48.嵐の前の静けさ
「……お前さ、何か変わった?」
「え? 別に……」
火曜日の朝、迎えに来た兄が運転開始前に好実の顔を凝視した。否定されても、余計にマジマジとする。
「整形なんてしてないよ!」
「はははっ! 整形したなら、もっとわかりやすく変わるだろ。お前の地味顔は全く変わらん」
「ふんっ、お父さんに言ってやる。地味顔だって」
きょうだいで唯一父親似の好実は唯一地味顔。そんなこと本人が一番知ってるのに、こいつは更に口にするから頭にくるんだ。
もう兄のことはこいつ呼ばわりの好実は、せめて口から出ないように気を付ける。
なんせ送迎役ですからね、こいつは。放棄されるわけにはいかない。
「好実、女は美人じゃなくたって、美人に見えるカラクリくらいあるんだよ。お前の場合は地味顔だから、よく見ればまあまあ程度にはなれる」
「何が言いたいの? 整形には頼るなってこと?」
「お前は幸い色白で髪も綺麗だ。女はこの二つを持ってれば、十四難隠してくれる。よかったな」
「あっそ」
でも十四難隠している割に、好実はよく見ればまあまあ程度か。
こいつはどんだけ妹の元が悪いと思ってるんだ? 喧嘩売ってんのか?
「お前、この三日俺が見ない間に女になったな」
ようやく車が走行されてから、好実は初めて兄の言葉にドキリとさせられた。
思わず言い返すことを忘れてしまうと、兄は図星をついたと確信したようだ。
「ふーん。マジでそうか」
「私は元々女です。ふんっ」
確かに兄が言った通り、ここ三日はほぼ兄と顔を合わせていなかった。昨日の月曜日はバイト休み。その前の週末は、土曜日の朝の送迎でしか会わなかった。
そのせいで、今朝三日ぶりによくよく妹を見た兄に指摘されたのだ。
元々女の子大好きな兄だけに敏感なのかも。敏感になるのは奥さんだけにしろ。
でも好実は疚しさのあまり、わざとサイドミラーを見つめる。
兄に対して疚しくなることなどしていないが、家族にバレること自体が疚しさを生んでしまう。
「相手は誰だよ」
「知らない」
「じゃあ塁生にバラしちゃおっかな」
「ちょっとお兄ちゃん!」
本気で怒った妹に対し、兄もそれ以上の意地悪はやめたようだ。
「わかったよ。内緒にすりゃいいんだろ」
「……うん」
「まあ、俺はお前の相手くらいピンときちゃうけどね」
「……まさか、また小宮山さん疑ってるの?」
「小宮山さん? ははは、違うって。あれは冗談」
以前好実に先輩の小宮山さんを勧めた兄は、勧めたこと自体忘れていたようだ。
何だ、マジで冗談だったのか。
「俺が本気でお勧めするのは、あの美形」
好実を再びドキリとさせた兄は、もしやもう気付いているということか?
「顔だけじゃなく性格も良さそうじゃん。礼儀正しいし。何よりお前ファーストな感じ。いや、一番はやっぱり財力か? 女はやっぱ金持ってる奴に嫁いだ方が幸せになれるぞ。貧乏暇なしだからな。お前はパーフェクトなあの美形にしとけ」
好実の相手にピンときた兄は特に反対するでもなく、むしろここまで賛成。
反対まではされずとも渋い顔くらいはと思ったのに。さすがに妹とは釣り合いが取れない高嶺の花だから。
……それ以前に、なぜ兄は高城君に対し財力があると決めつけられるのだろう。今まで二度しか顔を合わせたことがなく、妹の知り合い程度としか知らないのに。
「……お兄ちゃん、高城君のこと調べたの?」
「え? いや、調べるまでもないだろ。高城って名前だけで気付いただけだよ。最上階にいるUNICUSのヒットメーカーだろ?」
今度は好実が兄の横顔に疑いの目を向ける番となった。
今まで二度高城君と顔を合わせた時の兄は、全く気付いてない様子だったのに。
今の兄は誤魔化しただけで、本当は自力で調べたのだろうか。
まあいっか。その程度なら気にする必要もない。
さっさと諦めた好実はようやく兄の横顔から目を離した。
※ ※ ※
「……はぁ、昨日は参った」
今日も佐紀さんは午前中からコンビニに現れた。相変わらず仕事中の好実の隣を陣取るが、さっそく肩を落としながら嘆き始める。
「一応聞いてあげますよ。どうしました?」
「高城、昨日忽然と俺の前からいなくなった」
好実は一応聞いてあげた手前、親切に答えまで教えてあげることに。
「佐紀さんは、まだ知らなかったんですね。高城君が瞬間移動できること」
「……は? 今なんて?」
「瞬間移動。高城君の特技なんですよ」
そんな非科学的なことを真顔で言ってのけた好実こそ、ムンクの叫びのような顔をされた。
佐紀さんって一応イケメンなのに、こんな変すぎる顔も妙にしっくりくるんだよな。生まれつきふざけた人ということね。
「……ねえ折原さん、何であいつが瞬間移動できると思ったの?」
「そんなの、実際に私も目の前からいなくなられたからですよ。しかも二度やられましたからね。信じるしかないですよ。本人は自覚なしで、否定してるけど……クスリ」
「……わかった。折原さんがヤバいほど鈍感なのって、そもそも思い込みが激しすぎるからかも。目の前で起こったことが瞬間移動だと思いつけば、そのまま信じすぎちゃう。逆に目には見えない曖昧なことは全然気付けないから、ヤバいほど鈍感……ふむ、折原好実の謎はすべて解けた」
仕事中の好実は隣で勝手に分析された挙句納得もされれば、そんな佐紀さんにこそ不審の目を向ける。いや、不審というより今日も呆れた目かな。
暇だから好実の分析などしてしまうのだから、そもそもサボってないでちゃんと仕事しろ。
「佐紀さんって、よくそんな仕事してない感じでお給料もらえますよね。羨ましい」
「そりゃあ俺は最上階の男だからね。見た目はいつも余裕じゃなきゃ」
「さっき来た時はモロ落ち込んでましたけどね。高城君に瞬間移動されちゃって」
「……ハッ、そうだった」と、好実のお陰でやっとコンビニに来た目的を思い出したらしい。
「折原さん、昨日あいつ、俺の監視をかいくぐって正午前にいきなり消えたんだけど」
「だから、それが瞬間移動ですって」
「じゃあ、あいつは折原さんの元へ瞬間移動したってこと?」
「そうそう、そういうこと」と、仕事中の為ながら聞きだったせいでうっかり認める。
ヤバい。高城君が昨日サボった理由が佐紀さんにバレてしまった。
でもサボったわけじゃないよね。午前中にやるべきことを終わらせたって言ってたから、問題はないはず。
「……まずいな」
「えっ……やっぱりまずいんですか? てことは、昨日の高城君はやっぱりサボり?」
「そういうことじゃなくてさ、あいつ夢中すぎでしょ。付き合っちゃったから、ますます折原さんしか眼中ない」
佐紀さんにいきなり深刻な顔で懸念されてしまえば、好実はさすがに問題の本質に気付かされた。
昨日の高城君がサボりかそうじゃないかではなく、恋にうつつを抜かしすぎた彼が問題なのだと。
UNICUS社のヒットメーカーである彼が仕事そっちのけで恋人のみに夢中など、UNICUS社の危機を招くだけなのだから。
高城君のサポート的立場の佐紀さんも深刻になるのは当然。
ようやく事の重大性に気付いた好実は仕事中の手を止め、すでに顔は真っ青。
「……佐紀さん、私しばらく高城君と会わないことにします。高城君の目を覚まさせないと」
「あー違う違う。それだけはやめて。逆効果」
「へ? じゃあ、どうすればいいんですか!?」
会いすぎ状態はまずいと言われ、会わなければ逆効果と言われ、じゃあ好実はにっちもさっちもいかないじゃないか。
ついついコンビニ内でキレてしまうと、佐紀さんが「声大きい」と注意してくれた。
それは有り難いが、解決策をちゃんと教えてくれ。
「……あっ、大袈裟はだめってことですか? 程々が大事って、佐紀さんは言いたいんですね?」
「そりゃあ何事も程々が大事だけど、あいつの場合はそういう問題でもなくて……今のあいつが万が一折原さんを失くせば、その時はどうなるかわからないってこと。男女の仲なんて、明日どうなるかもわからないんだから」
飄々男の佐紀さんは大抵ふざけていて、落ち込む姿を見せたってフェイク。だからこそ、今は素直に懸念する佐紀さんは貴重。
そんな彼とは反対に、好実は秘かに安心してしまった。何だ、佐紀さんの取り越し苦労かと単純に思って。
だって、好実は高城君と離れるつもりなど更々ないのだから。離れるなど、もうあり得ないだけ。
好実が持つこの秘かな自信は佐紀さんに伝えるわけにもいかないが、少しくらい彼の懸念を取り除いてから帰さなきゃ。
「じゃあ、佐紀さんは私を心配するべきですよ」
「……何で?」
「私、これでもめちゃくちゃしつこいタイプで、一度手に入れたものなんて執着心バリバリなんです。そんな私を見抜かれて逃げられる方が、可能性大だから」
「……なるほど。ふーん、人は見かけによらないね」
佐紀さんも、最後は好実の言葉をわざと信じてくれた。ようやくいつもの佐紀さんに戻ってくれたようだ。
好実もそのまま彼をコンビニから追い出すことに。
(あーあ、洋食岡田の自慢し損ねた)
佐紀さんが帰ってから、好実はのん気にそんな後悔まで始めたのだった。
――この時が、まさに嵐の前の静かさになるとも知らず。




