ。
当時の好実は本気ではなかったのだ。しかし鵜呑みにしたのは兄の侑久。
思惑があったからこそわざと鵜呑みにした侑久は、好実に本気でコンビニのアルバイトを勧めてしまった。
しかも先輩の小宮山が人手不足で困っているからと、半ば強制的に押し付けたのだ。もちろん良い条件は揃えて。
こうして好実の何気ない一言が、本当にコンビニのアルバイト話を持ってこられる結果となり、しかも兄がほぼ強制したことで従わざるを得なくなったのが実情なのだ。
好実も好実で仕方なく前向きになり、再就職前の寄り道と考え決断してしまった。
この段階で、侑久は高城の要求を半分叶えたようなもの。
しかも自分が間に入って二人を引き合わせるより、高城と同じオフィスビル内で妹を働かせた方が、出会いとしては自然と言える。
あとは高城がコンビニを利用する回数を重ね、印象づければいい。
妹だってあんな美形がしょっちゅう訪れれば、いずれは必ず気にしてしまうだろう。
高城がその度にアプローチすれば尚更。
そんな侑久の思惑と計画は高城にしっかり伝えられ――そして二人は本当に侑久の思惑と計画通りに、いやそれ以上のスピードで急接近したのだ。
当然、高城が侑久に大感謝するのは当たり前。
しまいには出会って一カ月もせず恋人同士に発展し、つい先週には好実が彼を家に泊めるほど、二人の関係はしっかり深まったのだから。
妹と高城に関しては、あとは二人に任せられる状態にさせた侑久は、しかし自身にまた新たな問題を抱えてしまった。しかも今回は重大で深刻。
すでに完全に関係を絶ったあの瀬川が再び現れ、今度は侑久との子供を身籠ったかもしれないと告げられたのだ。
今度こそ瀬川から逃げられなくなった侑久はとりあえず病院に行き、まずは妊娠した証となる診断書を見せてくれと要求。診断結果により、慰謝料を支払うとも約束する。
当然侑久は離婚など考えられないので、遊び相手でしかなかった瀬川には中絶を求めたのだ。
したたかな瀬川はそれをしっかり逆手に取り――いや、最初から妊娠詐欺を働くつもりで再接近したのだから、病院に行き渋りながら高額な慰謝料を要求し始めた。
当然侑久が先に診断書を見せろと言い返すと、今度は奥さんにバラすと言い返される。
そんな深刻な押し問答を毎週繰り返し、ひと月経ってしまえば、侑久はすっかり参ってしまった。
したたかな瀬川は侑久では手強すぎたあまり参り、その参っている最中、ちょうど高城から感謝の連絡があったのだ。
侑久は唯一瀬川とのことを知っている高城だからこそ、その時に瀬川との問題を打ち明け、アドバイスを求めた。
高城から返ってきた提案は、結局は相手が相手だけに金で解決すること。
しかしそれ以上は付け込まれないために、侑久からもしっかり脅すことも付け加えられる。
もし瀬川が妊娠詐欺を働いたなら法的に訴えると、瀬川に伝えることをアドバイスされた。
それと共に、高城は瀬川を完全に追い払うための三十万を渡したのだ。
これは今回のお礼でもあり、返す必要はないという言葉を添えて。
そんな言葉を添えて金銭を恵んでしまった高城も、そして高城の言葉をそのまま受け取り三十万を手にしてしまった侑久も、どっちも異常。どっちも狂っている。
二人とも迂闊で安易で、考え方も捉え方ももはや欲に負け狂ってしまっているから、最終的にはしっかり好実にも気付かれたのだ。
目の前の欲に負け狂ったあまり、隙を生んでしまった。
そして好実は、隙を作った兄から目敏く見つけてしまったのだ。すでに兄としっかり繋がっていた高城の存在を。




