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5.義姉のお願い


「ほら、降りろよ」


 いつも通りアパート前まで送ってもらっても、車から降りるのを忘れたせいで教えられる。

 

「うん、今日もありがとう。……あれ?」


 一応最後は兄に振り向くと、ネクタイが二週間ぶりに罰ゲームになっていた。


「……お兄ちゃん、まさかこれからキャバクラ行く気?」

「え? 何でわかったの?」

「そのネクタイ! だめ、今日は行かせない。そのネクタイも外せ―!」

「グエッ……お、おい。外せっていう割に絞めるな」


 今日はキャバクラ行きを許さなかった好実はついでに兄の首も苦しめる。ついでの行為はただのストレス発散。

 でも殺すわけにはいかないのですぐ離す。


「はあ、はあ、苦しかった」

「とにかく今日は行かせないから。いや、これからずっとかな」

「何でだよ! 愛花ちゃんに会いに行くことは俺の唯一のストレス発散方法だぞ! お前が俺の首絞めるのと一緒だ!」

「バッカじゃないの。一緒にしないで。ほら、さっさと家帰って。今日は私も帰るから」


 兄をこのまま監視するため、今夜は実家行きを決める。

 こうでもしなきゃ兄のキャバクラ中毒は止められない。それでなくても子沢山で義姉は家計のやりくりが大変だろうに、兄は二週に一回キャバクラ通いなんて、これ以上は妹が許さん。

 今日は首を絞めた効果もあってか、兄も渋々自宅方面へ車を走らせ始めた。



 ※ ※ ※



「あんた、今日はバイトないの?」

「うん……いてっ」


 実家に泊まった翌日、そのままダラダラしている好実をようやく気にしたのは母。

 でも好実はただ茶の間でだらけているわけじゃなく、返事ついでに痛がった通り甥の遊び相手も兼ねているのだ。

 ただいま幼稚園に行っている五歳と四歳の甥はやんちゃオブやんちゃだが、それよりマシな程度の二歳甥はただいま四つん這いになる好実に跨り、好実の髪を掴んでお馬さんごっこ。けっこう容赦ない。

 天使はまだ0歳の姪だけだな。


「このみちゃん、うごけー」

「はいはい。パッカパッカ」

「ごめんね好実ちゃん、せっかく帰ってもゆっくりできなくて」


 今日も気を遣ってくれるのは0歳児を抱えた義姉の翠さんのみ。

 今日の母は娘のお陰で二歳孫から解放され、趣味の庭いじりを始めた。


「好実ちゃん、今のうちにあんまん食べちゃって。好きでしょ?」

「好きですが……翠さん、なぜ今のうち?」

「あの子達が帰ってきたら、好実ちゃんの分食べられちゃうじゃない」


 そうだった。ただいま幼稚園の五歳と四歳の甥は好実に全然容赦ないのだ。

 それに比べて好実をお馬さんにする程度の二歳甥はおやつ横取りまではしないから、まだ優しいな。来年はわからないけど。


「ありがとうございます。てっちゃん、半分こする?」

「するっ」

「哲朗はお兄ちゃん達と食べさせるからいいのに……。でも好実ちゃんが優しいから、うちの男児は調子に乗っちゃうのよね。ほら、好きな子には意地悪したくなっちゃうでしょ?」


 ようするに翠さんの解釈では、好実が甥達にやられっぱなしなのは愛情の裏返しってことかな?

 でも好実がいきなり泊っても気遣ってくれるばかりの翠さんの方がずっと優しいですよー。

 今日も末っ子をおんぶしながらあんまん蒸かしてくれて、ありがとうございます。


「あれ? 翠さん、ピアス久しぶりですね。可愛いー」


 好実が初めて翠さんと会ったのは六年前。当時はちょっとヤンチャだった彼女は、ピアスもごろっごろだったんだよなぁ。髪も金髪で。

 でもそんな翠さんも子供を産んでからはむしろ落ち着いてしまって、ピアスを付けている彼女を見るのも久しぶり。

 今はゴロゴロじゃなくて、さすがに両耳一個ずつだけど。

 気付かれた翠さんも少し照れくさそうに耳に触れる。


「ついでに、髪ももう少し明るくしようと思って……」

「へえ、いいですね。翠さん美人だから、金髪もめっちゃ似合いますもんね。あっ、でも今の黒も私は好きですけど。ようするに翠さんなら何でも……」


 結局好実の褒め言葉が尻切れトンボになってしまった。翠さんの顔がいつのまにか沈んでしまったから。

 今は無理やり笑っている状態。


「翠さん……何かありましたか?」

「……ううん」

「嘘ですよ。兄と何かあったんですね?」


 この翠さんをこんな痛々しい顔にさせられるのは兄しかいない。

 そんなこと、好実は昔からわかっている。それこそ二人が結婚した当初から。

 唯一夫には弱い翠さんは、だからこそ夫の些細な行動や言動にも振り回されてしまうのだ。これこそ惚れた弱み。

 しかも翠さんは夫本人に不安な気持ちをぶつけられないから、溜め込んでしまう。

 今までだって、好実が時々実家に帰った時にちゃんと気付いてあげなければいけなかった。好実だけは彼女からのSOSを見逃さないために。


 それにしても、今日の翠さんはどうしてこんなに痛々しく、悲しい顔をするのか。

 今までの彼女からのSOSはささやかで、好実は気付くのもやっとだったのに、どうして今日は。


「翠さん、ちょっと息抜きしましょうか」


 とりあえず好実はまだ温かいあんまんを甥に譲ることにした。




「子供抜きで公園来るの初めてかも……」


 翠さんの呟きに、独身の好実は大袈裟だなと思ってしまいがち。でも彼女は本当に思い出せないのかも。子育て中の今で精一杯で。

 彼女にだって当然子供時代はあったし、それに今彼女と二人でいる公園は昔よく――――


「……あ、そうだ。昔よくあの人とも来たっけ」


 やっと思い出した翠さん。それはよかったのだが、何だかまだまだぼんやり状態。

 さっき好実があんまんを譲った甥と0才姪は母に任せ、今日は子育てを一時抜け出した翠さんとベンチに座る。

 好実にはこの程度しかできないけれど、それでも精一杯寄り添わなきゃ。

 いつだって好実の兄が彼女を不安にさせ、今日は悲しませるまでに至ったのだから。


「翠さんのピアスとか、明るい髪に戻すのも、兄と関係ありますか?」

「うん、関係ありまくり……。せめて、昔の私に戻りたくなって。そうすれば、あの人も……」


 一旦言葉を途切らせた翠さんは、また痛々しく笑ってしまった。


「馬鹿だよね……そんなに甘くないのに。あの人の気持ちなんて、そんな簡単に戻らない……」

「……翠さん、兄がまた翠さんを辛くさせたんですよね? 今日はこんなに悲しくなるほど」


 今までも翠さんが好実にSOSを出した時は確かに辛くて不安で、一人じゃ解決できなかったからこそ好実を頼ってくれた。

 だから好実が彼女に代わってちゃんと解決してきたのだ。

 夫に弱い彼女は直接問い詰めることも責めることもできないから。

 でも今回は辛さや不安を超えた彼女の悲しみが大きすぎて、好実が解決できるかもまだわからない。

 とりあえず兄が彼女に対し何をしたのか、そこから知らなければ。


 好実は翠さんの手をわざと握りしめる。できる限りのことをして、とことん味方になるために。


「翠さん、まずは教えてください。兄は何をしました?」

「……私、とうとう浮気されちゃった。今までは好実ちゃんのお陰でギリギリ阻止できたのに」


 やっぱりそうか……クソ兄、浮気だけはするなってあれだけ口酸っぱく言ったのに。

 好実はとりあえず頭の中で兄の顔面を三発殴ってから、さっそく兄の浮気相手がどこの誰なのか考え始める。

 でもこれはあっさり思い浮かんだ。

 最近兄が夢中になっているキャバクラの愛花ちゃんだろう。あの兄を操縦するのは妹でもかなり難しくて、浮気は絶対させない代わりにキャバクラ通いくらいは許すしかなかったのだ。

 妹がキャバクラもだめだめ言ったら、あの兄は息が詰まるばかりで余計に自由を求めてしまうから。

 でも、今回とうとう浮気しやがった兄の浮気相手がキャバクラの愛花ちゃんでまだ幸いといったところか。本気じゃなく遊びと考えれば……。


「……好実ちゃん、あの人の相手、キャバクラの女の子じゃないよ。それはただのカモフラージュ」

「……へっ?」

「あの人、今回は好実ちゃんまでしっかり騙してる。あの変なネクタイわざと付けて」

 

 翠さんは兄のキャバクラ通い自体が嘘だとすでに見抜いていた。

 好実は兄の愛花ちゃん自慢だの、愛花ちゃんから貰ったネクタイ自慢だのをそのまま信じてしまっただけなのに。

 さすがあの見張らなければ必ず浮気に走る兄の妻なだけある。

 そもそも、何でこんな美人で優しい妻がいながらマジで浮気するんだ。クソー。

 ……でもクソ兄の浮気相手がキャバクラの愛花ちゃんじゃなければ、一体誰?


「翠さん、相手が誰かもわかってるんですか?」

「ううん、まだ全然。あの人が浮気してるって気付いたのも、ただの勘だから」


 勘……なんだ、勘か。

 いやいや、妻の勘ほど侮れないものはないだろ。

 とりあえず妻の勘のみで浮気を確信した翠さん、すげぇ……。

 でも好実は悠長に感心している場合じゃない。

 何となくだけど、浮気は早いうちに手を打たないと盛り上がってからでは遅い。

 いやそもそも、翠さんは浮気野郎を許せるのか? 好実なら百発殴っても許さんし、即離婚だぞ。

 

(離婚……こわっ。いやでも、翠さんはそこまで考えてないから私を頼ってるわけで……)


 子供がすでに四人いるとか、離婚はそんな簡単じゃないとか、そんな現実や理屈抜きにして、この翠さんはそもそも離婚するなど考えられないのだ。

 夫に対して唯一弱い通り、浮気されたって夫を好きなままなのが翠さんだから。

 好実が初めて兄から彼女を紹介された時から、彼女は本当に何も変わっていない。

 どんなに見た目が派手な時だって、すっかり落ち着いて子供が四人いる今だって、兄にだけはいつまでも純粋で一途。

 だから好実はいつだって彼女の味方だし、彼女に頼られれば精一杯頑張りたいのだ。


 公園で好実に手を握られたままだった翠さんがようやく振り向いた。 

 さっきのボンヤリ顔は脱して、今度はしっかりと必死さを見せて。

 いつまでも悲しんでばかりではいられないから。


「好実ちゃん、お願い。協力して。私はあの人を失いたくない」

「わかってます。でも小賢しい兄には慎重にいかないと……。まずは浮気相手を突き止めましょう」


 せっかくのバイト休みであっても兄のせいで頭を悩ませる好実は、今日の所はひとまず幼稚園から帰ってくる甥のために実家へ戻り始めた。


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